3-3 知らぬが恥

 6


 寺子屋てらこやの前を通過し歩いてゆくと、やがて遊具が並ぶ広々とした空間に出た。公園だろうか。砂場や鉄棒といったお決まりの遊具はないけれど、星型のジャングルジムや大きな天球など、奇抜な意匠いしょうの遊具が並んでおり、興味がそそられる。

 グレンは公園の隅に鎮座するタコのような遊具へ向かった。昔、最寄りの公園で遊んだ記憶がある。宇宙のイメージ的には火星人のようにも見えた。

 タコ型遊具の裏に回ると、一人の少女が膝を抱えてうずくまっていた。僕たちの気配に気付くなり顔を上げ、「ひっ」と小さな悲鳴を上げたけれど、グレンが口許くちもとに指を当て「しー」と言うと、少女は声を抑えた。柔和な表情を浮かべるグレンを横目に観察し、『こんな表情もできるのか』と僕は内心驚いた。

 グレンは少女の隣で胡坐あぐらをかいた。手招きされる形で、僕はグレンの隣に腰を下ろす。少女を見ず知らずの他人で挟み込まないようにというグレンなりの配慮だろうか。

 配慮ができないものと思われたグレンは、このとおり配慮ができている。『怖い』という僕のお願いにも素直に応じた。彼に悪気はないのだろう。僕がただ、何も意見を口にしていなかっただけなのだ。


「オレはグレオマイトス。コイツは……忘れた」


 おい。


「名前、聞いていい?」

「……ヴェルリアッテ」

「そう。ヴェルって呼んでいい? オレはグレンね」


 少女は黙ってこくんと頷いた。


「遊ばないの?」


 ヴェルは首を横に振った。


「……一人で遊んでも、楽しくないもん」

「なら、おじさんたちと一緒に遊ぶ?」

「おじさん?」


 疑問をていすると、グレンからぎろりとにらまれた。『余計なことを言うな』とでも言いたげだ。そうは言うけれど、グレンはともかく僕はまだおじさんという年齢ではない。反論の一つや二つしておきたい。

 ヴェルはまたしても首を横に振った。


「楽しく遊んでるところを見られると、また色々言われちゃう」

「んー? でも、ここに来たのは遊びたいからだよね?」


 ヴェルはうつむいた。答えにきゅうしているというよりは、自分自身どうしたいのかよくわかっていない様子だった。

 気持ちはわかる。周囲の目を気にしていると行動が制限される。周囲は大して気にしていないのに、自分が過度に気にしているのだ。その背景には『嫌われたくない』『嫌な思いをしたくない』という願いがある。後ろ向きな思考がへばりついている時には、いつだって周囲から悪意を向けられることを想定して行動に移るのだ。

 彼女は僕と同じだ。悪意から身を守るために分厚いよろいを身にまとった、グレンが言うところの『甲冑おにんぎょう』なのだ。自分の意思も勇気もない。あるのは未知への恐怖だけだ。


「……グレンさん」


 僕がグレンのローブを引っ張ると、彼は鬱陶うっとうしそうにこちらを振り向いた。その顔を見るだけで呼吸が止まりそうになる。


「んー? どうした?」


 けれど、グレンの声音は優しいものだった。今ここで『何?』と冷たく問われれば、僕はまたしてもへびにらまれたかえるのように、言葉を発せなくなっていたことだろう。

 グレンは僕のお願いを実行してくれている。まだ少しぎこちないけれど、僕の言葉を意識している。僕が思っているよりも、他人は僕に敵意を抱いていないのかもしれない。


「その……怖いです」

「はあ?」


 前言撤回。敵意をひしひしと感じる。そう簡単に口調は変えられないのだろう。僕の言い方も悪かったけれど。


「理詰めで話したところで、追い詰めるだけです。その……もっと、曖昧あいまいに……」

「んー? よくわかんねェんだが」

「グレンさんは……多分、正しいです。けれど……正し過ぎて、入り込む余地がないというか……グレンさんと喋っていると、息が詰まるというか……」

「はあ?」


 喧嘩を売っているのように聞こえてしまったらしい。僕は「すみません」と呟き、けれど、真摯しんしな眼差しを向けてくるグレンと目を合わせる。僕の話を聞く意思はあるようで安心した。


「……相手に喋らせたいなら、隙間をつくったほうがいい……と思います。完璧な文章よりも、穴埋め文のほうが……文章、入れ易いと思うので……すみません、言葉が、まとまらないです」


 伝えたいことがあるのに文章を組み立てられない。長年会話を怠ってきたことの弊害へいがいだ。


「んー? ああそう。わかった」


 グレンは頭の回転が速いようだ。僕の意図を察知してくれた。ならば、尚のこと先ほどの呟きに違和感を覚える。どうして僕が人間であると気付けないのだろうか。

 不意にグレンは僕の身体を肩に担ぎ上げ、遊具の陰から飛び出した。驚くヴェルを横目に一瞥いちべつし、星の気配がない公園で中央の遊具へと近付いてゆく。トランポリンだろうか。名状し難い形状をしている。


「な、何ですかッ……⁉」

「とりあえずオレたちが遊べばいいってことだろう?」


 違うと思う。そして、僕は米俵こめだわらじゃない。降ろしてほしい。いや、今時米俵も肩に担がないけれど。


「どうして――」


 僕の問いは不意の衝撃によりさえぎられた。グレンがトランポリンの上に飛び乗ったのだ。上下に跳躍が繰り返され、僕は彼の肩の上で「うわ」とか「うお」とかWダブリューから始まる感動詞しか口にできなくなった。

 恥ずかしい。みっともない。一言で言うならば、とてもダサい。

 何度かの跳躍を経て、僕はようやく言葉の続きを紡ぐことができるようになった。


「……どうして、あの子がここにいるって……わかったんですか? それに……どうして、ここまで……」


 グレンはヴェルと面識がなかった。なのに、ヴェルの悩みを解決しようとした。それは何故なのか。アルテミスに挑発されたから、意地になっているのだろうか。だとすれば、たちが悪い。それこそ自己満足だ。アルテミスのことを悪く言えない。


「嫌な気分になったからだよ」


 グレンが僕を放り投げた。背中からトランポリンに着地し、不安定な体勢で飛び上がった。空中でグレンと再度目が合う。


「アイツの立場になって考えてみたら、全部嫌になった。それでここに来ようと思った。誰か助けてくんねェかなァ、ってさ」


 グレンは自己中心的な星ではない。他者の立場になって物事を考えられる。そして、自分が間違っていると思ったらそれを修正できる。僕の中でグレンの印象が百八十度変わった。

 いや、彼は傲慢ごうまんなのかもしれない。自分なら弱者を助けられると、自分なら弱者の立場であろうとも切り抜けられると信じているからこそ、こうして行動に移せるのだろう。それは、けれどヴェルのような被害者にとっては救いの光となるだろう。弱者同士が引き合ってもそれは傷のめ合いにしかならない。弱者と強者が引き合うことで、互いに弱さを知り、おごりを知り、僕たちはより強固になってゆくのだ。


「……優しいんですね」


 世界が上下逆様に見えた。頭上に水晶の空が、足元に宇宙が広がっていると、途端に恐怖が襲ってきた。妙な浮遊感がそれに拍車をかけ、僕は思わずグレンに手を伸ばした。


「んー?」


 グレンは僕の手を取り、身体ごと引き寄せた。一回りも大きな手に触れられると、不思議と不安は払拭ふっしょくされた。


「よしてくれって。お世辞を言われると調子に乗っちまう」


 先ほども聞いたような台詞を口にして、グレンは僕の身体を担ぎ上げた。頭上に宇宙が、足元に水晶が広がっている。


「だが、悪い気はしねェ」


 遊具の外にふわりと着地し、グレンは僕に視線を向ける。


「調子に乗った時には指摘してくれよ。さっきみてェに」


 僕はハッと息を呑み、静々と言う。


「……もう二度と、肩に担がないでください」

「んー? ああそう。わかった。オレは好きだったんだが」


 どゆこと?

 グレンが僕を地上に下ろす。長時間宙に浮いていたためだろうか、ふわふわとした感覚が身体から抜けず僕はバランスを崩した。隣のグレンに肩を支えられ、何とか持ちこたえる。


「あ……」

「礼なんて要らねェっての」


 彼にとって謝礼とはただの自己満足なのだろう。けれど、僕は純粋に身体を支えてもらった礼を伝えたいだけだ。そこには打算も奸計かんけいもない。自己満足かもしれないけれど、グレンに感謝したいという意志をないがしろにしたくない。そういった他を重んじる自己満足の連続が人間関係を形成すると、今の僕は思うからだ。


「……お礼は、受け取ってください。嫌な気持ちに……なります」

「んー? ああそう。わかった」

「……ありがとう、ございます」

「はいどうも」


 渋面を浮かべつつも、グレンは素直に礼を受け取った。アルテミスとはりが合わない様子だったけれど、僕の言うことには意外と素直に応じる。普段の行いの差だろうか。

 タコ型の遊具を見遣ると、陰からヴェルがひょっこりと顔をのぞかせた。グレンが手招きすると、とことことひよこのように小走りで近付いてきた。

 横目にグレンを見遣る。実に良い笑顔をしている。王城で見た誠実そうな顔も、丘陵地帯きゅうりょうちたいと見た不機嫌そうな顔も、今浮かべているさわやかな顔も、全てグレンを形成する要因なのだ。どれか一つだけ切り抜いて、『らしくない』と言うのは彼への侮辱でしかない。僕もまた間違った認識をしていたのだ。

 ヴェルが恐る恐るグレンと手のひらを合わせ、大きさの違いに目を見開く。それを見て、グレンが目尻にしわを刻み、父親のように優しく微笑む。そんな二人の様子を見て、僕は胸が温かくなるのを感じた。

 問題は何も解決していないけれど、優しい時間が流れているのなら、口を挟むのは野暮というものだろう。

 その後、僕たちは気が済むまで公園の遊具で遊び倒した。

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