第235話 帰国

 船がスオミに到着したとき、そこにはリリー先輩とシャムが待っていた。


「ユーリくん!」

「ユーリ!」


 帰りの船旅は風の具合が悪く、10日かかってしまった。

 二人に会うのはほぼ一ヶ月ぶりになる。


「おかえり、長旅ご苦労さまやったねぇ」

「ただいまです」


 潮風の薫る埠頭で挨拶をする。

 リリー先輩が蝋封された一枚の封筒を渡してきた。


「あのな、ミャロちゃんが渡してくれって」

「ミャロが?」


 封蝋を割って、手紙を開く。


 ”食料の輸入は首尾よくいきましたか?


 王都は食料配給中。

 中型の近海航行用の船舶を回航しておいたので、積み替えて各地に配送してください。

 詳細は別紙にて。そのまま埠頭の頭に渡して貰えれば分かると思います。


 一回の配達では足りないので、船員休息後、できるだけ早く出港させ、次回の食料を手配してください。


 補足


 彼女の捕捉は不首尾”


 アンジェリカ・サクラメンタは逃げたらしい。

 なるほど。


 二枚目の紙は、行き先と食料分配の比率の載った指示書だった。

 別紙だろう。


「おいっ!」


 ゾロゾロと下船しているホウ家の兵士の一人を呼びつけた。


「すまないが、この紙をあそこにいる白髪のおっさんに渡してきてくれ」


 別紙をそのまま渡す。


「筋骨隆々の男だ。わかるか?」

「あの、一人だけ袖のない寒そうな服を着ている人ですか?」

「そうだ。頼んだぞ」


 俺が手紙を預けると、兵士は飛ぶように走っていった。

 わざわざ紙を別にしておいたのは、食料輸入が失敗したとき、悪い噂が広まるのを防ぐための措置だろう。


 国内で妙な動きが発生するのを嫌って、俺の出港自体、信用できる一部以外には広めていない事だった。

 これでやっと食料が国民の腹を満たし、一連の危機が終わる。


「リリーさん、これお土産です」


 と、俺はラッピングされた小箱をリリーさんに渡した。


「えーっ、なになに?」

「中身はつまらないものですが」

「開けてもええ?」

「もちろん」


 俺がそう言うと、リリー先輩は箱を締める帯を丁寧に解いて、開けた。

 中には、微かにクリーム色を帯びた白い象牙の髪飾りが入っている。


 幾重にも咲いた花模様が美しい。


「わあっ……!」


 リリー先輩の顔が華やいだ。


「嬉しいわぁ、大切にするね」


 胸に抱いている。

 こう喜んでもらえると、選んだ甲斐があるな。


「喜んでもらえて嬉しいです」

「ちょいちょい」


 と、そこで俺の上着の裾が引っ張られた。

 見ると、シャムがにっこりと微笑んでこちらを見ている。


 笑顔で催促している。


「もちろんシャムにもあるぞ」

「ですよね」


 俺はシャムに箱を一つ渡した。


「ほら、開けてみろ」

「はい」


 シャムはウキウキで箱を開け始めた。


「え……っと、これ……」

「象牙のペンだ。書きやすいんだよ」


 俺も実際に使ってみたが、向こうのペン先は意外と発展していて、万年筆ではなくてつけペンだが、こちらのものより書きやすい。

 ていうか羽ペンつかってるからな、こっちだと。


「………」


 シャムは見るからにがっかりした顔をしていた。

 あれ。


「え……ユーリくん、これは……」


 リリー先輩がちょっとびっくりしている。

 あれ、ペンってまずかったか。


「……シャムにはこういうもののほうがいいかな……と思って」

 小声で言い訳をすると、

「あかんよ……女の子なんやから……」


 咎められた。

 まずったな。


 サツキさんの土産と交換――いや、あっちも筆記用具だ。

 まいったなこりゃ。


 でも、シャムが装飾品欲しがるとは思わないじゃん……。

 サツキさんに付けさせられているところは見たことがあるけど、自ら付けてるところなんて見たことないし、どうせ使わないだろ……。


「ははっ……いや、いいですよ……ありがとうございます」


 どうやら、やっちまったらしい。


「すまん、埋め合わせはするから……」

「いいですって……」


 そーとー怒ってるな。

 怒ってるというか、悲しんでるな。

 こっちの胸が痛くなる。


 といっても、たぶんまずかったのはプレゼントではなくて、リリー先輩に先に渡したのが装飾品であったことだと思うんだが。

 たぶん別のとき別の場所でペンをあげてたら普通に喜んだんじゃないか。


 ミスったな。


「んっ!?」


 リリー先輩が、唐突にびっくりとした声をあげた。


「あっ、ごめんシャム……でもユーリくん、あの子……えっと、なに? どうしたん?」


 リリー先輩は、船から陸に上がってきた少女を見ている。

 見ずとも察しがついたが、改めて振り返って見てみると、やはりテミだった。


「遥か南の国から来た女の子ですよ」

「え、元からああいう肌の色なん? うそやろ?」

「タイニャンの王宮記に、黒い肌のクラ人女中っていうのが出てきたでしょ?」


 大皇国時代の有名なテキストに黒人は出てくる。

 かなりの名文とされる王宮日記なので、現代シャン語にも訳されているし、教養院では古代シャン語のテキストとして習っているはずだ。


 シャンティラ大皇国時代のシャンティニオンは国際貿易都市だったので、黒人も稀ながら居た。


 竜ほど縁がなかったわけではない。

 当時からして印象的だったので、やはり文章に残りやすかったのだろう。


「あー、出てきた出てきた。えっ、あの子がそうなんかー……確かに肌黒いわぁ。本の中の話かと……」

「奴隷として売られていたので、解放してあげたんですよ。こちらで働かせようと思って」

「ふーん……ちょっと可哀想やけど、買われて働かされるよりは幸せやろうね」

「……大丈夫なんですか?」


 シャムが言った。


「好奇の目線に晒されるのは、確かに辛いかもな」

「そうじゃなくて、紫外線の曝露によるビタミンの生成は、人類の淘汰圧要因だったはずじゃないんですか? 彼女は、太陽光線の強い低緯度地域が生存適地なのでは?」

「……そうだった」


 すっかり忘れてた。


 人間は肌の色が濃いと、太陽光線を皮膚表面で止めることができる。

 太陽光線は皮膚にとって有害であり、深部まで届くと人体組織を破壊する。

 その結果、シミができたり、酷く焼かれると炎症を起こしたり、長期的には皮膚がんになったりする。


 だが、カルシウムを人体に取り込むための必須栄養素であるビタミンDは、皮膚が紫外線に曝露することで生成される。

 高緯度地域では、太陽光は地球に垂直ではなく斜めに当たるので、紫外線量は最初からそう多くはない。


 太陽がガンガン照りつける低緯度地域なら、皮膚を守るために黒い肌は必要だが、ここではむしろその重装備が徒となってしまう。

 今度は色の濃さが紫外線を遮断しすぎてしまい、ビタミンD不足になってしまうかもしれない。


 夏ならともかく、冬はまずいかもしれない。

 あと、あまり北のほうに住まわせるのもまずいだろう。


「まあ……魚をたくさん食べさせて様子を見るか。日光浴もできるだけさせて……」


 テミの肌の色は濃いことには濃いが、黒曜石というほどの黒さではなく、茶灰色という感じだから、そこまでの欠乏症にはならないとは思うけど。


「彼女、知能は優れてるんですか?」

「それは、かなりのもんだと思う」


 イーサ先生が教えたらあっという間に幾らかの単語は覚えたし、暗記力が優れているのは間違いない。

 算数も、教えたらすぐに二桁の足し算まで覚えた。


「こっちの平均よりは確実に上だな」

「なんの仕事をさせるつもりですか?」

「さあ……とりあえずホウ家に預けて、女中の仕事とかかな」


 というか、なんでそんな事を聞くのだろう。


「じゃあ、あの子をお土産にください」


 へ?

 なんか怖いことを言い出した。


「人間なんだが」


 人間はモノじゃない、とか奴隷はよくない、みたいな知識から教えたほうがいいのだろうか。


「一から教え込んで私の助手にします。見込みがなさそうなら返しますので」


 えぇ……。


「なんでだ? なにもあの子じゃなくても」

「珍しい感じが気に入ったんです。それにビタミン欠乏症の知識がなかったら、生活指導できないでしょう?」

「まあ……そんなに欲しいなら話をしてみるが。現状では話もできないぞ?」

「……頭がいいならすぐに覚えますよ、きっと」


 それもどうなんだ。

 まあ、どっちみちテロル語も覚えてはいないんだし、むしろテロル語とは一切関わらせないほうがいいかも知れないな。


 帰ると言い出した時に、テロル語圏に定着したら困ったことになる。


 それが怖いな。

 ただ、黒人はシャン人ほどではないがテロル語圏でも被差別人種だし、どっちみちワタシ派が広まって国際交流が大きくなれば、シヤルタ国民に施した教育は大なり小なり広がっていくだろう。


 国外に行かせると技術流出が確定的で、非常にまずいという情勢だったら、やりたくはないが自由を奪うという選択肢もある。


 北の果ての科学の城になぜか黒人がいるという絵面も、なんか大学っぽい感じがして素敵だしな。

 まあいいか。


「じゃあ、話してみる」

「お願いします」


 船の方に戻って、テミと話してみた。


「テミ、あそこにいる、女の子のところで働きたい?」


 俺がそう言うと、テミは激しく首を縦に振った。


「嫌?」

「嫌、ない」


 まあ、どちらかといえば歳の近い女の子がいいんだろう。

 歳が近いといっても結構離れてるんだけどな……。


 手を握って連れて行ってみると、シャムはテミの前で膝を折ってしゃがんだ。


「私のところで働きます?」

「はたらく ます」


 働くそうだ。

 うーん、心配だ。


「シャム、本気なん……?」


 リリー先輩が心配そうに見ていた。


「本気ですよ。ずっといもう――じゃなかった、実験助手が欲しかったので」


 さっき妹って言いかけなかったか?

 おいおい。


 不安だな。



 *****



 俺はそれから、ずっと預けていた白暮に乗って、その日のうちにシビャクに戻った。


 王城に白暮をつけ、小走りで階段を登り、ミャロの執務室に入る。


「おや?」


 そこに居たのは、以前アイリーンと呼ばれていたギュダンヴィエル家の家宰の女性であった。

 いつもの秘書官ではない。


「よう」


 俺が声を掛けると、アイリーンは人差し指を自分の口の前にそっと添えた。

 静かに、という意味だろう。


「どうぞ、こちらへ。いつでも通すように言われておりますので」


 そう言って、ミャロの執務室へ通じる扉を開けた。

 促されるまま中に入ると、執務机には誰も座っていない。


「へっ!? ユーリくっ――! きゃあ!!」


 がしゃん! と音がなって、何か倒れる音がした。

 そちらを見ると、あられもない姿になっているミャロが居た。


 ズボンに両足を突っ込んだミャロが、その状態で地面の上にぶったおれており、あられもない姿を晒している。

 ていうか、白いパンツが股の間から見えている。


 ミャロのパンツって初めて見たな。

 お尻から太ももへの整ったラインが、巨乳とはまた違った美的なフェティシズムを感じさせる。


「いったぁ……ちょっ、はやく出てってください!」


 ミャロは両手でパンツを隠しながら言った。


「すまん」


 俺は再びドアをくぐり、部屋から出た。

 扉のノブを持っているアイリーンは、なぜか真面目な顔をしていた。


「なんで通したんだ?」

「私なりの忠孝です。どうですか? 案外可愛らしいお方でしょう」


 どういう忠孝だ。

 ていうか、ドアを閉めず、今もずっと開けっ放しにしてるんだが。

 閉めろよ。


「可愛らしいのは、言われなくても知っているさ」

「あなたのお手出しを待っておられるのも?」


 俺はそれには答えず、ドアからミャロが現れるのを待った。

 しばらくして、ドアの向こうからミャロが顔を出した。


 ちょうど、業務を終わらせ城から帰ろうと、着替えていたところだったのだろう。

 どちらかというと平服に近い服を着ていた。


 アイリーンは、あるじを迎えに来ていたのか。


「……はあっ、アイリーン、本当にやめてくださいと言ったでしょ」

「聞こえませんでした」

「今度やったら減給って言いましたよね。本当にお給金減らしますから」

「どうぞ。お金には困っておりませんので」


 厄介だなこの人……。

 ミャロの苦労が偲ばれる。


「ユーリくん、どうぞ入ってください。それと、今のは忘れてください」


 忘れろと言われても、忘れられるものではない。


 俺が入ると、後ろでパタンとドアが閉じた。


「まったく、あの人はもう……っ! ふざけてる場合じゃないんですけどー!」


 ミャロは、よっぽど怒っているのか、わざわざ外に聞こえる大声で言った。


「配給制がどうとかだったな」

「そうですよっ! ギリギリなんですからっ……! なのにまったく……!」


 ミャロはまだ動揺が収まらないのか、顔を赤くしている。


「船いっぱいに積んできたから大丈夫だ。指示書通り、各地に送る中型船に積み直しているところだ」

「あっ……そうですか……」


 ミャロは、俺の報告を聞いて心から安堵したのか、突然気の抜けたような顔をした。

 無理もなかろう。

 ミャロは、王都どころか、ほとんど全国民の命を握っているに等しかった。

 食料配給が限界にくれば、餓死者が発生しただろう。


「で、首尾は? 戦争になりそうですか?」


 食料の交易が拒まれた場合は、食料の確保は最優先事項なので、鷲を使ってカツアゲをすることになっていた。

 その場合は、当然交戦状態となる。


「そうはならなかった。きちんと条約を結んできたよ。一人大評議会議員を連れてきた。戴冠式に出席させる」

「はぁ……そうですか。それはよかった」


 ミャロは、ほっ、と溜め息を吐いた。

 本当にギリギリのところだったらしい。


「本当に良かったです」

「そんで、アンジェリカ・サクラメンタは逃げおおせたのか」

「ええ、残念ながら」


 残念でもないんだけどな。

 王族でも、また別の係累を探して連れてくるんだろうし。


「どうも、相当に国内の道を調べ尽くしていたようですね。遠回りを厭わず小さな道を使って逃げたようで……あらかじめ敗戦を予感していたのかも」

「それほどの女なら、野望も抱いているだろうな。王を目指しての行動だろう」

「ソイムさんの軽騎兵隊からの評価も良かったようですし、中々の人物なんでしょう。戦わずに逃げたというのも恐ろしいですね」

「まあ、むしろ逃げたほうが簡単になるかもしれない。アルフレッドは可哀想だがな」


 逃げたというのも印象が悪い。

 せいぜい、エピタフ共々利用させて貰おう。


「あとこれ、お土産」


 俺はミャロの前に小箱を置いた。


「え、なんですか? 開けていいですか?」

「うん」


 ミャロが箱を開ける。

 中には、シャムにやったのと同じ象牙軸のペンが入っているはずだ。


「わあっ、象牙ですか。ありがとうございます。綺麗ですね……大切に使います……」


 普通に嬉しそうだった。


 やっぱりタイミングが悪かったんだな……。

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