1-4 思考の旅路
5
「今更だがね」
バルドの声は僕の耳へと
「星の記憶を巡る旅はお気に召しましたか?」
バルドが
「離れてはならない。そう言っただろう?」
「……もう、星の記憶から帰ってきました。危険は、ないはずです」
「我が子に最期を看取られる人間がとても
途端にバルドの身体が淡い光に包み込まれた。
僕は不安になってバルドの目を見つめた。すると、僕の考えを察知したのだろう、バルドは目尻の
「ワタシは無くならないよ。そこに“在る”だけで生きてはいない。宇宙空間を漂う
「けれど、身体が……消え始めています」
「
バルドの指先が光に包み込まれ、徐々に溶けていった。天上へ向かう光の球はまるで魂を連れてゆく天使のようだった。
「おじいさん……!」
僕はバルドの手を包み込むように両手で握り締めた。バルドが目を丸くする姿を初めて目の当たりにした。すぐさま柔和な表情を浮かべ、バルドは帽子を僕の頭へと
「……嬉しいはずなのに、とても哀しい。悲願だったはずが、どうしてだろうね」
「僕は、わからない……おじいさんが、どうしてそんな風に笑っていられるのか。人間を責めずにいられるのか。死の間際なのに、どうして僕を気遣うようなことばかり言うのか。僕は、おじいさんの子供じゃないのに……おじいさんに、嘘を
「嘘なんてものは、知られていれば嘘ではなくなるのだよ」
ハッと
「ありがとう――人の子よ」
バルドは僕の手を放し、岩の上から降りた。
「待って――!」
おじいさんが消えてしまう。焦燥感に背を押され、僕は岩から飛び降りた。芝の上で不格好にバランスを崩し、しかしすぐさまバルドの背中を追いかける。
僕の気配を察知したのだろう、バルドが立ち止まり背中越しに言う。
「ルナは星の歩みを見つめる観覧席でありながら、星の最期を看取る葬儀場でもある。星の生を、歩みを、過ちを、喜びを、幸せを、次の世代へとつなげるための場所なのだよ。そうして命は
バルドの足元が光に
先ほどまで頼もしく感じられていた存在が酷く
「ぁ……わ、わかりません……命をつないだところで、何の意味があるんですか……? 未来なんて、僕には関係ない。
僕は生きたがっているのだろうか。それとも、バルドの死に納得がいかないだけなのだろうか。前向きになりたい気持ちの裏返しなのだとすれば、
「ワタシは幸せだよ。キミが笑う未来へ
僕はハッとし、すぐに
「……僕は、幸せになれる予感がしない。おじいさんのように、命を与えられる権利もない」
「ならば、考えなさい。その権利があるのだから」
「わからないです……僕には、どうすればいいのか、わかりません。考えようとしても、悪いことばかり……卑下することばかり浮かぶんです。どうして……どうして、僕は生きているんだろう、って。どうせ死ぬのに。どうせ無くなるのに。どうせ何もできないのに、どうして、僕は……生き続けるんだろう、って」
「わからないならば、他者を頼りなさい。ここにも、いるだろう?」
バルドの片腕が完全に消失した。両膝の先も全て消え、頭の一部も光に包まれている。
「ワタシが生き続けてきたのは――」
バルドは
「こうしてキミとお喋りするためだよ」
僕が顔を上げると、バルドは目を線にして笑んだ。白い歯を見せつけるように屈託のない笑顔を見せつけてきた。初めて見る表情なのに、どこか懐かしい想いを抱いた。
そんなわけあるはずがない。出会ったばかりの星が僕を目的として生きてきたなど、都合が良過ぎる。
けれど、言葉の真偽など問題ではなかった。彼が僕に向ける感情は紛れもなく真実で、僕が彼に向ける感情もまた紛れもなく真実だった。それさえわかれば、僕は言葉を
「ぁ……あ……」
口を何度か開閉させ、
「僕、も……おじいさんと、話すために、生き続けてきたんだと、思いたいですッ……! そう、思っても……いいですか……?」
バルドは勢い良く起き上がったかと思うと、残された片腕で僕の身体を強く抱き締めた。ぎゅっと背中を握り締める手が少し痛くて、とても熱くて、すごく――嬉しい。
「考えなさい。命の価値はキミ自身が決めるのだよ。だが……ワタシは、至上の幸福を手に入れた。キミはもう、与え方を――輝き方を知っている」
バルドの声は震えていた。背中に回した手も僅かに震えている。
「命とは、他と交わり、関わり合うものだ。その目的が何かと問われれば、幸福になるためとしか答えられない。キミもまた幸福になる権利を、可能性を与えられている。それを決して……決して手放さないでほしい」
「僕の幸福は、
「考えなさい。キミにはまだ時間が残されているのだから。思考を放棄することは人間の権利を放棄することに等しい。それは人間であることを捨てたも同義。キミの言葉を借りるなら、人間である必要性がないのだよ」
「人間である、必要性……」
バルドは耳元で
「ワタシは、人間が好きだ。良いことも悪いことも、自らの頭で考えられる。ワタシが知り得ぬことを生み出してくれる。教えてくれる」
「……僕にも、おじいさんに教えられることができますか? 教えられてばかりの僕が……」
「できるさ。キミたちは可能性を与えられているのだから。一生涯をかけて教えてほしい。キミが思考の果てに到達した真理を。キミがどうして生き続けるのか。どうして世界に在り続けるのか。どうして命を
いや、とバルドは自らの言葉を否定する。
「これからのキミの話を聞かせてほしい。ワタシとのお喋りを終えて、キミが次に選び取る道を、必ず」
「……はい。今は、何も思いつかないけれど、必ず、お聞かせします。だから、おじいさんも……どうか必ず、聞きに来てください」
「無論さ。これが、ワタシの到達した真理――キミとの“在り方”なのだから」
バルドの全身が光に包み込まれてゆく。天に昇る光を尚も抱き締めながら、僕は両目を強く
「ありがとう、テラ」
バルドの声が辺りに響く。アルテミスも僕たちの様子をずっと静観していた。笑顔とも無表情とも言えない、複雑な表情を浮かべている。
「良い旅路を――」
そして、バルドの名は墓標に刻まれた。
第1章 了
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