第236話 アルフレッド・サクラメンタ

 その日、俺はアルフレッド・サクラメンタが捕らえられた部屋の前に来ていた。


「この部屋です」


 案内してくれた衛兵が言う。


「そうか。彼の調子はどうだ?」

「調子? 元気です。教養院の子に、暴れると窓のない牢屋に入れられると脅されてからは、静かにしてます」


 そうなのか。

 まあ窓は欲しいもんな。

 外見てるだけで少しは暇つぶしになるし。


 そのうちには座敷牢に移送することになるだろうけど。


「食事を運ぶときとか、何か言ってくるのか?」

「さあ……なにか言っては来ますが、さっぱり分からないので、なんとも」


 まあ、そりゃそうか。


「おそらく嫌味を言っているのでしょうが……唸ってくる動物に餌やりをしている感じですかね」


 尋問した教養院の子が残した報告書には、罵詈雑言が酷いと憤懣やるかたない気持ちが綴ってあったんだが。

 言葉が分からないほうが適任とはな。


「それじゃ、入る」

「本当にお一人で?」

「一対一の素手で俺に勝てるなら、逃してやってもいいくらいだ」


 前に暴れた時は、さして考課の良くない衛兵一人にシメられたらしいしな。

 大丈夫だろ。


「ま、大きな音でも鳴ったら来てくれ」

「了解しました」


 俺はドアを開けて中に入った。

 ここは王城の一室で、どうあがいても蹴破れそうにない重厚な外開きの扉に、閂を通せる金具が新たに取り付けてある。

 一つ窓があるが、バルコニーはなく、外は落ちれば確実に死ぬ高さになっていた。


 今の所死ぬ動機がないからいいが、近い内に死にたくなるだろうから、座敷牢に移動させたほうがいいだろう。

 エピタフと違って、信仰的な理由があって自殺できないということはないだろうし。


「よう」

「……誰だ」


 アルフレッドは豪華な椅子に座っていた。

 シヤルタ製の部屋着を着て、気だるそうにしている。


「ユーリ・ホウだよ。あんたのところの軍を滅茶苦茶にした、総司令官といったところか」

「なんだと? 貴様が?」


 アルフレッドは疑いの眼差しを向けてきている。


「ああ、そうだ。テロル語が堪能なので驚いたか?」

「……ふん、そうでもない」


 そうでもないらしい。


「アルビオ共和国に行って、身代金交渉を委託することになった。あんたは身代金と引き換えに解放される」

「そうか。なら、さっさと進めるがよい。ここは暇にすぎる」

「そのうち、聖典が配られる。暇つぶしに読むんだな」


 イーサ先生が訳者ということがバレたので、解禁だ。

 全捕虜の部屋に一冊置かれることだろう。


「つまらん。それでなんだ、他に用があるのか」


 あるんだなそれが。


「あんたがご執心の妹君は、逃げおおせたぞ」

「……なに?」

「アンジェリカ・サクラメンタだよ」


 俺がその名を伝えると、


「なんだとッ!? あの売女がッ――!!」


 アルフレッドは、気炎を吐きながら机を拳で叩いた。

 評判通りのようだな。


「目端の利く、有能な女だよ。あんたが戦死すると見越し、真っ先に陣を捨てて北に逃げ去った」

「ぐっ……あの女ァ……!」


 歯ぎしりしている。


「あんたよりよっぽど賢く、強い女だ。大したもんだよ。相当追撃をかけたのに」

「黙れェ!」


 机の上の水差しが振り払われ、金属製のそれが床に転がった。


 どうも捕虜の証言を総合して浮き彫りになった人間関係は、おおよそ間違ってはいないようだ。

 都合がいい。


「もちろん、彼女はあんたの不在中に帝座を掠め取るつもりだろう。さもなければ殺されるわけだからな」

「私を早く帰らせろ! 身代金なら幾らでも払ってやる!!」


 そう来るわな。


 祖国で帝座を奪われかねないのなら、早く帰って生存を誇示し、帝座を守らなければならない。


「そうかな? 彼女はもう帰っているのだ。あんたが戻ったら自分は破滅するというのに、易々と身代金を払うものかね。彼女は払いを渋るどころか、あらゆる手段をもって妨害するだろう」


 実際には、アンジェリカが帝都アンダールに帰るまで、まだ一ヶ月以上かかるはずだ。

 なにせ補給が破壊されているから、手探りで食料を集めながらの移動となるし、俺がキルヒナで経験したのと同じように、主街道を避けると歩みは遅くなる。


 追撃を振り切ったあとも、彼女は簡単には主街道を使う判断をできないだろう。

 低い可能性ではあるが、どこかの路傍で息絶えているかもしれない。


 俺は、彼女が追撃を振り切って逃げ去るという可能性を考え、アルビオ共和国に渡すリストの中にアルフレッドの名前を入れなかった。

 つまり、アルフレッドはこれから、戦死したように扱われる。


 もちろん、アルフレッドはこうして生きているわけだし、その生存を知っているものたちは捕虜のなかに幾らでもおり、彼らが帰ったら生存の事実は露見するだろう。

 ただ、戦死したことにしておけば、ティレルメ神帝国内でアンジェリカは急速に力を得ることになる。


 捕虜から得た情報によれば、アンジェリカ・サクラメンタは賢明な女領主として評判で、先帝の寵愛も甚だしかったという。

 対して、アルフレッドはそれほど評判は良くない。

 即位した時に血なまぐさい陰謀を企てすぎ、即位したあとには幼い弟まで殺したので、卑劣な兄帝という汚名がついてしまっている。


 民衆は、案外アンジェリカを帝に望むのではないか。

 まあ、この時代、女であることを差し引いて考える必要はあるが、あれほど有能であれば民をうまいこと扇動するだろう。


「おまえは知らないだろうが、我が国では王族は勝手に王になれるわけではない。選帝侯による選帝選挙でえらばれる必要がある」


 アルフレッドが言った。


 選帝侯制度は、ティレルメ神帝国の特殊な政治事情から発生した。

 そもそもティレルメ神帝国の帝王は、その祖からして自ら覇を唱えて君臨したわけではない。


 もともと、ティレルメ神帝国の地域には、固い連帯意識のある諸豪族というか諸王国というか、そんな小国家が乱立していた。

 カルルギニョン帝国の最盛期に、戦争しようと思ったら雑魚の寄せ集めだったので惨敗し、彼らは軍事的に結束するためにリーダーを必要とした。


 だが、彼らの中には突出した勢力はなかったし、誰かがそれになるのは気分が悪かったので、他所から連れてきた。

 そこで選ばれたのが、今のサクラメンタ帝家だ。


 選帝侯制度とは、つまりは外勢力に脅かされたくないから軍事的なリーダーは欲しいけれど、自領での強大な権力は手放したくない。という二つの背反する我儘を同時に叶えるために作られたものだ。

 帝を選ぶ権利を持っていれば、代替わりの度に帝王候補が媚を売ってくるし、そこで恩を売っておけば権威を脅かされにくくなる。


「知っているさ。だが、あんたには子供がいない。アンジェリカには、対立候補が誰一人としていないだろう。みんなあんたが暗殺しちまったからな」

「……ふん」


 アルフレッドはつまらなそうに息をついた。


 この男は、帝座に座るために兄二人を殺し、帝座を脅かされるのを恐れて幼い弟も殺した。

 アンジェリカももちろん殺そうとしたが、彼女は逃げ延びた。


 その他にも血の近い傍系はたくさんいるらしいが、有力なところは大体難癖をつけて潰したり、誰の犯行なのか定かではない形になってはいるが、毒を盛って殺してしまった。

 この男は、暗殺や処刑を多用する権力者にありがちな、病的な人間不信に陥っている。


「……だが、妻はいる。妹は存外、甘いところがある。我が妻を殺しはしないだろう」

「噂を聞くとそうかもな。近親の血を好み、殺戮を繰り返すあんたとは違うようだ」

「その軽口を控えろ。下賤な悪魔ふぜいが、クスルクセスの聖なる血を継いだ私に軽い口を叩くな」


 おっとぉ。


「事実を言われて腹が立ったか? だが忘れないほうがいい。連絡をするかしないかは俺が決めることだ。それに、俺の国は十字軍といかなる捕虜交換の条約も結んでいない。煮ようが焼こうが文句を言われる筋合いはない」

「……とにかく、妻に連絡しろ。どうにか金を工面するだろう。金さえ用意すれば文句はあるまい」


 王の身代金となると、国家予算の二倍程度になるらしい。

 まあ、アンジェリカ・サクラメンタは妨害してくるだろうから、時が来たら内緒でコンタクトを取らせる形にしたほうがいいな。


 死んだと思わせておけば、妨害もしては来まい。


「金で満足するかは、分かりかねるな。俺は、あんたには個人的な恨みがあるかもしれない。例の謀略を働いたのはあんたなのかね」

「……例の、女王が死んだやつか」

「そうだ」


 女王も死んだし、俺の両親も死んだし、近ごろは妻も死んだ。

 だが、彼らにとっては、目に見える重要な成果は女王が死んだという一点だけで、他は見えていないのだろう。


 結局、女王が死んだ代わりに俺が台頭し、国を牛耳ってしまった。

 電光石火の勢いで全てが進んでいったので、暗殺計画を実行してからのんびりと十字軍を動員しているうちに、こちらは用意が整ってしまった。


 その結果がこれなわけで、実際のところ、あんな暗殺計画など実行しないほうがよかったと考えている者も多いかもしれない。

 実行しなければ、少なくとも俺が握っていたのはホウ家の軍だけだったろうし、ノザ家もボフ家も健在で、第二軍や第一軍などは主戦場に出てこず、王都を守っていたかもしれない。


「俺は、ことのほか両親を愛していてな。妻も愛していた。例の謀略で三人共死んだよ。あんた、関与していたのかね」

「本当に、ユーリ・ホウなのだな。名を騙った偽者と思っていたが」


 まだ疑っているらしい。

 まあ、俺はまだ二十才だし、アルフレッドからしてみれば十八くらいのガキにしか見えないだろう。


「ああ。人質にできるか試してみるか? 竜狩りが実力かどうか、確かめてみても構わない」


 やってみたかった。

 座っているだけでも見える強さはあるし、見た感じ負ける気はしなかった。


 俺が手ずからボコボコにすれば、こういった男はやはり萎縮するだろう。

 ひどく殴られた女性が、次には男が手を振り上げただけで萎縮するようになったりするのと同じで、戦争の際にも逃げ腰になるだろう。


 こういう形で格付けを済ませておくのは、後々のことを考えると、悪いことではない。

 ボコボコにされても直ぐに立ち上がって再戦を望んでくるような男は、そう多くはない。


「人質にしたところで、祖国まで帰れるわけではない」


 やめておくようだ。

 やっぱりな。


「で?」

「なんだ?」

「あの謀略に、あんたは関与していたのか。まだ答えを聞いていない」

「関与していたらどうだというのだ?」


 アルフレッドはにやりと意味ありげに口端を歪めた。


「俺には敵は多いが、人生を賭けてでも復讐すると決めた仇敵は、そう多くはない。あんたは、その数少ない者たちの一人になるだろう」


 俺がそう言うと、アルフレッドの表情に、一瞬、少し怖気づいたような色がさした。


 やはり、この男の本性は臆病なのだ。

 プライドが高く、身内には強気で、自信家なタイプだ。


 だが本性は怖がりなので、帝位を取った後は自分と同じような立場だったものが同じようなことをして、自分を帝位から引きずり降ろさないか不安になった。

 暗殺を実行するたびに、買った恨みが増えていくことに不安になり、今や不安は病的な水準にまで達した。


 そういう男だ。


「……計画を立てたのは、エピタフ・パラッツォだ。俺は連絡を受けたくらいで、他はなにもしちゃいない」

「連絡とは?」

「魔女とかいう連中を詐略にかけるので、政府高官らしき奴らがリフォルムに来た場合は、口裏を合わせるように、とか、そういう指示はあった。実際には来なかったようだがな」

「そうか。関わっていたわけだな」

「は? 関わってはおるまい」


 俺も関わっているとまでは思わなかった。

 だが、どっちみちこの男は、俺に利用され地獄の苦しみを味わうだろう。


 前回の十字軍を率い、キルヒナを潰したのはこの男なのだ。

 苦しみを味わうくらいの罪はある。


 俺はそう考えることで、自分をごまかそうとした。


「自らの罪を悔い改めることだ。あんたの妻と連絡がついたら、また来る」


 俺はそう言って、席を立った。


 こいつには、今のところなにもしない。


 アンジェリカが活躍をするまでは寝かせておこう。

 それは、捕虜が帰り始めるよりは早くなるだろう。

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