第238話 戴冠式
「ほら、お父さんですよー」
メイド長が手を持って振らせると、青い目をした生後三ヶ月の乳児は、無表情でされるがままに手を振らされていた。
三ヶ月ぶりに会ったが、人間の赤ん坊というのは三ヶ月でずいぶんと変わるもんだな。
頬がふっくらとしていて、猿から人に進化している感じだ。
それにしても、丈夫そうだな。
おそらく八ヶ月半から九ヶ月程度での出生で、早産だったはずだが、健康そうな肌をしている。
文字通り、乳母日傘で育てられたからだろうか。
「だー」
だー、だって。
手に指を添えてみると、反射的にかギュッと掴んだ。
角質もなにもない柔らかい、温かい手が指を包む。
「ふーん……」
なにやら感動的だな。
無性に心が安らかになる。
癒やしだな。
「式典中に泣き出さないか?」
「私が抱いていれば大丈夫でしょう」
メイド長は、白い長袖のワンピースのような服を着て、頭には少し特殊な帽子を被っていた。
葬式の時に使うヴェールのような帽子だが、ヴェールが顔全体を隠すように長く、そして濃い。
都合上、メイド長が赤ん坊を抱えて玉座に座る段取りなのであった。
生後三ヶ月の乳児は、当然ながら玉座に一人で座ることはできない。
一番慣れたメイド長の腕の中でなければ、暴れて泣いてしまうだろう。
適任はメイド長しかいないのだった。
だが、玉座に座るとなると、誰かが妙な解釈をするかもしれない。
そのため、俺の新しい妻だとか思われず、妙な勘ぐりもされないように、白黒で記号的な、そして顔を隠し人間性を感じさせない服装にしているのだった。
つまりは、演出の一環であった。
「乳の時間を早めにしました。正午前にもう一度乳母に乳を貰って……その後にはおねむになっていると思います」
「そうか。それならいい」
まー、泣いたら泣いたで仕方ないけど。
あんまガーガー泣いて暴れまわっていたら様にならないので、できれば静かにしていて欲しかった。
と、そこでコンコン、とドアが叩かれた。
「すみませーん、ティグリス・ハモンですが、入ってもよろしいでしょうかー!」
式典の準備で廊下がバタバタしているので、大声を出している。
「いいぞ!」
「失礼しますっ!」
ぞろぞろと三人の人間が入ってきた。
ティグリスと、ディミトリと、もう一人はジーノ・トガだった。
キルヒナの故地から帰ってきた三人だ。
「三名、用命を果たし、ただいま帰参いたしました」
ディミトリが言って、三人が一斉に敬礼をした。
この三人は、キルヒナでギリギリまで平定作業をしていたので、昨日帰ってきたのだった。
疲れを癒やして、今は正装に着替えている。
リフォルムは十三日前に陥落した。
五百人の兵しかいなかったので、崩れた城壁を砂袋などで補強していたものの、朝もやに紛れて海から船が突っ込み、オレガノと同様の戦法で兵が上陸すると、一発で降伏してしまった。
前の会戦もそうだったが、あらかじめ虐殺はしないという紙を撒いておくと、彼らは徹底した抗戦はしない。
攻城戦に手間取ったら俺も行こうかと思っていたが、到着して二日目に陥落したので、その必要もなかった。
「ご苦労。良くやってくれた」
ようやく一段落つくな。
ヴェルダン要塞なんてどうとでもなるし。
「ああ……可愛らしい。この子のことを、これから女王陛下と呼ぶことになるのですね」
ティグリスが、メイド長が抱えている女の子を見ながら言った。
目がうっとりとしている。
「そうだな」
女王陛下ねぇ……。
キャロルがずっと殿下だったからか、その子供がすぐに女王陛下というのは、なんとも違和感がある。
「感無量ですな……ホウ家の血と王家の血が混ざりあい、女王となるとは」
ディミトリが言った。
ホウ家累代の騎士家にとっては、確かにそんな感じなのかも。
そこのところは、ティグリスやジーノとは共通しない感覚だろう。
「名前は決めたのですか?」
ジーノが言う。
「ああ」
もう決まっていた。
「なんという御名前に?」
「本番を待て」
「では、姓は?」
それを訊くか。
「オル・シャルトル、だ」
キャロルの本名はキャロル・フル・シャルトルだが、フルとは古代シャン語で四という意味で、四番目の娘の王家ということである。
これは歴史的には分裂期から使われだした名称で、もともとの女皇は単にシャルトル、またはオル・シャルトルと名乗っていた。
オルというのは真、とか真正の、とか正統な、とかいう意味の古代シャン語で、大皇国時代には傍系になるとニラル、とかペタ、という単語を付けさせていた。
少し酷い気がするが、これは劣った、とか割れた、崩れた、とかいう意味の単語だ。
傍系がたくさん増えてみんなシャルトルを名乗ると面倒くさいので、増えてくると適時女皇が新たな姓を下賜してシャルトル姓から離れさせた。
その際のハードルを低くするために、酷い単語を付けさせていたらしい。
「なるほど……」
「不満があるか?」
テルルは、当たり前だがまだ生きている。
今でもまだちょっと信じられない思いがするのだが、もしドッラと結婚することになったら、テルル・ゴドウィンと名乗らせるつもりだった。
「いえ、ありません」
「それなら良かった。勘違いはするなよ、これはジャコバ女王陛下も望んでおられたことだ。だからこそ、玉璽の一片をキャロルに与えた。テルルに与えるのは、後の憂いとなるだけだと判断していたからだ」
「分かっております。この間、テルル殿下とお会いして痛感いたしました」
俺は、ジーノの顔に一瞬さみしげな陰が差したのを見逃さなかった。
恋心でも抱いていたのかな。
「そうか。ならいい」
俺が話すより、百倍よく分かっただろう。
当の王族が一番再起を望んでいないことが。
「そろそろ時間だな」
柱時計を見ると、午前10時を指しつつあった。
戴冠式の日付は全国に通知してあり、正午丁度に戴冠が行われることになっている。
「行くか」
*****
王城の大ホールには、様々な人々が入っていた。
元魔女、騎士家、大商家、著名人。
ノザ家とボフ家の滅びた村々の中には、騎士ではなく、投票で決められた村長が為政を行っているところもある。
ホウ家とルベ家ばかり多くなってしまうと問題があるので、そういう人たちも比較的多めに招かれていた。
彼らは、政治家という新しい人種になっていくのだろう。
今日この時を記録するため、作家も、画家も招かれているはずだった。
玉座の両脇には、ミャロやルベ家の面々、サツキ、先程来ていた三人、色んな重鎮が座っていた。
その中には、カフ・オーネットとビュレ・オーネットもいた。
この二人は、少し前に忙しい合間を縫って結婚した。
経済規模でいえば一つの将家に匹敵するほどの大企業の長だ。
ここに座る資格はあるだろう。
「さて、新しい女王が来るまえに、私から話をしよう」
少し暑苦しいほどのビロードのマントを腕で開きながら、俺は壇の前に立ち、シンと静まる聴衆の前で口を開いた。
「大魔女が十字軍と共謀し、あの惨事が起きてより七ヶ月が過ぎた。だが、我々に残された最後の王国は、諸君の献身によって、十字軍の惨禍から免れることができた」
これだけ広い王城の大ホールだが、やはり露天よりは余程音が伝わりやすい。
叫ぶようにせずとも、大声で喋るだけでかなり響いた。
入り口のほうまで聞こえているかはわからないが、大多数には聞こえているだろう。
「のみならず、我々は半月前、余勢を駆ってリフォルムまで取り戻すことができた。私は、私を信じてついてきてくれた者たちに感謝したい。いかなる人とて、一人では万の軍勢を堰き止めることはできない。十字軍を破り、リフォルムまで得たのは、私を信じ、祖国を想い、銃火の前に生身を晒し戦った、一人ひとりの槍の力である。そのために散っていった数多の命、そして今生きる勇者たちに対して、感謝を捧げたい」
俺はそこで少し間を開け、死者を想うように、感謝するように、目を瞑った。
ソイムの顔が、一瞬まぶたの裏をよぎった気がした。
「ここで、私はクラ人について語りたい。彼の人たちが我々の人種を悪魔と呼んでいるのは、諸君もご存知であろう。だが、彼らがそのような発想に至ったのは、彼らの性が悪であるからでなく、悪しき宗教の教えが原因であるということを、諸君には分かってもらいたい。その証拠に、私はアルビオ共和国と正式な国交を持つことができた。かの国は邪教とは別の宗教を信仰し、悪に染まっていない国だ。なので、我々を悪魔とは扱わない。そこにいる彼は、アルビオ共和国から招いた。もちろん、クラ人である」
そういって、俺は手のひらでオヴェリン・オクタルを指し示した。
真面目な顔をして椅子に座っているが、彼はシャン語を解さないので、俺が何を言っているのかさっぱり分かっていないはずだ。
「彼は、ホウ家領より海を越えて、南に浮かぶアルビオ島というところで、大評議会議員の重職を務めている。もちろん、我々を悪魔などとは思っていない。悪しき教えに染まっていなければ、あるいは正しき教えに戻ったならば、彼らは悪ではないのだ」
このことは、いつか話さねばならないことだった。
でなければ、シャン人たちはクラ人を迫害してしまう。
石を投げつけて当然の連中という関係になってしまえば、統治など上手くいくはずがない。
広大な領土を支えるには人が必要だ。
そのためには、シャン人は少なすぎるのだ。
「私はアルビオ共和国と取引をして、食料を輸入した。その上、彼らは十字軍諸国と交渉し、捕虜と、奴隷となった我々の同胞を交換して連れてきてくれることになった。前回や、前々回の十字軍で奪われた我々の同胞が帰ってくるのだ。彼らは旧土に戻り、土を耕すだろう。それはとても尊いことであると私は思う」
人々がオヴェリン・オクタルを見ている。
注目を浴びる理由が分かっていない彼は、少し戸惑ったような顔をして、俺に会釈をした。
「私は、諸君に彼らを同胞のように思えとは言わない。彼らは我々とは違う人種だ。――だが、彼らも我々と同様、この地上に生じた時には無垢である。そして人生において様々なものに影響を受け、あるいは運命に翻弄され、現在を生きている。無論、私は占領地にいる彼らを我々と平等に扱うつもりはない。自由は制限するし、我々を悪魔だと罵れば厳しく罰するつもりだ。だが、彼らをなんの理由もなく傷つけたりする者もまた罰する。彼らと接する時は、憎しみこそあれ、同じ人間であることを忘れないでほしい。それを忘れ、彼らが我々にするように、奴隷であることが当たり前というように扱えば、我々は必ず報いを受けるだろう。私はそれを危惧している」
現在進行形で、一部の人間の反感を買っているのを感じる。
だが、この機会に伝えておかねば、今後様々なところで問題が起こる。
行く先々でクラ人を皆殺しにしていくわけにはいかない。
そして、クラ人の強烈な反感を買い、パルチザンのような活動をされたら、大陸を進んでいくことはできなくなる。
「かの栄光のシャンティラ大皇国の広大な領土でさえ、その範囲はこの大陸の十分の一以下にすぎなかったのだ。残りの殆どの地域には、クラ人が住んでいた。カンジャル・ハーンという男がクラ人の四分の一を支配する大帝国を作ったとき、大皇国軍はその数の暴力に屈した。私はその歴史に学びながら、シャンティラ大皇国の栄光を取り戻そうと考える」
俺はそこで意図的に言葉を区切り、人々を見回した。
「――すなわち、シャンティニオンの奪還である。新たな女王の統治下において、それは成されるであろう」
そこまで言い終わると、高らかに楽器が奏でられた。
喇叭の音が響き、弦楽器の音色がそれに折り重なる。
ミャロが手配しただけあって、将家にはできない、上品かつ繊細な音色だった。
俺が喋っていた壇が片付けられ、裾からメイド長ことカフェティ・ロッティが進み歩いてくる。
顔に黒い幕を張った彼女が、上品に玉座に座った。
逆側から、両手で冠の乗った台を捧げ持った少年が現れる。
シヤルタ王国の伝統では、女王が健在の場合は、女王が手ずから冠をかぶせる。
女王が不在の場合は、聖山の長がそれを代行する。
そして、演奏がスッと止まった。
楽器の音が消え失せると、人々が話していた話し声もまた、一拍遅れて静まった。
痛いほどの静粛が訪れる。
「シュリカ・オル・シャルトル。愛しき我が子にして、我が妻キャロル・フル・シャルトルの遺児。新しき時代の女王として冠を授ける」
俺は自分で冠を持った。
耳栓をさせられているシュリカは、こんな状況でもカフェティの腕の中なら安心できるのか、上を向いて黒い布の下の顔を見ていた。
我が子の、金色の髪の上に、銀色の冠を被せる。
「祝福あれ!!」
ディミトリが叫んだ。
「祝福あれ! 新しき時代の新しき女王に、祝福あれ!!」
高位の騎士たちがあらかじめ練習していた掛け声をはなつと、同時に華々しい演奏が始まった。
コォーン、コォーン、と、遠くで正午を知らせる鐘の音が響き渡っている。
だが、そんな音など誰も聞いてはいなかったろう。
大ホールは、人々のあらん限りの歓喜の叫び声で満たされていた。
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