4-6 祈り果てし者

 7


 水晶地帯に入り、王城へ向かう道を脇に逸れた場所にある洞窟どうくつにレナはとらわれていた。

 洞窟内部は全面が水晶で出来ており、まるで鏡の部屋のように侵入者の姿を幾重にも映し出すせいか、幻想的であると同時に薄気味悪さを感じさせる構造をしている。


「祈りの間。その名のとおり、星が祈りを捧げ、自らの縁を――命を他者につなげるための場所だよ」


 洞窟に入る直前、アルテミスはそう言った。祈りを捧げる星のみが入ることを許されるという。通常、誰も立ち入ることがない空間は静謐せいひつに満ちており、足音を立てることすらはばかられるほど厳粛げんしゅくな雰囲気が立ち込めている。


「規律は犯された。ボクたちは彼女を秩序のもとに連れ戻すために足を踏み入れるんだ。後ろ暗さなど皆無。そうだろう?」


 アルテミスの呼びかけに僕はうなずいてみせた。

 洞窟に足を踏み入れ、水晶張りの道を進むと開けた空間に出た。鏡のような反射は抑えられ、代わりに宝石のようなきらめきが四方八方でちらついている。その中央では先ほどの集団が輪を作っており、彼らに取り囲まれる形でレナが僕たちに背を向け、立膝たてひざをついていた。両手を組み合わせ、祈りを捧げているように見える。

 僕たちの足音に気付いたのだろう、集団がこちらを振り返りぎろりと睨みつけてきた。心なしか疲弊ひへいの色が見える。超新星爆発ちょうしんせいばくはつの影響だろうか。


「立ち去れ。祈らぬ者がここに立ち入ることは禁じられている」


 集団の一人が不気味なほど平坦なトーンで言う。まるで機械か人形のようだ。

 アルテミスは余裕のある笑みを顔に貼り付ける。


「愚かだね。誰が立ち入りを禁じているんだい? 誰が許してくれるんだい? 王様? あり得ない。彼は管理者ではなく監視者だ。ボクたちの鑑賞はできても干渉はできない。ただの舞台装置。生きてなどいない。キミたちが規律――『暗黙のおきて』を犯した時点で、この場所はただのぞくな空間へと成り下がった。キミたちがこの場所の価値を無くしたんだよ」

「だから何だと言うのだ? 価値が無くなったところで意義は残っている。第三者に彼女の祈りを否定することなどできない」


 アルテミスが目を細める。視線の先ではレナが微動だにせず、祈りを捧げている。不意に彼女の周囲に光の障壁が出来上がり、眼前の集団は弾かれるように後退した。彼女は瞑目めいもくしているのだろう。まばゆい光が徐々に強くなってゆく。

 僕たちを取り囲む水晶がより一層輝き出す。光を乱反射し、空間が白で満たされる。目許めもとを腕でおおうものの、強烈な眩しさに耐え切れず、僕は目を閉じた。


 8


 ――アナタは何を望むの?


 頭の中に直接声が響く。なまめめかしく、心地好ここちよい声だ。叱咤しったされているような心地にもなり、身が引き締まる。


 ――アナタは何のためにここまで来たの?


(僕は……レナさんを、連れ戻すために来ました)


 ――アナタには相手の真意がわかる?


(真意……?)


 ――アナタはどうして展望台へやって来たの?


 いつの日のことをいているのだろうか。誕生祭の日か、それとも今日のことか。

 どちらでも変わらない。僕が展望台へおもむいたのは目の前の現実から逃げ出したからだ。アルテミスから目を逸らし、レナの死からも目を逸らした。まだレナは死んでいないと、まだ救えると心のどこかで期待していた。自分ならできると烏滸おこがましくも考えていたのだ。


 ――アナタには天体望遠鏡の無くなっていた理由がわかる?


 超新星爆発ちょうしんせいばくはつの影響で天体望遠鏡が失われたと考えていた。欄干らんかんも無くなっていたからだ。けれど、あれがいつ無くなったのか、僕は知らない。誕生祭以降、僕はあの場所におもむいていない。レナがあの場所へ通っていた理由なら知っている。ならば、そういうことなのだろう。


(……見られたくなかった、ですか)


 疲れ切った自分の姿を、輝き過ぎた自分の姿を、終わりを迎える自分の姿を、誰にも見られたくなかった。見られるくらいなら身を投げ出したい思いだった。自らの責務を全うできないことが自身の矜持きょうじに反するからだ。存在意義を見失えば、真理には到達できない。いや、彼女は既に到達しているのだろう。


 ――アナタには相手の真理がわかる?


(……輝けない瞬間もある、んですね)


 笑い声が聞こえたような気がした。吹っ切れたような、見世物を面白がるような、嬉々とした声。


 ――アナタには自分の真理がわかる?


(……まだ、わかりません。けれど――)


 バルドが人間と共に歩むことを、彼女が輝けない自分を受け入れることを真理と称するなら、僕にとっての真理はきっともっと身近にあって、単純なことなのだろう。それは日常の中で覚える些細ささいな違和感の先にある。僕が到底受け入れられず、けれど納得できることこそが真理なのだろう。


(……真理なんてわからなくても、展望台へ行ったことが間違いじゃないってことは、わかります)


 たとえ現実逃避だとしても、自分の弱さを露呈ろていするだけの行為であったとしても、その先に納得できるものがあるのなら、それは僕にとって絶対の正解なのだ。誰の異論も認めない。僕は自らの意志で彼女に会いに来たのだ。


(……貴方には、相手の真意がわかりますか?)


 頭に響く声が息を呑んだ。僕は構わず問い続ける。


(貴方は、どうして祈りを捧げるんですか?)


 ――命を分け与えるため。それが最期の責務だから。


(貴方は、今、それを望んでいますか?)


 ――望んでいるわ。それがアタシの矜持きょうじだもの。


(では、貴方は……今、何を考えていますか?)


 ――何も考えていないわ。ようやく到達できたんだもの。晴れやかな気分よ。


(では、貴方には……相手が何を考えているか、わかりますか?)


 ――わかるわ。手に取るように、ね。アナタは……諦めていないのね。


(改めてきます。貴方には、相手の真意がわかりますか?)


 ――ええ、わかるわ。アナタは……待っている。


(貴方は、相手の期待に応えられますか?)


 ――意地悪ね。当然じゃない。それがアタシの矜持きょうじなんだから。


(貴方は、自らの矜持きょうじに反する行為をとれますか?)


 ――無理ね。でも、弱音を吐きたくなる時もある。


(貴方は、真理の先に何を求めますか?)


 ――何も求めないわ。真理とは到達点。だからこそ、終わる間際に気付くのよ。


(それなら……貴方の真理とは、何ですか?)


 ――知っているくせにずるいわね。アタシの真理は……矜持きょうじの対極にある。


(貴方は、真理を受け入れられますか?)


 ――わからない。


(僕は……貴方の真理を、受け入れます)


 ――やめてよ。アタシは。


 白の世界はやがて暗転し、頭に響く声は夜更けの子守唄のように闇の中へと溶けていった。


 9


 目を開くと、レナの周囲を取り囲む光の障壁は無くなっていた。眼前の集団は自身の手のひらを見つめ、やがて正面のレナへと叫びかけた。


「何故だッ⁉ 何故失敗したッ⁉」

「レナゴールドッ! キサマ、我らをたぶらかしたなッ⁉」

「今更命が惜しくなったのかッ⁉ 恥を知れッ! オマエはもう、尽きる運命さだめなのだッ!」


 怒号が飛び交う中、僕はレナへ向かい一歩踏み出す。制止しようとする眼前の男性へとアルテミスが手を伸ばし、手首をつかんで動きを制する。異常に気付いた他の連中も手を出してくるけれど、僕はその手をかいくぐり、正面の女性へと駆け出した。


「レナさん、僕は……他者に命を与えるなんて、傲慢ごうまんだと思います。でも、その傲慢ごうまんさが生きる上で重要だということも知っています。だから、僕は――」


 レナの背後から、僕は尚も祈り続ける彼女の肩を掴み、強引に振り向かせた。

 彼女は――涙を流していた。整った顔がかなしみに歪み、くちびるは小刻みに震えている。


「貴方に、祈りを捧げます。僕の一瞬を、貴方の一生に――捧げます」


 輝けない日を、決して彼女らしいとは言えない日々を、レナに捧げたい。彼女の矜持きょうじが、周囲の期待が、彼女をむしばむ病であるのなら、僕はつまらない一瞬を捧げたい。それは僕が持っていて、彼女が持っていない、唯一のものだからだ。

 レナはより一層表情を歪ませ、嗚咽おえつの混ざった想いを吐き出す。


「まだッ……まだ、死にたくないッ……! アタシ、はッ……みにくくても、しがみつきたいッ……!」


 この世界にもっと生を刻みつけたい。つまらない日常を謳歌おうかしたい。それはきっと誰にとってもつまらなくなんてなくて、ただありふれた日々の積み重ねでしかない。輝かないからこそ尊いのだ。


「どんな貴方も美しい。輝けなくても、貴方は――レナさんです」


 レナは輝き過ぎた。けれど、輝けなくても彼女はレナだ。矛盾しているけれど、そんな彼女もきっと輝く。周りを輝かせ続ける。そんな彼女を僕は魅力的に感じたのだ。

 僕はレナを引き寄せ、身体ごと腕に抱える。重さを感じない。魂がすり減っているのだろうか。それとも、僕の魂が密度を増しているのだろうか。


「よそ者が邪魔をするなッ!」

「キサマ、何をしているのかわかっているのかッ⁉」

「我らの寿命が縮むということは、宇宙全体の寿命が縮むということだぞッ!」

「身勝手な奴めッ! 王の鉄槌てっついを受けることになるぞッ!」

「さっさとその星を戻せッ!」


 罵詈雑言ばりぞうごんの雨を浴びる。眼前の集団は徐々に老け込み、声もしわがれてきた。命を分け与えられないという事実が彼らの精神に多大な影響を及ぼしたのだろうか。それとも、これがあらかじめ定められた運命なのだろうか。

 他者が不幸になる姿は見たくない。けれど、縁でつながれた者が不幸になる姿はもっと見たくない。彼女が命を捧げることで繋がれる命など――らない。


「うるさいッ‼ お前らが死ねッ‼ このクズがッ‼」


 喉が張り裂けそうだった。初めてこんな大声を出したように思う。眼前の集団にとっても大人しそうな外見をした僕が声を荒らげるのは予想外だったようで、面食らった様子でたじろんでいる。その隙に僕は正面のアルテミスを見遣る。


「アルテミスッ!」

「おうよ!」


 アルテミスは両手に光の球を生み出し、頭上に高く投げ出した。二つの光球は空中で一つに合わさり、すぐに眩い光となって空間ごと包み込んだ。眼前の集団は目がくらんだのだろう、短い悲鳴と共に身動きが止まった。

 咄嗟とっさに目をつむっていた僕は集団の間を通り、出口へ向かって駆け出した。腕の中ではレナが泣きらした目を僕へ向けている。何も口にしなかったけれど、彼女の想いは伝わった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る