第193話 アンダールでの会議 前編*

大陸西部地図

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 アンジェリカ・サクラメンタは、その日、ティレルメ神帝国の帝都、アンダールにいた。

 兄、アルフレッド・サクラメンタから呼び出しを食らったからだ。


 アンダールにある城の会議室には、サクラメンタ王家傘下の貴族が勢揃いしている。

 その中に、アンジェリカ・サクラメンタも座っていた。


(兄上……老けたな)


 アンジェは、兄を見ながら思った。

 まだ三十歳だったと思うが、国主の重責に耐えかねてか、あるいは王位争奪の際の心労が祟っているのか、焦げ茶の髪には白髪が目立った。

 白髪の家系ではなく、どちらかといえば禿の家系なので、今からこれだと、先は怪しそうだった。


「さて、諸君に今回集まってもらったのは、十字軍の参加について話をするためだ」


 アルフレッドがそう言うと、貴族の中で耳ざとくない者たちが、数人ざわめいた。

 アンジェは当然、既に情報を得ていたので、驚いたりしない。


 既知の情報が伝えられる中、アンジェは横耳に聞いて答え合わせをしながら、開け放たれた窓の外を見ていた。


 アンダール。

 内陸にあるが、穏やかな大河の流れは河川通運にぴったりで、港には数多くの船が止まっていた。

 アンダールを流れる大河は、風が良ければ帆で遡上することも可能で、風がないときでも河川横の道で牛か馬で引っ張れば、船を上流まで上げてくることができる。

 繁栄する理由がよく分かる、良い都市だった。


 だが、アンダールは、歴史的に見れば、古くからティレルメ神帝国の帝都であったわけではない。

 二百八十二年前、サクラメンタ王家が没落した諸侯の一つからもぎ取った都市であった。


 アンジェリカの家系である、サクラメンタ王家はティレルメ地域にルーツを持つ家柄ではない。

 サクラメンタ王家はクスルクセス神衛帝国の皇帝の血筋であり、約千年前、発狂したクラニセス五世が国土白化令を発動し、帝国が滅びたときに、共に消え去るべき家柄だった。


 千年前、カソリカ・ウィチタという男が、イイススの聖体が眠っている場所を解き明かそうと、熱心に文献を研究した。

 彼は苦労を厭わない天才で、地道な調査の結果、約千年間行方不明だった場所を、ついに発見した。


 これがいにしえに栄華を誇った神衛帝国の終焉の始まりだった。

 イイスス教の教義では、今もそうだが、イイススは眠っていることになっているために、その眠りを妨げることは禁忌とされている。

 更に困ったことに、聖体が封じられていた洞窟はイイスス教圏ではなく、当時出来たばかりの軍事大国であったクルルアーン竜帝国の、それも帝都の近くに位置していた。


 イイススの聖体の近辺で音を立てることは許されない。眠りを妨げるから。

 であれば、聖体を移動させることはできない。

 揺れない船などないし、眠りを妨げずに長距離を移動させることは、不可能であるから。


 なので、聖体は、あくまで洞窟の中にめ置かなければならない。

 だが、その場所がイイスス教国でもない国に存在するのも、許しておくわけにはいかない。


 当時のクスルクセス神衛帝国は、頭が狂っているとしか思えない雁字搦めのジレンマに囚われていた。

 当たり前だが、それならば土地を奪って自分の領土にしてしまう他ない。

 アンジェリカの先祖は、幾度かの交渉の末、結局クルルアーン竜帝国と戦うことになった。


 この戦争は最初から不利な要素が出揃っており、当然負けた。

 恐縮遷体と呼ばれる馬鹿馬鹿しい大事業を行って、イイススの遺体はヴァチカヌスに移送された。

 そもそも、竜帝国を建国したアナンタ一世は、最初からご随意に持って帰ってくださいという立場だったので、結果から見れば、この戦争は全くの無駄だった。


 だが、クラニセス五世の愚かな行為はこれで終わりではなく、むしろここからが始まりだった。

 修道議会という狂信者の集まりと会議を重ねた結果、戦争に負けたのは信仰が不徹底だったせいだという結論に至ると、国民に対して信仰の徹底を押し付けはじめた。


 その徹底は苛烈なもので、一般市民を含む誰もが監視され、信仰が疑われれば処刑される社会になった。

 対象が民衆だけでなく地方総督、官僚、軍属にまで及んだために、彼らの業務が妨げられ、国家機能は麻痺した。

 また、国家運営に携わる者には身分に応じた資格取得を課したために、特に身分の高い地方総督などが次々と役を追われた。

 商人たちは寄進を強制され、財産を隠せば鞭で打たれた。


 ヴァチカヌスから離れた属州で叛乱が頻発するようになり、カルルギニョン帝国などの諸国家が分裂すると、挺身騎士団と血で血を洗う争いをしながら、独立していった。

 自らの信仰の形が容れられず、属州が独立し新たな国が造られてゆくのを見ると、クラニセス五世は狂を発してしまった。


 三歳以下から修道院で暮らした俗世を知らぬ修道士を集め、白化団という組織を作ると、彼らに司法に関する絶対的な権利を与え、世に解き放った。

 彼らは民衆・貴族・商人・軍属の区別なく、少しでも信仰が疑われる者は皆殺害していった。


 結局、ヴァチカヌスを警護していた挺身騎士団が叛乱を起こし、クラニセス五世は弑して、白化団を皆殺しにすることで、ようやく一連の事件のカタがついた。


 そして、クスルクセス神衛帝国も消滅した。


 アンジェリカの先祖は、弑逆されたクラニセス五世の弟だった男だ。

 聖寝神殿の侍従長を中心として、新しく起こったカソリカ教皇領は、信仰を徹底した結果発狂した皇帝の血族を、罪には問わなかった。


 ただ、何も与えず放逐し、食うに困るようであれば修道院に入れてやり、食う寝る暮らすだけの世話をしたが、教会内で出世させず、飼い殺しのまま死ぬまで生かした。


 アンジェリカの先祖は、修道院での生活を選ばず、隠し持った金を使い、クスル半島南部の漁村で静かに余生を送ることを選んだ。

 その息子は、漁村で網を取り、漁師となった。

 それなりの教養を父から与えられたおかげか、はたまた人望があったのか、村長になった。


 ティレルメ神帝国初代帝王となったのは、その村長の息子。つまりは、クラニセス五世の弟の孫だった。


 ティレルメ地域は、クスルクセス神衛帝国が崩壊したあと、侯国や公国が乱立する地域となっていた。

 当時のイイスス教徒はカルルギ派が過半数を占めていたが、カソリカ教皇領はカソリカ・ウィチタの編んだ新しい教義をもとに、信仰を取り戻そうとしており、勢力が逆転しようとしていた。


 ティレルメの諸侯は、カソリカ派に鞍替えしようと企て、調子に乗ってカルルギ派の聖職者を財産没収の上国外追放し、国内のカルルギ派信徒を弾圧し始めた。

 そこでカルルギニョン帝国が怒り、軍を差し向けると、ティレルメの諸侯は兵の総数では圧倒していたのに、敗北に継ぐ敗北を喫し、ただの一回も勝てなかった。


 つまりは有象無象の集まりであることが露呈して、ティレルメの諸侯は団結せねばと考え、旗頭としてクスルクセス神衛帝国の皇帝血族を選んだわけだ。

 そこで連れてこられたのが、初代帝王レオン・サクラメンタだった。


 つまり、サクラメンタ王家はティレルメ諸侯によって製造された王家であった。

 諸侯のてのひらの上から離れては元も子もないので、王は王が選ぶのではなく、選帝侯が選挙で選ぶという仕組みが作られた。


 レオン・サクラメンタに与えられた最初の領地も、広大なものではなく、一つの小都市と周辺の領地、それだけだった。


 レオンは、その小都市に夢と希望を抱き、将来の発展を祈って「至高アルティマ」という大げさな都市名を新たにつけた。


 だが、残念なことに、その小都市には発展しない理由があった。

 主要な交通路から離れていて、川はあったが河川通運には利用できないもので、また周辺に肥沃な穀倉地帯が広がっているわけでもなく、発展しないのは自然なことだったのだ。


 レオンはそこを本拠地として、当時始まったばかりの十字軍で新領地を得ると、サクラメンタ王家の権勢を大きくしていった。

 その流れは現在にまで続いている。

 十字軍への出兵は、王家が諸侯にお伺いを立てないでもできる、数少ない大行事の一つだ。


 かつて帝都だったアルティマは、やはり発展の余地が少なく、より大きな新都市を取得すると、帝都は次々と遷都されていった。

 現在においての終着点は、ここアンダールというわけだ。


 大層な名前はつけたものの、帝都アルティマが続いたのは、結局七十年少しでしかなかった。


 現在のアルティマは、アンジェリカの根拠地となっている。


 百二十年前に運河が開通してからは、川のルートが遠回りながら海まで通じ、流通の事情が良くなり、そこまで悪い土地とは言えなくなったが、やはり悪い。

 産業という産業はまるでないが、痩せた土地からは上質のブドウが採れ、唯一ワインの製造だけが外貨を得る産業として成り立っていた。



 *****



 兄王、アルフレッド・サクラメンタは、アンジェにとって既知の話を延々としていたが、ようやくそれが終わった。


「というわけで、我々もこの第十六回十字軍に参加することにした」


 と、アルフレッド・サクラメンタは傘下の諸将を前にして言った。


「時期尚早なのでは……植民団の準備は……?」


 参席した誰かが疑問を呈する。


 確かに、疑問に思うのも無理はない。


 土地を得ても、入植する人間がいなければ利用することはできない。

 無駄に空き地を持っているのと同じだ。


 入植の募集をかけると、例えば多産の農家の三男坊や四男坊、つまり職がなかったり、職があっても将来的に食べる当てがなかったりする者が募集に応じ、参加しようとする。

 必然的に男所帯となり、あとは娼婦としてトウが立ったような女が結婚先を求めて現地へ向かい、女旱おんなひでりの男所帯で働き者の男を選んで、家庭を作ったりする。

 植民地には、そうやって人間が定着してゆく。


 そういった連中は、十字軍と十字軍の間の戦間期に増え、社会の中に潜在的に貯まっていくものであって、前回から二年しか経っていないのでは、それほど集まらないだろうということは容易に想像できた。

 十字軍の開催に合間が設けられているのは、そのような事情にも因る。


 特に、南部の比較的温かい地域が攻略されてからは、残り物は酒すらも凍りつくような厳寒の地域ばかりだった。

 闇雲に人を送るのは簡単だが、定着させるとなると国家の支援が必要であり、ただ次々に土地を得ればいいというものではない。


 南部のペニンスラ王国あたりでは、人間は裸一つで海に潜って魚を捕るだけでも暮らしていける。

 だが、厳寒の北部ではそうではない。

 ただ生きるだけでも工夫が必要であり、道具が必要なのだ。


 木を切り倒す斧がなければ薪も作れないし、薪がなければ人間は冬を越すことができない。そういった土地だ。

 耕した土地に麦を撒いておけば勝手に生えてくる、といった肥沃さもない。


 生活を安定させるためには、地域の性質をよく理解して、森に棲む獣などを知り、気候と付き合っていかねばならない。

 入植するものは、無学で無一文の者が多いのだから、投資分は借金にしてあとで回収するにしても、当座の世話は国家で見てやる必要があった。


「植民は後回しにする。それでも仕方ないと判断した。なにせ教皇領は乗り気なのだからな。ここで傍観していては、先を越されてしまう。乗り遅れるわけにはいかない」

「そうですな」


 まあ、それはそうだ。

 空き地だろうがなんだろうが、手に入れられるなら手に入れておいたほうがいい。

 手に入れておかなければ、後で入植することもできなくなる。


「だが、急な話だ。至急、補給の計画を立てなければならない。各自、すみやかに穀物庫や兵糧庫などの在庫を報告するように。ことによっては、全部引っ張り出すことになるかもしれない」

「ハッ! 了解致しました」


 アンジェ以外の全員が、同様に声を上げた。

 アンジェは、それに紛れるように口だけ開いただけだった。


「おそらく、この十字軍は最後の十字軍になる。急ぎのことだから、足取りの合わぬことも有るかもしれないが、それは他の国も同じこと。我々はもっとも優位に立っている。必ず成功させよう」

「これが終われば、平和な時代が訪れますな。いまのうちに土地を奪っておかねば」


 とある貴族の一人が言った。


 本当にそうだろうか。

 人間の国家というものは、常に敵を探している。

 内に存在するならば内に、外に存在するならば、外に。


 十字軍が終われば、イイスス教圏にとって共通する敵というのは居なくなる。

 クルルアーン竜帝国などはそれに当たるが、彼らは強大な軍隊を備えた巨大国家であって、今まで戦ってきたシャン人国家のように、ただ奪われるだけの脆弱な国家とは違う。

 草刈場で草を刈るように、実入りの良い商売をする感覚で戦争に出かけられる相手ではない。


 共通する敵がいなければ、イイスス教国同士で戦い合うことになるだろう。

 そもそも、イイスス都市国家地帯などと言われている、あのモザイク状の飛び地群は、長い間共通した敵がいて、お互い争い合うことがなかったから形成されたものだ。

 外圧が加われば、たちまち弾けて混ざり合う危険な物質が、ただ外圧が一切加わらない異常期間が長く続いたため、存在したままになっているにすぎない。


 実際、一度外圧が加わった結果、あっという間にガリラヤ連合ユニオンなどというものが出来、現在に至ってはティレルメ神帝国と比肩するほどの大国家になってしまっているではないか。


 十字軍が終われば、次はイイスス教国同士で戦い合う時代になる。

 アンジェは、そんな感覚を抱いていた。


「アンジェリカ、何か言いたいことがあるのか」


 末席に座るアンジェに、アルフレッドは遠くから声をかけた。


「ハッ――あえて申し上げれば、教皇領が扇動したと主張している魔女の反乱。これについてはもう一度調べるのが妥当かと。一度目、二度目の召集令状では、王都に直接乗り込むことになっていたのに、今回の書状では真っ向から戦うことになっております。何かしら不手際があったのは間違いないかと」


 アンジェは、無駄だと分かっていながらも、発言をした。


「ふっ……まさか、そのような弱腰の発言が出るとはな。前回、二国で戦って惨敗したものが、一国で勝てるようになるとでもいうのか」


 案の定、アルフレッドは聞く耳を持たず、アンジェの発言をけなす。

 発言をけなすというより、アンジェの能力をおとしめているのだった。


 こうして、万が一にもアンジェが支持を集めないよう仕組んでいく。

 アンジェは、見せしめのためにここに連れてこられたようなものだった。


「これは失礼。兄上の慧眼には恐れ入ります」


 アンジェは、変に楯突くこともなく、そう言って喋るのをやめた。

 アルフレッドは、不機嫌そうに顔を歪める。

 元より気が合わない兄妹なのだった。


「それでは、今日は解散だ。アンジェリカ、君は執務室に来るように」


 アルフレッドは、そう言って会議を終えた。

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