5-4 私刑の境界

 4


「グレンさん?」


 グレンと思しき人影が天の川の如くきらめく河原に立っていた。彼がくつを脱ぎ、星の海へと踏み込むと、光の粒がまるでほたるのように空中に浮かび、徐々に霧散していった。底は浅いようで、くるぶしが浸かる程度だった。向こう岸が見えないほど川幅は広かったけれど、流れは遅く、地形もなだらかだったため恐怖心は抱かなかった。


「んー?」


 彼は振り返り、僕を認識するなりふところから眼鏡を取り出した。眼鏡を掛けた姿を見て、僕は彼がグレンであることを確信する。

 グレンが僕を手招きする。川の中ならば、僕にも踏み入ることができる。くつを脱いだところで、しかし僕は躊躇ちゅうちょした。幻想的な光景に惑わされているけれど、天の川に足を踏み込んでいいものだろうか。星々には無害だけれど、人間には害が及ぶ可能性もある。王城のほりは大丈夫だったけれど、あの時にはアルテミスがいたからこそ――


「ほら」

「うわッ!」


 あれこれ思い悩んでいるうちにグレンが歩み寄ってきていた。手を引かれ、僕は不格好に水の中へと足を踏み入れた。杞憂きゆうだったようだ。浸かる感触は地球上の浅瀬あさせと何ら変わらない。冷ややかな水は火照ほてった足に心地好く、足裏に伝わる凸凹でこぼことした感触は少し痛いけれど気持ち良い。まるで足つぼマッサージのようだ。

 拍子抜けすると同時に僕はバランスを崩した。どうやら僕を引っ張るグレンと歩幅が合わなかったようだ。顔面から水面に倒れ込む。


「だせェ」


 グレンは咄嗟とっさに僕の身体を支えた。勢いのまま二人して水面に倒れ込むかと思ったけれど、グレンの身体は壁のように微動だにせず僕を優しく受け止めた。


「壁だ……」

「んー?」

「あ、や、優しい壁ですね」

「はいどうも」


 どうやら賛辞と捉えられたようだ。決してけなしているわけではなかったけれど、どこか後ろ暗い思いを抱かずにはいられなかった。

 グレンの支えから立ち上がり、僕は辺りを見回した。他の星々の姿は散見されるけれど、アルテミスの姿が見えない。

 当然のように僕の意図を察知した様子でグレンが言う。


「んー? アイツなら滅ぼした」

「滅ぼした……?」


 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ


「んー? ああ、間違えた。別れた」


 全然違くない?

 人間とは間違え方のスケールが違った。

 不意にグレンがポケットに両手を突っ込み、身体を屈ませ僕の顔をのぞき込んできた。威圧するような迫力があるけれど、彼に害意がないことは知っている。この格好をするのは何事か言いたいことがある時だ。

 僕が待ち構えていると、グレンは口を開いた。


「んー? 何?」


 何、って何?

 互いに疑問符を抱くことになった。

 どうやらグレンは僕がこの場所に来た意図までも察知していたようだ。調子を狂わされることになったけれど、それもいつものことなので僕は呼吸を整えて言う。


「……トーチャーさん――」

「帰れ」


 門前払いだった。いや、門は通してもらったから玄関払いだった。いずれにしろ酷い。


「あの……」

「アイツとの衝突は避けられねェ」


 眼鏡の奥でグレンの目が真剣味を帯びてゆく。僕は息を呑み、言葉の続きを待つ。


「魂と魂のぶつかり合いなんだよ。勝者が生き残り、敗者は散る。生まれた瞬間から定められていたことなのさ」

「けれど……勝者も、タダじゃ済みません」


 星同士の衝突に勝敗など関係あるのだろうか。違いなど被害の大小だけで、共に怪我を負うことに変わりはない。その点ではどちらも衝突に負けていると言える。


「んー? ま、場合によっちゃ制裁を下されるだろうな」

「そういうことじゃ……」


 ふと僕は疑問を抱く。


「制裁?」

「んー? 人間のルールでもあるだろう? 『正当防衛』と『過剰防衛』。後者と認められれば、星だろうと制裁を受ける」


 誰から、と口にしようとすると、グレンは身体を伸ばし、僕から視線を逸らした。どこか遠くを眺めているようだったけれど、両眼は広大な芝生ではなく過去をとらえていた。


「……ヴェルを取り囲んでいた連中、おぼえてるか?」


 忘れるはずもない。水晶地帯にある寺子屋てらこやと呼ばれる学校のような施設で、ヴェルを取り囲んで罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせていた小惑星の集団だ。彼女と同様に背丈は低く、小学生のような容姿をしていた。


「はい、おぼえています」

「アイツら、寿命を縮められたんだ」

「寿命を……?」


 グレンはばつが悪そうに頭をいた。ピアスが光る横顔はひどく物憂げで、けれど乱れた髪の毛を骨ばった手櫛てぐしで整える姿はとても扇情的せんじょうてきだった。うるしのようにつややかな黒髪が最早背景と化した宇宙よりも美しく感じられる。


「王――キウンの仕業だ」


 キウン。この世界、ルナの王にして監視者を務めている。りの深い顔立ちにオールバックの黒髪。誕生祭ではタキシードの上から外套がいとうを身にまとい、荘厳そうごんな雰囲気をただよわせていた。


「アイツの望んだとおりになっちまった。んあー、胸糞悪むなくそわりィ」


 アイツ、とはアルテミスのことだろう。ヴェルの嫌がらせに対する考え方の違いから、彼らは対立していた。そのせいか、グレンはアルテミスをこころよく思っていないように見受けられた。初対面で妙なあだ名をつけられそうになったため、第一印象から悪かったのだろうけれど。


「ヴェルは、それを知っているんですか?」


 グレンはかぶりを振った。僕は内心良かったと感じた。僕もまたグレンの意見に賛成だったこともあるけれど、その事実が彼女の顔を晴れやかにするとは思えなかったのだ。加害者をらしめることで諸手もろてを上げて喜べる星だったなら、どれだけ簡単だったろうか。


「王が寿命を……星の運命を、変えていいんですか?」

「さあね。それすらも『運命』だって結論付けちまうんじゃねェか? あるいは、ヴェルの運命を守るためだと理屈付けられる」

「そんなの……」


 あまりにも身勝手だ。グレンも同感だったらしく、不機嫌そうに溜め息を吐き出した。


「何が星の総意だ。んなもん望んじゃいねェ」

「総意? 国民投票とかあるんですか?」

「んー? 何それ?」


 グレンが眉根を寄せる。僕は「何でもないです」とすぐに前言を撤回した。慣れるとすぐにボロが出てしまう。両手でほおを叩き、気を引き締める。


「何でもありそうなことするなよ」


 藪蛇やぶへびだったようだ。けれど、グレンは深入りせず、川上かわかみへ向かって歩き始めた。

 僕はグレンの背中を追いかけた。しかし、彼の歩幅に合わせようと小走りになると、不安定な足場につまづきバランスを崩してしまった。


「んー?」


 グレンの背中に倒れ込む形になった。押しても引いてもびくともしない、まるで壁だ。背中にしがみついた僕を振り返り、グレンは淡々と言う。


「おんぶ?」

「……じゃないです」


 グレンは中腰になって『乗れ』と目配せしてくれたけれど、彼の中腰はそれでも高く、とても飛び乗れそうになかった。別に乗れる高さなら背負ってもらおうとしていたわけではないけれど。楽をしたいわけではないけれど。本当に。

 僕が横に並ぶと、遠慮されたと理解したのだろう、グレンは歩みを再開した。川上――かどうかもよくわからないほど緩やかな斜面だけれど――の果ては視認できず、点のように見える。周囲の星々は水遊びあるいは川涼みに夢中で、僕たちのように川上へ向かう者は皆無だった。実に人間的な光景だとつくづく思う。


「総意っつうのは一〇〇:〇ひゃくぜろじゃねェ。結局のところ多数決なのさ。納得できねェ奴が出てくるのも自明の理なんだよ」


 不意に話の続きに戻ったため若干理解が遅れたものの、グレンの視線を受けて僕は口を開いた。


「……みんなで決めて、キウンがそれを実行するんですか?」

「んー? ここにいる限り、オレたちの“在り方”なんつうもんは筒抜けなんだから、監視者であるキウンはそれを世界に反映させるだけだろう?」


 きょとんとする僕を凝視し、グレンは不審そうに眉をひろめる。


「知らねェの?」


 どう答えても彼に不信感を抱かせることになると思った。これほどまでにこの世界について無知であれば、僕が星の精でないことは明白だ。僕だってグレンの立場ならそう考えるだろう。ルナの仕組みについて知らない星を見たことがないからだ。

 だから僕は、考えつく中で最も安全に彼の猜疑心さいぎしんを取り除く行為に打って出た。


「HAHA、まさか! 君とたくさんお喋りしたかっただけさ!」


 グレンの目が線のようになった。笑顔、というわけではなさそうだ。口許くちもとは真一文字に引き結ばれている。どことなくアルテミスを意識したことが失敗だったようだ。

 僕は途端にしどろもどろになる。


「……や、え、あの」

「少し見ねェうちに社交的になったなァ」


 満足そうなグレンの笑みに僕は心が痛んだ。どうか彼が詐欺に引っかかることのないよう祈るばかりだ。

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