2-4 宴の外で
6
中庭には誰もいなかった。門前では
青白く
段差を上る感触は硬質ガラスそのもので、足元を見下ろすと高所に対する恐怖よりも、まるで魔法の
果てなき旅路のようだった。上れども上れども頭上の景色はまるで変わらず、引き返そうにも地上は既に小宇宙と化していた。水晶木や街灯が小さな光となって密集している。
(
引き返すも何も僕の居場所はここにない。地球への帰り方もわからなければ、そもそも帰りたいと望んでいるわけでもない。あそこもまた僕の居場所ではないのだ。
では、僕は
『良い旅路を――』
バルドが遺した最期の言葉が
バルドが
このまま元の世界に戻ることができたところで、僕の人生はすぐに終わる。用水路に飛び降りて、打ち所を悪くして命を落とす。そうでなくとも、たったの数十年で何ができるというのだろう。十余年生きてきて見出せなかった希望を、この先の人生で見出せるとは思えない。希望の光なんて、僕の人生には元々なかった。慈悲の光――
(ごめん、おじいさん……)
謝罪は
無に帰してしまった、とでも言うべきだろうか。心が先に
死者は生き返られない。心も同じだ。同じ心は
だから僕はこの世界に迷い込んだのだろうか。既に心は死んでいるから、魂が集まるこの世界に立ち入ることを許されたのだろうか。だとすれば、僕に帰る手段なんてまずない。『帰る』という言葉自体正確ではない。僕はもう、終わるしかない。
7
視界が開けた。
展望台と呼ぶには乏し過ぎる設備だ。もしかすると天体望遠鏡を模したオブジェなのかもしれない。そもそも地上から宇宙を見通せるこの世界に、遠くの星々を観測する装置が必要だとは思えない。
展望台には先客がいた。
「はじめまして。特等席だったのかしら?」
「いえ……僕も、初めて来ました」
緊張する。間近で見ると美しさが
「そう。アナタ、名前は?」
「……テラ、です」
「テラ。知ってるわ。太陽系惑星の一つでしょう?」
「はい、そうです。物知り、ですね」
「常識よ。アタシは恒星。アナタたち惑星とはレベルが違うのよ」
(あ、いけ好かないやつだ)
僕は表情が
「無理して笑って楽しい?」
不意に放たれた台詞に僕は鼓動が跳ね上がった。眼前の女性は冷ややかな目で僕を見つめている。
「アナタも下の連中と同じなのね。アタシが恒星で、しかも万能で、更に美しいからってちやほやして、ごまをすって、文句さえも呑み込んで……つまらない星」
つまらない――僕は表情が引きつってゆくのを感じた。この世界でも僕はつまらないのか。変わったと思っていたのに、それは
「……つまらない、ですか」
「ええ、つまらないわ。つまらない話に愛想笑いして、つまらない時間を過ごして、つまらない生を歩んで、つまらない理由で死ぬ。そんなの生きてる意味ないじゃない」
「……だったら、どうすれば面白くなるんですか」
「輝けばいいのよ、アタシみたいに。恒星になるのは無理でも、美しく、口も達者に、誰からも好かれる能力を得ることは誰にでもできる。才能の問題じゃないのよ」
「
僕は女性の発言を即座に否定していたことに気が付いた。自分自身戸惑いながらも、鋭く細められた女性の視線に
「……面白くなるのも、カッコ良くなるのも、誰からも好かれるように立ち回ることも、才能、です。生まれ持った能力が違うんです。できない人だって……います」
「何で人間の話してんのよ。アタシは星のこと言ってんだけど?」
あ、と思うよりも先に彼女は続けた。
「ま、人間だろうと何だろうと同じだけどね。生まれ持った能力なんて関係ないわよ。環境のほうが大事ね。周りから否定され続ければ落ちぶれてゆく。逆に肯定され続ければ上昇してゆく。幸いアタシは恒星だったから、金魚の
彼女の周りを取り囲んでいた星々を思い出した。あれだけ笑っていたのにこれほど言われるとは、彼ら彼女らが
「自分がダメだって思ってるから本当にダメになるのよ。自己暗示って知ってる? 自分の想像を下回るのは簡単だけど上回るのは難しいの。できないと思っていたら、できることだってできなくなるのよ」
「そんなの……」
「
僕は言葉に詰まった。今まで面白くなろうと試してきた。けれど、それが正しい方法だったのかは定かではない。自分で考えた方法を試しただけだ。誰にも相談していない。話すのが恥ずかしかったからだ。僕は変わることよりも、変わろうとしていることを察知され馬鹿にされることを恐れていたのだ。
そして、自分で考えた方法も最善手ではない。一番良いと思えた方法ですら実行を
「変わることって、アナタが思うよりも簡単なのよ。だって、考え方一つで変わるじゃない。すごく簡単。それができないのは何かが
「
そう、と言って彼女は水晶の
「頼りになる相手でも、生みの親でも、
両親の顔が思い浮かんだ。兄の顔が思い浮かんだ。バルドの顔が思い浮かんだ。そんなはずない、と
「相手の全てがアナタに悪影響を及ぼすと言ってるわけじゃない。その要素も持っていると言いたいのよ。全員が全員、善ではない。相手の全てが正しいわけじゃない。間違ったことも言う。間違ったこともする。だからこそ、アタシたちは限りある命の中で真理を追い求めるんじゃない」
「真理……」
女性は左隣に立つ僕をちらりと横目に見ると、ふふと
「アナタ、何も知らないのね。アタシよりもずっと長い年月を生きている星だって聞いていたのに、どっちが赤子だかわからないわ」
「す、すみません……」
「謝るくらいなら面白い話の一つでもしなさいよ」
「そんな無茶な……」
戸惑う僕を見て、女性は
「冗談よ。つまらなかった?」
「いえ、そんなことは……」
「なら笑いなさいよ」
「無茶苦茶だ……」
女性はひとしきり笑うと、おもむろに僕へと向き直った。
「アナタ、名前は?」
「え……テラ、です」
既視感どころの話ではなかった。タイムリープでもしたのだろうかと
戸惑う僕とは対照的に、レナが不満そうに目を細める。
「何で名前を
「えっと……気にならなかったので」
「ガーン!」
(……古いな)
平手で
「あの、お名前は……?」
「レナゴールド」
(……リンゴみたいだな)
彼女が振り返ると同時に僕は身構えた。殴られるかと思ったけれど、今回はセーフだったようだ。あるいは
「レナでいいわ」
「『金さん』でいいですか?」
「何で?」
強く
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