2-3 そう簡単に変われない

 4


 城内は白を基調とした空間が広がっていた。まずサッカーコートよりも広い大ホールに出迎えられ、五階建ての吹き抜け構造に圧倒された。ドーム状になっている天井には窓ガラスがはめ込まれ、宇宙空間が直に広がっている。天井からぶら下がる暖色のシャンデリアが豪奢ごうしゃさに拍車をかけ、僕は文字通り言葉を失った。

 大ホールの先には謁見えっけんの間へつながる大階段が続いており、その上には巨大なステンドガラスが壁に埋め込まれている。抽象的な意匠いしょうのためモチーフがわからないけれど、目を奪われるという事象を初めて体験した。

 白い水晶で出来た円卓がいくつも並び、星々がグラス片手に歓談している。シャンパンだろうか。グラス内で気泡が弾け、シャンデリアの光に当てられ煌々こうこうと輝いている。円卓上には地球でよく見られるようなパーティー料理から、見たことのない異形いぎょうの料理まで並んでいた。


「じゅるる……間違ってキミのことまで食べてしまったらごめんヨ☆」


 先ほどまでの険悪な雰囲気などどこ吹く風というように、僕はアルテミスに連れられる形で近くの円卓へと向かった。アルテミスの冗談など耳にも入らず辺りをキョロキョロと見回していると、ドンと何者かに衝突した。咄嗟とっさに「すみません」と口にして前を向くと、黒い壁に出迎えられた。


(壁?)


 ではなく男性の鳩尾みぞおちだった。おもてを上げると、グラスを手にした口髭くちひげの男性が目を細めながらこちらを見下ろしていた。人間で言えば、よわいは三十代半ばだろうか。前髪を真ん中で分け、ラウンド型の眼鏡を掛けている。一見すると誠実そうな印象だけれど、両耳に光るピアスと右手に光る複数の指輪がそれを打ち消した。他の星々と同様にタキシード姿なのだけれど、空いた手で脱いだジャケットを肩に掛けている。

 口髭くちひげの男性は身をかがめる形で僕の顔をのぞき込んだ。百九十センチ以上はあろうかという長身だった。


「んー? 何か用?」


 僕の声が聞こえていなかったようだ。改めて「すみません」と言うと、しかし男性は再び首を傾げた。


「んー? 何? 聞こえない」


 余程委縮いしゅくしているのだろう。自分のことながら情けない。けれど、相手の感情を把握できない以上慎重になるのは当然だろう。僕は人見知りなのだから、こんな風に圧をかけられてしまえばへびにらまれたかえるごとく身動きがとれない。

 既に僕の手を解放しているアルテミスに救いの眼差しを向けると、リスのようにほおふくらませ、おどろおどろしい見た目の肉を口にしながらきょとんとしていた。『何?』とでも言いたげな表情だったけれど、僕のほうこそ『何だその肉』と問い返したい。


「見ない顔だな。誰だオマエ?」

「ぼ、僕は……」


 おびえる僕を見下ろし、口髭くちひげの男性はグラスを円卓に置き、あごに手を添えた。値踏みするような視線が僕を硬直させる。

 今まで他の星々に会う機会はあったけれど、その時はアルテミスが率先して会話を進めてくれたからこそ、僕も円滑にコミュニケーションをとることができた。逆に、彼女がいなければ僕は無力だ。コミュニケーションを数値化できたとすれば、一から十にはできるけれど、ゼロからイチにする力はない。コミュニケーション創造能力がゼロなのだ。


「んー? もごもご言ってたらわかんねェだろ。はっきり言えよ」


 遂に僕は言葉を失った。顔面蒼白となり、この場へやって来たことを後悔し始めた矢先、ようやく謎の肉を吞み込んだアルテミスが会話に合流した。


「やあ! 彼はテラ! ボクのフィアンセさ!」

「んー? フィアンセ? 動物の真似事かよ」


 呆れた様子で男性が言う。僕とアルテミスを交互に見遣り、目を細める。


「ボクはアルテミス! キミの名前を教えてくれるかい?」

「んー? オレはグレオマイトス」

「よろしく、オマール!」


 エビかな?


「グレンでいい」


 グレンと名乗った男性は眼鏡をくいっと持ち上げ、再び僕の顔をのぞき込んだ。


「まさかこいつが今日の主役か?」

「まさか! そんなうつわに見えないだろう?」

「まあな」


(こいつ……!)


 アルテミスへの怒りが膨れ上がってゆく。彼女に悪意はないけれど、それ故に残酷だった。

 グレンはグラスを手に取り、一気にあおった。


「テメエの意思も伝えられねェような奴がよくここに入れたな」

「来る者拒まず、だよ。彼に王への害意はない」

「害意どころか意思もねえんじゃねェの?」

「口下手なだけさ。会話を重ねていけば、キミとも仲良くなれるよ」

「誰かの手を借りねェと仲良くなれねェような奴とつるむ気はねェよ」


 グレンはグラスを円卓に置くと、僕たちに背を向け、ひらひらと手を振った。


「そこのお坊ちゃんは外の甲冑おにんぎょうと同じだよ」


 5


 定刻になるとルナの王、キウンが謁見えっけんの間より姿を現した。他の星々と同様に上質なタキシードに身を包み、その上から王の象徴たる銀河を模した外套がいとうを羽織っている。りの深い顔立ちをしており、髪の毛は黒く、僕と同じようにオールバックとなっている。五十代半ばの男性と思しき外見をしており、想像よりも若い。けれど、荘厳なたたずまいから放たれる物腰の強い祝辞しゅくじは、彼が王たる器であることを如実にょじつに表していた。


「本日は目出度めでたき日である。新たな命の誕生に祝杯を。そして、宇宙を照らす輝きに感謝を」


 王がさかずきを掲げると、割れんばかりの拍手が鳴り響いた。王の隣に立つ女性がうやうやしく頭を垂れる。彼女が本日の主役なのだろう。スレンダーな体型をしており、赤いタイトなドレスが彼女の曲線美を際立たせている。


「新たな光が生まれると共に、眠りについた者がいることも忘れてはならない。彼らは生命いのちの炎を辿り、真理へと到達した。彼らがのこしたものは我らのかてとなり、未来永劫みらいえいごう共に在り続けてゆく」


 王が瞑目めいもくすると、皆もそれにならい、光の中へとかえっていった星の魂に祈りを捧げた。

 目を開き、王は深い哀しみを声音に乗せる。


「魂をいたみ、たたえることこそ命の矜持きょうじ。彼らの教えに今こそ感謝を」


 王の台詞に呼応する形で拍手が鳴り響く。この時ばかりはアルテミスも食事を止め、壇上に注目していた。僕の素性を隠匿いんとくしていながらも、彼女は王に敬意を払っているのだろう。


「今宵は存分に楽しみたまえ」


 王が壇上の椅子に座るなり、城内に活気が戻って来た。壇上には星々が集まり、王や隣の女性はあっという間に階下から見えなくなった。

 アルテミスが食事を再開する。今度は謎の固形物にかじりついている。水晶のように透き通っており――というよりも、ただの水晶のように見えたけれど、僕は疑問を呑み込んだ。代わりに別の疑問をていする。


「……変な感じだよ。祝いととむらいを同時にやるなんて」

「そうかな? 彼らへ向ける想いは同じだよ」


 アルテミスが手を止めずに僕の問いに答える。


「積み重ねがあるかどうか、歴史が長いかどうか、それだけの違いさ。共に在ることに変わりはない。与えるも求めるも自分たち次第。ボクたちは同じ星の魂でしかない。だからこそ上も下もない。目覚めた生も眠りについた生も、たっとぶべき同じ命という考え方なのさ」

「……人間とは違う考え方だ」


 僕は自嘲気味じちょうぎみに笑い、床を見つめる。


「人間は誰が上とか、誰が偉いとか、そんなことばかりだよ。『みんな違ってみんないい』とか言うけれど、それは『上』の人間の戯言ざれごとでしかない。『下』の人間のことは愛玩動物あいがんどうぶつのようにしか見ていない……尊重なんて、していない」


 僕は劣等感で死にそうだというのに、本気で悩んでいるというのに、そんな上っ面の言葉で解決できるわけがない。

 人生に空虚さを感じる原因は僕のつまらなさにある。周りの人間が万能に見えるからこそ、相対的に僕の人生がつまらなく見える。周りに僕と同じような人間しかいなければ、僕は自身のうつろさなど気付かなかっただろう。


「どうして人間はそういう考えをするんだい?」


 アルテミスは別段驚いた様子もなく、まるで保健室のカウンセラーのように微笑をたたえていた。僕の悩みなど取るに足らない些細なことだと、自分なら包み込んであげられると確信しているような表情だ。

 嫌いだ。僕のことなんて何一つ知らないくせに、わかったような顔をされるのが一番腹立たしい。こういうネガティブな思想すら『しょうもない』と思っているのだろう。『自分なら解決できる』と確信している人間ほど信用ならないものはない。無力感を抱いたことがないのだろうと感じられるからだ。

 僕は不快感を胸の内に押し込み、疑問へと答える。


「……人間には、欲があるからだよ。睡眠欲、食欲、性欲。それに加えて承認欲求とか物欲とか。みんな精一杯なんだよ。資源獲得とか利権獲得とか、自分の領土とか人生を守るのに。下に見られたくない、しいたげられたくない、安心して暮らしたい……不安なんだよ。奪われることが、生きられないことが、無になることが」

「だから、人間はまるでれ物のように故人を扱うのかい? 自分たちが奪い取った命かもしれないから。罪悪感というやつかな」

「そこまで言っていないけれど……」

「キミはなかなか劣等感が強いようだ」


 アルテミスは咀嚼そしゃくしていたものをごくりと呑み込み、僕へ向かい横目に視線を向ける。不敵な笑みに背筋がぞわりとする。


「死を恐れているのに、死を求めている。自分の空虚さに気付いていながら、それを他人ひとのせいにしている。自分が弱者だからと言い訳をして、強者である周囲に憎悪を振り撒いているように見える。一見すると自分を被害者のように見せかけているけれど、『弱者イコール被害者』という図式は都合の良い考え方ではないかい?」

「……何が、言いたいの?」

「キミは人間そのものだということだよ。さっき説明してくれたような、ね」


 僕は怒りが沸々ふつふつき起こってゆくのを感じた。和気藹々わきあいあいとした周囲の空気すら耳に入らず、痛いくらいの静寂が耳に張り付いた。激情が五感を殺している。


「……僕が、みにくいって言いたいわけ?」

「まさか! ボクは人間が大好きさ! 良いところも悪いところも含めて、ね」


 アルテミスは琥珀色こはくいろのグラスを手に取り、口につける。細かな泡が弾けて消える。


「奪われたくない、無になりたくないと思うことはおかしいことじゃない。けれど、死が『無』に直結するという考え方には疑問を感じざるを得ない。それはわかっているだろう? 今のキミなら」


 バルドの顔が脳裏によぎる。否定すれば、バルドに顔向けできない。


「キミは客観的に物事を考えられている気でいるけれど、実際にはそれこそが主観的だと気付いているかい? 自身の欠点に気が付きながら克服こくふくできないのは、それが主観に基づく考えでしかないからだよ。客観的な対処法がわかっていないのさ」

「……何が言いたいんだよ。僕を嘲笑あざわらいたいの? 優越感に浸って、満足したいの?」

「そんな」


 アルテミスは首を横に振った。一瞬だけれど瞳に寂しげな色が宿った。


「自分を見つめ直してもらいたいだけさ。せっかく常識の埒外らちがいにまでやって来たのだから、新しい価値観に触れない手はないだろう? 考えるというのはそういうことではないのかい? 絶対に正しい者なんていない。絶対に間違っている者もまたいない。だからこそ多くの考えに触れ、自分の頭で考え、納得できる答えを出す。人間はそうやって生きてきたはずだ」


 人間、という単語が出ても尚、周囲の星々は見向きもしなかった。他の銀河にも人間という種族はいるのだろう。あるいは歓談に夢中で会話の内容に気付かなかっただけなのかもしれない。


「……人間は、そう簡単に変われない。考えるようにしたって限界がある」

「限界なんて更新すればいいだろう? そうでなければ行き止まりにぶつかるだけだよ」

「簡単に言うけれど――」

「簡単にいくとは思っていないよ。どうして楽しようとするんだい? 簡単にいかないのであれば苦労すればいいだけじゃないか。それが辛いと思うほど、キミは苦労をしたのかい?」

「……苦労したよ。変わろうと思っていろいろやったけれど、結局駄目だった。面白くもなれないし、頭良くもなれない。むしろ、みんなが創り上げた空気を壊すだけのお荷物なんだよ」

「キミの言い分はよくわかるけれど、命を投げ出す以上の苦労をしたのかい?」


 視界が一瞬明転した。気絶したのかと思ったけれど、五感が全てシャットアウトされたようだった。

 目の前に映るアルテミスは目を丸くしていた。きっと僕は彼女に酷いことを言ったのだろう。けれど、数秒前の出来事が思い出せない。頭に血が上っていたのだろう。

 周囲の星々が皆、僕に視線を向けている。顔が熱い。耳が熱い。恥ずかしい。

 図星を突かれて激怒するなんて、僕の精神年齢は自分が思っていたよりもずっと幼いようだ。

 僕はアルテミスに背を向け、その場から逃げ出すように駆け出した。人込みもとい星々をかき分けてホールから出ようとしたところで、大きな壁のような星にぶつかったけれど、謝罪もそこそこに無我夢中で扉から出て行った。

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