7-2 スタートライン

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 突如空間を裂いて僕たちの目の前へと降臨したキウン王は、外套がいとうを手でぎ取った。すると、外套がいとうまたたく間に刃渡り二メートルはあろうかという大太刀おおたちへと形状を変化させた。星々を透過し、まるで小宇宙を思わせる水晶の刃。下段の構えをとり、キウンが僕たちを見据みすえる。感情は伺えない。まるで仕事の一環とばかりに淡々としている。

 アルテミスが僕の前に立ち、手のひらに光の球を発現させる。あれはグレンと対峙した際に超巨大な剣を発現させたものだ。


「はは、ルナの規律を犯したボクが憎い?」

「憎しみなど皆無。我はおのが責務のため動いている」

「待ってください。彼女は――」


 僕が一歩踏み出すと、アルテミスは僕を手で制した。


「ボクの罪は人間であるキミをルナに導いたことさ」


 やはり王は彼女がテラであると知っていた。ならば何故、人間である僕を断罪しないのか。


「ボクが消滅すれば、キミも消滅する。だからこそ、ボクだけで十分だったんだろう?」

しかり。そして、キサマはルナを混沌へとおとしいれた」

「混沌に……?」


 空間が切り替わる。やがてそこは見知った世界を映し出した。

 ルナだ。僕たちは今、ルナの地上数百メートルに立っている。地上では星々が慌てふためている様子が見える。


「キミがボクの命を救ったからだよ」


 僕は目をき、彼女を凝視する。


「ボクがキミをルナへ導いたのは、キミが運命の分岐点に立っていたからさ」

「分岐点……?」


 キウンへと目を向ける。彼は彼女の話を待つつもりのようだ。それがルナの王としての矜持きょうじなのだろうか。それともせめてもの情けか。あるいは、走馬灯の代わりのつもりなのかもしれない。


「ルナでボクはボク自身を眺めていた。そして、ある瞬間をさかいにもう一つのボクは滅び始めた。そこで命を落としたのがキミだった」

「僕が……?」

「ボクは走馬灯を見た。そして、もう一人のキミの姿を見た。キミが用水路に飛び込み、頭を打って死ぬ光景を目の当たりにした。そこが運命の分岐点。だからこそ、ボクはキミをルナへと招き入れた。滅びの運命から脱するために」


 アルテミスは自嘲気味じちょうぎみに笑う。


「ボクは我が身可愛さのためにキミを利用した。キミに危害が及ぶと知りながら、キミが関与しない数千年後の未来のために、キミを犠牲にした。ボクはね、そういう星なのさ」

しかり」


 静観していたキウンが不意に口を開いた。


「キサマは運命に抗った。結果、宇宙の歴史が、星の記憶が書き換わった。これは大事である。宇宙は予定調和でなければならない。変化は等しく破滅を意味する。総エネルギー量が規定値を上回れば爆発し、下回れば消滅するのだ。キサマは宇宙の計画を台無しにした。宇宙は滅びる。キサマの僅かばかりの延命のために」


 ルナという星の魂が集う世界に入り込んだ僕の価値観が変わり、現実世界で死をまぬがれる。そこで運命が書き換わる。僕が生きていない世界で平穏だった宇宙は、僕が生き延びた世界で予定を狂わされ、滅びの運命を辿る。アルテミスが僕をルナへ導いたから。僕が死を恐れるようになったから。


「せめて今ここでキサマらをほうむり、星の記憶との齟齬そごを最小限に抑える。さすれば、宇宙の平穏も無事保たれるだろう。異議は認めぬ。キサマもそれを受け入れたからこそ、無駄な抵抗をしなかったのであろう?」


 アルテミスは苦笑する。それは肯定を意味していた。


「確かに、ボクは悪いことと知りながら彼をルナへ導いた。そして、バルドやレナの最期を目の当たりにして忸怩じくじたる思いになった。生きるということは、生き延びることと同義ではないと、限られた時間の中で命の意味を見つけ出すことこそが何よりもとうとく、新たな命につながることだと知ったのさ。だから、自ら裁きを受け入れた」


 けれど、とアルテミスは首を横に振る。


「彼は無関係ではないにしろ裁かれる立場にない。せめて苦しむことなく一生を過ごしてほしかった。だからこそ、未知の回廊で全て手放そうと思った。そうすれば、ボクと共にキミからも辛い記憶が失われるから」

「ならば、何故なにゆえ逃げるのだ?」

「彼が二度も助けてくれたからさ」


 アルテミスがキウンへと強い意志のこもった双眸そうぼうを向ける。


「彼に手を差し出された時、ボクに天啓てんけいが降りた……いや、あれはバルドからの遺言だ。人間と手を取り、自ら生き延びる道を探すこと。彼の到達した真理がボクに命の“在り方”を教えてくれた。親と子は一方的に与える関係性じゃない。相互に助け合う関係性なんだ。時間じゃない。密度でもない。想いの強さが関係性を築き上げるのさ。親子じゃなくても、種族が違っていても、大きさも、寿命も、住む世界が違っていても、バルドと彼が互いを必要としていたように、ボクたちは手を取り合える。幸せをつなぎ合える」


 アルテミスが光の球を握り潰す。光が指の隙間から針状に飛び出し、粒となって霧散した。そして、アルテミスはもう片方の手を僕へと差し出し、目を細める。


「ボクは生きたい。生き延びたい。運命に抗ったとしても、たとえそれが宇宙全体を滅びへ導く結果になったとしても、ボクの紡ぐ縁を宇宙に広げていきたいから。幸せをもっと多くの星々と共有したいから。キミは、どう思う?」


 僕はアルテミスの手を取り、肩を並べる。二人の手に眩い光が宿る。


「……言ったはずだよ。僕にはまだやりたいことがあるし、やらなきゃいけないことがある。会いたいひとも、助けたいひともいる。僕にはそれができるってわかった。いや、わからなくたってそうしたい。誰か一人笑顔にできたなら、僕の人生はつまらなくなくなる。それはそう、僕自身であってもいい」


 僕は隣に立つ少女と同様に目を細める。僕の命は既に始まっている。終わるにはまだ早い。


「そのために生きるよ。最期まで生きて、今度は僕が命をつないでみせる」


 バルドが僕の“在り方”を問うてくれたように、僕も誰かの生きるしるべになりたい。レナが輝けない一瞬を教えてくれたように、僕も誰かに寄り添える人で在りたい。

 僕の“在り方”は他者とつながることで自分を救うことにある。紡いだ縁が光となって、僕の未来を輝かせる。闇よりも光に向かって歩きたい。見えないよりも見えたほうがいい。僕は不安症で、臆病者で、ネガティブなのだ。だからこそ、明るい場所に居たい。


「行こう! 運命の向こう側へ!」


 僕はアルテミスとつないだ手を天高く掲げた。


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