6-6 既知の結び

 9


 グレンと二人で城内を突き進んでゆく。現在地は城門から入って左斜め前方辺りだろうか。広大な城内を右へ左へ、グレンに言われるがまま進んでゆくと、地下へつながる螺旋階段らせんかいだんに辿り着いた。支柱が延びる螺旋らせんの空洞をのぞき込むけれど、深淵しんえんが広がるばかりで最深部まで見通せない。背筋にぞわりと悪寒が走る。

 階段を降りようとする僕の前に、しかしグレンは立ちはだかった。


「飛び降りたほうがはえェ」


 グレンの両肩が光に包まれる。それはすぐに腕の形状となり、水晶の質を帯びた。光を反射する半透明な義手。彼は僕の身体を抱え、一足で螺旋らせんの中央へと身を投じた。支柱をポールのように支えにして降りるのかと思ったけれど、グレンがそんな回りくどい手段を講じるわけもなく、僕たちは重力に身を任せる形で闇の中を落ちていった。

 風を感じる。肝が冷える。どれだけ落ちても辿り着かない。加速度的に落下速度が増してゆく。このまま永遠に闇の中を漂うのではないかと思えてくるほど長い間、沈黙が続いたように思う。風切り音だけが唯一の救いだった。

 不意に衝撃が身体に走った。着地したのだ。自分でジャンプした時と同程度の衝撃しか伝わらなかったのは、グレンが衝撃の大部分を吸収してくれたおかげだろう。

 グレンの腕から降ろされた僕は辺りを見回した。どうやら直径十メートル程度の円形状の部屋になっているようだ。螺旋階段を降りた位置から見て左斜め前方に重厚な鉄扉てっぴが鎮座している。水晶製ではないのか。この世界には似つかわしくない材質だ。

 室内には沈黙が広がっており、上階から追手が来る気配もない。扉の前に見張りもいない。不自然だ。罠としか思えない。

 つばを呑み込み、僕は扉に手を掛けた。グレンを一瞥いちべつする。彼が神妙な面持ちでうなずく様子を見て、僕は恐る恐る扉を開く。

 眼前には暗闇が広がっていた。何も見通すことができないけれど、急襲の気配はないようで僕はひとまず安堵する。グレンと顔を見合わせ、室内に足を踏み入れる。

 刹那、僕は床を踏み抜いた感覚に駆られた。違う。そもそも足場がないのだ。『扉の先は部屋だ』という先入観が、地球での常識が僕を破滅へと導いた。


「クソッ!」


 不意に僕の身体は浮遊感に包まれた。グレンが僕の襟首えりくびを掴み、連れ戻すように階段側へと投げ飛ばしたのだ。床に背中を叩きつけられうめき声を漏らす。痛い。けれど、助かった。

 上体を起こすと、しかし眼前にグレンの姿はなかった。正確には、闇に沈みゆく水晶の左手だけが目に入った。


「グレンさんッ!」


 瞬時に身体を起こし、バランスを崩しながらも扉の傍に駆け寄るけれど、既にグレンの姿は何処どこにもなくなっていた。

 僕を助けた時にバランスを崩したのだろうか。いや、グレンの体幹はそんなにも弱くない。ならば、誰かに引きずり込まれたと考えるべきだろう。やはり罠だったのだ。

 膝から床に崩れ落ち、僕は喪失感に打ちひしがれた。僕のせいでグレンが命を落とした。いや、違う。まだ生きている。彼はそんなに弱くない。彼は誰よりも生に執着していた。罠にはめられたところで死ぬようなひとではない。絶対に生きている。

 僕は立ち上がり、扉の内側をのぞき込んだ。先の見えない闇が広がっている。グレンはこの場所が地下牢に通じていると確信していた。トーチャーもそれを信じて疑わなかった。ならば、この先が地下牢で間違いないのだろう。罠だとしても、この先にアルテミスがいる。

 足を踏み出そうとして、しかし足を引っ込めた。勇気の問題ではない。本能がこの先に進むなとうったえているのだ。死の気配が感じられる。


「どう、してッ……!」


 自らの太ももを叩く。死にたくないと訴えるこの身体を生まれて初めて恨めしいと思った。


 10


 不意に背後で足音が鳴った。僕は肩を跳ね上がらせ、身を強張らせながらも振り返る。そこには見惚みとれるほど綺麗な筋肉をあらわにしたトーチャーの姿があった。胸元にはグレンが突き立てた刃物の傷痕きずあとが残っている。

 僕の姿を認め、トーチャーは状況を把握したようだった。口を一文字に引き結んだかと思うと、僕の傍に歩み寄り左手をとった。トーチャーを見上げると、彼は不自然なほど真っ直ぐに深淵しんえんのぞき込んでいた。


かばう必要などなかったんです」


 え、と思うよりも先にトーチャーは続ける。


「未知の回廊。この場所で周囲とのつながり――縁を断ち切り、さらな状態に生まれ変わるんです」

「生まれ変わる……?」


 トーチャーがこくんとうなずく。


「不純なものを取り除き、整え清めるんです。縁も、記憶も、魂さえも」


 粛清。言葉のとおりの意味だ。この場所にとらわれた者は新たな存在に生まれ変わるのだろう。縁も、記憶も、魂さえも浄化される。自分も、周りも、以前までの自分を憶えていない。それは存在を消されたことに他ならない。星の記憶から消されるということは、それまで築き上げたつながりをほうむられるということなのだろう。即ち『無』になるということ。僕が最も恐れていたものだ。

 途端に眼下の深淵が恐ろしいものに感じられ、僕は一歩後ろに下がった。そんな僕の手を強く握り、トーチャーが言う。


「恐れることはないんです。縁を断ち切られるということは、縁に触れられるということ。アナタの縁を辿ってゆけば、必ず彼女のもとへと辿り着けます」

「じゃあ、グレンさんは……」


 トーチャーは目を伏せた。グレンのことになると彼の感情は僅かながらも動き出す。


「きっとアナタは回廊の淵に触れたんでしょう。粛清との間に縁が出来てしまった……彼は、アナタの身代わりになり、回廊に引きずり込まれてしまったんです」

「僕の、身代わりに……?」

「庇う必要などなかったんです。アナタとこうして手をつなぎ、回廊に飛び込めば、互いの縁が互いの存在をつなぎ留め、迷い星になることはないんですから」


 あの方は、とトーチャーが口許くちもとに苦笑をたたえる。


「考えるよりも先に身体が動いていたんでしょう。アナタを助けたい一心で身を投げ出した……愛する者のために」


 トーチャーの声が僅かに震えているように感じられた。彼にとっては唯一の兄弟なのだ。我が子と兄弟は違う。生まれた時から死ぬまで、兄弟は共に在り続ける。


「扉を開く前に一考の余地はあったはずですが……他者の気持ちに寄り添い過ぎるというのも考えものですね」


 トーチャーが冗談めかして言う。僕に罪悪感を抱かせないようにしているのだろう。けれど、それは逆効果だ。言葉の端々はしばしから彼の心情が痛いほど伝わってきて、僕は胸が締め付けられた。

 僕にアルテミスを助ける理由があるように、トーチャーにも僕に協力する理由がある。けれど、彼は今、自分よりも僕の目的を優先しようとしている。それでは駄目だ。彼らの背を押したのは――運命を狂わせたのは僕なのだ。僕が揺らぐわけにはいかない。義務感なんてない。僕はただ、彼らの運命を見届けたいのだ。


「……迎えに行きましょう」


 僕はトーチャーの手を強く握り返した。トーチャーが初めて深淵から目を背け、僕の両眼をとらえた。


「アルテミスを助けられるなら、グレンさんだって助けられます。僕の縁が、トーチャーさんの縁が、必ずグレンさんへと導いてくれます。それはきっと、グレンさんも同じです。だって、グレンさんは――」


 僕は一歩踏み出した。眼前に広がる闇に足場などない。数秒後には体勢を崩し、闇の底へと真っ逆様になるだろう。それでも僕は眼前の闇から目を背けない。その先でアルテミスに会えることを、グレンに会えることを願っているからだ。それはきっと必然になる。


「生きていたいと思っていますし、トーチャーさんにも生き永らえてほしいと思っています」


 トーチャーは僕に続いて闇が広がる室内へと足を踏み入れた。重力に従い僕たちの身体が真っ逆様になる。けれど、僕たちは決して手を放さず、互いに顔を合わせながら落ちていった。

 目の前の彼は――穏やかに微笑んでいた。


「……知っていますよ。生まれた時から」

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