2-5 僕という存在を

 8


 レナは階段の手すりに手を添わせ、ゆっくりと段差を降りていった。僕は数段後ろから彼女についてゆく。まるで『ついてこい』と命じられているように感じられたからだ。


「レナさんは、どうしてここに来たんですか?」

「言ったでしょ、つまらないからだって。生物は恒星の光を頼りにして生きていることが多いの。だから、当然他の星はアタシを特別視する。つまらない話にも愛想笑いを浮かべる。アタシはそれが嫌だった。間違っているのに正されない、って苦痛じゃない?」

「まあ……そうですね」


 レナは正直な性格をしているのだろう。間違いを許せない。間違いを許せる相手を許せない。それは彼女の自信の表れでもあるのだろう。僕の対極に位置する星だ。


「アナタはどうしてここに? 初めてだって言ってたけど」

「僕は……」


 最後に見たアルテミスの表情を思い起こし、僕は声のトーンを落とす。


「友人と、口論になってしまって、それで……いえ、違います。僕が、一方的に怒って、ひどいことを口にして、それで、たまれなくて……逃げ出してきたんです」

「最低ね。図星でも突かれたのかしら?」

「……はい」


 レナは観察眼に優れている。少し話をしただけなのに、既に僕の人間性を把握している。だからこそ、取り巻きの愛想笑いにも耐えられなかったのだろう。


「ま、でも似た者同士ね。アタシも嫌なことから逃げ出してきたんだから」

「……違います。僕は子供で、レナさんは……大人です」

「同じよ。そうやって自分を卑下ひげするフリして予防線張るのやめない? 鬱陶うっとうしいわ」

「そんなこと――」

「あと相手の発言を否定するくせ、やめたほうがいいわ。言葉はまじない。相手は鏡。否定の言葉は返ってくるわ。肝にめいじることね」

「……はい」

「素直でよろしい」


 レナの言葉の端々はしばしからは厳しさ以外に優しさも感じ取ることができる。『優しさ』と一口に言っても、正確には『思いやり』に分類できるものだ。僕のためを想ってくれていることがわかる。だからこそ、その言葉は僕の胸に突き刺さった。

 自分にとって不都合なことを言われた時、第一声に『いや』『そんなこと』『けれど』と口にしてしまう。悪癖あくへきだ。予防線だ。僕は自分が傷付くことばかり気にしていて、相手が傷付くことを想定していなかった。鏡が傷付けば、僕も傷だらけになるというのに。


「図星を言われて腹が立ったなら、克服するのが手っ取り早いわよ。相手に言動を直してもらうよりも、自分が図星を克服するほうが楽だもの」

「……そう、なんでしょうか」

「他者に期待しても何の意味もないわ。だって自分じゃないんだもの。思いどおりに動くわけないじゃない。自分にとってより良い結果は自分しか生み出せないのよ」

「……だったら、どうすればいいんですか? 僕は、ダメな自分を変えることができません。何をしても周りに迷惑をかけるだけ……変えるための努力をしたはずなのに、それが足りていなかったって、命を投げ出す以上の苦労をしていないんじゃないかって言われて、腹が立って……」

「一概には言えないけど、苦労すればいいって話でもないわね。苦労や努力に指標しひょうはないもの。度合いを測ることなんてできない。怒るのも無理ないわね」


 僕は驚いてうつむき加減だったおもてを上げた。丁度顔だけ振り返らせていたレナと目が合った。


「何よ、アタシが否定ばかりする嫌な奴に見えた?」


 否定せずにいるとレナが目を細めた。僕は慌てて頭を振って否定を表明する。とても怖い。目力があるから尚更なおさらだ。

 レナは渋面じゅうめんを浮かべつつも前を向き、階段を降り続ける。


「アナタは相手の発言の真意について考えたことある?」

「真意、ですか?」

「ないようね。相手が何でそんなことを言ったのか。それを考えれば、怒りも収まると思うわ」

「理由、ですか……単純に、思ったことを口にしただけだと思います。無礼な奴ですから。僕が傷付くとか怒るとか、想像もしていなかったんだと思います」

「そう? アタシにはアナタの背中を押しているように思えるけど」

「え……?」


 階段を降りながらレナが風になびく長髪を結わえる。展望台でどうしてほどいたのかわからなかったけれど、僕は疑問を呑み込んだ。息抜きをしたかっただけなのだろう。あらわになったうなじはきぬのように白く滑らかで美しかった。


「アナタにはもうできるわ。相手の真意に気付くことが。アタシが髪を解いた理由を推測できたのだから」


 立ち止まる僕を階下から見上げ、レナは言う。


「アナタに死んでもらいたくなかったんじゃない? たとえダメ人間であろうとも、周りに迷惑をかけ続けようとも、生きているだけでマイナスにしかならない汚点であろうとも」

「……レナさんのこと、誤解していました」


 想像よりもずっと悪い星だった。主に口が。反面教師にしよう。

 下から睨まれている気配を察知し、僕は急いで階段を駆け下りた。レナと肩を並べ、歩調を合わせて降りてゆく。


「誰かに死んでもらいたくない……その願いに理由なんてない。全宇宙に共通した願い。アナタにも、そんな相手がいるでしょう?」


 不意にバルドの顔が脳裏をよぎった。出会ってわずかな会話を交わしただけだったけれど、僕はもっとバルドに生き永らえてもらいたかった。もっと多くの時間を共有したかった。僕に考えるということを教えてくれたからだ。

 いや、違う。バルドの隣にいると、手を握られていると、とても心が落ち着くからだ。僕はバルドという光にかれていた。遠くから彼の姿を見かけた時から、ずっと。

 レナは僕の横顔を眺め、ふっと息を漏らした。


「アタシは生まれたばかりの赤子。他の星について知識はあるけど、つながりはほとんどない。最近亡くなった星なんて名前も知らないけど、それでも死んで良かっただなんて思わない。生きていようが死んでいようが構わない、とも思わない」


 同じよ、とレナが僕に微笑みかける。優しい声音が耳朶じだに響き、心が揺り動かされる。


「周りにどれだけ迷惑をかけようとも、アタシはアナタに死んでほしいと思わない。死んで清々するだなんて、もっと思わない。アナタのお友達なら尚更なおさら思うはずよ。アナタに死んでほしいと思っているのは、アナタだけよ」


 被害妄想なのだろうか。周囲の鬱陶うっとうしそうな視線も、つまらなそうな空気も、嫌悪感をあらわにした態度も、全て僕の幻覚なのだろうか。そうは思えない。だからこそ、僕は苦しんできたのだ。改善しようとしてきたのだ。けれど、叶わなかったのだ。


「納得できない?」

「……僕のことを嫌っている相手からすれば、僕がいなくなれば清々するんじゃないでしょうか」

「そんな相手、いるわけないじゃない。アナタ、ただの惑星でしょ? 恒星ならひがみの一つや二つあるでしょうけど、惑星なら有象無象うぞうむぞうと同じ。いてもいなくても変わらない。誰のマイナスにもならないわ。いなくなったところで気が付かれないのがオチよ」

「だったら――」

「勘違いしないで」


 地上が近付いてきた。水晶木の灯りが足元を照らしている。レナは僕の顔を見て、ぴしゃりと言い放つ。


「いてもいなくても変わらないからと言って、惑星が不要であるとは言っていない。アタシたちは他の星々を輝かせる責務がある。アナタたちが生きている姿を見て至上の幸福と感じるの。それが存在意義であり矜持きょうじでもあるからよ。それを奪うだなんて恩知らずもいいところね。恥を知りなさい」


 どうしてしかられているのだろう。答えはすぐにわかった。きっとレナが僕の身を本気で案じているからだろう。僕たちが生きる姿を見て幸せを感じるという言葉に嘘偽りがないからだろう。

 地球で生まれた僕からすれば、恒星である彼女は創造神に等しい存在だ。そんな彼女らの幸せを奪う行為は、即ち神への冒涜ぼうとくに等しい。どれだけ言い訳をしたところで、自ら命を落とす行為は卑劣な愚行でしかない。

 理屈はそうだ。けれど、僕はそれでも納得ができない。自殺に逃げる人生だってある。苦しみから脱したいと願った時、最も楽な方法を選んでいるだけなのだ。


「あ……」


 わかった。わかってしまった。だから、アルテミスは苦労をしたのかと僕に問うたのだ。命を投げ出すという楽な方法ではなく、もっと辛く苦しい、けれど命を投げ出さずに済む方法を模索したのかとたずねたのだ。

 もっと言えば、彼女はきっと僕の言葉を待っていたはずだ。どうすればいい、と僕が頼りにしてくることを願っていたのだ。

 ならば、兄もそうなのだろうか。僕に辛辣しんらつな言葉を吐いておきながら、実際には僕が助言を求めることを待っていたのだろうか。自発的に助言を与える勇気がなかったから。兄もまた、僕との関係性を変えたいと思っていたのではないだろうか。

 都合の良い方向に考え過ぎだ。けれど、もしそうだとしたら、と一縷いちるの希望が胸にともる。

 レナはふっと笑みを零した。


 9


 地上へ戻り水晶木すいしょうぎ小路こうじを抜けると、中庭には星々の姿が散見された。徐々にお開きになってきたのだろう。門へ向かう礼服の男女が見受けられた。


「おーい! ボクの愛しのプリンセスー!」


 嫌な声が聞こえた。階段へ続く小路こうじきびすを返そうとすると、左手首をつかまれた。恐る恐る振り返ると、満面の笑みを浮かべたアルテミスの姿があった。大人の色香いろか漂う純白のドレスと屈託のない笑顔は不釣り合いに見えるけれど、同時に心安らぐものがある。


「何よアナタ、そういう趣味?」

「誤解です」


 どういう趣味を想像したのかわからなかったけれど、とりあえず即座に否定した。これは悪癖あくへきではなく誠実な訴えであると判断してもらいたい。口許くちもとに手を当てて笑っているから、レナもわかっていることだろう。


「あれれ~? 浮気か~? このこの~☆」


 やはりこのテンションにはついてゆけない。そして、浮気だと思うならそのテンションはおかしい。


「親しき仲にも礼儀あり」


 僕たちの隣を通り過ぎ、レナが振り返りながら言う。


「アナタの星ではそう言うんでしょう? 縁が長続きする秘訣ね」


 レナは口許くちもとに微笑をたたえた。


「またお話ししましょう。今日はありがとう。楽しかったわ」


 手をひらひらと振ってレナが立ち去ってゆく。すぐさま他の星々に取り囲まれた彼女は面倒そうな表情を浮かべず、楽しそうに笑っている。僕にはそれが彼女の嫌いな愛想笑いのように見えた。彼女にも変化があったということだろうか。

 親しき仲にも礼儀あり。レナの言葉を反芻はんすうし、僕はアルテミスの手を振り払って正面から相対する。


「お、誓いの口づけかい? なら、目をつむろうかな~♡」

「ごめん」


 アルテミスが呆気にとられた様子で目を丸くする中、僕は構わず深々と頭を下げる。


「君に酷いことを言った……と思う。ごめん、正直頭に血が上って何を言ったかおぼえてないんだ。それでも……ごめん」

「……酷いことを言ったのはボクのほうさ。本当は……ううん、ただキミと楽しくお喋りしたかっただけなのにな」


 頭を上げると、アルテミスが困ったように眉尻を下げていた。その顔を見ると段々と冷静になってくる。ホールでの会話が鮮明によみがえる。


『知ったようなこと言うなよッ! 知る努力もしていないくせにッ! 親身になっているつもりが一番悪質なんだよッ!』


 アルテミスはショックを受けたのだろう。彼女の表情を思い出せばわかる。僕のためを想っていたはずなのに、僕から拒絶され切なくなったのだろう。

 それなのに彼女は健気にも僕を迎えに来て、平生へいぜいと変わらない冗談を口にして僕を気遣った。その気持ちに心が痛み、同時に和む。


「……僕も、同じだよ。君に教えてもらいたいことがあるんだ」


 小首を傾げるアルテミスから顔を逸らし、僕は上空を仰ぎ見る。遠い星々が僕たちを照らしてくれているように感じられた。あの中にレナもいるのだろうか。一点、リンゴのように赤く光る星が見えた。僕は思わずくすっと笑いをこぼす。


「僕は自分の弱さ、欠点というものを自覚している。だから、それを直したい。死ぬより辛い道が続くとしても、笑える未来に辿り着きたい」

「ボクに協力できることがあるのかな?」

「あるよ。だって君は、星の国の水先案内人なんだろう? なら、希望の星へと僕を連れて行ってほしい」


 アルテミスは目を輝かせ、やがて満面の笑みを浮かべた。


「ああ、一緒に行こう! キミの“在り方”を探す旅路へと!」



 第2章 了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る