第204話 投降

 縄梯子が降ろされ、ノザ家の兵が縄を持って降りてゆく。


 地面に足をかけた瞬間、ヴィラン・トミン本人が獣のような身のこなしで跳び、ハシゴを降りた兵の腰のあたりを片足で踏み、勢いに乗って肩に足をかけ、踏み台にした。

 まるで三段跳びのような要領で、一気に縄梯子の半分ほどにまで到達し、がっしと梯子の横棒を掴む。


 すげえ。


 必死なのだろう。ぐんぐんと飛び上がるように梯子を登り、あっという間に頂上に到着するが、その途端、上に居た兵に胸のあたりを蹴り飛ばされてしまった。

 落下して、地面まで落ちる。


 死んだかな?


 縄梯子は、引っ張り上げられて回収されないよう、下の兵が引っ張っていたのだが、縄を切り落とされてしまった。

 無常にも地面に落ちた。


 その後、何かゴチャゴチャとはじめたが、人の影になって見えない。

 なにせこちらは下り坂なので、全然わからなかった。


 もしかしたら、最初に降りた者を人質にしているのかもしれない。


「軍使! もう一度行け。襲いかかってきたら帰ってこい」

「はいっ」


 思いの外素直に言うことを聞いた軍使が走ってゆく。

 案の定ヴィランの兵が襲いかかってきたので、逃げ帰ってきた。


「しょうがない、突っ込んで叩くか。リャオ、どうする。関所の責任者が頭の固い阿呆だったら、射掛けられんとも限らんが」

 リャオは御曹司なので、死なれるとまずい。

「やらせてくれ」

「わかった。じゃあ行け」

 自分が行くと言うのだから、止める理由はない。


「よしっ、行くぞォ! 総員、弓に警戒、盾用意!」


 リャオが槍を掲げた。

 合流した部隊を含めて、ルベ家が出した総員、三百名を率いて進んでゆく。


 関所の責任者もヴィランの横暴にはキレたのか、矢を射掛けられることもなく、トミン家の軍に接触した。

 オーッ、ワーッといった声と、剣戟の音が聞こえ始めた。


 やってるやってる。


 それにしても、大将の務めとはいえ、戦っているのを遠くから見ているだけというのは、何だかな……。

 今まではずっと最前線で戦ってきただけに、なんだか勝手が違うような感じがする。


 坂の下から見ているため、本当に戦況が全く把握できない。


「おっ……」


 剣戟の音が、急に止んだ。

 終わったのだろうか。


 十分ほど見ていると、ルベ家の軍の間から、かき分けるようにして一人の男が出てきた。

 ヴィラン・トミンだ。


 後ろ手に縄を打たれ、その縄を騎士に掴まれながら、こちらに歩いてくる。

 仲間に愛想尽かされて、縛られた上渡されたのだろうか。


「ユーリ閣下、トミン家の軍勢は投降し、こやつを差し出してきました」


 敬礼をしながら、ルベ家の騎士が言う。

 やはり、売られて来たらしい。


「てめェ、あの時の――」


 ヴィランが俺の顔を見て言う。

 ルールーだったか? 適当な偽名を使ってた時にガンたれてきてたよな。


 近くで見ると、やっぱり狂犬だった頃のドッラに雰囲気が似ている。

 入寮した時の喧嘩で鼻っ柱を叩き折ってから陰キャになってしまったが、あれがなかったらこんな感じに成長したのではなかろうか。


 そんなことを考えていると、


「オルァ!!」


 ヴィランは、突然両手を解き放った。

 縛られているはずの縄はブチッと千切れ、自由になってしまった。


 オイオイオイ。


 ヴィランは懐に右手を突っ込むと、俺に向かって左手を突き出してきた。

 とっさに短刀を抜くが、防御が間に合わず、右肩の服を掴まれてしまう。


 対角に掴まれた肩が引っ張りこまれる。


「クッ――」


 火事場の馬鹿力で、あっという間に体が裏返ってしまった。

 ヴィランの正面に背中が向き、胸の中にすっぽりと体が入る格好になる。


 人質にする気か。


 ヴィランは、やはり俺の首筋に短刀をあてがおうとしてきた。


 短刀の柄を握った拳を左手で掴み、なんとか阻止する。


 同時に、短刀を自分とヴィランの腕の間に入れ、腕を引き斬りに裂こうとした。

 キィ――と、金属の上を刃が滑るような感触がして、刃が通らない。


 鎖帷子か。


 その間に、ヴィランの空いた腕で、左腕を被せるように抑え込まれる。


 ヤバい。

 短刀を抑えている左手が外れたら、本格的にヤバい。

 人質になるだけならともかく、最終的には殺されるだろう。


 刺突に切り替え、一度短刀を下げて、下から突き上げるように突き刺した。

 鎖の目に切っ先が食い込み、ブチブチと切り裂く感覚が手に伝わる。


 眼の前を横切る、短刀を持った上腕にぐっさりと突き刺し、えぐるようにしながら抜くと、次に自分の腿の後ろにあるであろう、ヴィランの太ももに突き刺した。

 当てずっぽうだったが、確かに深々と肉を貫く感触がした。

 ザクッザクッと二度突き刺したあと、短刀を握ったまま、脇腹に肘鉄を食らわせた。


「ウグッ――!」


 ヴィランの手が緩む。

 俺は背筋を総動員して思い切り首を振ると、全身を海老反りにするような勢いで、後頭部で頭突きをした。


「ブッ――」


 手が離れ、自由になる。

 俺が振り返った時には、ホウ家の兵に取り押さえられていた。


 あぶねえ。

 危機一髪だった。

 心臓がドキドキする。


 縄に切れ込みでも入ってたんじゃねえのか。

 確実にコレ狙いだったぞ。


 リャオの野郎、わざとじゃねえだろうな。


「おい、殺すなッ!」


 怒りに駆られて槍で突こうとしていた者がいたので、俺は慌てて止めた。

 何のために脇腹じゃなくて太ももを刺したと思ってるんだ。


「丁重に縛っておけ。後で使うんだからな」

「クソッ! 離しやがれッ!」


 ヴィランは兵士たちに無理やり手を後ろ手にさせられ、新品の縄でギッチリと腕を縛られた。


「貸せ」

「何しやがる!」


 俺は縄を受け取ると、腕から伸びた縄を斬り、先程突き刺した腕と足をギュウギュウに縛った。

 特に太ももの出血は甚大だったが、縛るといくらか出血が収まったように見えた。

 念の為、傷口の上も縛って圧迫止血しておく。


 別に壊死して手足がなくなっても構わないが、生かしておくのは重要だった。


 *****



「エンリケ! こっちに来て顔を確かめろ!」


 俺が叫ぶと、最後尾にいたエンリケが、兵をかきわけてノソノソと歩いてきた。


「………うーっす」


 相変わらず、うつ病患者のようにテンションが低い。

 両手を女物のコートのポケットにつっこんで、首にはマフラーをしており、場違い感が半端ない。


「一昨日から何なんだ……まだ治らねえのか」


 俺が襲われてたのを助けろとまでは言わんが、なんなんだこいつは。


「……だぁ、言ってるじゃねーっすか……テンション高いのの後は低くなるんだって………」


 それも聞こえるか聞こえないかという、微かな声だった。

 どんだけテンション低いんだ。

 引きこもりを引っ張り出してきたみたいになってる。


「いいから、ツラだけ確認しろよ。そしたらもう帰っていいから」


 ネグラがどこにあるのか知らんけど。


「おまえ――っ、チェルミアッ! なんでここに――ッ!」


 ヴィランの方から声がした。

 見ると、ヴィランの顔は驚愕に歪み、地面を這いながらエンリケの顔を凝視している。


「あー、これこれ、ヴィランこれ……じゃ、帰っていっすか」

「チェルミア゛ァー!!! 助けてくれェ!!!」


 反応の差が酷い。


 ヴィランの必死すぎる形相を見ると、どんだけエンリケに入れ込んでたんだと感じる。

 一ヶ月かそこらだろ。

 その程度の期間で、男をここまでにする手管というのは、恐ろしいものがある。


「チ゛ェルミア゛ァー!!!!」

「うるさいですね……」


 ゴミでも見るような目で見ている。

 今しがた殺されかけた相手にこう思うのもなんだが、可哀想になってきた。


「こいつは俺の手下なんだ。残念だったな」

「なっ――嘘だッ! 嘘つくんじゃねえ!! チェルミアッ!! 俺だよ、分かんねえのか!!」

「……んー、この調子なら……」


 エンリケはそう独りごちると、ヴィランの近くまで行った。

 帰るんじゃなかったのか。


「残念でしたねぇ。あなた騙されちゃいました。ペラペラ喋っちゃって……全部筒抜けでこのザマですよ。まぁ、それが無くてもなんとかしちゃったでしょうけど……」


 酷い事を言い出した。

 追い打ちをかけている。


「嘘……だろ? 嘘だって言ってくれよ……」


 ヴィランは、世の中すべてに絶望したような顔をしている。

 映像に撮って後世に残したら、俳優を目指す者たち必見の演技資料になりそうだ。


「馬鹿ですねぇ……。えぇ? 結婚してくれぇ~、でしたっけ? はぁ~~~~あ、ほんと無様」


 酷い煽りをしはじめた。

 それにしても、エンリケは何がしたいのだろう。

 やっぱり、自分がおとしいれた相手をこうやってなぶるのが楽しいのだろうか。


 まぁ、ティレトが勝手にやらせていた事とはいえ、やらせてた内容が内容だからな。


 こいつは、本当はエンリケがベッドの上で殺す手はずになっていたので、その機会を奪った格好になる。


 報告があったあと、暗殺決行の可否をティレトに突然聞かれて、じゃあ殺してしまえということになった。

 だが、ヴィランはその日から戦争の準備で忙しくなったため、臥所を共にする時間を取らないまま、ここに来てしまった。


 なので、暗殺する機会がなかったのだ。

 最後の夜は存分に楽しもう。なんてことをやっていたら、ヴィランはエンリケに殺されていただろう。


 その鬱憤晴らしと考えれば、分からないでもない。


「王様になってやるぅ~~~、とか言っちゃって。一週間も経たないうちにこれとか……ふふふ、おもしろっ! ヴィーくんっ! 芸人さん目指したほうが良かったんじゃない!?」


 だから死体蹴りやめろ。


「……てやる」


 ヴィランは、目から血涙でも流しそうな形相になっている。


「殺してやるッ!! 絶対殺すッ!! チェルミア゛ァーーー!!!!!」


 ヴィランは、大怪我をしているとは思えない勢いで、拘束を逃れようと暴れだした。

 大柄の騎士が上から膝を乗せて抑えているので、逃れられはしないが、痛みを感じないほど我を忘れているのだろう。


 胸を圧迫されているとは思えない大声だ。


 チェルミ……じゃなかった、エンリケは、立ち上がった。


「やっぱ薄いなぁ……だめですね」


 薄い?


 これで薄いのか……?


「なんっ」

「チ゛ェルミア゛ァー!!!!」


 うるせえ。


「誰か膝で頭を抑えろ」


 怒号の合間を見て俺が言うと、騎士の一人がうるさげな顔をしながら、膝でヴィランの側頭部を抑えた。

 俺はヴィランの近くに寄り、下顎の付け根を狙って足を踏み降ろす。


 ブーツの踵で顎の骨を砕いた。


「アガッ! ア゛――!!! アウェウィア゛ァア゛――――!!」

「連れてって、足の傷を縫っておけ。オレガノの全市民がこいつが吊るされるのを待っている」


 俺が言うと、ヴィランは三人がかりで後ろ手を縛られ、両脇をがっしりと掴まれて連れて行かれた。

 メチャクチャに暴れていたが、三人がかりではどうしようもない。


「……酷い事しますね」


 どの口が言いやがる。


「怒りが通り過ぎたら、絶望がやって来るだろうからな。舌を噛まれてはかなわん」


 それに、顎が割られていると力が入らなくなる。

 元気いっぱいなところを見ると、極度の興奮状態にあるとそうでもないようだが、冷静になってからの拘束は楽になるだろう。

 脱出も難しくなる。


 あれだけ恨みの鬼と化した奴が野に放たれたら、さすがに怖い。


「……そっすね……」


 またテンションが下がってる……。

 なんなんだこいつ……。


「お前、あれでも薄かったのか。大分濃かったろ」


 あれ程の怒りにはそうそうお目にかかれないぞ。


「……あんなん、ただ怒ってるだけじゃねっすか。そりゃ、量は多かったですけどね……あんなんは幾らでも見てきたので」


 なにそれ……怖い。

 あんなん幾らでも見てきたとか。


 だからちょっと頭がおかしい感じなのかな、こいつ。


「……まあ、あんなのには殺されたくねっすね。全然痺れないんで」

「一体、どんなのに殺されたいんだ」


 ていうか、普通誰からも殺されたくはないだろ。


「…………」


 エンリケは、俺の顔をじっと見た。


「……まあ、機会があったら……」

「おい」


 恐ろしい何かを感じたんだが。

 こいつ、今のうちになんとかしたほうがいいんじゃないか。


「それより、もう帰っていっすか……」

「ああ、ご苦労さん」

「んじゃ……」


 エンリケはトボトボと兵の間に消えていった。

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