第190話 故郷

 その日、俺は七年ぶりに懐かしい我が家に帰ってきていた。


「この道をまっすぐ行くんだ。一本道だからな。じゃ、頼んだぞ」

「はい、分かりました」


 ホウ社の若者が頭を下げ、鞍にスコップを乗せた馬に跨って、俺を置いて指示した道を進んでゆく。

 護衛を兼任してきたため、腰には長剣を佩いていた。


 改めて玄関に向かうと、メイド長が玄関の脇に控え、こちらに深々とお辞儀をした。

 その隣には、まだ育ち盛りの少女が立っている。


「ご当主様。おかえりなさいませ」

「おっ、おかえりなさいませ、ご当主さま」


「その子は?」


 俺は少女を見ながら言う。

 少女は、緊張した面持ちで、俺を見ていた。


「本邸から連れてきた、メイド見習いでございます」

「そうか」


 メイド長にも休む時間は必要だし、サブ要員として連れてきたのだろう。

 ただ、まだ十歳前後くらいの年齢だ。すごく若い。


 メイド長は、俺に一歩近づくと、耳元で、


「とても気立てのよい子です。キャロル様は、私相手では気が抜けないご様子なので……彼女相手なら気もなごむかと思いまして」


 と言った。


 そういうことか。

 さすがは行き届いているな。


「よろしく頼むぞ」

 俺がその子の肩に軽く手を置きながら言うと、少女は、

「はいっ」

 と、二階にいるキャロルに気を遣ってか、小声で返事をした。


 玄関のドアを開け、中に入る。


 見覚えのある間取り、かまど、家具……懐かしい光景だった。

 精神が吸引されるような思いがする。


 ずいぶんと久しぶりだ。


 そこのドアを開ければ、使われなくなって久しいルークの書斎があるだろう。

 そこのドアを開ければ、大きなベッドが据え付けられた、夫婦の寝室があるだろう。


 寝室の中には、ルークが日曜大工で作った、足に切って出しの丸太材が使われている、あまりにも無骨なベッドが置いてあるはずだ。

 今はメイド長と少女が使っているのかもしれない。


 入ってすぐ見える台所には、いつもスズヤが使っていた竈があった。

 排気は煙突に誘導される仕組みになっているのだが、隙間から少しだけ煙が漏れるので、スズヤが料理をしているときは、いつも少しだけ煙の匂いがしたものだ。


 二階に上がる階段を踏むと、板が新しくなっていて、所々に真新しい修繕の跡があった。

 そういえば、階段を上るときに少し軋む音がしたような覚えがある。

 それは問題だということで、ここは直させたのだろう。


 元は俺の部屋だったドアを開けると、ベッドに寝たキャロルがこちらを見ていた。


「……よう、なんだか久しぶりに思えるな」

「うん、よく来てくれた」


 消え入るような声で言ったキャロルの頬は、この十日余りで少しやつれたように感じた。

 それでも、俺の顔を見れて純粋に嬉しいのか、笑顔を見せている。


 キャロルは、たっぷりと綿の入った布団を胸の下までかけて、上半身を少し起こすためのスロープのような寝具に背中を預けていた。

 その体勢からだと、窓の外がよく見えるだろう。


 俺が来たのも見えていたはずだ。

 窓の外には、色とりどりの花が咲き誇った何ヘクタールのガーデンというわけにはいかないが、それなりに牧歌的な風景が広がっている。


「……どうだ、体調は」


 俺は、背もたれのない丸椅子に座りながら言った。


 いつもメイド長や少女が使っているのだろう。

 ローラー付きの椅子というものはないので、座りながら方向を変える仕事をするには丸椅子が便利だ。


「……悪くない。ここは空気がいいな」

「そりゃよかった」


 シビャクは少し海風が入る。

 学院にいても、街で発生する臭いが少し混じるし、それと比べればここの空気は清涼そのものだった。


「それに、とても静かだ。ユーリは、ここで育ったんだな」

「ああ。八歳まで俺の部屋だった。少し手を入れさせたけどな」


 ただ、懐かしさはない。


 床は張り替えられ、壁は塗り替えられ、窓は大きなガラス張りの窓に入れ替えられている。


 純白の漆喰、削り出したばかりのような床材。

 ベッドも、子供用の小さなものから大人用のものへと変わっている。


 見覚えがあるのは、柱と天井くらいのものだ。


「気に入ったよ。体を休めるにはぴったりの環境だ」

「そうだろ。俺もカラクモよりいいと思ってさ。あっちはその……気が立ってギスギスしてるからな」

「そうか……気を遣ってくれてありがとう」


 そう言って、キャロルは一瞬微笑んだあと、笑みを消した。


「それで……王都はどうなった?」


 心配そうに言う。


 こんなところにいるのだ。

 ニュースなどは届いていないのだろう。


 そもそも、キャロルの居場所は基本的には秘密だ。

 信用できる配下の一家に遠巻きに周辺を護らせているが、そこの家長には絶対秘密にするよう言ってあるし、つまりは探らなければわからない。


 今のホウ家領において、俺が知るな、探るなと言っているものを探ろうとするのは、ちょっとした自殺行為にあたる。

 配下の者がそれをすれば、何をするために調べた、と詰問され、背任罪に問われても仕方がない。


 となればメイド長しか窓口がいないが、メイド長はミャロのように情報収集をしているわけではない。

 キャロルの介護に専念しているわけで、情報など小耳に挟んだ程度しか知らないだろう。

 もし小耳に挟んでも、おいそれと口を滑らせたりする人ではない。


「五日前に戦いは終わったよ。ほとんど血を流さず済んだ」

「……嘘は言わないでくれ」


 嘘だと思われている。

 まあ、無血ってのは言い過ぎか。


「嘘じゃないさ。第二軍を飛び越して、王城島を鷲で攻めたんだ。王城島では、第一軍も呼応して戦った。あそこが落ちたら、第二軍は逃げてもる場所がない。そしたらもうお手上げだ。正面衝突は起こらなかったよ」

「じゃあ、たった十日で、血を流さずに王都を陥としたっていうのか?」

「第二軍しか居なかったからな」

「ははっ……さすがだな。今まで誰も陥とせなかったものを……たった十日か」


 なにやら呆れている様子だ。


「今までとは状況が違う。今までの王都には、女王がいた。空になった玉座を、命がけで守りたい奴なんていなかったのさ」


 カーリャがいたけど。

 ビラのせいで誰にも女王とは認められてなかったって話だしな。

 即位式はえらい騒ぎで、大量の逮捕者が出て、カーリャに卵を投げた男が一人公開処刑されたと聞いている。


「あっ、母上は……」

「……亡くなったよ」

「そう……か」


 半ば覚悟していたのか、キャロルの声に驚きはなかった。


「十日の間に、国葬は済んでいた。魔女が主導しただけあって、儀式としてはきちんとしたものだったそうだ。もう一度やるのも何だから、とりあえず置いてある」

「うん……それならそれでいい。墓石の碑文なんかに問題があったら直してもらえれば、それで……」

「墓石は作り直すつもりだ。その……死因なんかが事実と違うんでな」


 墓石自体も、高価な墓石は数日で彫れるものではないので、見れば簡素なものだった。

 さすがに、予め墓石を作っておくというのは、そこで露見するとマズいことになると思ったのだろう。

 とりあえず、参拝者が絶えないので、碑文のところだけ削って置いたままにしてある。


「そうか、そうしてくれ……」


 やっぱり落ち込むよな。

 だから伝えたくなかったんだ。


 でも、伝えないわけにもいかない。

 気にしないで療養に専念しろ、と言ったところで気になって仕方がないだろう。


「そうだ、カーリャは、カーリャはどうなったんだ……?」


 あぁ……やっぱり気になるよな。

 妹だもん。


 言いにくい。


「自害したよ」


 俺が言うと、キャロルは、

「そうか……」

 と、うつむきながら言った。


「俺が直接出向いて説得した。まあ……あんなことはしでかしたけど、苦しめることもないと思って、安らかに逝ける薬を渡したよ。それほど苦しまなかったと思う」

「……ありがとう、気を遣ってくれて」

「まあな……俺も、知らない仲じゃないしな……」


 カーリャのことは、なんでああなっちまったんだろうと今でも思う。


 最初から優しい言葉をかけてやっていたら、違ったのだろうか。と考えたこともある。

 だが、もっと勘違いさせただけで、袖にした時の恨みはより深くなっていただろう。


 じゃあ、カーリャと結婚してやればよかったのか。

 そんなのは無理だ。

 好きでもない女のために人生を捧げて奉仕してやるなんていう事は、俺にはできない。


 こうすれば良かったという答えは、全然出てこなかった。


「うっ、うぅ……」


 見ると、キャロルはシーツを強く握りながら静かに涙を流していた。


 妹だもんな。


 俺は椅子から腰を上げ、ベッドサイドに座ると、キャロルの肩を優しく抱いた。


「すまない……うっ……なんであいつが……」

「あいつの無邪気さは、王族には罪だったんだ。それを利用した魔女も、もういない。みんな死んだ……みんな終わらせてきた」


 それだけ言って、頭を撫でさすっていると、段々と嗚咽の回数が減り、キャロルは泣き止んでいった。


「ごめんな……ユーリこそ、巻き込まれたようなものなのに……ごめん、ご両親を……」

「いいんだ」


 あれは俺が悪かったんだよ。


 俺の幸せとは、大切な人のことだった。

 それを傷つけたくなくて、新大陸を守ろうとした。


 幸せを噛み締めたくて、キャロルを抱いた。

 俺は、幸せを感じるために生きているんだと。


 新大陸という駒では、キャロルは守れそうになかった。

 だから、今度は戦おうと思った。

 子どもができて、戦うには好都合だからと、結婚もしようとして……。


 何も見えてはいなかった。


「まだ喜びは残っている。お前がいてくれれば」

「……ああ、そうだな。元気な子を産まなくちゃ」


 キャロルは、ぽっこりと膨れたお腹をさすりながら、気丈に言う。

 落ち着いたようなので、抱いていた肩の手を離した。


 背中にゆっくりと手のひらを滑らせながら、腕を戻す。


 痩せていた。

 キャロルの肩は、騎士院で鍛えた筋肉に覆われた、弾力のあるものだった。

 それが少し、細っているように感じた。


「なあ、それじゃあ今、王都はどうなってるんだ?」


 やはり王都のことが気になるようだ。


「ミャロが上手くやっているよ。魔女に関してはミャロ以上のやつは居ない」

「そうか……なら良かった」

「忙しくないと言ったら嘘になるんだけどな……今日は一日時間を空けたんだ。ここに泊まるよ」

「そうなのか? 無理しなくても……」


 キャロルが気後れしたように言った。


「違うんだ。ホウ家軍は、ほぼ全軍王都にいるだろ。だから葬式は王都で済ませたんだが、埋葬はな……」

「……あぁ」


 キャロルは察したようだった。

 俺の両親のことだ。


 この国には火葬の文化はなく、埋葬はいつまでも延期するわけにはいかない。


「昨日、ホウ家の歴代の墓所に埋めたんだけどな。内緒にしてくれよ。それは空の棺で、本当はこの家の近くに埋めるんだ」

「えっ――!」


 キャロルはびっくりした顔で大声を出し、

「けほっ、けほっ」

 と、軽く咳き込んだ。


 驚かせちまったな。


「この家の反対側には、丘があってさ。家族でよくそこに登ったんだ。眺めがよくて、父上の牧場とこの家が両方見える……遠くには麦畑も見えるんだ」


 そこは、ルークがスズヤのために作った場所だった。

 ルークは鷲に乗っていくらでも絶景を見られるが、家を守るスズヤはそうではない。


 ルークは、牧場を取り囲む丘の中で、家に近く見晴らしの良い一つを選んで、木こりにてっぺんを裸にさせた。

 通いやすいように道も整備して、行き来できるようにした。


 それは、俺が産まれる前の出来事だった。

 子どものころは、家族でよくピクニックに行ったものだ。


「父上は結局、騎士章を取らなかったし、母さんも貴族の人じゃなかった……だから、ホウ家の墓所には入れない。そこに埋めるんだ」


 そう俺が決めた。

 誰の手も借りず、カラクモの棺屋に二人分の棺を注文して、埋葬の儀式の前にこっそりと入れ替えて、空の棺を埋めた。


 しれっとした顔で馬車に積ませ、ホウ社の信頼できる男たちと合流し、今日は御者として馬車を操って、ここに来た。

 男たちは、ここを俺の旧家だとは知らず、戦争で死んだ友達の墓穴だという嘘を信じて、今ごろは穴を掘り始めている頃だろう。


「じゃ、あの荷物は……」

「ん……ああ、ちょっと言いにくいけどな」


 この窓から見える場所に繋いである馬車には、二人の遺体が乗っていた。


「そうなのか……」

「そういうわけだから、ちょっと行ってくるよ……夕食までには戻ると思う」


 今日中に埋葬を終えたかった。

 狼や野犬に掘られない深さの穴を掘るのは、三人がかりでも骨が折れる。


「わかった。じゃあ……その、お義父さんとお義母さんに、よろしく」

「ああ、言っておくよ」


 そう言って、俺は部屋を出た。



 *****



「ふうっ……こんなもんっすかねえ」

「そうだな」


 俺と二人の社員は、汗だらけ泥だらけになりながら、大きな穴を掘っていた。

 身長ほどの深さになったので、もういいだろう。


 一箇所だけスロープになったところから穴の外に出て、一頭引きの細身の馬車から、三人がかりで棺を下ろす。


「ゆっくりとな。落とさないでくれよ」


 ゆっくりと、棺を穴に横たえた。


 スズヤの棺を隣に横たえると、穴の外に出る。


「これでいい。穴を埋めよう」


 俺はスコップを持って、穴を埋め始めた。


 三人がかりでかなり時間をかけて埋め終えると、もう日が暮れ始めていた。


「土がけっこう余りましたね」

「墓の上に山にしておこう。どうせ沈むだろう」


 埋葬のしきたりはよく分からなかった。

 足で踏んで土を締めたほうが良いのかもしれないが、二人の居る上を足で何度も踏むのは抵抗があった。


「じゃあ、これで終わりですか」

「ああ、もう帰っていいぞ。ご苦労だった」


 特別手当を弾んであるので、このあとは適当な宿に入って良い酒でも飲むだろう。

 二人は、埋めた土の前で、気持ち程度の祈りを捧げた。


「それじゃ、馬車は持って帰りますんで」

「ああ、よろしく頼む」


 予め決めてあった通り、男たちは馬車と馬一頭に乗って帰っていった。


 俺は、夕陽に照らされる美しい風景をじっくりと眺めた。

 悪くない。

 安らげる光景だ。


「お父さん、どうですか。やっぱりここの方が落ち着くかと思って――。昔来た時は、ちょっと退屈そうでしたけど。あの墓地よりは、ずっと景色がいいでしょう」


 俺は、誰にはばかることなく、ルークに語りかけた。

 ここには、もう三人しかいない。


「お母さんは、あの墓地では堅苦しいですもんね。お父さんが休みを取って、ここに来ることになると、とっても機嫌がよくなって……」


 目から自然と涙が溢れてくる。

 誰も見ていない。ここには俺しかいない。

 とめどなく、涙が流れ出てきた。


「僕……あんな父親に育てられて、母親には捨てられて……お二人に育ててもらって、愛情をもらって……初めて、本当の親子ってこういうものなんだなって思ったんです……でも、息子らしいことなんて何にもできなくて……。やっとお二人に本当の子どもができると思ったのに、僕のせいでこんなことになっちゃって……お母さん、僕は、なんて謝ったらいいのか……」


 謝る相手は、もう土の中で眠っている。

 なんで、こんなことになってしまったのだろう……。


「ごめんなさい……」


 謝って謝りきれるものではなかった。

 でも、謝らないでは居られなかった。


 俺は、涙を流しながら、ずっと謝っていた。


 どれだけ時間が経ったろう。

 日が落ち、空は暗くなろうとしていた。


「……すぐに、またきます。お墓の石は、その時に持ってきますから」


 俺は墓から離れて、馬に跨った。


 キャロルが待っている。

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