第205話 略奪の痕跡
五月十一日、夜明け前。
オレガノの湾の少し沖で、二十隻の船が帆を張っていた。
ホウ社の船に比べれば小型で、
船は、舳先で波を切る以外には物音を立てず、順風に乗ってゆるゆると進んでゆく。
海上から、フィヨルド地形の切り込みの激しい湾に侵入していった。
音もなく灯火もなく、日の差さぬ闇の中を、満月の月明かりだけを頼りに進んでゆく。
何十度もオレガノと往復している熟練の船乗りたちは、夜間航行という危険を伴う作業にも、慌てることなく船を操っていた。
彼らも、故郷を穢され、怒っているのだ。
するすると湾を通り過ぎると、篝火の焚かれた港が見えた。
縦帆が畳まれ、舵のみの航行となる。
港が近づいてきた。
帆が畳まれたため、水の抵抗でスピードが落ちてゆく。
舵で位置を調整し、接舷が近くなってきたところで、碇が降ろされた。
港に居た見張りの何人かが襲来する船に気づき、火矢を放ってくる。
あまり上手くはないのか、矢の殆どは海に落ちていた。
錨と鎖が着底し、更に速度が落ちる。
上手いもので、ほとんどピタリと岸壁に接舷した。
木の板が岸壁との間に渡されると、
「総員、上陸――!!」
と声がかかり、船室から騎士たちが現れ、次々と上陸していった。
ゴォン――ベキベキィ……と、嫌な音が別の所から聞こえてくる。
見ると、幾つかの船が岸壁に船体を衝突させて、港に突っ込んでいた。
最初から、留められる場所のない船はこうする予定だったのだ。
騎士たちは、船が沈む前に船室から脱出し、陸地に飛び移ってゆく。
火矢が大量に刺さり、炎上を始めている船もあった。
だが、いくら燃えようが関係がない。
降りるまでもてばよい。
火矢を放っていた者たちも、あっという間に接近した騎士に駆逐される。
俺は船から降り、港前の広場で集合しつつある騎士たちのところへ向かった。
たどり着いた頃には、騎士たちの殆どは上陸し終えて、カタマリになっていた。
「皆、慣れぬ船旅ご苦労。ディミトリ、四百を率いて屋敷を強襲しろ。俺は残りを率いて、市門から来る敵に対処する」
*****
街道が通じている、本来の主攻撃路である大市門には、やはり大量の兵が配備されていたようだ。
港での変事が伝えられると、対処すべく大通りを伝ってゾロゾロとやってきた。
それを側道から奇襲して壊滅させると、殆ど戦闘は済んでしまった。
「よしっ、お前ら、十人一組にバラけて、市街地を周れ。敵兵を見つけ次第殺すんだ」
「ハッ!」
ホウ家の騎士が敬礼をして応える。
「一組だけ付いてこい。俺は屋敷に向かう」
そう言って一組だけ抜き出すと、ノザ家の屋敷に歩みを進めた。
歩むかたわら、オレガノの町並みを見るが、痛々しいほどに荒廃している。
何度か来たことがあったが、かつての平和で朴訥とした町並みは見る影もない。
殆どの家が荒らされており、家主が侵入を阻止しようと閉じたのだろう。蹴破られた扉が開いたままになっている家が幾つもあった。
本当に「通行の邪魔になるから道路脇に蹴り飛ばしておいた」という感じなので、屋内で殺された遺体は屋内に置きっぱなしなのだろう。
思っていた以上に酷い。
屋敷にたどり着くと、こちらもまた荒らされているようだった。
玄関脇には、さっそく給仕の女の屍体が転がっている。
下半身が裸にされ、胸を貫かれているようだ。
胸糞悪い。
「警護ご苦労。どこかの部屋からカーテンでも千切って、この女性にかけてやれ。これでは可哀想だ」
「ハッ!」
「そのあとは、市街を周って残党を殺せ」
「了解しました。彼女の恨みを晴らして見せましょう」
「そうしてやれ」
そう言って、俺は屋敷の中に入った。
屋敷の中では、制圧を終えたディミトリが待っている。
「ユーリ閣下」
「諸侯は?」
「生きていましたが、あまり状態は良くありません。今、粥を作らせているところです」
エンリケからの情報で、オレガノにたまたま居た諸侯が、地下牢に囚われているのは知っていた。
「案内してくれ」
「こちらです」
ディミトリは、屋敷の中をしばらく歩き、地下牢へと案内した。
一階から更に階段を降りると、空気が変わったのを感じる。
曰く言い難い、冷たく濡らした布が頬に触れたような、冷たいじめっとした感じがした。
壁を見ると、一階の木の壁から石の壁へと変わっている。
腕の良い職工が作ったのだろう。一定に切られた石の壁が、殆ど隙間なくみっちりと組まれている。
地下室には、牢屋が両側に二つずつあり、その中にはかなりの人数がいた。
一階の様子を見れば分かるが、考えなしに略奪をしたので、雑務従事者がいなかったのだろう。
汚物の臭いがする。
中にいる人たちも、一様にひげが生え、高貴な衣服も汚れ、浮浪者のような見た目になっていた。
ノザ家一家殺害からここに閉じ込められているとすれば、十日余り掃除もしていない計算になる。
生きているということは、水とパンくらいは与えられていたのだろうが。
「どれだけ話した?」
「ほとんど何も。ノザ家が一家全滅したことは知っているようです」
「ふうん……。おい、この中に藩爵はいるのか?」
俺がそう言うと、二人の人間が鉄格子の前面に出てきた。
「私だ」
「私は、トナウ家の家長だっ! 助けてくれェ!」
二人も居るのか。
当たりだったな。
「俺はユーリ・ホウだ。いろいろあったんだが――まあ簡単にいえば、俺がヴィラン・トミンをやっつけてここにいる」
まぁ、この期に及んで無駄な抵抗をしようって奴もいないだろうけどな。
「ホウ家に降伏するか、降伏しないか、今ここで選んでくれ。降伏するなら、お前らに湯と飯を与えて、領まで連行する。そこで責任者として武装解除を命令し、軍権を王家に返せ」
「ぬっ――」
やっぱり口ごもった。
飽き飽きしてるんだよな。
こいつら騎士は、生活基盤が完全に生まれ持った立場に依存している。
だから、それを失うということは、生活を全て失うということを意味する。
明日から庶民の生活などできない。
努力し、工夫して身を立てている庶民を、こいつらは家に与えられた特権ゆえに支配し、虐げてきたかは分からないが、その上に立って偉ぶってきた。
今更庶民として生きることなどできない。
分からないではないが、それはあまりに不自然な話だ。
「安心しろ。土地と建物の権利は認めないが、それ以外の財貨まで奪いはしない。お前ら一代か二代なら、働かずとも暮らしていけるはずだ」
「……わかった。トナウ家は降伏しよう」
トナウ家の家長とやらは頷いた。
「何の権利があってそれを奪う……」
それを言ったのは、もう一人の藩爵らしきジジイだった。
「なに?」
「私は何もしていない。何もしていないのに牢に繋がれ、先祖代々の権利を奪われるのか……」
恨みがましい目で俺を見ている。
まあ、何もしていないのは本当なのだろうが。
「なぜ、お前に恩義などない俺が、お前にだけ一般市民に優越する権利を与えなければならない。教えてくれ」
一般市民に与える権利までも奪い、奴隷にするとかいう話なら、文句を言いたくなるのも分かるが。
「それは、我が家に与えられていた権利だからだ」
「ノザ家から、忠誠を誓う見返りとして預けられていただけだろう。それを永久不変のものと考えるのはお前の勝手だが、とんだ勘違いだ」
「では、お前に忠誠を誓おう」
何を言ってやがる。
「そうか。なら戦場で抜群の
「……はぁ」
ジジイはため息をついた。
「ボラフラ殿に、助言者として仕えて三十年。その結果がこれか……」
なんだこいつ……。
私有財産は残してやると言っているのに。
戦働きもしないのなら、なぜ領地を安堵せにゃならんのか。
内政や発展に抜群の才能を持った領地経営の天才というなら考えないでもないが、ノザ家領にそんな発展地域があるとは聞いていない。
あえていえば、アミアン家には図抜けた増収実績があるはずだが、それ以外にはない。
「お前、名はなんという」
ディミトリが聞いた。
「……ジレッド・ディン」
返事が帰ってくると、
「ノザ家、第一等の藩爵家です」
と、ディミトリは俺に耳打ちをした。
コレが第一等なのかよ……。
「……どうでもいいが、俺と喧嘩するつもりなら受けて立つ。戦うか降参するか選べ」
「戦った場合は、先程言った財産の保障はしてくれるのか?」
「――はあ?」
どういう理屈だ。
こいつ頭がおかしいのか?
「するわけがないだろ。保障どころか、殺すに決まっている」
「では、降伏しよう」
あっさりと言った。
思わずディミトリのほうを見ると、目が合った。
たぶん俺も同じような顔をしているのだろうが、信じられない生物を目の当たりにしたという顔になっている。
ヴィラン・トミンを見て、幾らなんでもこの程度の強度の軍しか持っていない奴に、領都を取られるまでしてやられるものかと思ったが、このザマを見れば納得もできた。
まあ、こいつは特別頭がおかしいのだろうが、恐らくはノザ家独特の文化というか、空気があって、こういった一種の狂人が醸成されるのだろう。
ホウ家の一党にはちょっと存在し得ない種類の人間だった。
武勇が誉れにならない騎士社会でしか芽吹かない因子のように感じる。
「一応、降伏しない者がいるか聞いておく。俺たちと戦うつもりなら、ここで温情を受けるのは騎士の屈辱だろう。今のうちに声をあげてくれ」
俺がそう言うと、並み居るお歴々の騎士たちは、物音一つ立てるのも恐れるかのように、シンと黙り込んでしまった。
俺が今こうしているのは、ボフ家の攻略の際、抵抗した領主がおり、それを攻略するのに三百人もの死傷者が出てしまったからだ。
相手に同数以上の死傷者が出ていて、もし降伏させることができていたら彼らも戦力に入ったであろうことを考えれば、最終的に十字軍に当てる数としては六百人以上が失われたことになる。
あのときは小さな町しか抵抗しなかったが、兵が千人規模で警備しているシーミアのような堅固な都市が抵抗を始めれば、どうなるかわからない。
あらかじめこいつらを連れてゆき、降参させれば、そのような悲劇は防げる。
こいつらがノザ家の全ての騎士家ではないが、連れていって説得をさせれば降伏の一助にはなるだろう。
「いないようだな。それでは、もうしばらく待っておけ。粥を持ってこさせよう」
*****
その翌朝、すっかりと平定されたオレガノの港前広場には、倉庫から引っ張り出されてきた絞首刑台が組み立てられ、設置されていた。
台の上にはヴィラン・トミンがおり、首に縄をかけられている。
近くの建物には、ヴィランの手下共で殺されずに降伏した連中が二百余り、閉じ込められ処刑を待っているはずだった。
広場には、オレガノの全市民が集まっているのではないかと思うほど、市民たちがぎっしりと集まっている。
処刑があることを伝えただけで、強制したわけでもないのに、呆れるほど多くの市民が見に来ていた。
市民たちは大声を出してがなりたてている。
総じて怒りに駆られており、憎しみの目をヴィランに向けている。
「ウーッ! ウーッ!」
ヴィランは叫んでいるようだったが、顎を割ってもあまりにうるさいので、猿ぐつわがされていた。
絞首刑台は、台が高く、足元に長い穴が開いて、三人同時に執行できるタイプだが、ヴィランは一人きりで、特別に椅子の上に立たされている。
そちらのほうが、一歩背が高くなって、市民からよく見えるからだ。
やはり死にたくないのか、片足が壊死しはじめてバランスが取りづらいだろうに、必死に椅子の上にとどまっている。
俺は絞首刑台の階段を登った。
ヴィランに罵声を浴びせる声で煩く、これでは話ができないので、俺はホイッスルを思い切り吹いた。
ピィィイ――――!! という音が響き、市民が静かになる。
「俺は、ユーリ・ホウという者だ。少し話させてくれ!」
できるだけ声を大きくして言うが、全員に聞こえているだろうか。
今日は風もないし、頭の上から喋っているから、声はよく通っているはずだが。
「ここにいるのは、ノザ家を一夜にして殺戮せしめ、きみたちに苦痛を味わわせた元兇、ヴィラン・トミンだ!」
俺がそう言うと、市民の一人が何を勘違いしたのか、「殺せェ―――!」と叫んだ。
そこから、なにかの連鎖が始まって、再び罵声の大合唱になってしまった。
おいおい。
そういうつもりじゃなかったんだが。
一通り盛り上がりが終わったところで、もう一度ホイッスルを吹いた。
なんだかんだ、新たな支配者と目される俺の言葉が気になるのか、市民たちの騒ぎが収束してゆく。
「静粛に! もう少し、話がある。そう長くはない」
俺がそう言うと、騒ぎは収まった。
「どうやら、今までこの地を治めていたノザ家は、穏やかな家だったようだ。だが! それゆえにこの男にあっさりと殺され、女王陛下から預かったオレガノを守ることもできず、きみたちは辛酸を舐めることになった。本当に辛かったことだろう。奪われ、破壊されただけならまだよい。親や子ども、兄妹を殺され、あるいは犯された者もこの中には居るだろう。家は直せるし、財は蓄え直すことができる。しかし、殺された者の命や、穢された者の誇りは取り戻せはしない。本当にお悔やみ申し上げる。だが、きみたちは、今日という日を境に立ち直り、オレガノから陰惨なる暴力の爪痕を消し、復興させなければならない!」
そう言って、俺は民衆を見回した。
上手いこと聞き入っている。
「今日! この男をはじめ、オレガノを荒らした一党を処刑する。彼らの死ぬ様を見たくない者は、ここから離れてほしい。それは尊ぶべき高潔な精神だと俺は思う。だが、自分を虐げた者の死を見ることで、新たな歩みを始める契機となる者もいるだろう。俺は、その新たな一歩を待望し、そして祝福する者である!」
そう言って、俺はヴィランの足元の椅子を蹴った。
「グッ――」
ヴィランの首が締まる。
「虐げてきた者の屍を踏み越え、新たなオレガノを作れ! ――きみたちの尽力に期待する」
俺はそう言って、絞首刑台から降りた。
それと同時に、解放者に対する歓声と、そして略奪者をののしる罵声が混じった、割れんばかりの声が空気を揺らした。
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