第189話 最後の夜会 後

 品物の運び出しが終わると、隣の部屋は棚を除いてなにもなくなった。

 こちらの部屋には、増えたものもある。

 机の下に細く割った薪が山と置かれ、その間には小枝と、火口となる枯葉が詰まっていた。


 燃やす準備は万端に整った。


 俺は、ジューラ・ラクラマヌスの後ろに寄り、猿轡を外す。

 最後の機会だ。何か俺に言いたいことの一つや二つあるだろう。


 だが、ジューラは、猿轡をとっても何も言わず、俺を険しい目つきで睨んでいた。


 なんだ、叩かれすぎてショボくれた奴になっちまったのかと思ったら。

 威勢がいいじゃねえか。


 足刺されて昔の自分を思い出したのかな。


 俺はジューラの顎に手をやって、頬を固定し顔を良く見れるようにした。


「こうしていると、昔のことを思い出すな。その頬の傷、きれいに治らなかったのか」

「………」


 ジューラは黙っている。


「ユーリさんよ、言い忘れていた」

 横からシャルン・シャルルヴィルが口を挟んできた。

「あんたは、私らから教皇領に話を持っていったと思っているかもしれないが、それは違う。最初に話を持ってきたのは、その娘じゃ。クラ人が話を持ってきたと言っていた」


 ……そうだったのか。


 老婆の言葉を素直に信じればだが、この七人の中から特にジューラを狙ったというのは、偶然とは考えづらい。

 特に俺に因縁がある、個人的に俺に恨みがありそうな奴ということで、ジューラを選んだと考えるのが自然だ。


 王都の内部事情に相当明るくなければ、そんなことは不可能だ。


「それは良いことを聞いた」


 聞き出しておいたほうがいいかもな。


「なあ、そいつとの繋ぎはどうしていたんだ? そいつはまだ王都に居るのか」

「………」


 ジューラは、口を噤んだまま話さなかった。


「別にそいつに義理があるわけじゃないだろ。今話したほうが楽だぞ」

「あんた馬鹿なの? どうせこれから殺されるんだから、話すわけないでしょ」


「プッ」

 思わず吹き出してしまった。

「クッ――ハハハ」


 この期に及んで、どんな勘違いをしてるんだ。

 おめでたいにも程がある。


 俺はジューラの椅子を机から引き出し、広い所に持っていった。


「ユーリ。私がやる」

 横からティレトがしゃしゃり出てきた。

「なに言ってんだ。俺の楽しみを奪うな」


 ティレトは、俺の耳に口を近づけると、

「太腿の傷だ。お前、動脈は避けたようだが、この女、けっこう血を失っているぞ。血を出さないように責めないと、あっさりと死ぬ。なんなら、持って帰って一度血止めをしたほうがいい」

 と小声で言った。


 あー。

 まあ確かに。

 でも、


「大丈夫だって。そんな根性のある女じゃないから」


 話したら恋人や家族が殺されてしまうとか、そんな大それた事情があるわけでもない。

 単に、ちゃちなプライドで話さないだけのことなのだ。

 少し痛めつければ、すぐに吐くだろう。


「なら、これを使え」


 ティレトは、小さく折りたたんだ羊皮紙を渡してきた。

 薬屋が薬を包んで渡すもので、開くと粉薬が入っているやつだ。


「本来は目潰しに使うものだが、傷に落とすと激痛を伴う」


 なるほど。


「わかった」


 俺はその薬を受け取り、折られた紙を開いていった。

 これはいい羊皮紙だ。


 良く削られていて、ホー紙よりも薄い。ページの多い本を薄く仕上げたい時などに使われる、最上質の羊皮紙だ

 契約書や手紙に使う羊皮紙は、強度を犠牲にしてまで薄くする必要がないので、もう少し分厚い紙になる。


 羊皮紙にはロウが塗ってあり、中には極小の粒剤のようなものが入っていた。

 微粉末だと飛散して目潰しにはできないので、わざと粒にしてあるのだろう。


 俺がまじまじと薬物を見ている間に、ティレトはジューラの両腕を後ろ手に縛っていた。


「何やってるの。殺すならさっさと殺しなさいよ。この化け物っ!」


 本当に威勢がいい。


 全てを失って、魔女からも解き放たれて、ようやく元の自分に戻れたといったところか。

 人間、どこまでいっても根っこのところの本性は変わらないということだろうな。


 だが、そちらのほうがやりやすい。

 俺は、ジューラの足の傷口に、トントンと粒を落とした。


「なにしっ、ッツ―――あ、ア゛ッ―――あ゛――――!!!」


 傷口に激痛が走ったようで、ジューラは絶叫した。


「熱ッ、痛いッ! あっ、あ゛あ゛ア゛ア゛――――!!!」


 絶叫しながら、半狂乱になって、全身を必死で揺さぶって耐えている。


 単に塩をまぶしたような反応ではないので、強酸性か強アルカリ性の何かなのだろう。

 どうやって作ったのか気になるところだ。


「やめてっ、取って! 取ってよ!!」

「話せって」

「いいからこれ取りなさいよ!!!」


 取るって、どうやって取るんだよ。


「じゃあ、次は目だな」


 俺は、ジューラの後ろに周って、頭に左腕をまわし、がっしりと抑え込んだ。

 右手の人差し指と親指で目を無理やり開いて、薬を添える。


「やめてえっ! 話す、話すから!!」


 なんだ、あっけない。


「さっさと言え」

「七区にいるリューク・モレットって男よ! 亡命者のっ!」

「嘘だな」


 俺はジューラの目に薬をかけた。


「―――――ッ!!! ギャア゛ア゛あ゛あ゛ア゛ア゛―――!!!」


 ジューラは、余程痛いのか、腹を縛られた状態で、上半身全部を使って激しくヘッドバンキングして、のたうち回った。

 手が使えていたら、自分の目をほじくり出したんじゃないかという反応だ。


 足の傷に落とした時よりも大分痛いらしく、刺さった短刀が傷をえぐるのも構わず、貧乏ゆすりのように足をガタガタと震わせていた。

 足の痛みなど、どうでもよくなってしまうくらいの激痛なのだろう。


「痛いッ!! 痛い痛い痛い痛い痛いッ~~~~~~!!!」


 放っておけば椅子ごと倒れるので、ティレトが背もたれを抑えているのだが、それでも椅子の足が浮くほど暴れている。


 五分ほどすると、大量に溢れた涙で一通り洗い流されたらしく、憔悴しきったように動かなくなった。


「さて、目はもう一個あるよな」

「ヒッ――!」


 怯えたように俺を見る。

 薬を入れた方の右目は、白い部分を探すほうが難しいほど真っ赤になっていた。


「やめてよっ! 言った! 言ったじゃない!」

「だって嘘じゃん」

「嘘じゃない! 嘘じゃないからっ!」


 俺はもう一度、ジューラの頭をがっしりと抱え込んだ。

 前回とは比べ物にならない、激しい抵抗がある。


「やめてええええええええ!!!! やめてよおおおおおおおおおお!!!!」

「本当のことを言え」


 ゆっくりと羊皮紙を傾けてゆく。

 不思議なことに、ジューラは今度は目を閉じず、逆に目をかっぴらいて傾いてゆく羊皮紙を見ていた。


 パニックになっているらしい。

 目を閉じているほうが怖いと思っているのだろうか。


「嘘じゃない嘘じゃない嘘じゃない嘘じゃない!!! 嘘じゃないったらァ!!! やめてええええええ!!!!」


 俺は、羊皮紙から薬が落ちる寸前で、ジューラの頭から腕を離した。

 どうやら、本当に嘘ではないらしい。


「――――あっ、ハ、ハハ……」


 ジューラは、解放されると廃人のように笑っていた。

 緊張と、降って湧いた安心で、わけが分からなくなっているのだろう。


「どうせこれから殺されるんだから、話すわけないでしょ……だったか。最初から話せば、こんなことにはならなかったのにな」


 馬鹿な女だ。

 まあ、最初から話していても確認作業はあったけど。


「あんた……地獄に落ちなさい……」


 面白いことを言う。

 俺は、ジューラの顔をもう一度正面から見た。

 酷い顔だ。


「そうだな、あとから行く。先に待ってろ」


 俺がそう言うと、ジューラはペッと唾を吐いた。

 俺の頬に当たる。


「へっ」


 一矢報いてやった、という顔で、ジューラはニヤリと笑った。


「……はあ」


 まったく、変わらないやつだ。


 俺は、右の手のひらをまっすぐにして、手刀を作ると、それを思い切りジューラの口にねじ込んだ。


「――アガッ!」


 噛む力が加わる前に、もう片方の手も突っ込み、力任せにこじ開ける。

 カクンとふいに抵抗がなくなり、顎が外れた。


 口が通常ではありえないほどの大きさに開かれる。

 それでもなお力を加え、顎の骨をこじるようにして、ボキボキと顎関節を折った。

 そこで、俺はようやく手を離した。


「お前はもう喋るな」


 それから、ジューラは二、三度アーアーと言葉にならぬ声をあげ、自分がもはや言葉を喋れぬ生物になったことを自覚すると、閉じられぬ口で黙った。



 *****



「ユーリくん、手が……」


 ミャロに言われ、自分の手を確認すると、右の指の背の皮が、歯に当たってめくれてしまっていた。

 血がしたたっている。


 よほど興奮していたのか、気づかなかった。

 あとで酒で消毒しておかないと膿みそうだ。


「あとでいい。それより、ミャロ。そろそろ出て行け」

「なぜですか?」

「なんでもだ」


 ルイーダ・ギュダンヴィエルを殺すからだ。

 もう火縄の付いた銃が部屋の端に立てかけてある。


「何を言っとるんだね、妙なことを抜かすんじゃないよ」


 これから死ぬ婆が何かを言った。


「ミャロ、あんたが撃つんだよ」


 これから死ぬ婆がわけのわからないことを言った。


「とち狂ったか、ババア」

「ミャロ、あんたが撃つんだ。どうせだ、この機会に人を殺しておいたほうがいい」


 どんな理屈だ。

 ギュダンヴィエル家に伝わるスパルタ教育の一種か。


「ユーリくん、やらせてください」


 どういうわけか、ミャロはやる気のようだった。


「いや、ダメだ」

「お願いします。身内のけじめなんです」


 ミャロは頭を下げた。

 身内のケジメ?

 うーん……なんだろう、だったら、やらせたほうがいいのかな。


「本当にやるのか? 後悔しないか?」

「後悔しません。お願いします。これが祖母を乗り越えるための試練なんだと思います」


 ミャロは頭を下げ続けている。

 とても重いお願いのように思えた。


「わかった……撃ち方は分かるな」

「分かります」


 ミャロはとぼとぼと部屋の隅まで歩き、鉄砲を手にした。

 銃身が切ってあるタイプではないので、ミャロの体格からすると大きすぎる感じがする。


「さあ、やっておくれ」


 ミャロはゆっくりと銃を構えると、脇を締め、ルイーダの後頭部に銃口を添えた。


「お然らばです。お婆様ババさま


 ミャロの指が引き金にかかる。


 その瞬間、俺は足元から百足むかでが這い上がってくるような激しい悪寒を感じ、とっさに銃把を握っているミャロの右手を手で制した。


「あっ」


 力づくでミャロの右手を引き剥がすと、ドンと胸を押して、銃を奪い取る。

 銃をくるりと返して即座に構え、何が起こったのかと振り返ろうとするルイーダの脳幹部を狙い、引き金を絞った。


 ズドン!


 火薬の爆ぜる音がして、ルイーダの頭が殴られたように吹っ飛んだ。


 大きな穴が空き、机の上に鮮血が飛び散り、老婆の体は机の上にバタリと倒れた。


「何をするんですかッ! ユーリくん!」

「……やっぱり駄目だ。やらせらんねぇよ」


 やらせられるわけがない。


 むしろ、なんで一度はやらせようと思ったのか。

 よく考えたら、肉親だぞ。


 ルイーダの作った雰囲気にすっかり飲まれていた。

 俺も、頭がどうかしちまっているらしい。


「なんでですか……」

「こんなことが平然と出来るのがお前が望む魔女なら、そんなものは要らん」


 ひょっとしたら、一種の呪いのようなものだったんじゃないだろうか。

 止めておいてよかった。

 殺していたら、ミャロはなにか宿業や怨念のようなものを背負わされていたような気がする。


 ミャロは、もうここに居ないほうがいい。

 明らかに何かに影響されている。


「ティレト。ミャロを連れて行け」

「分かった」

「ちょ、ちょっと、やめてください! 話は終わってません!」


 ミャロは、ティレトに無理やり連れて行かれた。


「ユーリくん!」


 バタンとドアが閉じられた。

 すると、室内は俺と六人の魔女、そして一人分の死体、あとは……エンリケがいたな。それだけになった。


 はぁ……なんて疲れる日だ。


「……これで終わりだな。最後の最後に身内の内輪揉めを見せてしまってすまない」


 俺は六人に向かって言った。

 俺も頭がおかしくなっているが、こいつらが念を送ったわけじゃないんだろうな。


「この家を焼くことによって、魔女たちは自分たちの時代が終わったことを知る。それを認めようとしない者もまた、出るだろうがな。そう多くはないと思っている」


 家を焼く目的の大部分は、処刑ではなく見せしめのためだ。

 この家が燃え落ちることで、魔女たちはハッキリと自分たちが滅びることを悟るだろう。


「第二軍の残党狩りが終わり次第、市民にもここを公開する。市民もまた、この場所で魔女の歴史が終わったことを知るわけだ」


「何が言いたいんだい」

 ヴィヴィラ・マルマセットが言った。


 俺は何を言いたいんだろう。

 これからこいつらは死ぬのに。


 もう終わらせよう。


「ミャロはああ言っていたが、お前らは魔女の歴史の終わりに大それた事をした。どういう扱いにせよ、歴史に名は残るだろうから、安心して逝け」


 俺はライターで、油の染みた布に火をつけると、足元にある薪の隙間にそっと詰めた。

 多めに混ぜられた枯葉に火が移り、あっという間に火が延びてゆく。


「あのとき酒を飲んでいたら、終わっていたのは俺だった。お前ら、中々手強てごわかったよ」


 俺はそれだけ言い残すと、小屋から出ていった。



 *****



「終わりましたな」


 外から小屋を見ていると、作戦を監督していたディミトリ・ダズが傍らに立って、言った。

 小屋からは、まだ生きているのだろう。苦悶の悲鳴が聞こえてきていた。


 小屋の外にも火がかけられ、外壁に張られた杉皮が激しく燃え始めている。


「ああ。これで何もかもが変わるだろう」

「そうですな……閣下は気が晴れないご様子ですが」


 やはり見て分かるらしい。


 周りを取り囲んでいる兵たちは、素直に狂喜している。


 王を弑し、自らの頭領夫婦を殺した怨敵が、今火に焼かれている。

 それをやったのは自分たちだ。鎧袖一触で軍を蹴散らし、こうして首魁を火炙りにしているのは、自分たちだ。


 そのような自負心が聞こえてきそうだった。


 俺は違う。


「もう少し、気分が良くなると思ったけどな……」

「復讐はつまりませんか」

「あいつらを幾ら苦しめた所で、父上や母上が戻るわけではない。痛めつけてはみたが、苦悶の表情を見ても、何が癒やされるわけでもなかった……」


 俺の心の中で、ルークとスズヤが満たしていた部分は、地下の遺体安置所モルグで二人の遺体を見た時に、ぽっかりと空いた穴になった。

 その穴を埋めてくれる何かは、苦悶と悲鳴の中には何一つとしてなかった。

 埋めてくれるかとも思ったが、ただ穴を素通りしていっただけだった。


「復讐しないほうがよかったと?」

「そんなわけはない。胸にわだかまりを抱えたまま、奴らを放置して生きるなんて、まっぴら御免だ。俺がやらなければいけない事だった」


 上手く言葉にはできないが、復讐というのは、楽しいとか嬉しいとかの話とは、また別次元の行為なのだ。


 復讐が一つ済んだら、空いてしまった穴が埋まるのかと言えば、別に埋まるわけではない。

 ただ虚しいだけなのに、空いてしまった穴に仇の命を投げ込む行為には、重大な意味があるように感じる。


 ぽっかりと空いた穴を感じるたび、それをせずにはいられなくなるのだ。

 ただ虚しいだけの仕事で……だが、それが終わらなければ、何も始まらない。


 まだ復讐は終わっていない。魔女たちを唆したという教皇領の男がいる。

 恐らくエピタフという男なのだろうが。


「この国にとっても、です。国を停滞させていた者たちは去り、新しい時代が来ます。良いものにしなければ」


 おそらく、ディミトリが思っている新しい時代は来ない。


 騎士もまた、とどこおっているからだ。

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