第239話 式典のあと

「はぁ……やれやれ、ようやく終わったか」


 俺はソファに座って、襟を緩めた。


 ようやく一段落がついた気がする。


「いい式典だった。ミャロ、ご苦労さん」

「満足です」


 ミャロは珍しく得意げだった。


「戴冠がほぼ正午ぴったりだったので。一番心配でした」


 見えも聞こえもしなかったが、おそらく今日の正午そのときには、シヤルタの国中で歓喜の声が響き渡っていたはずだ。

 大きな街も小さな村も、お祭り騒ぎに肉や酒が振る舞われた。


 これほどの歓喜に包まれた戴冠式は、そうそうないだろう。

 確かに、一分でもズレていたら興ざめだった。


「これで、国は一つに纏まりますな」


 同じくソファに座ったディミトリが言った。

 ここはミャロの執務室だったが、片側に六人掛けられる長椅子には、他にティグリスとジーノ・トガが座っていた。


 なぜミャロの執務室かというと、話を聞かれる危険が万が一にもないからだ。

 ミャロはそのへん徹底している。


「どうかなぁ。頭の痛い問題がまだ沢山ある。一番の問題は論功行賞だな」

「土地を分けるのですか?」


 ティグリスが言った。


「難しいところだ。正直、俺は土地を騎士が支配してるってのは、良くないと考えてるんでな」

「……そうですな」


 ディミトリが同意する。

 なんだろう。


「私の考えを申し上げてもよろしいですか?」


 発言の許しを乞うてきた。

 珍しい。


「いいぞ」

「今回の戦いで思ったのは、民衆の力は大きい、ということです。ユーリ閣下のこしらえたホウ社の人々ですね」


 まあ、決定的な要素のいくつかはホウ社が作ったからな。

 戦闘馬車にしろ、火炎瓶にしろ。


 たいした話だ。


「近年、スオミの発展は凄まじいものです。これは、ユーリ閣下の創設したホウ社の人々の貢献によるものでしょう。もしエク家が統治したままなら、あのようにはならなかった」


 そうだろうな。


 落ち着いたらクビにするつもりだが、ジャノ・エクは俺を恐れてホウ社についてはなんの口出しも邪魔もしなかった。

 頭を下げることもないが、妨害になることはしないし、泥棒が入れば特別に重い捜査をして捕まえた。


 そのお陰で、ホウ社は最大限の融通を効かせられながら、ここ数年で急激な発展を遂げてきた。


「のみならず、ホウ家の直轄領の収穫高は、ここ五年ほどでかなり伸びています。ルーク様がユーリ閣下の助言をお聞きになり、農法についての改革を行ったからです。ですが、ルーク様は他の藩爵領には口出ししませんでした。教えはして、推奨もしましたが、強制はしなかったので、新しい農法は領地経営に熱心な藩爵領以外には広まらなかった。そのことで、ホウ家の直轄領とそれ以外の藩爵領で、庶民の生活に格差が生じ始めています」


 それは別に俺の手柄ではないんだけどな。


 ルークが地味にやっていたことだ。

 俺が土壌栄養素の話をすると、ルークは実験農地を作って、毎年地味に麦や他の農産物の生産法を模索し始めた。

 牛糞はどうとか、豚糞はどうとか、鶏糞をやりすぎるとどうとか、肥料は完熟させないとだめだとか。


 その結果を指導することで、収穫量はジワジワと向上し始めた。

 キルヒナからの難民を吸収することで、労働集約的な農法を行えるようになったのも大きいだろうが。


「もしこの傾向が続くとなると、格差はさらに拡大するでしょう。優れた領主が統べる土地は、どんどんと新しい技術を吸収して富み栄えていく。劣った領主の土地は、それに追いつけない。民は不満を抱くようになるでしょう。今は人口のほうが過剰ですが、キルヒナを得れば、人が減っていく領も出るかもしれません」

「まあ、そうだな」

「ユーリ閣下もそうお考えなのでしょう。軍権と支配者は別であったほうがいいと」

「そうだ」


 俺は肯定した。


「良き将軍が良き領地経営者であるとは限らないしな。両者を兼任する必要もない」


 例えばドッラとかな。

 やつは前の会戦で抜群の軍功を上げたが、じゃあ広大な領地を封土として与えたら上手く経営できるのかといえば、それは無理だろう。

 民を酷く虐げるとかそういうことはしないだろうが、民からの陳情を聞いたりするのも面倒くせーだろうし、誰も幸せにならない。


 良き将軍が土地を統べるというのは、結局のところは人を支配するのは暴力であるから、結果的にそういうことになる場合が多いというだけだ。

 武を持たないが善政を敷ける賢者が帝国を興すというのは考えられない。

 逆に、悪政しか敷けないが武には優れた将軍が帝国を興すという例は、枚挙に暇がないほどある。


「それに、俺は各地に学校を作って、庶民の中から頭のいい人間を引き立てる方法を考えてる。正直なところ、それは今までのように土地の支配権を誰かに預けていたのでは難しい」

「では、国費から報酬を出して召し抱えるという形でいいのではないですか?」


 ティグリスが言った。


「近衛軍はそうしていたわけですし」


 その通り、近衛の第一軍と第二軍は、王家から給料を貰って暮らしていた。

 領地経営をしていたわけではない。


「だが、大半の騎士たちは、自分たちがボフ家やノザ家の旧領を分割して貰えると思っているように感じる」

「それは……まあ、確かにそう思っているでしょうね」


 大半の騎士たちは旧態依然とした世界で産まれたし、その時代の騎士のあり方が至上だと思っている。

 それが厄介だ。

 金は問題ないが、それで不満が出ないかというとな。


「我々三人と、ゴドウィン家の二人が文句を言わなければ、問題はないでしょう。領地経営に関しては、摂政閣下の代理人ということで、何か息のかかった者を藩都に駐留させればよろしいのでは」


 ディミトリは、よっぽど領地のことを深く考えているようだった。

 意外だ。


「というか、シャンティニオンにまで行くのなら、新たな領地を拝領したところで、領地経営などやっている暇がないので……前線に出ずっぱりなのであれば、目も光らせることはできません。放置するしかないのであれば、給金を頂いたほうが嬉しいです」


 まあ、そうだよな……。

 シャンティニオンと言えば、クリミア半島にまで行かなければならない。


 頻繁に帰ってくるわけにもいかないし、領地は結局誰かに丸投げして経営してもらうことになる。

 嫁さんだか家宰だか息子だかわからないが、それも難しいところだ。


 給金を貰えるなら、領地で王のように振る舞ったりはできないが、王都で十分豊かな暮らしができる。


「お前は将家になりたい……みたいなことは考えないのか?」


 俺はディミトリに言った。

 旧来の伝統でいえば、ディミトリを将家に列して一地域を任せるといった形が妥当だろう。


「ユーリ閣下がそのようなことをお望みになるはずはありますまい。私は大軍を率いさせていただければ満足です」

「それについては任せろ」


 自信がある。

 まあ、金もやるがな。


「問題なのは、むしろルベ家では?」

 ジーノが言った。

「残った将家、ホウ家とルベ家。ホウ家の当主はユーリ閣下なのでいかようにもなるでしょう。ですが、ルベ家の諸侯に摂政閣下の代理人というのを送るというのは、彼らはいい顔をしないと思います」


 それも悩みどころだった。


「協力を約して、あとは手出し無用で任せるしかないな。まさか領地を取り上げるわけにはいかない」

「まあ、そうですね……でも、先ほどの話ですが、やはり私も格差は広がると思います。その時はどうなるでしょう」

「鉄鉱石がある。ルベ家はあれを輸出している限りは安泰だ」


 ルベ家にはこの国唯一といっていい鉄鉱山がある。

 鉄鉱山は他にもあるが、坑道を作らねば掘れない形の鉱山だ。


 ルベ家の鉄鉱山は、山の奥で非常に不便な立地ではあるものの、露天掘りできる。


「領地経営もくそもない。石掘ってりゃいいんだから」


 設備投資の面で工夫の余地はあるだろうけどな。


「そうですか。まあ、そうですね」


 石油もそうだが、こういう地産物で食っていける土地というのは経営が楽だよな。

 普通は森とか農地しかなくて、水が綺麗お酒作ろうとかで売ってくんだから。


「ところでなぁ、本当に言い辛いんだけどな……」


 俺はチラリと、ずっと黙っているミャロを見た。

 ミャロが頷き、立ち上がると、自分の机に向かった。


 ミャロが、とんでもなく豪華な、異様な素材感のある机に隠れる。

 ミャロと俺と、机を作った職人しか知らないことだが、机の真ん中、座った時お腹の前にくる部分は、なんの引き出しもないと思わせておいて、隠しスイッチで開くようになっているのだった。


 ミャロが机の陰から出てきたときには、一枚の紙を持っていた。

 応接用のソファの間にある机に、それを置く。


「お前らには話しておかなきゃならんと思ってな」

「新大陸の地図です」


 俺の横に座ったミャロが、説明をした。


「新大陸……?」


 ディミトリが眉をひそめて言った。


「二年前に発見した。遥か西の海上にある。アイサ孤島までの距離を、更に二倍行ったくらいの場所かな」

「は……? それは、えっ――?」


 ティグリスは目を白黒させている。


「二年前、ですか。大きさは?」


 ディミトリが言う。

 俺は机の上に手のひらを置いた。


「白狼半島がこれくらいかな」

「ハッ、冗談はよしてください……」


 一笑に付す構えだ。

 まあ、無理もない。


「地図を作成できているのはごく一部だが、既に二千人ほど移民させ、村で暮らしている。ここと、ここだ」


 俺は、遠い地点に分かれた二つの赤い点を、順番に指でさした。


「二年前……? では、戦いの前にはすでにこれを見つけていたと?」

 ジーノが言った。

「そうだ。あの戦いでもし負けていても、我々は滅びなかった。キャロルの容態を考えると、移送は難しかったがな」


 俺がそう言うと、ディミトリのふざけた笑みがようやく消えた。


「冗談ではないのですね」

「冗談ではない。現実の話だ」


 きっぱりと言う。


「皆さん、誤解なさらないでくださいね。大陸は広くとも、船はそう多くはありません。先の会戦の前に移住させるのは、二千人が限度でした」


 ミャロが言った。

 ミャロは、このことを伝えることに反対していた。


 せめて説明したいのだろう。


「たったの二千人です。もし、発見したときにユーリ閣下がそのまま公表していたら、その二千人は王族と魔女、そして将家で固められていたでしょう。民を守るべき人々は我先にと逃げ、戦うすべも知らぬ民だけが取り残され、彼らは十字軍に蹂躙され、奴隷となっていたはずです。騎士たちは、十字軍に抵抗しようとは考えなかったでしょう」


 二千人が限界だった、というのは半分嘘だが、倍になったところで四千人にすぎない。

 二千人も四千人も大して変わりはない。


「この情報を隠匿していたことは、最適な判断であったとボクは確信しています。隠していたからこそ、私達は今、こうしてシビャクの王城で話をすることができる。どうかそのことを念頭に置いておいてください」


 ミャロはそこまで言うと、口を閉じた。

 三人は、思い思いに深く考え込んでいる。


「えっと……ですが、シャンティニオンを目指すのですよね? 移住するのではなしに」


 ティグリスが言った。


「そうだ。それについては、まず俺の考えを聞いてほしい」


 俺はそう言って、少し間を置いた。


「演説ではああ言ったが、我々とクラ人というのは、根源的な対立関係にあって、いつ戦争になるかわからない。別種に対しては恐怖を抱くのが人間だからな。クラ人の国が広範囲で纏められ、こちらに牙を剥いた結果、シャンティラ大皇国は多勢に無勢で滅ぼされた」

「それはそうですね。そういう考え方があったのかと驚きましたが」


 ジーノが言った。


「連中はこの世界の圧倒的大部分を支配している。我々は連中を生息域で上回ることはできないだろう。である以上、種族間対立が起きた時には常に劣勢で、敵に団結されればいつなんどき滅ぼされるかわからない、弱い種族ということになる。連中が全世界で団結すれば、こないだの会戦くらいの軍は幾らでも作れるわけだからな。あれが半年に一回も来るようなら、いずれは滅ぼされるだろう」


 人間の国というのは、敵を作ることで団結する。


 交雑種を作れない異人種の国というのは、それだけで敵にしやすい。


 奴らは何を考えているか分からない、俺たちを征服するつもりだぞ。


 実際、カソリカ派国家というのはその一点だけで長く団結してきた歴史を持つ。


「それを防ぐには、第一にクラ人と友好的な関係を作ること。これは相手にシャン語話者を作ってクラ人内部に理解者を増やすことが重要となる。そしてなにより、我々の生息域を広げることが重要だ。こんな吹けば飛ぶような半島一つでは話にならないからな」


 言語というのは扱いが難しい問題で、シャン人にシャン語を使うのをやめてテロル語にしろと言ったところで、これは大変な難事業となる。

 それは無理なので、バイリンガルを増やすしかない。

 そのためには、まずはこちらが両言語を学ぶことが重要だ。


「生息域を増やすということは、出産を奨励して、新大陸とシャンティラ大皇国の旧土をシャン人で満たすということだ。それには百年以上かかるだろう。安定的な外交関係を樹立するために、敵対的なカソリカ派を潰し、宗教を塗り替え、傀儡政権を立てて親シャン人の国家を作る。いずれは敵対するにしても、百年くらい友好的であれば、こちらは新大陸に十分根を張れる」


 自分で言うのもなんだが、目がくらむほど遠大な計画だ。


「こういった機会は、ここ一万年で今この時しかない。今頑張れば、向こう一千年シャン人が再び廃滅の苦汁を舐めない世界を作れるだろう」


 シャン人は、幸運なことに新大陸への切符を他の誰より早く手に入れることができた。

 そして、クラ人の渡航を阻止するための武器も手に入れた。


 鉄鋼船が出現するまで鷲の爆撃に抵抗するすべはない。

 この二つが揃っている機というのは、歴史上でも本当に稀だろう。


 天測航法は、発想こそ難しいが、いつかは考えつかれてしまう。

 その時、相手に鉄鋼船があり、対空機関砲が装備されていれば、上陸を阻止することはできない。


「要は、新大陸を開発しながら、カソリカ派を徹底的に叩き潰す。ってことだな。まあ、実際できるかどうかは分からんが、それが大方針ってところだ」


 シャンティニオンなんて内心ではどうでもいいのだが、やはり国内の感情としては、シャンティラ大皇国の旧土はクラ人に奪われたもので、本来は自分たちの土地であるという想いがある。


 黒海はシャン人の宗教で聖沼と呼ばれ、皇祖であるシャモ・シャルトルはそのほとりで発生したのだ。

 いにしえの首都にして、聖地であるとも言える。


 いい目標になるだろう。

 イイスス都市国家地帯というのは、いうなれば有象無象の集まりみたいなもんだから、ガリラヤ連合までは抵抗は微弱だろうしな。


「なにか質問はあるか?」



 *****



 いくつかの質疑応答を繰り返した後、一段落すると、


「それでな、本当に言い辛いんだが」


 と言って、俺はティグリスを見た。


「新大陸は、実のところ、今これっていう統治者がいない。とりあえず、ハロル・ハレルという男が仕切ってる感じなんだがな。これを統治できる人間が欲しいんだ」


 俺はティグリスをじっと見た。


「真面目で、それなりに柔軟性があって、民にも慕われる感じの人材がいいんだが……」

「私……ですか」


 ティグリスは少し嫌そうな顔をしていた。


「嫌か? お前を慕う民も連れて行ってもらって構わない」

「……聞いた感じだと、家とかもなさそうですが……」


 ティグリスは不安そうだ。


「家はある。こちらで製材して家ひとつ分にしたものを送って作ったからな。ただ、城や豪邸はない。もちろん作っても構わない」

「そうですか……、断ったらどうするのですか?」

「別になんともしない。出世もさせる。都会的な暮らしは恋しくなるだろうしな」


 それは結構辛いだろう。


「少し考えさせてください」


 そっか……まあ、しょうがないな。


「ここよりずっと南だからな。良い土地であることは保証する。というか、土地は幾らでもあるから選り取り見取りだ。ホウ家領よりもずっと豊かで、動物も跳ね回っている。シヤルタにいる動物とは少し違うがな」


 とりあえず、バッファローの群れみたいのは居るみたいだ。

 とはいっても都会はないし、気軽にも帰ってこれないので難しいところだろう。


「ジーノ」

「はい」

「お前はリフォルムに入ってキルヒナ地域の総督をやってくれ。構わないよな」

「えっ――本当ですか!?」


 ジーノは、望外の喜びだというように喜色満面の顔をした。

 こいつが、内心でキルヒナに強い望郷の念を抱いていることを俺は知っていた。


 封土を与えるわけではないので、ダメそうなら下ろしてもいい。


「本当だ。ディミトリ。お前は引き続き、総軍の総司令官だ。上手くやれよ」


 俺がそう言うと、ディミトリはにわかに立ち上がった。


「ユーリ閣下に従って戦場を駆けるが我が喜び。謹んで拝命いたします」


 ビシッと敬礼をすると、再び座った。

 不満などがないことを示したかったのだろう。


「よかった。じゃあ、今日はこれで終わりにしよう。こんな時に集めて悪かったな」


 俺も今日は難しい話をたくさんして疲れた。


「むろん、新大陸のことは今のところ極秘だ。ティグリス、返答は一か月以内に頼む」

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