2-4 宴の外で

 6


 中庭には誰もいなかった。門前では甲冑かっちゅう姿の騎士が万全たる警備に身を置いているけれど、城内には騎士の姿すら見当たらなかった。ここは王が律する支配圏。一歩足を踏み入れてしまえば、警備は不要ということなのだろう。

 青白くきらめく水晶木の小路こうじを抜けると城の裏側に出た。城壁が高くそびえるその手前にて、螺旋階段らせんかいだんが天へ向かって延びている。まるでガラス細工のようだ。銀河を透かして見たような半透明な螺旋らせんが一つのオブジェのように鎮座ちんざしている。

 段差を上る感触は硬質ガラスそのもので、足元を見下ろすと高所に対する恐怖よりも、まるで魔法の絨毯じゅうたんに乗っているかのような高揚感と浮遊感に包まれた。

 果てなき旅路のようだった。上れども上れども頭上の景色はまるで変わらず、引き返そうにも地上は既に小宇宙と化していた。水晶木や街灯が小さな光となって密集している。


何処どこに帰るというんだよ)


 引き返すも何も僕の居場所はここにない。地球への帰り方もわからなければ、そもそも帰りたいと望んでいるわけでもない。あそこもまた僕の居場所ではないのだ。

 では、僕は何処どこへ向かっているのだろう。何を探しているのだろう。


『良い旅路を――』


 バルドが遺した最期の言葉がよみがえる。まるで呪いだ。希望を宿した祝福のようでありながら、彼は僕という人間をこの世界へと縛り付けた。真理に到達するまで、僕は帰ることすら許されない。帰ろうという気概すら抱かせてもらえない。

 バルドが幾星霜いくせいそうもかけ、ようやく到達できた場所に僕が到達できるだろうか。生きているうちに叶うだろうか。いや、だからこそ彼は僕に呪いをかけたのかもしれない。地球とは異なる時が流れるこの場所で、僕に何かを伝えようとしている。何かをつかませようとしている。

 このまま元の世界に戻ることができたところで、僕の人生はすぐに終わる。用水路に飛び降りて、打ち所を悪くして命を落とす。そうでなくとも、たったの数十年で何ができるというのだろう。十余年生きてきて見出せなかった希望を、この先の人生で見出せるとは思えない。希望の光なんて、僕の人生には元々なかった。慈悲の光――生命いのちの炎すら僕には灯されていないのだ。


(ごめん、おじいさん……)


 謝罪は諦念ていねんの表れだ。何かを始めることに遅過ぎることなんてないと世間は言うけれど、そもそも始めることがなければ意味がない。面白いと思うことを探せと言うけれど、僕には見つけられなかった。見つけ出す前に心が壊れてしまったのだ。

 無に帰してしまった、とでも言うべきだろうか。心が先にってしまったからこそ、身体が後を追おうとしていたのだ。

 死者は生き返られない。心も同じだ。同じ心はよみがえらない。再び宿ったとしても、それは別の心だ。過去の僕はもういない。壊れた心は取り戻せない。

 だから僕はこの世界に迷い込んだのだろうか。既に心は死んでいるから、魂が集まるこの世界に立ち入ることを許されたのだろうか。だとすれば、僕に帰る手段なんてまずない。『帰る』という言葉自体正確ではない。僕はもう、終わるしかない。


 7 


 視界が開けた。螺旋階段らせんかいだんの最上段に到達したのだ。王城の屋上は円形の展望台になっており、中央には巨大な天体望遠鏡が置かれている。例によって、それも半透明の水晶で出来ており、銀河や星雲せいうん彷彿ほうふつとさせる色彩をていしている。通常、人間の可視領域ではとらえることのできないガスの色彩をこうして肉眼でとらえられるのは、人間である僕の特性をルナが認知しているからだろうか。カメラのフィルム越しに捉えた色彩を僕の視覚に伝達してくれているのかもしれない。あるいは、星の魂に刻まれている人間の記憶がルナに影響を及ぼしているのかもしれない。

 展望台と呼ぶには乏し過ぎる設備だ。もしかすると天体望遠鏡を模したオブジェなのかもしれない。そもそも地上から宇宙を見通せるこの世界に、遠くの星々を観測する装置が必要だとは思えない。

 展望台には先客がいた。螺旋階段らせんかいだんから正面の天体望遠鏡を挟んだ向こう側、欄干らんかんに両腕を乗せ、つまらなそうに遠い星々を眺めている。赤いタイトなドレスに身を包んだスレンダーな女性。わえられたピンクゴールドの長髪をほどき、風になびかせている。顔にかかった髪を手で払う仕草からは艶麗えんれいだけでなく、一抹いちまつ無常むじょうさが感じられる。

 見紛みまごうはずがない。先ほど王キウンから紹介されていた新たな恒星だ。僕は人見知りを発動し引き返そうとしたけれど、足音に気付いたらしい女性に振り向かれ、呆気なく逃亡を阻止された。視線が合ったことなど無視して立ち去れば良かったものの、なまめかしく微笑まれると会話しないわけにはいかなかった。僕は天体望遠鏡を回り込んで女性の眼前にまで歩み寄る。


「はじめまして。特等席だったのかしら?」

「いえ……僕も、初めて来ました」


 緊張する。間近で見ると美しさが桁違けたちがいだった。目鼻立ちが整っており、文句のつけどころがない。やや上がった目尻。透き通るような白い柔肌やわはだ。淡いピンクの口紅の上から星のようにきらめくグロスが塗られており、彼女の魅力をより一層際立たたせている。外見での差別は良くないけれど、彼女を贔屓ひいきしてしまう気持ちはわかる。性別に関係なく感じることだろう。美術品を目の前にした時のような感動があった。


「そう。アナタ、名前は?」

「……テラ、です」

「テラ。知ってるわ。太陽系惑星の一つでしょう?」

「はい、そうです。物知り、ですね」

「常識よ。アタシは恒星。アナタたち惑星とはレベルが違うのよ」


(あ、いけ好かないやつだ)


 僕は表情がくもるのを隠し、遠慮がちに愛想笑いを浮かべる。


「無理して笑って楽しい?」


 不意に放たれた台詞に僕は鼓動が跳ね上がった。眼前の女性は冷ややかな目で僕を見つめている。


「アナタも下の連中と同じなのね。アタシが恒星で、しかも万能で、更に美しいからってちやほやして、ごまをすって、文句さえも呑み込んで……つまらない星」


 つまらない――僕は表情が引きつってゆくのを感じた。この世界でも僕はつまらないのか。変わったと思っていたのに、それは錯覚さっかくだったのだろうか。バルドが僕に暗示をかけていただけだったのだろうか。やはり僕は呪われているだけなのではないだろうか。


「……つまらない、ですか」

「ええ、つまらないわ。つまらない話に愛想笑いして、つまらない時間を過ごして、つまらない生を歩んで、つまらない理由で死ぬ。そんなの生きてる意味ないじゃない」

「……だったら、どうすれば面白くなるんですか」

「輝けばいいのよ、アタシみたいに。恒星になるのは無理でも、美しく、口も達者に、誰からも好かれる能力を得ることは誰にでもできる。才能の問題じゃないのよ」

詭弁きべんです」


 僕は女性の発言を即座に否定していたことに気が付いた。自分自身戸惑いながらも、鋭く細められた女性の視線にうながされる形で、僕は訥々とつとつと続ける。


「……面白くなるのも、カッコ良くなるのも、誰からも好かれるように立ち回ることも、才能、です。生まれ持った能力が違うんです。できない人だって……います」

「何で人間の話してんのよ。アタシは星のこと言ってんだけど?」


 あ、と思うよりも先に彼女は続けた。


「ま、人間だろうと何だろうと同じだけどね。生まれ持った能力なんて関係ないわよ。環境のほうが大事ね。周りから否定され続ければ落ちぶれてゆく。逆に肯定され続ければ上昇してゆく。幸いアタシは恒星だったから、金魚のふんがたくさんいて助かったわ」


 彼女の周りを取り囲んでいた星々を思い出した。あれだけ笑っていたのにこれほど言われるとは、彼ら彼女らが不憫ふびんに思えた。


「自分がダメだって思ってるから本当にダメになるのよ。自己暗示って知ってる? 自分の想像を下回るのは簡単だけど上回るのは難しいの。できないと思っていたら、できることだってできなくなるのよ」

「そんなの……」

詭弁きべんだと思う? 試したの?」


 僕は言葉に詰まった。今まで面白くなろうと試してきた。けれど、それが正しい方法だったのかは定かではない。自分で考えた方法を試しただけだ。誰にも相談していない。話すのが恥ずかしかったからだ。僕は変わることよりも、変わろうとしていることを察知され馬鹿にされることを恐れていたのだ。

 そして、自分で考えた方法も最善手ではない。一番良いと思えた方法ですら実行を躊躇ためらってしまったのだ。勇気がなかった、と言えば簡単だけれど、実際には周囲の目を気にしていただけだ。僕は馬鹿にされることが、変化を受け入れてもらえないことを考えるのが怖かった。


「変わることって、アナタが思うよりも簡単なのよ。だって、考え方一つで変わるじゃない。すごく簡単。それができないのは何かがかせになっているからよ」

かせ?」


 そう、と言って彼女は水晶の欄干らんかんに両腕を預けて地上を見下ろした。水晶木や街灯がほたるのように光り、はかない雰囲気をかもし出している。


「頼りになる相手でも、生みの親でも、かせになるものよ。呪いのようにアナタの言動を縛り続ける。違う?」


 両親の顔が思い浮かんだ。兄の顔が思い浮かんだ。バルドの顔が思い浮かんだ。そんなはずない、とかぶりを振るけれど払拭ふっしょくできない。


「相手の全てがアナタに悪影響を及ぼすと言ってるわけじゃない。その要素も持っていると言いたいのよ。全員が全員、善ではない。相手の全てが正しいわけじゃない。間違ったことも言う。間違ったこともする。だからこそ、アタシたちは限りある命の中で真理を追い求めるんじゃない」

「真理……」


 女性は左隣に立つ僕をちらりと横目に見ると、ふふと妖艶ようえんに微笑んだ。


「アナタ、何も知らないのね。アタシよりもずっと長い年月を生きている星だって聞いていたのに、どっちが赤子だかわからないわ」

「す、すみません……」

「謝るくらいなら面白い話の一つでもしなさいよ」

「そんな無茶な……」


 戸惑う僕を見て、女性は口許くちもとに手を当てて愉快そうに笑った。初めて彼女の笑顔を見たような気がした。


「冗談よ。つまらなかった?」

「いえ、そんなことは……」

「なら笑いなさいよ」

「無茶苦茶だ……」


 女性はひとしきり笑うと、おもむろに僕へと向き直った。


「アナタ、名前は?」

「え……テラ、です」


 既視感どころの話ではなかった。タイムリープでもしたのだろうかと錯覚さっかくしてしまう。

 戸惑う僕とは対照的に、レナが不満そうに目を細める。


「何で名前をき返さないのよ」

「えっと……気にならなかったので」

「ガーン!」


(……古いな)


 平手でたれた。どうやら表情に出ていたようだ。ほおをさすり、螺旋階段らせんかいだんへ向かう彼女の背中を追いかける。


「あの、お名前は……?」

「レナゴールド」


(……リンゴみたいだな)


 彼女が振り返ると同時に僕は身構えた。殴られるかと思ったけれど、今回はセーフだったようだ。あるいは大仰おおぎょうな僕の防御態勢を見て、呆れたのかもしれない。


「レナでいいわ」

「『金さん』でいいですか?」

「何で?」


 強くにらまれた。冗談が通じなかったようだ。どうやら僕は今のセンスを全て捨てたほうがいいのかもしれない。絶望的につまらないということが改めて証明された。

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