第249話 リリーとの逢瀬

 一週間後の午後四時五十分。

 俺はリリーさんと会うため、仕事を早めに終わらせ、シビャクで一番いいホテルのロビーに到着していた。

 待ち合わせの十分前にはなんとか着けた。

 運良く特等の部屋を予約できているので、なんとかリリーさんをもてなせるだろう。


 めっちゃ緊張してるだろうから、まずはディナーで和ませてあげないとな。

 変装のお陰で、なんとか身分はバレていない。

 ロビーを見回すと、どうもリリーさんは到着していないらしい。

 一応、隈なく見回して、本当に到着していないことを確かめると、俺は入り口が視界に入る適当なソファに座った。


 それから少しして、五時になった。

 待ち合わせの時刻となったが、リリーさんは来なかった。

 まあ、化粧や服選びに手間取ったり、道が混んでたりするのかもしれない。

 もう少し待とう。


 五時三十分になると、流石にリリーさんのことが心配になってきた。

 心変わりしたのなら……まあ、俺が言い出したことなのでそれは構わないが、なにかトラブルに巻き込まれていたら大変だ。

 行き違いになってもいけないので、ホテルのフロントに、使っていた偽名名義でリリー・アミアン宛ての言伝ことづてを頼み、リリーさん邸に行ってみることにした。


 *****


 カケドリでリリーさん邸に行ってみると、一週間前と様子が違い、入り口には誰も居なかった。

 夜は守衛がいない家なのだろうか?

 酒場の用心棒なんかは営業時間にしかいないが、守衛を置いているのに夜にいない家というのは聞いたことがない。

 泥棒というのは夜のほうが入りやすいものだ。人間は起きている時であれば自分で防御もできるし、逃げることもできるが、寝ている時はどうしようもないので、どちらかといえば昼よりも夜のほうが警備の重要性は高い。

 ただ、リリーさんは最近お金持ちになったばかりの新人さんなので、そのへんの事情に疎く穴を残したままにしている可能性もある。


 待ち合わせに来なかったくらいで心配しすぎるのもどうかと思うが、一週間前の様子だと、雨が降ろうが槍が降ろうが絶対に来る感じの気負い方だった。

 ただのデートではないし、来るつもりだったのなら、それこそ自分の結婚式にでも行くような気持ちで来たことだろう。

 それなのに来なかった。に加えて、なにやら自宅の様子も不審である。やっぱり、確かめたほうがいい。


 一瞬迷ってから鉄門扉のレバーを回し、扉を押すと、車輪をカラカラと言わせながらあっさりと開いてしまった。

 鍵がかかっていない。門の中に入ってみる。


 真っ暗闇のなか邸宅に近づいてみると、どこからも光が漏れていなかった。

 蝋や油の火に頼った照明というのは、元から暗いものだが、それにしたって少しは漏れる。まったく背景の夜と同化しているのはおかしい。


 嫌な予感が強まっていく。


 中に暴漢がいたらコトなので、音を殺しながら近づいたが、中からは全く音がしなかった。

 さすがに物盗りが中で家探ししていたら、ここまで音がしないということはないだろう。


 こういう状況では、待ち伏せが恐ろしい。どんなに注意していても、数ある部屋の入り口の影から突然飛び出されて、腹を刺されたら終わりだ。人間の体は右と左を一瞬で確認できるようにはできていないので、その手の待ち伏せへの対応には限界がある。

 一度退去して応援を呼び、状況を確かめたほうがいいだろうか。という考えがよぎったが、リリーさんが危急の状況にあったらどうしよう、と思い、それはやめた。


 少し考えたあと、あらかじめ一階の窓を一つ開けておき、その次に玄関のドアを大きく開けた。


「リリーさーん!? いますかー?」


 大声で呼びかけてみるが、留守番のメイドさんがランプを持って現れるということはなかった。

 少なくとも、本来の家の住人は不在か、返事のできない状況に置かれている。


「失礼しまーす!」


 と玄関で言ってから、あらかじめ開けておいた窓から音もなく侵入はいった。

 短刀を抜いて、身をかがめて中を確かめるが、まったく無音で人の気配は一つもない。

 うーん……現状では、本当に留守宅のようにしか思えない。


 次々に部屋を確認していくが、待ち伏せもなければ、誰もいなかった。

 部屋の中も荒らされていない。まるで神隠しにあったかのように人だけが消えている。


 主だった部屋を全部まわった後、小さな部屋を確かめていった。リリーさんの寝室や、女中さんが使っていたと思われる住み込み部屋も開いたが、中には誰もいなかった。


 トイレや台所、浴室を調べて周り、物置のような部屋のドアに差し掛かったところで、ようやく僅かな異常を感じた。

 嗅ぎ慣れた臭いをかすかに感じる。


「――――」


 背筋がゾワっとした。リリーさんの家で、血臭がする。そのことが、俺に恐ろしい想像をさせた。

 物置を開けてみると、むわっとした濃厚な血臭が溢れ出してきた。

 窓のない物置は月の光もまったく差し込まず、暗闇の中で横たわっている死体が何者なのかは見えない。だが、確実にここで人が死んでいる。


 玄関へ行き、備え付けのランプにライターで火を灯そうとした。手がうまく動かず、震えて、ライターの蓋を開けるのにすら手間取った。

 普段の十倍の時間をかけて火を点けると、ランプに火を移して確かめに行った。


 物置に転がっている死体を観る。


 そこにリリーさん――の姿は、なかった。


 二つ折り重なる死体の上一つを蹴飛ばし、下を確かめる。確かに、死体は二つだけだった。三つはない。

 リリーさんはいない。


 よく見ると、一週間前に見た守衛の青年だった。蹴り飛ばしたほうの死体は、女中さんだ。

 頭の中に渦巻いていた狂いそうなほどの焦燥感が薄れていく。ひとまずリリーさんは死んでいない。


 一体、どういうことなんだ。と十秒ほど考えて、とりあえず通報することにした。


 *****


 すぐに、ミャロが何人もの人間を連れて駆けつけて、両面開け放っておいた観音開きの門から入ってきた。


「ユーリくん、リリーさんがかどわかされたとか」

「検問は?」

「手配しておきました。とりあえず、王都の大路からは出られません。けど……」

「そうだな」

 こういうとき、市街が壁で囲われていない開放都市は不便だ。

 特定の大路の幾つかに検問を敷いたところで、夜陰に紛れて逃げるのはそう難しくないだろう。

「……それで、なんでお前がいるんだ」


 ミャロの後ろには、なぜか王の剣のエンリケがいた。


「どぉーもぉー♪」


 ふざけている感じで手を振っていた。

 ふざけんなボケと張り倒したいところだったが、こいつは激怒すれば逆に喜ぶ変態なので、始末に負えなかった。いると非常にやりにくい。


「ティレトさんが近くに出張中だからです。もう一人が呼びにいっています。捜査には王の剣が居たほうがいいでしょう」

「まあ、いい。とにかく来てくれ」


 兎にも角にも、死体を見てもらわないと始まらない。

 が、そこで、


「ユーリちゃん、ここ、ここ」


 と、エンリケが門のところで地面を指差している。


「なんだ? 忙しいんだよ」

「エンリケちゃんさっそく見つけちゃった。暗殺に詳しくないと、こういうの分かんないでしょ」


 と、エンリケは松明で地面を照らしながら、敷いてある細かい砂利を足でった。

 表面を覆っていた砂が剥げ、若干黒くなった濡れた染みがでてくる。


「ここで一人殺されたみたいねー。門番さんかな? 土をみるとぉー……」


 エンリケは、地面を照らしながら壁に沿って門から離れていった。足跡を確かめているのか。


「やっぱり後ろからサックリやったみたいだねー。さて、ここで質問です。エンリケちゃんは今、重大なヒントを発見しました。それはなんでしょー」

「問答やってる場合じゃねーんだよ。さっさと話せ」

 夜とはいえ、俺が見逃していた血痕を即座に発見したところを考えると、本当に重大な発見である可能性がある。

「はずれー。話しませーんっ♪」

「話せや」

「こんなチャンス滅多にないもーん♪ 絶対話さなーいっ。ぷいっ」


 エンリケは可愛かわいこぶる感じでそっぽを向いてみせた。

 あ゛ーーーーーーーーーーーーっ!!

 急いでんのに!!!!!


 俺はエンリケの首を掴んで、思い切り門柱に叩きつけた。


「ド変態の遊びに付き合ってる場合じゃねえんだよ!! さっさと話せ!!!」


 大声で怒鳴ってから、ギュウッと強く頸動脈を締め込んだ。

 しばらく締めたあと、落ちる寸前で放すと、エンリケはその場で崩れ落ち、ケホケホと二、三回咳き込んだ。


「さっさと立て。そんなに強く締めてねえだろ」


 俺がそう言うと、エンリケは柱に体を預けながら立ち上がった。


「あ゛ー……ケホッ……最っっ高」


 ほんっと、このバカの相手は疲れる。


「で、なんなんだ。喉は潰してないはずだぞ。今度ふざけたらマジで殺す」

「逆にそれ嬉しいんですけど」


 ほんっっっっっっとに…………さっさと死なねーかなこいつ。


「いいか、この世で最もアホな女にも分かるように、丁寧に説明してやる。俺はめ・ちゃ・く・ちゃ急いでる。早く話せ」

「わかりましたよぉー。まあ、死体を見れば分かるんですけど、簡単に言うとプロの仕業ってことです」

「どういう点でだ」


「ユーリちゃんもそうでしょうけど、後ろから殺すときって首を狙うでしょ? それが一番簡単だし、失敗のしようがないですもん。でも首って刺すと血が吹き出るんですよ。ピューって」


 まあそうだろうな。


「こんな道から見える所を血飛沫で汚したら騒ぎが起きるんで、首を刺さなかったのは正解なわけです。それで、ほら、血が一箇所に溜まってるでしょ? でも殺されたにしてはほんのちょっとですね」


 確かに、エンリケが松明で照らしている砂で隠された血溜まりは、そう大きくない。直径三十センチくらいか。


「背中から胴体を刺したにしても、二回以上刺したらもっと出血します。土を見ると暴れてないし、血も散ってませんので、その場で立ったまま為すすべなく死んだってことになります」


 なるほど。エンリケが言いたいことは分かった。


「つまり、即死する急所を的確に刺して、刃物は刺したまま栓にしたってことですね。死体を見れば分かることですけど、狙ったのは心臓でしょう。後ろから心臓を一突きにするのって、肺の骨はあるし位置は逆だしで、それなりに難しいんですよ。そのへんの泥棒や人攫いにそんな技術があるとは思えないんで、つまりプロの仕業ですね」


 と、エンリケは締めくくった。とても意外なことに、正確な分析だ。間違っていると思えそうなところがない。

 さすがは王剣だ。餅は餅屋ということか。


「よくやった。よし、家の中に入って手がかりを探そう」

「うぃーっす」


 ふざけた返事をしながら、エンリケはついてきた。

 ミャロがそばに寄ってきて、


「さ、さっきのが噂のプレイですか……? なんだかすごく激しいんですね……」


 と、アホが移ったようなことを言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る