3-2 マイナスの積み重ね

 4


「何してんだ、オマエら」


 振り返ると、長身の男性もとい星が立っていた。口髭くちひげを生やし、髪の毛を後ろにでつけている。豪放な空気をまとっており、百九十センチを優に超えているだろう長身も相まって威圧感すら感じられる。一見すると初対面だけれど、両耳に光るピアスと右手に光る複数の指輪には見覚えがある。ついでに言うと、倦怠感けんたいかんと嫌悪感をない交ぜにした重みのある声音にも聞き覚えがある。


「エビさん……」

「誰だよ」


 間違えた。


「オマールさん……」

「だから誰だよ」


 アルテミスが妙な呼び方をしていたせいで本名を忘れてしまった。男性はローブの下から右腕を持ち上げ、頭をガシガシとく。白いシャツに黒のセーターを合わせ、ボトムスには使用感のあるデニムをいている。ふうっと息を吐くなり身を屈め、まるで穴をのぞき込むように頭上から僕の顔を見下ろした。


「グレオマイトス。思い出した?」


 誕生祭の出来事を思い返す。確かにその名は聞き覚えがある。けれど、髪型といい服装といい、眼前の男性とどうしても結びつかない。何かが欠落している。

 僕の疑心に気付いたのだろう、眼前の男性はポケットから取り出したラウンド型の眼鏡を掛けた。


「あ……グレンさん」

「おいコラ」


 不機嫌そうにそう吐きつつ、グレンは僕の背中側に視線を向けた。釣られる形で僕も振り返る。


「芸術的だな」


 眼前にはアルテミスの姿があった。丘陵地帯きゅうりょうちたいはずれ。青々とした芝が短く刈り揃えられ、一本の水晶木すいしょうぎが小高い丘の上に鎮座している。まるで自身の領域だとばかりに堂々と根を下ろした巨木の枝には、三人の少年少女がロープで逆さ吊りにされている。先ほど学校で一人の少女を取り囲んでいた連中だ。


「どうやって消し炭にしてやろうかッ……!」


 木に吊るされ青白い顔をした少年少女と、腕組みをして嗜虐的しぎゃくてきな笑みを浮かべている銀髪の少女。グレンの目にはこの光景が芸術に見えるのだろうか。だとすれば、とんだ変態だ。


「芸術は壊すに限る」


 グレンはふところから鋭利な刃物を取り出し、眼前の少年少女目掛けて投擲とうてきした。ロープが切り裂かれ、少年少女らが重力に従って頭から落下する。

 危ない――と思った時には既にグレンはローブをなびかせ、彼らの身体を軽々と担いでいた。ゆっくりと彼らの身体を下ろし、水晶木に突き刺さった刃物を抜き取ると、グレンは身体に巻かれたロープを順々に切り裂いていった。

 自由の身となった少年少女らは感謝の言葉も口にせず、逃げるように去っていった。一刻も早くアルテミスという危険から遠ざかりたい様子だった。気持ちはわかる。僕だって、この仕打ちはいささかやり過ぎではないかと思っていた。『そんなことない!』と一蹴されたため、こうして見守ることになってしまったけれど。星の世界では常識の範囲内なのだろうか。

 不満をあらわにするアルテミスへと、グレンは刃物をふところに仕舞いながら向き直る。


「キミは誰にでも優しいね」

「んー? よしてくれ。お世辞を言われると調子に乗っちまう」


 挑発的に口許くちもとを歪めるグレンに対し、アルテミスも余裕の微笑を浮かべる。嫌な空気だ。


「わざわざ様子を見に来るなんて、余程ボクをねたんでいるのかな?」

「んー? オレは自分が一番だと思っている。他者をうらやむなんてあり得ねェよ」


 アルテミスが鼻で笑う。まるで嘘などお見通しとばかりに肩をすくめている。


「彼が気になるんだろう? 誕生祭の時にも、彼が展望台へ向かったことを教えてくれたじゃないか」


 グレンが目を細め、僕を一瞥いちべつする。あの日、レナと共に展望台から戻って来た僕をアルテミスが出迎えられたのは、グレンの助言があったからなのだろう。そこでようやく、僕はホールから抜けようとした時にぶつかった相手がグレンだったことに気付いた。


「あ、あの……」

「決まり文句みてェな礼なんて要らねェよ。受け取る意味もねェ。ただの自己満足だ」


 グレンは僕を目のかたきにでもしているのだろうか。彼ににらみつけられると、途端に言葉が出てこなくなる。僕はうつむき加減に沈黙する。

 グレンはアルテミスへと視線を戻す。


「オマエの愚行も自己満足だ。助けているつもりだろうが、むしろ逆効果。嫌がらせは激化する」


 まるでアルテミスの行いを見透かしているかのような口調だった。けれど、当の彼女は躊躇ちゅうちょなく返す。


「静観する大人ほど役に立たない者はない。痛みを知らないから痛みを与えられるんだ。ボクはそれを教えてあげただけさ。それが大人の役目だろう?」

「何が大人だ。人間みてェな言い方しやがって」


 グレンが奥歯をぎりりと噛み締め、怨嗟えんさの声を漏らす。嫌な空気が漂ってきた。僕は居たたまれず、一旦トイレ休憩でも挟もうかとその場から後退し始めた。


「薄情な奴だねェ、オマエ」


 気付いた時には背後にグレンが立っていた。背中から彼にぶつかり、嫌な汗が噴出する。


「丁度いい」


 グレンは僕の身体を軽々と担ぎ上げ、重力を感じさせない高い跳躍力でもってその場から退散した。アルテミスの声が遠く響き渡る。


「彼はテラッ! 決して人間じゃないよォォォッ!」


 なんて馬鹿な奴なんだろうと思った。察しの悪い星でも真実に気付くレベルの発言だ。というか、他にもっと叫ぶべきことがあるような気がする。


「んなこと知ってるよ」


 風切り音の中で聞こえたグレンの呟きに僕は耳を疑った。案外星は勘が鈍いのか。いや、バルドもレナも勘が良かった。ということは――


「……馬鹿だなぁ」

「んー?」


 腕に力が込められ、身体が悲鳴を上げる。地上に降りる前に骨が折れそうだった。


 5


 地上に降りると、そこは水晶地帯の入り口だった。星々が行き交い、和気藹々わきあいあいとした空気が流れている。ほたるの光のような小さな灯りが辺りを漂い、水晶に反射して幻想的な光景を演出している。

 ふわりとローブをはためかせ、グレンが丁重に僕の身体を降ろした。意外と紳士だった。


「あの……」


 そこまで言って僕は口を閉ざした。礼を言うのはおかしい。そもそも誘拐紛いの行動をとったのはグレンだ。むしろ、ここは至急助けを呼ぶべきじゃないだろうか。


「んー? 何?」


 こういう時ばかり僕の声が届いたようで、グレンは身を屈めて僕の顔をのぞき込んだ。眼鏡の奥で両眼が不機嫌そうに細められている。王城で見た誠実そうな印象は既に霧散している。

 怖い。何も言葉を発せない。取って食われるとは思っていないけれど、何か気に障ることを言えば、機嫌を損ねてしまう。そうなれば、僕は――


(……何もないじゃないか)


 ほぼ初対面の相手の機嫌を損ねたところで、僕の不利に働くことは何もない。殺されるわけでもない。嫌われたところで、別段仲良くしたい相手でもないのだから問題ない。最悪縁を切ってしまえばいいのだ。してやグレンは誘拐犯だ。どう思われようと関係ない。同情の余地もない。

 それでも――怖い。怒られることが、怒気を向けられることが、悪意を向けられることが、恐ろしくて堪らない。それはきっと過去の記憶が積み重なり、怒気イコール恐怖に結びついているからだろう。強い立場の者からしいたげられた日々がフラッシュバックするからだろう。

 皆が皆、怒りに恐怖を感じなければ世界はすぐさま終焉に向かう。だからこそ、周囲への配慮と気遣いは必要だ。けれど、今この場で配慮が足りていないのは僕ではない。気遣いが必要なのは僕ではなく、眼前の男性だ。

 僕はグレンから目を逸らし、足元を見つめながら訥々とつとつと言う。


「……その、怖い……から……」

「んー? 何? 聞こえない」


 グレンが耳元に手を当てる。僕は勇気を振り絞り、か細い声を野太く変換する。


「怖いから、その言い方……やめて、くださいッ……!」

「んー? ああそう。わかった」


 グレンは僕から身を引くなり、かつかつと靴を鳴らして歩いて行った。数歩進んだところで振り返り、僕を手招きする。僕は警戒しつつも恐る恐る彼と肩を並べた。


寺子屋てらこやの中で嫌がらせが横行してるのはみんな知っている」

「テラコヤ……」


 どうやらルナでの共通言語のようだ。アルテミスがいい加減な単語を口にしていたわけではなかったようだ。疑ってごめん。


「標的になるのは運だ。他の奴らと大差なくても、誰かに『気に食わない』と思われちまえば、それが伝播でんぱしてネットワークが出来上がる。ま、個性も標的になる可能性を高める因子にはなるがな。身体が小せェ奴、声がたけェ奴、顔がみにくい奴、あとは……喋り方がつたない奴。オマエみたいな奴な」


 僕は足元へと視線を移した。図星だ。僕は周囲に嫌悪感を与える存在だ。だからこそ、虐殺されようと仕方がないと思うし、そうならないように周囲の目を気にして生きてきた。つまらない人間を脱したいと考えたのもそのためだ。

 グレンが横目に僕を見遣る。僕は、けれど反論の一つも口にすることができず、ただただ黙ってグレンについていった。

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