第233話 異国見物
ホウ家の兵に買わせておいた服を着て、こっそりと元の服をカバンにしまうと、俺は耳を隠せる帽子とマフラーで顔を隠し、街に繰り出した。
シヤルタの都市とはガラリと雰囲気の違う街を歩いていると、清々した気分になる。
外国の街歩きって最高だよな。
商店街を見て歩いていると、見慣れたものも見慣れないものも、沢山の商品が並んでいる。
果物など、既に輸入してシヤルタで見たことのある品も多いが、店に並んでいるのを見るのも新鮮だった。
「お?」
とある店の奥に、珍しいものが並んでいるのが見えた。
扉を開けて、中に入る。
「店主」
「……なんだね」
メガネをかけた不機嫌そうな老店主が、本を読みながら言った。
客が固定されているのか、あまり接客する気がないようだ。
「ここは象牙屋だな」
店の奥に白いものがあったのが見えたのだ。
「象牙だけじゃない。銘木なども扱っている」
「銘木というと?」
「黒檀などだ」
黒檀かぁ……いい響きだね。
「じゃあ、一番大きな象牙を一本。それと黒檀も見せてくれ」
「……どこぞの使いの丁稚かね。子どもが買えるような値段のものじゃないよ」
まぁ、シャン人は若く見えるからな。
「金があるなら関係ないだろう?」
俺は机の上に、この国の金貨を袋ごとドサっと乗せた。
リーリカが両替して、ホウ社の事務所金庫に入っていたものだ。
「……あんた、何者だね」
「誰でもいいだろう。郷土への土産を買い漁っているのさ」
「ま、金を払えるなら客だ」
老店主は、立ち上がって腰をトントンと叩きながら、店の奥に入っていった。
戻ってきて、机の上に一本の象牙を置く。
なにも言わずにまた奥に消え、今度は黒檀の板を持ってきた。
きめのこまかい黒い板は、塗料で塗って黒くしたような色合いではなく、きわめて自然に黒い。
ただの板なのに、その色合いだけでどこかエスニックな雰囲気を感じさせる。
見ただけで、普通の板とはなにかが違う、特別感がある。
それを見た時、ふっと湧いたアイデアがあった。
「一番大きい象牙と、こっちは黒檀だ。買うのかね」
まぁ、象牙はこれでいいか。
ルベ家には象牙の角笛がないらしいからな。
だが、これを使って角笛を作ると、ホウ家のものより大きくなってしまうような気がする。
若干癪に障る感じはするが、まあいいだろう。
「黒檀ってのは、どのくらいのサイズがあるものなんだ」
「なにを作りたいのかね」
「大きな机」
執務机にするのだ。
「机……? 全部を黒檀でかね」
「持ってみていいかな?」
店主が無言で手を差し伸べ、許したので、俺は黒檀の板を手に持ってみた。
これは本当に木材かというほど、ずっしりと重い。
「これでは引き出しが重くなるな。天板だけにしといたほうがよさそうだ」
執務机は日常的に使う道具なのだから、高級だろうが使いにくかったら意味がない。
自重で壊れやすくもなるしな。
俺は黒檀の板を置いた。
「机にするなら、紫檀などがいい。持ってきてやろう」
店主は再び奥に行って、また別の木材を持ってきた。
「これなどは香りがいいとされている。十分に硬いし、黒檀よりは軽い。持ってみなさい」
少し赤みがかった色をした木材を受け取る。
持ってみると、確かに軽く、鼻を近づけると僅かに花のような香りがした。
「黒檀も紫檀も、丸太で売ることになっている。机の天板にするのなら、丸太の真ん中で何枚か板材を取って、残った両端で柱と足を作るといい。家具は普通そうする」
「なるほど」
「それで、買うのかね? 最上級の象牙ひとつと、机ひとつ分の銘木となると、これでは少し足りないが」
店主は金貨の袋を、逆さにしてあけた。
机の上にじゃらじゃらと落ちる。
「もちろんだ。これで足りるかな」
俺はもう一袋金貨の袋を置いた。
「おみそれした」
店主は、降参というふうに両手を挙げた。
「荷物は、明日までに第十二桟橋に付いている船まで配達してくれ。色合いが合うよう厳選してくれよ。うちの大宰相に差し上げる机になるのだからな」
「はいよ」
「それと、象牙細工の良い店があったら紹介してくれ」
金銀細工ならシヤルタにあるので、できれば象牙細工が良かった。
珍しいし、そもそも職人がいないのでシヤルタに存在しない装飾品だ。
土産物にはぴったりだろう。
「……フム、レリーフか装飾品かで変わってくるがね」
「装飾品だ」
リリー先輩への土産なんだし。
シャムにはもっと別の土産がいいだろう。
「それなら、この通りをまっすぐ行ったところにあるキィレルの店がいい。看板に象が書かれているところだ」
「なるほど。感謝する」
「またのお越しを」
金払いのいい客は大歓迎だ、とでも言いたげな様子で、店主はサービス精神たっぷりに頭を下げた。
*****
いくつかの土産を買って、午後三時くらいまでうろつこうと決めて、ぶらぶらと歩き続けた。
一方向に歩き続けると、高級住宅街や商店街といった区画を抜けたのか、建物の質が徐々に悪くなってくる。
見ても面白くないし、道を変えて戻るか、と思い、区画を一つ横に移動して引き返すと、そこで奴隷市場という看板が目に入った。
奴隷市場。
これはまた剣呑な響きだ。
生まれてこの方、初めて見るな。奴隷市場。
そこは、開けたマーケットのような場所ではなく、一つの建物であるらしい。
あんまり装飾のない、石を積み上げて窓を作っただけの建物に、大きな門がある。
あえていえば、窓に全て鉄格子がはまっているのが特徴的だろうか。
門は開いており、そこには門番のような者が武器を持って待機していた。
試しに、俺は客だ、とばかりに堂々と入ってみると、なんにも見咎められることはなかった。
恐らく、入ってくる者を拒むというよりは、出ていく者を拒む、つまりは奴隷が逃げ出した時に門を閉めて捕まえるのが仕事なのだろう。
奥に入っていくと、中にいるのは怪しいオッサンばかりだった。
俺も顔を隠しており、十分に怪しいが、これくらいではマトモなほうのようだ。
むしろマトモすぎると見咎められそうだ。
そんなことを思いつつ、更に奥まで行くと、一気に空間が開けた。
建物の中央部に吹き抜けがあり、中心部からややズレたところに、一つ高い台が設けられている。
そこは、確かに奴隷市場であった。
女の人が素っ裸になって、台の上に立って売られている。
売られている、というか、競りにかけられていた。
視線に恥ずかしがって、股間や胸を隠し、顔をそむけようとするたび、棒でもって手をどかされ、顔が良く見えるように顎を戻されている。
ほほー。
「一万!」
仕切り人が大声で値段を言っていく。
「一万千! 一万千! 一万千! ないか~~~?」
どうも、上にあげた手の形で値段を意思表示するらしい。
「一万三千! 一万三千! 一万三千! ないか~~~?」
一万三千というのは、エピでの話をしているのだろうから、一万三千エピということになる。
確かに綺麗な女の人だけれども、結構な値段がするんだな。
1エピ=8ルガ程度だと聞いているから、一万三千エピとなると、ホウ社の役付き連中の年収ほどの値段になる。
普通の肉体労働者の年収からすると、十倍程度か。
まあ、物価の違いはあるんだろうけど。
「ないか~~~? 一万三千!」
そういう文化なのか、値段が決まると、仕切りの男が立ち机の上で裁判官のようにハンマーを叩いた。
手元の書類になにかを書き込んでいる。
競り落とした人間とか値段を書いているのだろう。
俺は競りから目を離して、そのへんを見回った。
これから結ばんとしている条約の中には、シャン人の奴隷売買を禁じるという条項があるからか、ここにシャン人はいなかった。
ここは十字軍国家ではないので、シャン人奴隷が回ってくるルートからはズレているが、需要はあるだろう。
まあ、昨日までは居たのかもしれない。
俺は、更に市場内部を見回ってゆく。
社会科見学のような気分だった。
気温はそれほど寒くはないが、やはり値段がそれなりにするので、体調を崩さないようにしているのだろう。
競り場以外では、奴隷たちは粗末ではあるが服を着せられている。
俺は、売られている人々をまじまじと見ていった。
男も女もいるが、やっぱり女はおっぱいがデカい。
案の定というか、おっぱいが小さいのは全世界的傾向ではなく、シャン人の残念な種族的傾向であるらしい。
この豊乳連中と比べてもまるで見劣りしないリリー先輩はすごいな。
そこで歩いていると、また物珍しいものを見つけた。
「おい」
「へい?」
奴隷市場の一角、いわば店舗ごとのブースのような場所だった。
俺が声をかけると、垢じみた、一見して明らかにまともそうでない男が振り返る。
「この店は、こういう者たち専門の店なのか?」
そのテントの中に並んでいるのは、肌の真っ黒い、つまりは黒人であった。
黒人は初めて見たので、かなり新鮮であった。
「あんたぁ、どこのもんだ?」
「有名でない田舎貴族の三男坊だよ。黒い人間というのは初めて見たのでな」
俺のテロル語は教皇領で話されているものなので、アルビオ訛りとは若干アクセントが違う。
この嘘が通じるのか少し不安ではあった。
「おいおいぃ、女ァ買う金がねぇからってクロ○ボを買おうってのかい。また変わった趣味の持ち主やぁ」
そう言って、奴隷商人はヒッヒッヒと下卑た笑いをした。
俺は、一瞬でこの男のことが嫌いになった。
「こいつらは、南の大陸から来たんだろう。エンターク人なのかい」
「ヒッヒ、エンターク人はこんな顔はしてねぇや。もっと下だでよ。エンターク人が戦争で奪ったり拐ったりしてきたんじゃないかね」
「話すのはアーン語なのか?」
「アーン語じゃないね。良く分からねぇ言葉を喋りやがる。だどもそっちのほうが具合がよかろ」
「なんでだ?」
言葉がわからないのが具合がいい?
意味がわからない。
どういうこっちゃ。
「あんたんとこは奴隷がすくねぇのけ? 奴隷ってのは、特に男は、言葉が同じやと結託して脱走しようとすんだぁ。言葉は別々のほうがいいでよ」
あー、そういうことか。
「ふーん……じゃあ言葉を喋れないのか……」
それもメンドクセェな。
そもそもアーン語は俺も分かんねぇし。
「一人だけマシなのがいるがよ。おいっ! テミ!」
「はい」
ぽつねんとした返事が、テントの奥から聞こえてきた。
小さい女の子が、トボトボと歩き出てくる。
「こいつよ」
ボロ布を着た少女であった。
十歳くらいだろうか?
「顔も猿みてぇではねぇし、そんなに黒くねぇでよ。旦那の相手も務まるんでねぇか?」
そう言ってから、奴隷商人はヒヒッと、下卑た引き笑いをした。
「ちょっとちっこすぎっか! まぁそういう趣味があったらばな! ヒヒヒッ」
殺意が芽生えた。
殺してやろうかこのゲス野郎。
「嬢ちゃん、家に帰りたいか?」
俺がそう言うと、少女はこちらをじっと見つめるだけであった。
うんともすんとも言わない。
表情を読むと、少し困った顔をしている。
「テミ おまえ 欲する 帰る 家 ?」
俺は単語に区切って、できるだけわかりやすく言った。
「テミ 持っている ない 帰る 家」
たどたどしいテロル語の羅列が返ってきた。
「おお、旦那うめぇなぁ」
奴隷商人が茶々を入れてくる。
殺したい。
殺意を抑えられなくなってきた。
「黙っていてくれ。今買うか決めてんだろう」
「へいへい」
奴隷商の男がつまらなそうに言った。
「なぜ おまえ ここ 来た?」
「親 売った わたし」
拐われたわけではなく、親に売られたらしい。
「帰るところ ない?」
「ない」
「おまえ 欲する 買う おまえ おれ?」
関係詞の類いは通じないと思ったので、若干無理やりな単語の繋がりで言うと、テミはそれでも理解できたようだった。
首をブンブンと縦に振った。
「なぜ?」
「優しそう」
優しそうとは。
まあ、こんなところに人を買いに来る奴らの中では優しそうなんだろうな。
「勉強 頑張る?」
「たぶん 私 得意 勉強」
勉強は得意らしい。
まあ、誰が教えたわけでもなく耳だけを使ってここまでテロル語を独習したのだから、頭や記憶力はよさそうだ。
黒人というのもなんかいい。
インターナショナルな感じがして。
奴隷にはしないが、シヤルタまで連れて行ったら面白そうだ。
この調子なら、すぐにシャン語も覚えるだろうし、屋敷の下働きでもすれば生活できるだろう。
どうしても馴染めなければ、働いた金を使って故郷に帰ってもいいんだし。
「幾らだ?」
「五千エピ」
「馬鹿か。そんな金あるか」
吹っかけて来ているのは分かっているので、俺はそう返した。
「ヤれもしない、痩せっぽちのクロ○ボが五千エピだと? 五百エピがいいところだろう」
「ヒャア」
奴隷商の男は酷い引き笑いをした。
「田舎者がご存知か知らねえが、人間ってのは牛より高いんだで」
「じゃあ、千エピ」
「まだ足りねえや」
「……そんなら、競りにかけるのを待つ。手持ちが千と百エピしかねえんだ。郷里まで帰る金がなくなっちまうんでね」
「ニ゛ャァ~」
奴隷商の男は突然、意味不明な汚い音を発した。
ここがシヤルタでなくてよかったな。
ここがシヤルタだったら今ので死んでたぞ。
「……しかたねえ、初めて都に来た兄ちゃんに免じて安くしといてやらぁ」
多分、相場的には結構ギリギリの値段だったのだろう。
千エピか。
まあ、失ってもそんなに惜しくもない値段だな。
「取引成立だな」
俺は金貨袋から金貨を十枚取り出して、奴隷商人に渡した。
「なんだ、兄ちゃん。いっぺぇ黄金色が見えたぞ」
「見間違いじゃないのか?」
俺は金貨袋を仕舞って、代わりにナイフを少し抜いて見せた。
「ムッ――ニ゛ャァ~……」
奴隷商人は、再び汚い声を出して、考え込んだようだった。
少し安売りをしてしまったが、武器を持っている人間と揉め事を起こしてまで値上げすることだろうか。一度商談が成立したのは確かだし、価格の合意を反故にしたとして、競りにかけて幾ら値段が上がるものか……といったところだろう。
「――チッ、商売上手だな、兄ちゃん」
結局は諦めたようだ。
「これでも商いを生業にしてるんでね。じゃ、貰っていく」
「待てゃ」
呼び止められた。
まだなんかあんのかよ……。
「譲渡証明書は要らんのかい。ここにサインしろや」
一枚の羊皮紙を渡される。
表面削って再利用してるやつだなこれ。
テロル語で、所有権がどうのこうのと書いてある。
あらかじめ用意されていたものらしく、この娘の身体的特徴が書いてあり、譲渡者という欄にはこいつの名前らしきものが書いてある。
どうも、奴隷が逃亡したときに所有権を主張できる仕組みらしい。
所有権のもとが不動産かなにかではなく、人間になっているのがなんとも不気味だった。
というか、なんて書けばいいのだろう。
適当でいいか。
「ほら、これでいいか?」
ドッラ・ゴドウィン、とテロル語に適当になおして書いておいた。
「ドッラ・ゴドウィンか……珍しい名だな。郷里は?」
「郷里も言うのか?」
「あたりめぇだろ」
当たり前らしい。
ていうかアルビオ共和国の地理なんて知らねーよ。
首都の名前知ってるだけで、○○県とか○○地方とか一つも知らねーよ。
「ゴドウィン郡。ゴドウィン郡のドッラだ」
……さて、これで通るものか……。
奴隷商人は、こちらをじっと見つめていたが、面倒臭くなったのか目を下ろした。
不問にするようだ。
「まぁ、こっちゃどうでもええ。逃げられた時困るのは、あんただからな」
どうも偽名はバレたらしいが、どうでもいいようだ。
偽名だと、逃げられた時に所有権を主張できないということだろう。
それこそどうでもいい。
「本名だよ、本名」
俺はそう言って、肌の黒い少女の手を取って、今度こそ歩きだした。
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