4-3 これから先の話をしよう

 3


 展望台に到達すると、け橋は光となって消え失せた。行きはよいよいというやつだろうか。上等だ。帰りのことなんて考えていない。彼女に会うことが先決だ。


(え……?)


 僕は唖然あぜんとした。以前訪れた時と眼前の光景が異なっていたからだ。展望台の大部分を占めていた天体望遠鏡が消失している。それどころか欄干らんかんすら見当たらない。根元から綺麗に取り除かれている。ふちでバランスを崩そうものなら地上へと真っ逆様だ。僕はごくりとつばを呑み込む。

 正面には女性の背中があった。展望台の端で遠くを眺めている。赤いタイトなドレスに身を包んだスレンダーな女性。見る者全てを魅了する曲線美に今は寂寥感せきりょうかんが漂っている。ピンクゴールドの長髪が風になびき、彼女の心情を物語っているかのようだった。


「……レナさん」


 僕の声に反応し、眼前の女性は振り返った。ヒールの音が夜風に溶けてゆく。唇のグロスが今だけは涙のあとに見えた。吊り上がった目尻が今だけは泣きらしたように見えた。彼女を構成する全ての要素が冷たい感情でいろどられている。


「また横取りしちゃったかしら?」


 レナは生きていた。外見に異常はない。けれど、彼女が超新星爆発ちょうしんせいばくはつを起こしたことは事実なのだろう。僕の目には、彼女の目から光が失われているように見える。


「……いえ、僕はレナさんに会いに来たんです」

「あら、嬉しいわね。素直さに磨きがかかったようね、感心感心」


 レナが口許くちもとに微笑を貼り付け、僕とアルテミスを交互に見遣みやる。


「……いい顔してるわ。あと一億年もあればアタシに釣り合う星になるわね」

「一億年なんて、あっという間ですよ」

「あら、言うじゃない」


 レナは口許に手を当てて笑った。以前、彼女に放たれた言葉はどれもが納得のできるものだった。自分を卑下ひげするフリして予防線を張ることも、相手の発言を反射的に否定することも不快感を与えるだけだ。それらがたとえ謙遜けんそんだとしても、そんなもので喜ぶ相手とつながる縁に意味なんてない。悪縁あくえんだ。

 相手は鏡だ。言葉だろうと態度だろうと返ってくる。レナが自信のない相手と喋りたがらないのは、自分もその影響を受けてしまうことを危惧きぐしているからだろう。逆に言えば、彼女が恒星として周囲に輝きを与えられるのは、彼女が自信家だからに違いない。

 けれど、今は過去だ。彼女は既に恒星ではない。僕たちがここまで来た意図を察知しているのだろう。レナは目許めもとに寂しさを滲ませて言う。


「……疲れちゃった。毎日毎日取り巻きたちと気の進まないお喋りをして、何時間も何日も拘束されて、自由行動なんて許されない。本当はもっといろんな星のもとへ行きたかったのに……そんな不満が溜まったせいかしら、胸の内側で何か沸々ふつふつき起こるような感覚がして、誰もいないのをいいことに大声で叫んでいたら、その拍子に……ドカン」


 レナが両手を広げ、肩をすくめてみせる。その姿が僕には意外だった。彼女は自信家で、周りと意見を合わせるくらいなら孤立を選ぶ性格をしていると思っていたからだ。現に僕は彼女の生き方に影響を受け、彼女自身から良い変化が見られているというお墨付きを頂いた。何が彼女をそれほど我慢させたのだろうか。

 僕の疑問を読み取ったようにレナは困ったように眉尻を下げる。


「アナタと喋っていると気が楽だったから真似したみたの。でも、アタシには合わなかったみたい。聞き役って大変なのね。一方的に喋り続けてるほうがずっと楽」


 僕はハッとする。相手は鏡だ。それはレナにとっても同じこと。彼女は僕の影響を受け、悪い方向に転がってしまった。後ろ暗い思いに駆られ、僕は足元へと視線を下ろす。


「馬鹿ね、落ち込まないでよ。アタシまで落ち込んじゃうじゃない」


 ヒールの音がカツカツと響く。僕の眼前でその音は止み、視界には彼女の足が映り込んだ。


「……これから、どうなるんですか?」

「消えるのよ」


 僕はおもてを上げた。間近で見るレナは整った顔立ちをしており、とても美しかった。外面だけでなく、内面から溢れ出る自信が彼女の魅力に拍車をかけている。今は疲労の色が見えているけれど、それでも彼女の美しさは健在だ。彼女へと罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせていた王門前の星々が信じられなかった。それがまた彼女のストレスを増幅させるとわからないのだろうか。既に恒星ではなくなった彼女がどうなろうと関係ないのか。それとも何も考えていないのか。


「……どうして、見ず知らずの星のことを悪く言えるんですか? さっきまで称賛していたような星々まで、レナさんを非難して……」


 この場所へ来る道中、アルテミスに手を引かれる中で聞いた罵声が脳裏によみがえる。


『ふざけんな!』

『これからどうすんだよ!』

『星殺し!』

『オマエのせいで生物が死に絶える!』


 言い返せば良かったと後悔した。彼女が生まれたからこそ誕生した命ならば、彼女が死すれば失われるのも当然の話だ。自然の摂理であり、不条理なことは何もない。八つ当たりなのだ。恩知らずなのだ。身勝手なのだ。彼女を都合の良い道具としか見ていないのだ。群れることしかできない卑怯者でしかない。

 いや、卑怯者は僕だ。後悔していると言うけれど、今再びあの群衆の中に飛び込んだところで、きっと僕は彼らを否定することができない。誹謗中傷ひぼうちゅうしょうをやめさせることなどできない。ただの妄想なのだ。僕にはまだ勇気が足りない。

 いや違う。僕はまだ子供なのだ。相手にやり返すことしか考えていない。気に入らない相手を不幸にさせることしか考えていない。アルテミスと同じだ。平和をかたった破滅主義者だ。これではグレンへの言葉が嘘になる。僕は他者の不幸よりも自らの幸福を選びたいと願ったのだ。だからこそグレンの意見に賛同し、彼らの間に割って入った。その考えに嘘はない。

 けれど、考えなんてものはいとも容易たやすく反転する。善と思っていたものが悪に、悪と思っていたものが善となる。全ては気分次第。感情を持つ人間という生物の短所であり長所なのだ。

 僕はレナを傷付け続ける連中をゆるせるのだろうか。彼らを断罪する権力を得られたとして、鉄槌てっついを下せるだろうか。

 無理だ。僕には躊躇ためらいがある。それは権力を振りかざすことへの後ろ暗さではなく、一時いっときの感情に流され動くという行為自体への疑念から生じるものだ。感情のまま本能のまま行動すれば、それはけものだ。知性ある生物の行為ではない。

 僕は考え続けると決めた。バルドへと誓ったのだ。僕の“在り方”はこんなものではない。僕はまだ“在り方”を見つける旅路の途中なのだ。

 今ここで僕がすべきことは復讐ではない。救済だ。


「……これからの先の、話をしませんか?」

「これから?」


 レナは目をしばたたかせた。背後からアルテミスが目を爛々らんらんと輝かせている気配が伝わってくる。


「爆発を起こしても、レナさんはまだここにいます。まだ、生きています。だから、これからどうやって生きてゆくか、話したいんです」

「ふふ、頭が悪いのね。アタシは星の精……魂だから、当然すぐには消えないわ。でもね、アタシの本体――身体は大部分が吹き飛んでいるの。残っているものは目にも見えないブラックホール……そんなの、生きているって言わないじゃない」

「レナさんはそう思うかもしれません。けれど……僕は、レナさんはまだ生きていると思っています。この考えは反射しませんか?」


 僕がレナの鏡なら、前向きなこの考えも受け入れられるだろうか。彼女の中で、僕が既にひび割れていなければ、僕の顔が見えているのであれば、この気持ちも伝わるはずだ。

 レナは口のを上げ、なまめかしく微笑んだ。


「……いやね、見ないうちにすっかりジェントルマンじゃない」

「ジェントルスターですよ」

「そんな言葉ないわ」


 冷たくない?

 ぴしゃりと否定され、僕は悄然しょうぜんとする。そんな僕を見て、レナは「冗談よ」と笑った。少しは元気を取り戻したようだ。


「いいわ、これから先の話をしましょう。まだ時間はあるもの。アナタと過ごす最期というのも悪くないわね」

「やめてください。縁起でもない」

「ふふ、可愛いのね」


 レナが僕の横を通り過ぎる。僕もその背中に追従する。螺旋階段らせんかいだんへと差し掛かったところで、僕はハッとする。


「門から出て行ったら、みんなに取り囲まれるんじゃ……」

「大丈夫よ。抜け道を知っているから」


 アルテミスのような力業ちからわざだろうか。


「違うわ」


 何故なぜ当然のように心を読むのだろうか。レナは構わず続ける。


「庭園の一角に敷地外へ通じる隠し通路があるの。アタシしか知らない秘密の通路だから、誰にも見つからないわ」

「何でそんなものが……?」

「アタシが掘ったの」


 マジですか。

 アルテミス以上に力業ちからわざだった。

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