第206話 王都への帰還 前編

 ノザ家の平定をディミトリに任せた俺は、その日、王都に来ていた。

 王城の一室には、キエン・ルベとティグリス・ハモン、そしてミャロが集まっている。


「ユーリ殿、息子の不始末は済まなかったな」


 席につくなり、キエン・ルベが言った。

 ヴィラン・トミンが縄を解いて俺を人質にしようとした一件のことだろう。


 耳が早い。


「まあ、構わない。こちら側で注意しなかったのも悪かった」

「そう言ってもらえると助かる」

「しかし、極端な家だったな。あんな野獣のような男が出たかと思えば、戦いを生業なりわいとしているとははなから思っていないような藩爵もいるとは」


 まあ、周り中腰抜けだらけだから調子に乗ってああなっちまったんだろうが。


「ノザ家の騎士どもは、戦う機会が本当になかったのだ。思えば哀れなものよ」


 ……戦う機会がない?


「どういうことだ?」

「我がルベ家にも、ボフ家にも、多少は匪賊のたぐいが出るのだ。産業があれば、商人が集まるからな。高額の買い付けをした商人を襲って、荷を奪えば、田舎の農作業を何年やろうと貯められぬ金額が一日にして手に入る。村を追い出されたような輩がそれに味をしめたら、もう戻れぬ。だが、商人もやられっぱなしではない。高額の荷を運ぶ商隊は、人を雇って武装をしている。そうすると、ならず者たちは徒党を組もうとする……。女王から領を任されておる身からすれば、恥ではあるのだが……まあ、そういった連中は、いつの世も尽きぬわけだ」


 まあ、そりゃそうだよな。

 ホウ家にも居ないではないし。


 発生すると速攻で潰されるから、賊にとって南は鬼門のように扱われているらしいが。


「とはいっても、よほど大きくなっても百人程度だ。軍を出せば圧倒的な戦力差になるゆえ、戦争というほどの戦いにはならぬが、騎士らにとっては多少なりとも経験になる。上手くやれば褒めてもやれるのだ」


 なるほど。


「ノザ家領には、そういう連中すら居なかったわけか」

「うむ。ノザ家領は険しいし、村はみな海に接しておるから、商人たちは海を使って交易をする。陸を往く人々を襲うこともあろうが、稼ぎは少なかろう。海に漕ぎ出す海賊めいた連中も、昔は居たと聞くが……襲っても、積んでいるのは日干し魚か木彫り細工か、そんなものよ。高価な織物だの、調度品だのを満載した船など通りようもない。結局、山のこちら側のほうが稼ぎがよいということになって、ノザ家領は狙われなくなった。昔はいい迷惑だと思っていたが、過ぎてみれば我らにとって良い事であったのかも知れぬ」


 俺は封建君主としてはヒヨッコだから知らなかったが、それなりの事情があったらしい。


「ヴィラン・トミンは、素性を隠して領外の村々を襲っていたらしいが、儲かってはいなかったということか」

「軍の維持費はトミン家が出していたのだろう。元より貧乏な兵に小遣いが増えた程度の話だろう。加えて厳しい訓練もなく、好き勝手に略奪もさせてもらえるとなれば、兵からの支持は絶大だったのではないか」


 まあ、全員が全員そうとは思わないが、大抵の兵はそうなっちまうものかも知れないな。

 ただ、それで出来るのは、利益だけで繋がった、負け戦になればすぐ逃げ腰になる、雑魚狩り専門の軍だけど。


「終わったことについては、もういいでしょう」

 ティグリス・ハモンが今日はじめて口を開いた。

「――それより、早く本題に入っていただきたい。私を呼んだということは、何かあるのではないですか」


 どうも、若干怒っているようにも感じるが、元よりこういう雰囲気なのかも知れない。


「それもそうだな。ティグリス、端的に言おう」

 こういうタイプは、端的に言われるのが大好きなのだ。

「軍門に下る気があるのなら、ノザ家の兵を半分ほど任せたい」


「なっ――私が、ですか」


 ティグリスは、仰天した様子で目を見開いた。


「お前の練兵れんぺいを監視させていた。悪くないそうだ。その調子なら使える兵は多かろう」


 訓練という行為は、ただ総大将がよいだけでは務まらない。

 その麾下に、使える兵、例えば鬼軍曹みたいな輩がたくさんいて、実際には彼らが訓練をする。


 四千人から生徒がいる学校に、校長一人が赴任しても、どうにかなるものではないだろう。

 実際にクラスで教えるのは教員なわけで、数百人からの教師がいなければ、四千人を効率的に教育することはできない。


 ティグリスの軍団は、つまりはその教員を務められる兵卒が多い、良好な軍隊だということになる。


「俺は、頭を下げて任官を乞うつもりはない。軍門に下って十字軍を討つ気はあるか」

「はい」


 ティグリスは、腰から刀を鞘ごと抜き、机の上に置いた。

 これは、槍がないとき槍の代わりに短刀を捧げるという行為だろう。


 その上、ティグリスは椅子を立った。


「微力ながら、務めさせていただきます」


 背を伸ばし、頭を勢いよく下げて言う。


「――そうか。ならば良かった。よろしく頼む」

「半分か。残りは儂のところでやるのか」

「ああ。どうも、ノザ家は丸々使えそうにない。ウチはちょっとな。第二軍とボフ家のダメな連中を躾け直すので手一杯のようだ」


 これは本当に各方面から悲鳴が上がっている。

 訓練をしながら戦闘をするとか、街の警備をするとかは無理なので、今はホウ家全軍の半分以上が地元に戻って訓練に従事している状態だ。


 その残りで王都の治安を守りつつ、南に流れる難民行列の監督をして、そのまた残滓でノザ家を平定しているのだ。

 悲鳴も上がろうというものだった。


「ちなみに、ホウ家ではどのような訓練をさせているのだ? 参考までに聞かせてほしい」

「朝四時半に起床だな。五時までに準備をして、一時間走り込みだ。続いて六時に朝食、基礎訓練、十二時昼食、戦闘訓練、午後六時に夕食、一時間反省会――あとは就寝だな」

「厳しいな。一日中か」


 確かに。

 それも休みなしだからな。


「とにかく、考える暇を無くすのが肝要らしい。毎日血反吐を吐くまで扱き上げて、夜までに完全に疲れ果てさせる。すると夜間に脱走する気力はなくなる」

「……さすが、ユーリ殿のところは凄まじい」

「いや、俺が考えたんじゃない。ホウ家は昔からこうなんだ」


 断じて俺が考えたのではない。

 昔からホウ家は頻繁に全軍規模で壊滅させられていたので、早急に立て直すための方法論として定着していったのだ。


「それを通常三ヶ月やるんだが、その試練が終わったら、お前たちはもうどこに出しても恥ずかしくない立派なつわものだと褒めてやるんだ。すると、今まで農民の次男坊三男坊だった男たちに誇りが芽生える。常人には乗り越えられない苦難を俺は乗り越えたんだと思うようになる」

「なるほど……短縮するのが逆に良いわけか。半分の強さで倍の時間鍛えるより」

「そういうことになるのかな」

「良い話を聞きました。私のところでも参考にさせていただきます。ただ、教える兵のほうが持つかどうか怪しいですが」


 確かに。

 教えるほうも激務だ。


「まぁ、なんとかやってくれ。担当地区は、ディン家領より上がルベ家。そこから下がティグリスの担当だ。ティグリス、おまえは軍を率いて、明日にでもオレガノに発て。メスティナ市民の避難は、こちらで全てやる」

「いや、避難は私にやらせてください。今まで率いてきた民です。私が――」

「それは駄目です」


 ミャロが口を開いた。


「市民の避難先は、王領の南とホウ家領になります。メスティナの市民は、場合によっては分割し、地域ごとに振り分けられることになります。各地域には食料備蓄がありますが、その限界を超えた避難民を収容すれば、避難民は元より地域の民も飢えてしまいますので、分割することはご了承ください」

「――むう」

「各地の食料備蓄量と、限界収容人数の調査、そして行き先を記した避難民名簿の管理は、全てホウ家が集中して行っています。ティグリスさんのお気持ちは分かりますが、最初から全てホウ家が行ったほうが、あらゆる面で混乱が少なく済むのです。全ては民を飢えさせないための処置ですので、ご理解ください」


 ミャロは何度もこのセリフを言っているのだろう。

 淀みがなかった。


「ふう……そう言われては、従う他ないようですね」


 ティグリスも諦めたようだ。


「ティグリスさんのルートですが、直に王都まで来てください。商船に乗せてオレガノへ送ります」

「ユタン峠を通ったほうが早いのでは?」

「船で回ったほうが三日早いです。それに、ユタン峠には現状補給路が通っていません。大人数を通行させるのは難しいです」

「分かりました。この会議が終わり次第メスティナに戻り、明日王都に出発します」


 話が早くて助かった。

 やはり、軍人は理解が早くないとな。


「移動時間を考えれば、訓練期間は二ヶ月取れないだろう。急ぎになるが、よろしく頼む」


「十字軍が来た時、我々は急ぎ王都に向かうことになると思いますが、その時はどうすれば良いのですか?」

「ノザ家の主要都市は全て海沿いにあり、港を備えています。なので、船を使い王都まで兵を運搬します。計算では、北部侵入時点で運搬を開始すれば、彼らが王都にたどり着くころには、十分に全兵力を結集させることが可能です」


 ミャロが説明した。


「通常の行軍速度を想定しても、十分に間に合う。実際には、キエン殿が遅延作戦を展開する予定になっている。それが功を奏し過ぎたら、逆に王都で待つことになるかもしれない」

「そうしてみせる」


 キエンが言った。

 だが、これについては不安があった。


「頼むから、指導を徹底してくれよ。ミタルの防衛装置を使うといっても、あくまで捨てる前提なんだからな。防御に固執しているうちに、市門を両方塞がれて身動き取れないなんてことになったら、笑い話にもならん。リャオあたりは勘違いしているかもしれないぞ」


 実際には、俺が指導したいくらいだったが、なんといっても作戦展開地域はルベ領とボフ領になる。

 言うまでもなく、ルベ領はキエン・ルベの地元だし、一番地理をよく知っている。


 任せないわけにはいかない。


「大丈夫だ。そこは細心の注意を払う。騎兵を失えば会戦に勝てぬことは、十分に理解している」

「ならいいいんだが……」


 心配だが、あまり文句をいうような形になってもいけないしな。


「なら、これで終わりか」

「ノザ家領の徴税の話が残っているかと」


 ああ、そうだった。


「食料が足らなくなるかもしれない。ノザ家領の漁師には、今年の徴税は魚をもって代えるものとする、と伝えてくれ。日干しにする暇がないなら、燻製でもいい。とにかく南に食料を送らせてくれ」

「了解した」

「分かりました」


 キエンとティグリスが言う。


「それでは、これで終わりだ。ここからの働きで勝敗が変わるぞ。粉骨砕身頑張ってくれ」

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