第248話 リリー邸にて
リリーさんは白樺寮を卒業してこっち、王都九区の高級住宅街に暮らしている。
ギュダンヴィエル家の家業が不動産業だった関係で、ミャロ(というか、ギュダンヴィエル家の一派)は王都シビャクの不動産に詳しい。
不動産や土地開発といった分野は、官僚の汚職と相性がいい。なので、ミャロ自身はクリーンなイメージを保つために不動産に新たな投資をしていなかったが、ホウ社の社員に対しては掘り出し物の物件を紹介している。
特にカネが余っているホウ社の役員たちは、余った役員報酬を王都シビャクの不動産に投資していることが多かった。
そのへんの投資の良し悪しに対して厳しい観察眼を持っていそうなカフ・オーネットでさえ、何件か物件を購入したようなので、確かに利回りの良い資産運用なのだろう。
リリーさんもその一人だ。
リリーさん宅を実際に見たのは初めてだったが、中々の邸宅だった。
高級住宅街だというのに、おしゃれな鉄門扉の向こうは石畳の通路が玄関まで繋がっていて、その両脇には花の咲いた綺麗な庭が見える。贅沢な土地の使い方をしていた。
右側の庭の真ん中には、落ち葉の掃除が大変そうな巨樹がある。魔女の家は、こういう樹を植えることで家の歴史を示すことが多い。
手入れが行き届いているお陰で古くはみえないが、巨樹の樹齢を考えると相当年数を重ねた建物なのだろう。
鉄門扉の向こうには、守衛っぽい青年が立っている。
「リリーさんはご在宅ですか?」
と話しかけた。
「はい?」
訝しげな反応を返された。怪しまれているようだ。
俺は別邸から一人でカケドリに乗って走ってきたので、見知らぬ青年が一人来ただけというシチュエーションだ。怪しみもするだろう。
「リリー・アミアンさんに会いたいのですけど。僕はホウ社会長のユーリ・ホウと申します」
「ユーリ・ホウって……はっ? マジですか?」
信じられねぇって顔してる。名が売れてしまうとこういう所でやり辛いな。
「マジです。アポなしで来てしまったので失礼かとは思いますが、ちょっと僕が来たことを伝えてもらえませんか?」
「はい。そうさせて頂きます」
と、守衛は石畳を歩いて邸宅の中に入っていった。
うーん……何か事情があったのかと不安になって、とりあえずという感じで来てしまったが、冷静に考えれば連絡してから来たほうがよかったな。
しばらくして、戻ってきた。
「用意があるので、少し待っていて欲しいと」
在宅のようだ。
「待ちます。非常識なのはこちらなので」
女性なのだから色々と準備があるのだろう。
しかし、教養院の頃は、リリーさんとシャムの部屋の窓に俺が軽石をぶつけると、すぐに出てきたものだった。
あの頃は、髪を梳くくらいで、大した準備もなしに会っていた。
お互い立場や住む所が変わって、そういった事情も変化した。
リリーさんは化粧直しをしたいだろうし、俺の方も騎士院の頃のように汚れた裾や袖のほつれた服装で会うのはちょっと抵抗がある。
別に、お互いまだ学生の身分でもおかしくない年齢ではあるが、以前のように気安く会えなくなったのは寂しい感じもする。
「ところで、あなたは元々どこで働いてたんですか?」
「近衛の第一軍です。田舎から出てきて、近衛の兵士は楽だという噂を聞いて入隊してみたら、運悪く厳しい
彼の持ちネタなのだろう。照れ隠しのように小さく笑っている。
「それから、どんな事情で衛兵に?」
「三年くらい務めて、上官と揉めて軍の生活は向かないなーと思った矢先、守衛の募集があったもので。ああ、元々は魔女の方に雇われてたんですが、家を手放すってことで無職になると思ったら、運良くリリー様に引き続き雇っていただけたんです」
「なるほど……」
第一軍ということは、第二軍のゴミと比べれば少しはマシだろう。
まあ、別に歴戦の猛者じゃなくても、守衛っていうのは立ってるだけで十分に抑止力になるしな。
「会戦には参加しなかったんですけどね。募兵に応じれば良かったと思ってます」
シビャク市民にとって、すぐ北であった会戦は今でも語り草の大事件だ。武器を扱える男でありながら、それに参加しなかったというのはなんとなく肩身が狭いのかもしれない。
だが、それは勝ち戦と分かっている今だから言えることだ。当時は勝敗など分からなかったわけで、参戦には大きな勇気が必要だった。そういった、選択を迫られた当時の状況というのは、終わった後になると得てして忘れられ、結果論だけが残ってしまうものだ。
「ここの守衛はとても重要な仕事ですから、十分誇りに思っていいと思いますよ」
「なんせユーリ・ホウ閣下が直接足を運ぶ家ですからね。驚きました」
「ええ。こういってはなんですが、僕が自ら会いに行く人というのは少ないですからね」
実際はそうでもないが、こう言っておけば少しはモチベーションが上がるだろう。
「あ、来ました」
家のほうから、三十歳くらいの女中さんが走ってくる。支度が終わったのだろう。
青年が観音開きの鉄門扉を片方開く。馬車が通れるサイズなので、片方開けばカケドリは楽に通れる。
「すみませんが、トリを預かっておいてください」
俺は、持っていたカケドリの手綱を渡した。入り口のすぐ内側に馬留めの設備があった。
「はい。お預かりします」
守衛の青年は、快く手綱を受け取った。
*****
通された先の部屋は、なんとも落ち着いた雰囲気の良い部屋だった。
リリーさんが運んできたのか、元の持ち主の趣味なのか、光が多く取り入れられ、小さい緑の樹が植えられた素焼き鉢がいくつか置かれている。
「おまちどおさま」
女中さんに案内された椅子に座っていると、リリーさんが現れ、小さなテーブルの反対側に座った。
今日は少しメイクをしている。服は、扇情的ではない、オシャレで落ち着いた薄手のカーディガンを纏っていた。
前は開けていて、その下には腰の部分が窄まったシャツを着ている。リリーさんの体型に合わせたオートクチュールだろう。
リリーさんはお胸が大きいので、白衣を着ているところを見ると分かるのだが、大きめの服を着流していると太って見えてしまう。
腰の細さがひき立って見える服を着ると、すごくスタイルが良く見える。
「ご無沙汰してます。突然すみませんでした」
「ええんよ。大丈夫やから」
リリーさんは、やはりなんらかの事情があるのか、どこか緊張している、険しい面持ちだった。
「初めて来ましたけど、とってもいいお家ですね」
こういう時は、世間話から始めたほうがいいだろう。
ただ、これはお世辞でなくそう思う。
この家は当たりだ。
力を持っていた魔女の家というのは、大抵凝った造りで、よっぽど趣味の悪い人間が作ったのでもない限りは良い趣味をしているのが普通だが、この家は格別にいい。
人を大勢招いて催し物ができる。といった機能はないが、そういった広い作りにしなかったお陰で、うまい具合に隠宅風の雰囲気に整えられている。
「ありがとう。ミャロはんに紹介してもらったんやけど、買って正解やったわ。お金は沢山余ってたし」
この家は貯蓄していた役員報酬の余りで購入したのだろうが、リリーさんは株式会社化したホウ社の株式を6%も所有している大資産家だ。
ホウ社は新大陸や軍事機密を扱っている関係上、非上場企業なので株式の売買は簡単にはできないが、ホウ社が買い取ったり、ミャロや俺などの関係者が買い取ることはできる。
この家くらいなら、0.1%も売却すれば何軒か買えるだろう。
「元は魔女の家ですよね。エンフィレ家っぽい感じがします」
「よく分かるねぇ。あんまり良くは知らへんけど、その一族だったらしいわ」
例外は沢山あるが、魔女の家は基本的に属する大魔女の本家に
エンフィレ家の一族は、王城に根を張って官僚に強かった家柄だ。商人や港を相手にしていた他の魔女家に比べると、謀議で人を招く機会も少なく、仕事終わりに一息つける落ち着いた雰囲気の住宅を好む傾向にあったようだ。
「廊下の壁紙とか、魔女の森にあるエンフィレの本家のものと似てますよね」
「そうなん?」
「はい」
「そうかぁ……」
と、奇妙なことを言ったきり、リリーさんは会話を途切れさせてしまった。
数秒の沈黙が流れる。これはまずいぞ。
「ところで、最近ご家族はどうしてます?」
俺は次の話題を持ち出した。
「……山の背の?」
「はい」
「やっぱり地元を離れがたいみたいや。村長さん兼時計屋さんとしてやっていくつもりみたい」
十字軍前後の戦役のあと、ホウ家ルベ家以外の領主たちは大部分放逐されたわけだが、領地経営に定評があって住民に慕われていた一部の貴族は、乞われる形で市長や村長として土地に残った。
リリーさんの実家であるアミアン家も同様で、今も旧ノザ家領のヤナ渓谷という一帯を取り仕切っている。
リリーさんの実家は、もともと自領の住民を雇って懐中時計や柱時計の製造をしていたので、追い出せば産業がなくなりヤナ渓谷は元の寒村に戻ってしまう。住民にとってもそれは損なのだろう。
「そうなんですか……」
と、俺が言った時、先程案内してくれた女中さんがティーセットの乗ったお盆を持ってきた。
「失礼します」
と一言いい、カチャカチャとお茶の準備をする。肉の薄い高級そうなティーカップにお茶が注がれた。
「ありがとう」
リリーさんがお礼を言って受け取る。
慣れている感じだ。まあ、この家を買ってもう半年になるもんな。
「ユーリくんもどうぞ」
と、俺のほうにもお茶が差し出される。
「頂きます」
喉が渇いていたので早速口に含むと、やはりというか、紅茶だった。
チャノキはシヤルタでは栽培できないので、これは輸入品となる。
「美味しいですね。仕入れた自分が言うのもなんですけど」
「……せやね」
リリーさんはカップに口をつけ、ほんの少し飲んだようだった。
女中さんは、少し俺を見て、ペコリと頭をさげると、去っていった。
「あのな、会社辞めようと思うねん」
リリーさんは突然言った。
「……えっと、どうしてですか?」心臓が強く鼓動をはじめる。「労働条件が気に入らないとか?」
研究所の所長をどうとかじゃなくて、会社辞めるのか。
「……ほら、わたしって、もう十分いい生活してるやろ。お金も、ちょっと計算したらこの生活を百年続けても余るくらいあるんよ。もう十分やと思って」
「うー……ん」
実際、それはその通りなので反論のしようがなかった。
ホウ社の価値がこれからも順調に上がり続けると仮定すれば、株の値上がり幅だけでも相当な金額になるので、この程度の暮らしなら百年もつどころか、百年経っても目減りすらしないだろう。
もう一生分稼いだし、働く意味ないじゃん。というのは強い理屈だ。崩すのは難しい。
「社の中でやりたいこととか、ないんですか? た、例えば、贅の限りを尽くした最高の時計を作りたいとか」
「やりたいことがあったら、自分で起業してもええし……時計作りなんて、大砲作るような大きな工場が必要なわけじゃないし。この家でもできるもん」
「……うー、ん」
「どうしたらええと思う?」
一瞬、何を訊かれているのか分からなかった。
どうしたらいいって、俺に訊くのか。
「シャムとか、ミャロとかは、お金をいっぱい持ってるけど働いてますよね。カフ・オーネットも、ハロル・ハレルも」
「せやね」
「たぶん、働く事自体が楽しいんでしょうね。自分の能力を世に問いたい、という感じの」
「そうそう。でも私にはそういうのないんよ。単にユーリくんが好きだから付き合ってきただけやから」
………………うーん。
「僕も、そこまで鈍感ではないので、それは分かってます」
「……せやろうね」
俺は紅茶を一口飲んだ。
「でも、僕は、もう誰とも結婚できませんから」
これは俺の信条とかではなく、国の方針でそうなっている。
俺は女王シュリカの父親であり、亡きキャロルの夫だ。それは、単純に国民の持つイメージとして好感度が高いし、俺がやろうとしている事と動機が一致しているので、支持も得やすい。
俺が収まっているポジションとして、非常に都合がいいのだ。
そこで別の女性と結婚してしまうと、事情が大きく変わってしまう。シュリカは連れ子となってしまい、俺はキャロルの夫ではなくなってしまうわけだ。
そうすると、短期的には問題は起こらなくても、長期的には様々なところで都合が悪くなってくる。
「別に、結婚してなんて言ってへんやんか……」
リリーさんが言った。結婚したいわけではないらしい。
いや、それは嘘、というか妥協で、実際は結婚する方がリリーさんにとっては最善なのだろう。
愛人? みたいな話だろうか。
「でも、そんな関係になっても、リリーさんのほうが辛いと思うんです」
「結婚なんて、半分はお金の問題やん。お金はいっぱいあるし、育児だってお手伝いさんを雇えばええことやから、手伝わなくていいし」
話が飛躍している……。
そもそも、リリーさんは顔もいいしおっぱいもおおきい。
モデルさんのように高身長ではないが、ぜんぜん太っていないのでスタイルもいい。
この国では未だ眼鏡がそこまで広まっていないので、そこに関してはマイナスに思う男もいるのかもしれないが、それを差し引いてもメチャクチャモテるだろう。
「……でも、リリーさんならどんな男でも選り取り見取りでしょう?」
と俺が言うと、
「……なんでそういうこと言うん?」
と、リリーさんは咎めるように俺を見た。
よっぽどの禁句を言ってしまったのか、目尻に涙を溜めている。
「……ごめんなさい」
「ユーリくん、わたしが半端な気持ちで言ってると思っとるん? 遊び半分でこんなことせーへんよ……」
若干涙声になりながら、リリーさんは眼鏡をずらして目尻を拭いた。
「だって、リリーさんなら、ちゃんと結婚して幸せな家庭を築ける男性なんて、幾らでも見つかるわけじゃないですか……僕は結婚もできませんし、忙しくて一緒にいる時間もあまり取れないと思います。そんなのでいいんですか?」
「ええよ」
いいのか……。
「あの、リリーさんはすごく魅力的ですが、僕のことで不幸にしたくはないんです」
「……ユーリくんが
「……なんでそこまで」
マジでわからない。こんなクズ相手に。
「だって、ユーリくんがぶっちぎりでいい男なんやもん。そりゃ、言い寄ってくる男はたくさんおるけど、全然魅力的に思えへんねんもん……」
「……うーん」
「べつに難しいことやないやん……魅力的やって思ってくれてるってことは、その、えっちなことをするのも嫌……ではないってことやろ? 都合があったときにそういうことしてくれたら、私は満足やから……」
「そんな悲しいこと言わないでくださいよ……」
キャロルもそうだったが、なぜ俺の周りの女性はセフレでいいみたいなことを言い出すのか。
知らず知らずのうちに、俺から都合のいい女以外はお断りのオーラでも漂っているのだろうか。
「だって、片想いの人の近くで仕事し続けるなんて辛いもん……三十になっても四十になっても、ずっとこのままなんて嫌や……生き地獄やん」
「そりゃそうでしょうね……うーん……」
「ユーリくんは、どうしても嫌なん?」
「いや、全然嫌じゃないですよ。許されるならリリーさんとエロいことしまくりたいですし」
「え、えろいことしまくりたいって……」
リリーさんは恥ずかしがっていながらも、ちょっと嬉しそうになった。
そりゃ、こんな体してたらエロいことしまくりたいに決まってるだろ。
「でも、それでリリーさんが幸せを逃すのは嫌です。あとで、あんな男に引っかからなかったら幸せな家庭を築けたのに――なんて思ってほしくありません」
「だから、思わへんて」
俺の懸念とは裏腹に、リリーさんは
そりゃそうだよな。モテないはずないのに、七年間も片想いを続けてきたんだから。
辛いのは確かだろうし、ここで俺が頷かなかったら会社を辞めるというのも事実だろう。
「僕のほうも、リリーさんが辛いのは十分わかりました。でも、一週間後にしましょう」
「一週間?」
「今日はちょっと用事がありますし、これからってわけにはいかないです。一週間後にリリーさんの思いが変わっていなければ、僕はちゃんと気持ちに応えます。重ね重ね言いますけど、ぜんぜん嫌ではないので」
そもそもリリーさんがやりたがっていることを、俺が勝手に想像して、ダメだの不幸になるだの言うのは傲慢な話だ。
麻薬でもやるとか、そういう確実に不幸になりそうなことだったら止めるが、これは不幸になるとは限らない。
リリーさんの反応を伺うと、ぽけーっとしていた。
「……リリーさん? それでいいですか?」
「――えっ!?」
なにやら茫然自失になっていたようだ。
「え、ええよっ。もちろん。ほんと? 夢とちゃうんよね?」
現実が信じられない様子で、リリーさんは喜色満面の頬をつねったりしていた。
可愛らしい。
「ホントですよ」
「絶対? 今からアカンって言ったらさすがに怒るよ?」
「ホントにホントです。リリーさんは心変わりしてもいいですけど、僕は心変わりしません。約束です」
「よかったぁ……」
リリーさんは、俯くと、顔を手で覆った。
「うっ……ひっく……やっと恋が実った……よかったぁ……」
「えっと……」
「……うぅ……よかったよぉ……」
ものすごい涙を流しているようだ。
えっと。
「そ、それじゃ、今日の所は、失礼します」
シャムからさんざん言われてたことだが、感動のあまり涙を流すほど好きだったのか。
一年中ダイエットしてあの体型を保ってるのも、ユーリを振り向かせるためなんですよ。いったいリリーさんのことをどう考えてるんですか。とか言ってたもんな。
そうなると、今日俺を招き入れた時のリリーさんの覚悟はいかほどのものだったのだろう。相当強いものであったであろうことは確かだ。
こうなった以上、どうにかして報いないといけないな。
リリーさん邸を辞去すると、俺は仕事に戻った。
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