1-3 到達点
4
赤土の大地に降り立つと、途端に周囲の景色が目まぐるしく変動し始めた。歴史の授業で習うような恐竜によく似た生物が活発に動き回っているかと思うと、大津波が発生し、辺りは一面水底に沈んでいった。僕たちは水面の上に浮かんでいて、周囲には波紋が広がっている。
「永遠の命などない。死は生まれた瞬間から定められている。だからこそ、生きることは尊く、死を恐れるばかりでは不幸に
バルドが水面を駆けてゆく。僕も引っ張られて駆けてゆく。波紋が綺麗に連なり、まるで装飾品のように水面上に
陸地に辿り着くと、そこには人間が住むような住居が散見された。日本で言えば縄文時代頃だろうか。高床式倉庫には見覚えがある。
(あれは……人間?)
住居から人間と思しき生物が二足歩行で出てきたかと思うと、それは装いを変え、すぐさま現代風の格好になった。僕の服装によく似ている。この星にも人間社会と文明があったのだろうか。
隣でバルドは眼前の生物へと優しい眼差しを向けている。まるで我が子を見守る親のような顔つきだった。
「生を
眼前の文明は目まぐるしく変化し、創作物でよく見かけるような近未来的な都市が出来上がったかと思うと、すぐさまそれは崩壊し、やがて廃墟が目立つようになった。
「だが――」
バルドは帽子を目深に被り、僕の手を取り歩き始めた。周囲の景色が徐々に廃れてゆくのがわかった。高層建築物は倒壊し、緑豊かな色彩に暗色が目立ち始めた。
「子供たちは死を恐れた。老いゆく我が身を呪った」
「それって……」
人間、と言いかけて僕は言葉を呑んだ。するとバルドは僕に横目を向け、
「ご明察。人間だよ。知性をもった生命体。キミの世界にもいるのだろう?」
全てお見通しのようだった。僕は肯定の代わりに口許をぎゅっと引き締める。
「人間はね、とても興味深い生命体だった。文明を築き、短い年月の間に多くの変化をもたらした。若く、青く、輝いていた。ワタシも酷使されたものだよ」
バルドが腰を叩き、老体を強調する。疲労感が否めないものの、その顔には満足感が滲み出ている。
「ワタシは彼らの眩しさに追いつけなかった。知性をもつが
僕はバルドに導かれる形で地下へ続く階段を降りて行った。これが人類最後の希望。あるいは絶望への回廊か。階段を降りた先には無機質な金属製の廊下が細長く続いていた。天井は低く、それが人間の可能性を示しているように感じられた。
「彼らは終わりを恐れた。種の終焉が『無』に直結すると考え、抗い続けた」
廊下を抜けると、開けた空間に出た。低いドーム状になっているものの、大広間にしてはあまりに狭く、湿った空気が立ち込めている。壁沿いの床に
バルドはコンソール台を操作し、手元のモニターを起動させた。隣から覗き込むと、黒い画面上に白文字が延々と映し出されていた。言語は理解できなかったけれど、淡々としたフォントが人間の名を表していることは想像に
「最終的に、彼らは自身の命を電子データとして残し、いつの日か第三者が
バルドが手でモニターを
人間を
隣で我が子へと祈りを捧げる老紳士。鼓動すら感じられるその手をそっと放そうとすると、しかし即座にがしっと掴み取られた。鼓動が跳ねる僕に対し、老紳士は帽子のつばを上げ、こちらを
「決してこの手を放してはならない。星の記憶に飲み込まれる。ワタシから、離れてはならない」
「……おじいさんは、人間が滅びて寂しいですか?」
「寂しいさ。親より先に死を迎えるなど、親不孝者だと思わないか?」
親不孝者。僕のことだ。バルドの言葉はその一つ一つが僕の心を酷く傷付ける。身勝手な話だ。悪いのは僕なのに。
「彼らは終焉よりも継続を、見せかけのゼロからイチへの復元を望んだ。そして、限りなくゼロに近い可能性へと賭けた。そうしなければ正気ではいられなかったのだよ。存在が無に帰してしまうことを、永遠にこの世から消え去ることを、それでも世界が続いてゆくことを恐れた」
「……恐れることは、悪いことですか?」
広間の壁が一枚ずつ
「恐怖は正常な感覚だ。死を恐れぬ者に生は語れない」
バルドが
降り立つまで僕の目に白く映っていた惑星は、いつしか本当の意味で色を失っていた。宇宙の果てより闇が広がり、やがて星々は黒く塗り潰された。ここには何もない。宇宙空間が広がっているのかもわからない。僕とバルドだけがいる。
「キミの感情は
「……死は、怖いです。僕がいなくなってからの時間のほうが遥かに長いから、その先を考えると怖くなるんです」
でも、と僕は続ける。
「生きていたところで、僕には何もありません。生きていても死んでいても同じ、『無』なんです。誰かを幸せにすることも、笑わせることもできない……そんなつまらない存在なら、はじめからいないほうがいいじゃないですか。ただの……害悪としか、思えません」
「それが星の務めだ。命に触れ、命を知る。子供たちはそれを教えてくれる」
「そんなの……僕である必要性がないです」
「キミ以外である必要性もないだろう?」
屁理屈だ。綺麗事だ。なのに心が落ち着くのは僕が望んでいた言葉だからだろうか。僕は自分で思っているよりも承認欲求が強いのだろうか。それとも、隣の老紳士から優しい言葉をかけられることを何よりも望んでいたのだろうか。人外たる存在である星の精から、枠外の存在である他人から、真理を教えてもらうことを切に願っていたのだろうか。
「親は子に見返りを求めない。与えるものは無償の愛――
親。特別仲が良いわけではない。だからと言って、人格形成に支障が出るような毒を有する人間性でもない。僕の人格が破綻しているのは僕自身の責任なのだ。
僕は、与えられたものを滅茶苦茶にしてしまった。可能性を育てられなかった。輝き方を知らなかった。今もわからない。
「僕は……何も……何も、返せない」
僕は
けれど、と隣の老紳士に期待してしまうのは甘えのだろうか。優しい言葉に安心したい、僕の心を洗い流してほしい、そんな気持ちが鼓動となって
けれど――
「ならば、考えなさい」
バルドが発したのは期待どおりの言葉ではなかった。呆気にとられる僕に視線もくれず、バルドは真っ直ぐに闇の向こうを凝視した。
「星に生きる物の命は短い。我々星に比べれば、とても。だが、それは手放しで喜べることではない。ワタシからしてみれば、我が子に最期を看取られる人間がとても
バルドが見つめる先に一点の光が灯った。それは徐々に僕たちの身体を包み始めた。
「生あるものにはそれぞれ特権がある。我々は長い命を与えられ、命を生み出す権利を得た。人間は知性を与えられ、自ら考える権利を得た」
視界が全て白に包まれると、バルドの姿も見えなくなった。声だけが響く空間で、しかし手の感触だけは確かに残っている。
「命が短いからこそ、考えることを放棄してはならない。自ら権利を手放すなど愚かにも等しい」
「権利とは可能性だ。我々は与えることも、求めることも、奪うこともできる。だが、ワタシは我が子に与えるばかりで求めることをしなかった。見返りなんて大層なものではない。ささやかな幸福さえも求めなかったのさ。親としての
「恒星の爆発を観測し、人間は生を諦めてしまった。自身をデータ化し、見せかけの復活劇を創作することで安堵を求めた。自ら可能性を閉ざしてしまったのだよ。もしもワタシたちが手を取り合っていれば、もっと別の可能性に辿り着けたかもしれないというのに」
「別の、可能性……?」
思ったことがそのまま言葉となって耳に響いた。驚く間もなく、優しい声が耳を
「例えば、別の銀河系へ移動する、とかね。無論、ワタシたち全員で」
「そんなこと……」
「可能性はある。我々にはその権利があるのだから。それを示せなかったのはワタシの落ち度だ」
視界が開けてきた。紫や青、白といった様々な色が遠方から視界へ次々と飛び込んでくる。まるでワープだ。肌に風を感じながら、僕は徐々に現実感を取り戻してゆく。
「今更だがね」
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