3-5 僕の気持ち

 8


 先に動いたのはアルテミスだった。ローブの下から球状の物体を取り出し、グレン目掛けて投擲とうてきした。ペイントボールのようなそれは水晶の如く光を反射し、グレンが左の裏拳で弾き落とすと同時に破裂した。閃光弾せんこうだんのようにまばゆい光に包まれたかと思うと、放射状に無数の針が広がり、グレンの左手を深々と貫いた。イガグリの皮よりも細長く鋭利な針がグレンの動きを一瞬止める。その隙にアルテミスは距離を詰め、足払いのモーションに移った。

 どうやら足払いはフェイントだったようだ。グレンが右に跳躍すると、アルテミスはモーションを途中で解除した。ふところに潜り込んで身体をぐるりと回転させ、グレンのあご目掛けて足裏での蹴りを打ち込む。カポエイラのように柔軟でいて軌道の読めない動きだったせいか、グレンはまともにそれを食らった。

 空中で体勢を整え、グレンは眼前の敵から離れた位置に着地した。反撃を狙い即座に距離を詰めようとするグレンに対し、アルテミスは彼から距離を取った。どうやら反撃を予測していたようだ。


「原因は無くせねェ。それこそ星をむしばむ病のように」


 グレンが手を払う仕草をとると、左手に刺さっていたイガグリ状の水晶は光の粒となって消え失せた。アルテミスが解除したのか、グレンが打ち消したか定かではなかったけれど、大したダメージにはなっていないようだった。グレンの左手に穿うがたれた無数の穴がすぐさま光に包まれ治癒ちゆされてゆく。飛び道具といった外的要因は広大な星の命の前では、ちりに等しいということだろうか。


「加害者をらしめたところで恨みつらみが増すだけ。一度汚染された空気は決してもとには戻らねェ。自然の摂理せつりだろう?」


 グレンの弁にアルテミスは辟易へきえきとした様子で肩をすくめた。


「だから逃げるって? 被害者なのに? 加害者のために? 周りの空気をそれ以上汚染させないように? 馬鹿げているね。キミは常に第三者の立場で考えている。被害者の立場に立っていない。わかったフリをしているだけの偽善者だ」


 僕は呆気にとられていた。てっきりアルテミスのことだから闘う意志を見せながらも、つまらない冗談を口にして事を収めると思っていた。僕の知る彼女ならばそうするはずだと信じていた。

 信じていた? 彼女がどこにある星かもわからないのに? 僕はアルテミスという星のことをまだ何も知らない。どうして彼女が僕と共に行動を共にしているのかさえわからない。この世界を案内する理由すら知らない。いてもはぐらかされるばかりだったからだ。

 彼女は本気でグレンに怒りを燃やしているわけではない。けれど、彼とは拳を交わさなければならないほどに主張が相容れないのだろう。あるいは、ルナでは意見の衝突とは即ち肉体的衝突に直結するのかもしれない。


「偽善で何が悪い」


 今度はグレンから飛び出した。頭一つ分以上ある体格差から放たれる重い拳は、しかし身軽なアルテミスにひょいとかわされ、芝をえぐり取る形で地面を穿うがった。ふところに入っている刃物を投げないところから察するに、どうやら飛び道具のたぐいは使わないつもりのようだ。

 アルテミスは高く跳躍し、地面から拳を抜くグレンの頭上から蹴りを放った。グレンは抜いたばかりの手でそれを受け止め、空いた手で彼女の足を掴むなり、遠心力を利用して軽々と放り投げた。華奢きゃしゃな身体が大きく吹き飛び、離れた位置に鎮座する水晶木すいしょうぎへと向かう。

 彼女は水晶木のみきに着地し、バネのようにグレンのもとへと再度飛び出すと、今度はグレンの腕を踏み台にして数回踏みつけた後、軽やかに宙を舞い、離れた位置へと着地した。この間、わずか数秒だった。

 アルテミスが得意げに笑う。そこには落ちぶれた者を見下す邪悪さすら見受けられた。


「悪いさ。被害者のそばに寄り添うというのなら、キミの一生を彼女に捧げられるのかい? それができなければ、どれだけジャスティスしたところでキミの行為は嘘になる。キミの行為は一人のホームレスに大金を恵むようなものだ。根本的な解決になっていない。一時いっときの幻想を見せているだけ。受け取った者のためにもならない。『また誰かが助けてくれる』だなんて考えで幸せになれるはずがないだろう?」

「また人間の真似事か」


 グレンは不快そうに奥歯を噛み締める。


「すぐには幸せになれねェかもしれねェ。だが、心の支えにはなる。味方はここにいるって伝えられる。こんな身近にいるんだから、世界にはもっとたくさんいるという証明にもなる」

「だからキミは独善的なのさ。楽観的とでも言おうか。被害者に求め過ぎなんだよ。誰もがキミのように優秀ではない。精神をむしばまれれば思考力も鈍る。行動できない者がいるからこそ原因を取り除くべきなんだよ。キミの主張は『被害者にも原因はある』という論調に同意しているようなものだ。そうやって安全な場所からわかったような口調で高圧的な論調を繰り広げている卑怯者が、議論を引っき回すんだ。加害者を全て消し炭にすれば解決する話だろう? それを否定するから、加害者を守ろうとするから話がややこしくなるんだ。ブラッディ・フェスティバル・イン・ザ・ナイトなのさ」

「オマエの行動こそ独善的だろう。加害者が新たな被害者になれば解決すると思ってやがる。それこそ『被害者にも原因はある』ってことじゃねェか」

「当然の報いさ。なに、悪循環にはならないよ。いずれ被害者が一周して収束する。最も平和的で平等な対策だろう?」

「んなもん真っ当じゃねェ。誰も楽しくねェじゃねェか」

「だから何だと言うんだい?」


 アルテミスは手に光球を生み出し、空中へ向かい投げ出した。丁度彼女とグレンの中間地点辺りだろうか。光球はまばゆい光を放つなり、無数の針となって地上に降り注いだ。


(嘘だろうッ……⁉)


 僕は咄嗟とっさにヴェルを見遣った。自分でも驚いたけれど、この子を守らなければならないと感じた。

 けれど、それは杞憂だった。グレンは目にも留まらぬ速さで僕とヴェルのもとへやって来るなり、僕たちを背負って光の雨から脱出した。

 雨が止むなり、グレンは僕たちを降ろした。そして、嫌悪感のこもった視線をアルテミスへ向ける。


「オレとの闘いのはずだろうッ……!」

「キミが早くボクを殺さないからだよ」


 アルテミスは平然と言ってのける。


「一度濁った空気は元に戻らない。キミが言ったことだ。ならば、呼吸が苦しくなるほど濁らせればいい。誰もそれ以上濁らせようとは思わない。あとは新たな環境へ移るまで辛抱するだけでいい。楽しみを優先するから苦しみが生まれるんだよ。二者択一。どちらかを選べばいいだけの話なのさ」

「だから、加害者をブラッディ・フェスティバル・イン・ザ・ナイトするってのか。気に食わねェな」

「キミの気分なんて関係ない。感情論で動くべきは被害者であって加害者ではない。してや第三者でもない。誰も傷付かない方法なんてこの世に存在しない。被害者が生まれた時点でそんなものは霧散むさんしているんだよ」


 アルテミスは両手に光と闇の球を生み出し、それを身体の前で合わせた。光と闇がない交ぜとなった気味の悪い物質は、彼女の手の中で形を変え、刃渡り数メートルはあろうかという長剣となった。一足踏み込めば、僕たちに到達する距離に刃がある。

 僕たちを一瞥いちべつするなり、グレンはアルテミスとの距離を保ったまま僕たちから距離をとった。最初にアルテミスが仕掛けてきた時もそうだ。僕たちが背後にいるから、彼はわざわざ右側に跳躍して攻撃を避けた。僕たちに注意を払ったからこそ反応が遅れたのだ。僕たちがいなければ、追撃を受ける可能性はなかったかもしれない。

 グレンが動きを止めると、アルテミスは長剣を頭上高く構えた。上段の構えだ。


「それでもキミは被害者に『逃げろ』と言うのかい? 被害者に『頑張れ』と言うのかい? それはあまりにもこくだ。キミは薬のフリをした猛毒だ。優しい顔をした殺人鬼。キミのような者が被害者に止めを刺すんだよ」

「……オマエの言うことは、正しい。最も合理的だ。だが……だからこそ、抜け道ってモンを作りたくなるのさ」

「ふうん」


 アルテミスが長剣を振り下ろす。グレンは何を思ったかその場から動かず、両腕を頭上で交差した。

 彼の意図はわかった。下手に避ければ、僕たちに危害が及ぶと思ったのだろう。余計なお世話だ。僕たちに防御の手段はないけれど、だからと言ってグレンが負傷すればたまったものではない。傲慢だ。それこそ自己満足だ。

 グレンは、しかし長剣を受け止めていた。小手のような水晶の防具をまとい、力強く踏み締めた大地にはヒビが入っている。水晶にもまたヒビが入り、今にも割れそう気配をただよわせていたけれど、グレンは気合のこもったうなり声と共に長剣を弾き返した。同時に水晶の防具が粉々に砕け散り、光の粒となって霧散むさんする。長剣もまた接触した部分から徐々に砕け散り、アルテミスの手から消えていった。

 肩で息をしつつ、グレンは言う。


「加害者だって馬鹿じゃねェ。しらばっくれれば罪は露呈ろていされねェんだ。オマエみてェなエリミネーターがいれば話ははえェだろうが、世界はそう都合良く出来ちゃいねェ。オレみてェな偽善者すら周りにいねェ時にはどうする? 逃げるしかねェだろう。相手が悪くても自分が今まで手に入れてきたものを捨ててでも逃げるしかねェんだよ」

「やっぱりキミは被害者に永遠を捧げられるわけではないようだ。口先だけの魔術師だね。使えるものは『魔法』ではなく『のろい』のようだけれど」


 アルテミスがシニカルな笑みを口許くちもとに貼り付ける。実に挑発的でいて不愉快な表情だ。


「ああ無理だ。無理だよ、永遠なんて。そもそもこうして出会えたことこそ奇跡みてェなもんだ。普通に生きていたらまず出会えねェだろうよ」


 グレンが離れた位置に立つヴェルを一瞥いちべつする。ヴェルは一瞬委縮いしゅくした様子を見せるものの、穏やかなグレンの微笑を目の当たりにすると、すぐさま落ち着きを取り戻した。僕もまた真摯しんしな眼差しをグレンへと向けた。


「オレにできることはメッセージを発信し続けることだけ。それが皆に伝わるように祈るだけだ」


 グレンの声音は実に優しいものだった。心地好い低音が耳に染み入り、胸を打つ。


「辛いなら逃げろ。文句を言う奴らは誰もオマエの幸せを願っちゃいねェ。叶えてもくれねェ。この世は一方通行じゃねェんだ。逃げた先にだって、ちゃんと光はある。逃避できねェなら楽しいと思えることで上書きしろ。仲間をつくれ。誰一人味方がいねェ奴なんて、この世に存在しねェんだ。それこそ気付いていねェだけだ。『誰が頼りになるのかわからない』『空気が悪くなるのが嫌』『誰にも迷惑かけたくない』……んなもん知らん。オマエを犠牲にしたおかげで澄んでいる空気なんてよどんじまえ。助けを迷惑だと考える奴なんていねェ。そんな奴がいるなら、尚のこと迷惑を押しつけちまえ」


 グレンの台詞は全て人間に変換できた。助けを迷惑だと考える親なんていない。そんな親がいるのなら、むしろ迷惑をかけてしまえばいい。度胸がなければ、とても行動には移せない。けれど、そうでもしなければ逃げることはできない。苦しみから脱することなどできやしない。逃げることは恥ではなく選択だ。今まで向かっていた未来とは別の未来へと方向転換するだけなのだ。


「この世には頼りになる奴が絶対にいる。狭い世界に誰もいなかったとしても、広い世界には必ず一人いる。それを探し出す旅路は険しいが、必ず到達できる。必ず、だ。それは運じゃねェ。必ず一に収束する」


 きっと『自分は嫌がらせから脱することができた』と言って、被害者を罵倒ばとうする人間は運が良かっただけなのだ。確率の収束まであっという間だっただけで、それに気付いていないだけなのだろう。

 被害者も加害者へと反転する。些細ささいなきっかけでそれは起こり得る。幸い僕にはどちらの経験もないけれど、いざ自分がなったとしたらと考えるだけで恐ろしい。

 今の時代、何かしらの声を上げれば反応してくれる人がいる。親を頼りにできなくても、同じ組織の人間を頼りにできなくても、民間の相談窓口を信頼できなくても、SNSが当てにならなくても、SOSの信号を受信してくれる人が必ずいる。グレンのような人が必ずいると、今の僕には信じられる。だって、現にグレンという理解者がいるのだから。

 アルテミスは呆れた様子で目を細める。一歩ずつグレンとの距離を詰めてゆく。


「……で、キミはどうするんだい? ボクを殺して彼らを解放する?」


 アルテミスがくいとロープで身動きが取れない加害者たちを一瞥いちべつすると、グレンは首を横に振った。


「オマエの筋書きどおりに事が運ぶのはしゃくだ。だが……オマエの暴走を静観するわけにもいかねェ。説得に応じてくれそうにもねェからな」


 グレンが手のひらに拳を当て、全身から闘気を放つ。一方、アルテミスは鼻で笑うように声を漏らした。


「説得も何も、道理に適っているのはこちらだからね。キミの主張はただの希望だ。現実的な手段は一つとして存在しない」

「んー? そう? オレのほうが現実に即していると思うがね。オマエのほうこそ理想を述べているだけだろう?」

「じゃあどっちもどっちってことで。けれど、今この場においてはボクの行為こそがジャスティスなのは明白さ」


 二人の距離が詰まってゆく。マズい、と直感的に思った。星の世界のルールなんて知らないし、傷付け合った先に何が待っているのかとか、僕にはよくわからない。時間が経てば、先ほどの怪我のように治るのかもしれないけれど、二人が傷付け合う姿を傍観するなんて嫌だ。互いに同じ問題へと真摯しんしに向き合っているなら尚更だ。


「なら、オレも加害者と同じようにパニッシュメントする?」

「話が早いじゃないか。嫌いじゃないよ、そういうの」

「はいどうも。オレはオマエに好かれたところで嬉しくないがね」

「あはは、好きとは言ってないから問題ないさ!」


 折衷案せっちゅうあんなんて思いつかないし、そもそもないのかもしれない。だとしたら、僕はどちらにくみすればよいのか。どうすれば、この場が丸く収まるのか。

 わからない。僕には何もわからない。頭が良くないし、二人のように案があるわけではない。けれど、僕は、全てを解決したい。傲慢ごうまんだ。欲張りだ。それでも、僕は――

 アルテミスとグレンが拳を構え、大きく跳躍した。僕は咄嗟とっさにヴェルのもとから離れ、二人の間に踏み込んだ。愚行だ。わかっている。けれど、二人が冷静になるきっかけになればいいと思った。既に冷静かもしれないけれど、一時だけでも闘いから離れてほしい。

 僕は二人には笑っていてほしい。それが僕の気持ちだ。


「ぐへァッ!!」


 アルテミスの右拳が僕の左頬にクリーンヒットした。グレンは驚愕の表情を浮かべ、すんでのところで拳を止めている。いや、そうなるとアルテミスもまた拳を止められたのではなかろうか。大きく吹き飛ばされた先で、芝にいつくばりながらおもてを上げ、僕はアルテミスをにらみつける。


「なん、でッ……!」

「邪魔だったんだも~ん☆」


 だも~ん、って。


「ハバネロ♪」


 そんな『てへぺろ』みたいなノリでやられても。いや、『てへぺろ』も十分古いけれど。

 僕はそのまま意識を失った。

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