第7章

7-1 終の栞

 1


「ルナが観測しているのはもう一つの宇宙。前に話したよね?」

「……初耳だけれど」

「あれ?」


 あれ、じゃないよ。

 僕たちは今、宇宙空間に漂っている。『漂う』というよりは、ちゃんと地に足がついているとでも言うべきか。遠くで恒星が、近くで惑星が、至るところに星々がきらめく宇宙空間に投げ出されている。無論、呼吸はできるし、本当に無重力空間に投げ出されているわけではない。足で立っている感覚もある。見えない足場があるかのように、僕たちは永遠の黒である宇宙を眺めている。

 王城の地下牢――未知の回廊で、天上の光に導かれる形で扉をくぐった僕たちは、気付けばこの空間に漂っていた。アルテミスも道理がわからなかったようだけれど、推測なんて野暮なものはせず、こうして僕との対話を始めた。


「ルナはキミの生きている宇宙と位相がずれている、と言ったよね?」

「それは聞いた」

「え~! なのにわからないのぉ~?」


 アルテミスが口許くちもとに手を当て、僕を小馬鹿にするように笑う。『プークスクス』と擬音が聞こえてきそうな笑い方だった。

 平生であれば苛々するところだったけれど、今の僕には彼女のその態度すらも名残惜しく感じられる。もう彼女との時間が多く残されていないと直感的に悟っていたからだ。

 彼女は何も言わない僕を見て、困ったように眉を下げる。


「怒っていいんだよ」

「怒ってほしいの?」

「笑ってほしいのさ」


 要領を得ない発言に僕は小首を傾げる。アルテミスは笑って言う。


「何でもいい。感情を表に出してほしいのさ。そのきっかけになれば、と思っただけのことだよ」

随分ずいぶん遠回りするね」

「急がば回れ、と言うだろう?」


 アルテミスはくるくると身体を回転させながら、広大な宇宙空間を移動し始めた。彼女が移動すると宇宙全体も動き始めた。周囲の景色が移り変わってゆく。まるでワープだ。別の銀河に到着した。今度は青々とした星が多く、肌寒くも美しい印象を受ける。


「ルナが眺めるのは宇宙に漂う星の一生。ならば当然、ルナはキミの宇宙とは別の位相にある宇宙の星々を観測する。別宇宙とでも呼ぼうか」


 ルナと地球は位相がずれている。そして、ルナは星々の一生を観測する。ならば、その星々はルナと同じ位相に座する星々、即ち僕の宇宙とは異なる『別宇宙』に漂う星々ということになる。


「それじゃあ、ルナは別宇宙に実在する星だということ?」

「それもまた違う。この星は幻なのさ」

「幻?」

「そう、まぼろすぃ~☆」


 わけがわからず、僕は頭上に疑問符を浮かばせる。それが可笑しかったのだろう、アルテミスはけらけらと愉快そうに笑う。


「出会った時に話しただろう? 星の魂が集約してこの世界が生まれたとも言える、って。ルナは星の魂の集合体だ。魂は目に見えるかい? 見えないだろう? 位相とはまた別の軸で捉えられる空間にそれはある。ルナも同じさ」

「だとしたら、君も別宇宙から来たの? それじゃあ……」


 僕は困惑する。彼女の正体をわかった気でいたけれど、そうではなかったのだろうか。

 アルテミスは僕の思考を読んだように応える。


「それじゃあボクは誰なのか、って? あはは、もっともな疑問だね! ううん、疑問ですらないか。キミのご存じのとおり、ボクは、ボクこそが――テラ。キミの住む、地球の精だよ」


 はじめから気付いていた。彼女は初対面の僕が地球出身であることを知っていた。そして、僕が人間という種族であることをも知っていた。僕にルナの規律について教えてくれたし、何より彼女が僕をルナへ導いた張本人だということは彼女の声から気付いていた。無関係の生物を導くわけがない。ならば、彼女が地球であることは明白だ。


「ルナは別宇宙の現実とは異なる座標系に位置している。そこで、別宇宙にある星の一生を観測する。そしてその観客は別宇宙ではなく、ボクたちが生きる宇宙の星々なのさ」

「……無関係の星々を観測している、ってこと? ルナに……他人ひとの領域に土足で踏み込んで?」

「言い方が悪いなあ。いや、言い得てみょうか。そのとおり、ボクたちはホームステイした先で窓ガラス越しに外の世界を眺めているようなものだよ」


 急に俗っぽくなった。アルテミスらしい物言いだけれど。僕はふっと笑いをこぼす。


「けれど、全くの無関係ではない。別宇宙にもまたボクたちが生きている。並行世界、と言ったほうが馴染みがあるだろう?」

「同じ星、同じ生命、同じ空間が別宇宙に広がっている、ってこと?」

「あったり~☆ ハグしてあげようか~?」

「パスで」


 もう母親離れしているし。


「ざんね~ん!」


 全然残念そうじゃなかった。アルテミスが僕の周りを軽やかなスキップで周回する。目が回るのでやめてほしい。同時に宇宙の眺めが切り替わるから余計にやめてほしい。

 今度は眼前に巨大な惑星が現れた。大きな輪っかもついているけれど、間近で見ると巨大な氷の粒だった。土星のようなものだろうか。


「ボクたちは自分たちの一生を第三者の視点から眺めるのさ。そこで命とは何か、その真理を辿る」

「……全く同一の宇宙だから、魂とも消滅のタイミングが同じだってこと?」


 バルドは目の前で消滅した。レナもまた超新星爆発ちょうしんせいばくはつの後、僕の隣から消えた。


「そう。消滅のタイミングにラグがあるのは別宇宙だから。あるいは、ルナの存在意義に関わることだからかもしれない」


 自らの消滅の先に走馬灯を辿り、真理へと到達する。それは何のために行われるのか。命を繋げるためか。いや、それを知るための旅路なのだ。


「ルナにも、意志がある……?」


 アルテミスがニヤリと笑った。僕は背中に寒気が走るのを感じた。彼女のせいじゃない。とてつもなく巨大な思惑に振り回されているような心地がしたからだ。


「ルナは星の集合体であると同時に一個体でもある。何かしらの目的をもってボクたちに観測者としての役割を与えたとしてもおかしくない。ボクはそう考える」

「けれど、それは……!」

「おかしい、って?」


 僕はうなずく。


「だって、ルナは……魂の集合体だからこそ、星の総意が規律を定めているんだろう? そこに意志がある……? 君が未知の回廊にとらわれたのだって……」


 アルテミスが人間だと疑われたからだ。そう言おうとして、僕は疑問を抱く。王が彼女の正体を知らないなんてことはあるのだろうか。少なくとも、セレーネは彼女の正体を知っていた。ならば、王がそれを知らないなんてあり得ない。そもそも、王とは何者なのか。ルナが星の総意であるならば、彼は――

 刹那、空間が振動した。音は無い。だからこそ、より気味が悪かった。

 僕たちの正面、その上部の空間が裂けた。完全な黒から降りてくる者は見紛うはずがない――キウン王だ。はかまの上に外套がいとうまとい、その下には隆起した筋肉がのぞき見えている。荘厳そうごんな空気が真空中にもかかわらず肌に容赦ようしゃなく伝わってくる。


咎人とがにんたちよ、滅びの運命を紡ぎし者たちよ、断罪の時は来た」

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