第192話 ドッラ・ゴドウィン

 俺は戦略の詳細を話し終わった。


「成る程。わかった。ミタルは棄てよう」


 と、キエンは言った。


「親父殿! 本気なのか。ミタルは俺たちが生まれ育ってきた街だぞ!」

「構わぬ。街など再建すればよい。負ければシャン人の国は滅ぶのだ。それを考えれば安い」


 その通りだ。

 なにもこれから一週間で出てけってわけじゃないんだし。

 物分りの良い爺で助かった。


「調度品などは王都に運び込むといい。ちょうど港に、テンパーの倉庫が空いている。ただ、ボフ家を始末してからのほうが安心だろう。陸路が使えるからな」


 王家天領とルベ家との間は、ボフ家が占めているので安心して通行することができない。


 船というのはどうしても沈没の可能性があるし、キエンにとっては信頼が置けない運搬手段だろう。

 船舶の運行には専門的な技術が必要であって、完全に信頼できる将家の者だけで運ぶということができない。


「どこの者であれ、家宝のたぐいを船員に預けるというのは不安だろう。ましてやボフ家の沿岸を通らなければならないのだから」

「では、オローン・ボフはいつ呼び出す」

「今日にでも使いを送る。王都にはホウ家の軍が一万人残っているからな。キエン殿は、連絡をやるまで軍を起こさないでくれ。オローンが来なくなるかも知れない」

「了解した。一報があったら即座に動けるように準備はしておく」


 よし。

 話が早くて助かる。


「それじゃ、今日はこれで終わりだ」



 *****



 二人が帰っていくと、俺は「ドッラを呼べ」と言った。


「いいんですか?」

 ミャロが言う。

「いいさ。話をしないわけにもいかない」


 俺が言うと、ミャロは頷いて、人を使って呼びにいかせた。

 ドッラは一昨日から営倉に入っているので、釈放しに行ったという方が正しいかもしれない。


 ドッラは、聞いた話によると、暗殺と反乱が起こったあと、まず王城に突っ込んでいった。

 その時は大手を振って威張っていた第二軍を、さすがに殺したりはしなかったのだが、押し通って王城に突っ込もうとして何人かぶん殴ったらしい。

 騎士院生ということで、営倉に入れられた。


 数日して燃え盛るような混乱が下火になると、ガッラに「息子さん営倉に入ってますよ」という報告が来た。

 ガッラは営倉から出してやったのだが、そこでドッラは「キャロルとユーリは既にホウ家領に逃げたぞ」と伝えられ、今度はホウ領に向かった。

 ガッラは絶対行くなと言ったので、実家から馬やカケドリのたぐいを借りることもできず、カラクモまでは自分の足で走ることにしたらしい。


 カラクモまでの道中には、キャロルが一時休息をとっていたロッシがある。

 その時は、たぶん実家が改装中で、キャロルはまだそこに留まっていた。

 当然、ホウ家軍が周辺を遠巻きに警護していて、当時は誰も近寄れない状態にあったし、通行人は問答無用で逮捕するか遠回りに迂回させていた。


 そこにドッラは来た。

 兵に職務質問のようなものをされ、そこでドッラは素直に近衛の重役の息子だと述べた。当時のホウ家の兵からしてみれば、近衛というのは敵の軍でしかない。兵は忠実に職務を遂行し、ドッラはまたもや捕縛された。

 今度はカラクモの牢獄に送られる。


 その頃俺は王都を攻略すべく北上中だったのだが、ドッラが俺と同期の友人だと牢ごしに言ったので、誰かが俺に知らせをよこした。俺はすぐにそいつは害のある動物じゃないから出してやってくれと命令書を送った。そのおかげでドッラは出獄させられた。

 すると、キャロル殿下はどこにいる、と言ったらしい。


 そのころには、キャロルは俺の実家に移送されていて、末端はそもそも居場所を知らなかったので、それについては知らないし知っていても教えられない。と正直に伝えた。

 ドッラは、これでは埒が明かないということで、まずは俺を探すことにした。


 その様子はたいへん血気盛んだったらしい。対応したホウ家の者は、俺が王都に居ると素直に言うとマズいことになると思ったのか、気を利かせてスオミに居ると伝えた。

 ドッラはスオミに向かったが、そもそも嘘なので、もちろんスオミに居るわけがない。

 ホウ社のところに行って聞いてみても、もちろん社員は俺の現在の居場所など知らない。


 ドッラはカラクモに戻り、腰を据えて俺を待つことにしたが、一向に来ないうちに、王都が陥落したという報を受けた。

 そこで王都に戻ると、色々な行き違いで第二軍の残党と思われたらしく、またもや怪しまれて投獄された。


 数日のうちに手違いが発覚して、まずはガッラに「すいません息子さんを手違いで投獄してしまいました」と代表者がお詫びにいったのだが、ガッラのほうは「そのままにしといてください」と言った。

 一月に満たぬ間に三回も投獄されるなんて、息子は正気を失っておる。

 と思ったのか知らんが、俺に対して「君に会いたいそうなので、都合のいい時に出獄させて会ってやって欲しい」と人づてに伝えてきただけだった。


 しばらく茶を飲みながら待っていると、


「ちょっと、待ってください! 待ちなさいっ!」


 という女性の声が廊下から聞こえ、ドアが勢いよく開け放たれた。


「ユーリ、てめえッ……!」


 ドッラはどうやらお怒りのようだ。


「どうした、ドッラ。座れよ」

「どうしたじゃねえ! キャロル殿下はどこにいる!」

「俺が保護している」


 イキり立っているが、何が不満なのか。


「毒を飲まされたと聞いた。あれは嘘だったのか」

「嘘じゃない。毒は飲んだが、生きている」

「なんでもないのか? ただ休んでいるだけなのか?」


 ドッラは、心配そうなご様子だ。


「なんでもなくはないな。女王はグラス半分飲んだだけで死んじまったっていう致死毒だ。それをキャロルは一口飲んだ。消化器系がやられていて、粥のようなものしか飲めない。腎臓がまともなのは幸運だがな」


 腎臓がやられると血流から不純物を濾し取れなくなる。

 当然、透析などできるわけもないので、毒素は血液内に溜まりっぱなしになる。


 母体の毒素は胎盤にある関門でブロックされる仕組みになっているが、催奇性などの問題が示す通り、完全にブロックしてくれるわけではない。

 胎児が死んでいれば流産になっているだろうから、生きているのだろうが、毒が胎児に与える影響は心配なところだった。


 強烈な催奇性や胎児毒性を発揮する毒物というのは、自然界に存在しない合成化学物質であることが多い。

 あまり詳しくはないが、やはり自然界に存在する毒のほうが、胎盤関門でのブロック率が高いのだろう。


「もっと簡単に言え。ご無事なのか、ご無事でないのか」


 消化系がやられている、と言われても、ドッラは上手く理解できないのだろう。


「臥せっている。ベッドから一歩も出られない状態だ」

「なんだって……?」

「生きるか死ぬかもわからない。粥も大した量を食えない様子だしな」


 俺がそう言うと、ドッラは怒りが収まらない様子で、俺のところまで歩いてきた。

 拳を振りかぶって、俺の頬をぶん殴る。


 頭に強烈な衝撃が走って、俺は体ごと椅子から転げ落ちた。


「お前がついていながら、どうして守ってやれなかった!!」


 ドッラが俺を責める。


 いろいろあんだよ。

 と言いたい。


 俺は立ち上がって、ドッラの間合いまで寄ると、思い切り股間を蹴り上げた。

 避けられた攻撃だったはずだが、ドッラは避けなかった。


「ぐっ!」


 間髪入れず、腹のところを蹴り飛ばす。

 ドッラは、先程までルベ家親子が座っていた椅子を巻き込みながら、けたたましく床に転がった。


「ふざけんなよ。じゃあ、お前はあの騒動で誰を守ってやれた」

「なんだとッ――!」

「誰を守ったかって聞いてんだ。俺はキャロルを……ああなっちまったが、精一杯守った。お前は何を守った。右往左往してただけじゃねえのか」

「俺はその場に居なかった! 王城に向かおうとした!」


 毒を入れられた杯を、危険を感じて飲ませないという判断がお前にできたっていうのか。

 そんなわけはない。


「テルルはどうした」

「なにっ……?」


 テルルのことを言うと、今まで考えもしなかったのか、ドッラは青天の霹靂といった顔をした。

 そういえば、どうしてるんだろう。ってな顔だ。


「まだ見てないのか。読んでみろ」


 俺は、先程ルベ家に見せた紙を見せた。

 魔女と十字軍との間に交わされた契約書だ。

 第四項に、テルルのことが名指しで書いてある。連中は、前の戦争で取り逃がした金髪のシャン人のことを知っているのだ。


 俺は、ドッラが読み終わるまで長い間待っていた。


「テルル殿はどうしている」


 ドッラは深刻な表情で言った。


「今更気になるのか。おめでたいな」

「早く言え」


 案の定、気になるらしい。


「もう引き渡されたあとだ。クラ人の間者の手によって海の向こうに連れ去られたよ。今ごろ、どんな目に遭っているだろうな」

「なっ……! くそっ」


 ドッラは、馬鹿なことに、踵を返して、駆け出そうとした。

 駆け出してどうなる。


「嘘だよ。この王城にいらっしゃる」


 俺は、椅子に座りながら言った。


 頬が痛む。

 歯が浮いている感じがする。

 まさか抜けないだろうな。


「……は?」


 ドッラが呆けたように言った。


「テルルは、あの日の夜、早速第二軍の別働隊に襲われたよ。そのあとは王城で軟禁されていた。お前がのほほんと捕まっている間にな」

「なぜ嘘をついた」

「お前、駆け出してどうするつもりだった? キルヒナ領を突破して、クラ人の領域を抜けて、テルルの居場所を突き止めるつもりだったのか? テロル語も話せないのに」

「なぜ嘘をついたと言っているッ!!」


 叫ぶなよ。


「一体、お前に俺に何かをいう資格があるのか」


 俺がそう言うと、ドッラは口ごもった。


「駆け出すくらい大切なら、守ってやれば良かったじゃないか。実際に守ったのは俺だ。それを目的に攻めたわけではないがな」


 だが、俺が攻めていなかったらテルルは売られていただろう。

 間者への拷問で聞き出した話では、どうも十字軍が攻めてくる前には引き渡しを済ませる手はずであったらしい。

 放っておいたら、今ごろは本当に海の向こうに行ってしまっていたかもしれない。


「どうして守ってやれなかった、か。都合のいい言葉だよな。外野はなんとでも言える」

「外野だと……?」

「お前はこう思っているんだろう。あの時点でテルルが襲われることを推理して、キャロルを救いにいってもどうにもならないと判断して、その場でトリを走らせてテルルを助けに行くことなんて、誰にだって不可能なことだったと」

「………」


 ドッラは何も言わず、言われるままにしていた。


「それでいて、俺にはこう言うわけだ。ユーリ、お前には能力があるのだから、キャロルが毒を飲む前に、なんらかの手段でそれを察知して止められたはずだ、と。お前にはそれができたはずだ。自分の頭では想像もつかないけれど。ってな」

「………」


 何かしら思う所があるのか、ドッラは反論しない。


「お前は良かったな、ドッラ。なんにもしていないのに、テルルは傷一つ負わずに済んだよ。対して、俺の妻は、ベッドから離れられず、粥さえ満足に食えないような状態だ」


 言いながら、怒りがこみ上げてきて、机を叩きたくなった。

 だが、すんでのところで止めた。

 これは八つ当たりだからだ。


 俺はテルルなんてどうでもよかったので、助けようとも思わなかった。

 王城を手に入れてみたら、なんか知らんけど居ました、というだけの話だ。

 理由をこじつけて、八つ当たりしているにすぎない。


「……すまなかった。確かに、俺にお前を責める資格はないかもしれない」


 ドッラは素直に謝った。

 背筋から悪寒のような不快感が湧いて来る。


 そうじゃないだろ。

 謝って欲しいわけじゃねえんだよ。


 だが、ドッラはそれ以上、何も言わなかった。

 もう、俺を責めるつもりはないらしい。


 つまんねえな……。


「……もういい。テルルのところに行ってやれ。キャロルの居場所も教えてやる。見舞いにいけ。間違っても食べ物なんかを手土産に持っていくなよ」

「わかった」

「案内してやれ」


 ドッラを連れてきた女性に一言いうと、


「ご、ご案内します」


 と怯えたような表情で言いながら、ドッラを案内していった。

 二人とも部屋から出ていった。



 *****



「ユーリくん、あんな言い方しちゃ、ドッラさんかわいそうですよ……」


 ミャロが何かを言った。


「……可哀想なもんか。野郎、思い切りぶん殴りやがって」


 俺は頬をさすりながら言った。

 まだ頬が痛い。


「ユーリくんだって急所を蹴り上げたじゃないですか」

「俺は潰れないよう手加減したからいいんだよ」


 しばらく痛いかもしれないけど。

 玉は潰れなければ大丈夫だが、歯は折れたら治らないんだ。

 差し歯はあるが、これは遺体から歯を抜いて加工したものが素材となるので、非常に気分が悪い。


「そうなんですか。よく分かりませんが」


 まあ、ついてないからな。

 ついていなければ分かりようがない。


「それより、輸入した銃器の購入代金をホウ社へ支払わないとな。さもないと、リーリカがまた尻を触られる羽目になりそうだ」


 もちろん、銃器は船舶の輸送代金をつけて、国費で全て買い取ることになる。

 会計は色々面倒になるが、早くやってやらないとリーリカがちょっと可哀想だ。


「ユーリくんは、女性に甘いですよね……」


 ミャロが、俺の考えを見透かしたように言った。


「魔女を焼き殺した男に何を言う」


 相手が女でも容赦しない男として、ちまたでは有名なくらいだ。


「本当に、身内の女性には甘いですよね」


 ミャロは言い直した。

 なにやら責められているような気配を感じる。


「別に甘くはないとおもう……怒ったりする必要がないし、叩いたりしてこないから……」


 キャロルには一度頬を叩かれたが。

 まあ、あれはずいぶんと昔の話なので、時効だろう。


「キャロルさんと結婚したつもりなのであれば、甘くするのはどうかと思います」

「なんだ、さっき妻とか言ったからか」

「ち、違いますけど……甘くするのはいけませんよ。もしリーリカさんが男の人だったら、そんなこと言わないわけじゃないですか」


 リーリカが男だったら?

 いや……何?


 男のリーリカが金を借りにいったら、オッサンに尻を触られたって仮定か?

 怖い怖い。

 逆にギャグでは済まされない感じがして怖いわ。


「言うぞ。男が男に迫られるって相当の恐怖だからな。教養院の連中はかなり誤解しているみたいだが」


 そこは庇ってやるわ。どんだけ外道だよ。


「いえ、そういうことじゃなくて……相手が男じゃなくて女性だったらとか」

「ああ、ババアに迫られたらってことか……確かに、まあ、それは自分でなんとかしろって感じだな」

「ババアって……そういう意味じゃなかったんですが……でも、そんな対応になるわけじゃないですか」

「なるな」


 ……うん、なるな。

 そこは自分でなんとかしろよ、って感じだ。


「つまり女性には甘いわけですよね」

「まあ……男と女では貞操観が違うからな」

「そういうことじゃなくて……いえ、もういいです。リーリカさんを例に出したのが間違いでした」


 なんのこっちゃ。


「なんだ?」

「気がないなら優しくしないほうがいいですよってことです。もうっ」


 ミャロは、そう言って、ちょっと怒った様子で部屋から出ていった。


 ルイーダの件があってから怒りっぽいんだよな……。

 なんなんだろう。

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