1-4 思考の旅路

 5


「今更だがね」


 バルドの声は僕の耳へとじかに伝わった。またたきする間にルナへと戻ってきた。小高い丘の岩の上に座っている。左隣でバルドは微笑み、僕の手を握り締めている。


「星の記憶を巡る旅はお気に召しましたか?」


 バルドがうやうやしく帽子を外す。意地悪されたような心地になり手を放そうとするけれど、彼は許してくれなかった。


「離れてはならない。そう言っただろう?」

「……もう、星の記憶から帰ってきました。危険は、ないはずです」

「我が子に最期を看取られる人間がとてもうらやましい、とも言っただろう?」


 途端にバルドの身体が淡い光に包み込まれた。ほたるのような小さな光がバルドの手から僕へと伝わってくる。とても温かく、満たされた気持ちになる。

 僕は不安になってバルドの目を見つめた。すると、僕の考えを察知したのだろう、バルドは目尻のしわを濃くした。


「ワタシは無くならないよ。そこに“在る”だけで生きてはいない。宇宙空間を漂うちりとなるのさ」

「けれど、身体が……消え始めています」

生命いのちの炎は消えた。間もなくワタシの魂は消え失せるだろう」


 バルドの指先が光に包み込まれ、徐々に溶けていった。天上へ向かう光の球はまるで魂を連れてゆく天使のようだった。


「おじいさん……!」


 僕はバルドの手を包み込むように両手で握り締めた。バルドが目を丸くする姿を初めて目の当たりにした。すぐさま柔和な表情を浮かべ、バルドは帽子を僕の頭へとせる。サイズが合わず、視界の半分がつばで隠れた。


「……嬉しいはずなのに、とても哀しい。悲願だったはずが、どうしてだろうね」

「僕は、わからない……おじいさんが、どうしてそんな風に笑っていられるのか。人間を責めずにいられるのか。死の間際なのに、どうして僕を気遣うようなことばかり言うのか。僕は、おじいさんの子供じゃないのに……おじいさんに、嘘をいているのに……!」

「嘘なんてものは、知られていれば嘘ではなくなるのだよ」


 ハッとおもてを上げると、バルドと視線が合った。透き通るようなあお。はじめからずっと、バルドには全て見透かされていた。


「ありがとう――人の子よ」


 バルドは僕の手を放し、岩の上から降りた。


「待って――!」


 おじいさんが消えてしまう。焦燥感に背を押され、僕は岩から飛び降りた。芝の上で不格好にバランスを崩し、しかしすぐさまバルドの背中を追いかける。

 僕の気配を察知したのだろう、バルドが立ち止まり背中越しに言う。


「ルナは星の歩みを見つめる観覧席でありながら、星の最期を看取る葬儀場でもある。星の生を、歩みを、過ちを、喜びを、幸せを、次の世代へとつなげるための場所なのだよ。そうして命はつなげられてゆく。星も、星に生きるものも同じ。我々は命をつなぐことで、在り続けてゆくのだよ」


 バルドの足元が光にすくわれ、消失する。膝から下が無くなり、バルドはうつぶせに倒れた。僕はすかさずバルドの身体を抱えて起こす。バルドの顔は青白く、息も絶え絶えだった。髪の毛は乱れ、命の終わりが垣間見かいまみえた。

 先ほどまで頼もしく感じられていた存在が酷くはかなく感じられ、僕は目頭が熱くなるのを感じた。バルドがこんな看取られ方を望んでいるはずがないのに、僕はほおを伝う輝きを堪え切れなかった。


「ぁ……わ、わかりません……命をつないだところで、何の意味があるんですか……? 未来なんて、僕には関係ない。つないだ先の未来に、僕の幸せは……ないん、です」


 僕は生きたがっているのだろうか。それとも、バルドの死に納得がいかないだけなのだろうか。前向きになりたい気持ちの裏返しなのだとすれば、婉曲的えんきょくてきにもほどがある。


「ワタシは幸せだよ。キミが笑う未来へつなげられるのなら」


 僕はハッとし、すぐにうつむく。中折れ帽がずれ、目元が隠れる。


「……僕は、幸せになれる予感がしない。おじいさんのように、命を与えられる権利もない」

「ならば、考えなさい。その権利があるのだから」

「わからないです……僕には、どうすればいいのか、わかりません。考えようとしても、悪いことばかり……卑下することばかり浮かぶんです。どうして……どうして、僕は生きているんだろう、って。どうせ死ぬのに。どうせ無くなるのに。どうせ何もできないのに、どうして、僕は……生き続けるんだろう、って」

「わからないならば、他者を頼りなさい。ここにも、いるだろう?」


 バルドの片腕が完全に消失した。両膝の先も全て消え、頭の一部も光に包まれている。


「ワタシが生き続けてきたのは――」


 バルドは口許くちもとほころばせた。


「こうしてキミとお喋りするためだよ」


 僕が顔を上げると、バルドは目を線にして笑んだ。白い歯を見せつけるように屈託のない笑顔を見せつけてきた。初めて見る表情なのに、どこか懐かしい想いを抱いた。

 そんなわけあるはずがない。出会ったばかりの星が僕を目的として生きてきたなど、都合が良過ぎる。なぐさめるにしても下手過ぎる。

 けれど、言葉の真偽など問題ではなかった。彼が僕に向ける感情は紛れもなく真実で、僕が彼に向ける感情もまた紛れもなく真実だった。それさえわかれば、僕は言葉をつなげられる。


「ぁ……あ……」


 口を何度か開閉させ、ようやく絞り出した声は言葉にすらなっていなかった。やっとのことで紡いだ言葉は、酷くつたなく、けれど嘘偽りのない想いだった。


「僕、も……おじいさんと、話すために、生き続けてきたんだと、思いたいですッ……! そう、思っても……いいですか……?」


 バルドは勢い良く起き上がったかと思うと、残された片腕で僕の身体を強く抱き締めた。ぎゅっと背中を握り締める手が少し痛くて、とても熱くて、すごく――嬉しい。


「考えなさい。命の価値はキミ自身が決めるのだよ。だが……ワタシは、至上の幸福を手に入れた。キミはもう、与え方を――輝き方を知っている」


 バルドの声は震えていた。背中に回した手も僅かに震えている。


「命とは、他と交わり、関わり合うものだ。その目的が何かと問われれば、幸福になるためとしか答えられない。キミもまた幸福になる権利を、可能性を与えられている。それを決して……決して手放さないでほしい」

「僕の幸福は、他人ひとの不幸につながっていませんか……? 僕は、奪う側の人間になるくらいなら――」

「考えなさい。キミにはまだ時間が残されているのだから。思考を放棄することは人間の権利を放棄することに等しい。それは人間であることを捨てたも同義。キミの言葉を借りるなら、人間である必要性がないのだよ」

「人間である、必要性……」


 バルドは耳元でささやく。


「ワタシは、人間が好きだ。良いことも悪いことも、自らの頭で考えられる。ワタシが知り得ぬことを生み出してくれる。教えてくれる」

「……僕にも、おじいさんに教えられることができますか? 教えられてばかりの僕が……」

「できるさ。キミたちは可能性を与えられているのだから。一生涯をかけて教えてほしい。キミが思考の果てに到達した真理を。キミがどうして生き続けるのか。どうして世界に在り続けるのか。どうして命をつなぎ続けてゆくのか」


 いや、とバルドは自らの言葉を否定する。


「これからのキミの話を聞かせてほしい。ワタシとのお喋りを終えて、キミが次に選び取る道を、必ず」

「……はい。今は、何も思いつかないけれど、必ず、お聞かせします。だから、おじいさんも……どうか必ず、聞きに来てください」

「無論さ。これが、ワタシの到達した真理――キミとの“在り方”なのだから」


 バルドの全身が光に包み込まれてゆく。天に昇る光を尚も抱き締めながら、僕は両目を強くつむる。バルドを決して放さないように、決して寂しい想いをさせないように。


「ありがとう、テラ」


 バルドの声が辺りに響く。アルテミスも僕たちの様子をずっと静観していた。笑顔とも無表情とも言えない、複雑な表情を浮かべている。


「良い旅路を――」


 そして、バルドの名は墓標に刻まれた。

 


 第1章 了

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