第183話 カーリャ・フル・シャルトル
ドアを開けて回ると、三番目の部屋に、カーリャがいた。
廊下から響いてきた、戦いの音を聞いていたのだろう。
カーリャは、たった一人でドアを見つめていたようだった。
刺繍付きのフリルがたくさんついた、手間がかかった真っ白なドレスを着ていて、宝石がたくさんついた、きらめかしいネックレスを身に付けている。
女王にふさわしい豪華さだったが、厳かさはない。
部屋の中に入って、他に人がいないか見回す。
カーリャの他は、誰も居ない。
逃げてしまったのか、本来一人くらいはついているはずの、付き人すらいなかった。
「カーリャがいた。外で見張って、しばらく二人にしてくれ」
「了解いたしました」
ドアを閉じる。
「ユーリ……」
カーリャは、死刑宣告を待つ囚人のように、怯えた表情で俺を見ていた。
「カーリャ」
俺は名前を呼びながら、椅子に勝手に座る。
すぐに殺してもいいが、少しくらい話をしたい気分だった。
「あのね、わざとじゃなかったのよ……私、解毒薬を渡されてて、まさかあれが嘘なんて思わなかったの」
「カーリャ、」
やめろ。と言う前に、言葉が被せられた。
「あ、先に謝るべきよね……ごめん。でも、嘘じゃないってこと分かって欲しいのよ。だって私がユーリを殺そうとするわけないじゃない? ユーリにだけは解毒薬を飲ませるつもりで、その、お酒にあれを入れたのよ……。だからわざとじゃなかったことは分かるよね?」
なにを言ってやがる。
どのようなつもりであったとしても、誰の指図であったとしても、お前がやったという事実は消せない。
血を吐いていたルーク、スズヤ……。
キャロルは、今どんな気持ちでベッドにいるだろう。
自分のしでかしたことの大きさを、想像したことがあるのか。
そう言いたかった。
そう言いたかったが、俺は口を閉じた。
言っても、こいつには伝わらないだろう。
「だからね、あの、ごめんなさいっ。取り返しのつかないことしちゃったって分かってる。でも分かって欲しいのよ。わたし、ほんとにユーリが好きで、だから……」
「やめろッ!」
俺は怒りにまかせて、前にあったティーテーブルを叩いていた。
ベキッ! という音とともに、ティーテーブルが二つに折れて、床に倒れる。
どうやら、折りたたみ式だったようだ。
上に乗っていた幾つかの茶器が割れ、折れたテーブルクロスの上に染みを作った。
「ごっ、ごめん……」
カーリャは、怯えたように身を竦めていた。
「……すまん、驚かせたな」
人間には、出来ることと出来ないことがある。
広い世の中のどこかには、おそらくその人は女性だろうが、カーリャの心の動きを、その機微までも正確に理解できる者がいるのだろう。
カーリャにも理解できるよう、上手く説明することができる者もいるのかもしれない。
俺には無理だ。
何を言っても理解してはもらえないだろうし、反省を促すこともできない。
自分にそんな寛容さがあるようには思えないし、気長に付き合ってやる気分にもなれない。
もう手遅れなのだ、ということを教えられる自信がなかった。
カーリャは直接的に王を殺したのだ。
魔女の統治では殺していないことになっているが、これからキャロルの統治に移るのであれば、殺していないことにはできない。
そうなると、どう頑張ったって、死罪以外にはない。
本来は
あと一週間かそこら、高級な牢獄の中で生かして、泣き叫ぶカーリャの首に縄をかけ、公衆の面前で吊るのか。
仮にも妹だ。キャロルはその報を聞いたら悲しむだろうし、どうしても余計な心労を負わせることになる。
それならば、責任を感じて自害したというほうが、まだいい。
酷い死に様で死んだというよりは、誇り高く自害したというほうが、キャロルの心労は和らぐだろう。
「いや、自分の情けなさがたまらなくなったんだ。俺も悪かった。お前の気持ちを随分とないがしろにして、勝手なことを言ったよな」
「えっ……うん。どうしたの?」
「たくさんのものを喪って、実際自分がお前のことをどう考えていたのか、もう一度考えてみたんだ」
俺がそう言うと、カーリャの目が輝きはじめた。
「えっ、本当!?」
「キャロルとのことは、ちょっとした過ちだったんだが……子どもができてしまったから、女王に結婚するよう迫られてさ。あの場では言えなかったけど、仕方がなかったんだ」
「そうなの……そうよねっ! まったく、本当に遠回りだったけど、ようやく……ようやく気持ちが通じ合ったわ……」
本当にサイコパスかこいつ。
お前のことを好きだとは、一言もいっていないのだが。
両親をあんなふうに殺された俺の気持ちが、少しも分からないのだろうか……?
母親を憎んでいて、父親も幼い頃に他界したために、親という存在自体、ピンとこないのかもしれないが……。
「なあ、魔女には、なんて言われたんだ?」
「あいつら、女王になって、ユーリも手に入れられる方法があるって言ったの。言質を引き出してから解毒剤を飲ませればいいって。まさか騙すなんて思わなかったの……もちろん、ユーリとご両親には解毒剤を飲ませるつもりだったのよ!? それは信じてくれるわよね!?」
それはもう聞いた。
会話がループしている。
こういう類の会話は、本当に辟易する。
「そうだよな。あいつらは酷い……絶対にやりかえしてやる。お前を操って、悪いことをさせた報いを受けさせてやる。それから、お前の悪い評判を流しているやつらも、逮捕しなくちゃな」
「ほんとっ!? お願い、絶対だからね!」
「もう、お前のことは誰にも傷つけさせない。キャロルとの結婚も止めるよ」
「子どももっ!? お姉ちゃんの子どもも堕ろしてくれる??」
一瞬、頭が怒りで真っ白になった。
頭が沸騰する、とよく言うが、沸騰どころではない、小さな爆発が起こったような怒りだった。
「ここだけの話、キャロルはもう死にそうなんだ。だから子どもを産むどころじゃない。心配しなくていい」
怒りに真っ白に染められた頭で、よくもこんな顔をして、こんなセリフを吐ける。
自分が狂人にでもなってしまったような気がした。
俺はこんな男だっただろうか。
「本当!? じゃあ、私と結婚してくれるのよね!?」
「もちろんだ。ホントのことを言うと、キャロルよりお前のほうが好みだったしな」
「嬉しい……!」
カーリャは、本当に歓喜で胸がいっぱいになっているらしく、口元を両手で抑えて涙ぐんでいた。
しばらくそうして俺の顔を見ていたが、飽きたのか、今度はうつむいて、時間にして数分だろうか。カーリャはずっと感極まっていた。
ひとまず落ち着いたらしいカーリャは、涙ぐんだ顔をあげると、
「ね、抱きしめて」
と、俺に向かってだっこを待つように両腕を広げた。
幼少のみぎりからの運動量の差が出ているのか、カーリャはキャロルよりも身長が低く、体重も軽そうだ。
俺はカーリャを、両手で抱き上げるようにして抱きしめた。
カーリャが俺の首に両腕を絡ませ、顔をすれ違いに抱きしめる。
「ユーリ、愛してる」
そう言った言葉に、嘘は感じなかった。
事実、嘘ではないのだろう。
それは疑わない。
俺は、左腕でカーリャを抱きしめながら、腰に差した短刀を右手で抜いた。
「俺も、愛してるよ」
刃を横にして、カーリャの脇腹の上、肋骨の隙間に、短刀を突き刺した。
斜め上に、肺を掠めるように入っていった短刀は、心臓に達しただろう。
「ウッ……クッ……」
研いだばかりの鋭い刃は、骨に当たることもなく、ほとんど何の抵抗も感じず滑り入っていった。
カーリャは、暴れるでもなく、特段の動揺をみせず、俺の首を抱きしめたままでいた。
俺の体温を噛みしめるように、体を合わせたままでいる。
「嘘でも……嬉しかったわ。ありがと」
カーリャはそれだけ、俺の耳元でささやくように言うと、ビクッと痙攣をして、動かなくなった。
俺の首にしがみついていた力が抜け、左腕にかかっている体重が、ずしりと重くなった。
俺は、カーリャをベッドに横たえると、肋骨の隙間に刺したままの短刀を見た。
派手に血が出て、ドレスの表面に大きな赤い染みができてしまっている。
心臓を狙った上、短刀を刺したままにしておけば、さほど血は出ないのかと思ったのだが、結構出てしまっている。
横から刺したために、肺周辺の器官に穴を開け、空気の漏れ出しがあったのかもしれない。
これでは、自殺には見えないだろう。
カーリャの最後の一言が、心に残っていた。
部屋に入る前は、刺し殺してから、死体を外に放り投げようと思っていたのだ。
この六階から落ちたら、投身自殺か刺殺殺人かの区別など、誰にも付きはしない。
それは今からでも出来ることだ。
だが、どうにもその気にはなれなかった。
俺はカーリャの遺体に毛布をかけ、部屋を出た。
「閣下! いかがいたしましたか」
待機していた兵が声をかけてくる。
「カーリャは、自害した」
俺は、後ろ手にドアを閉めながら、嘘を言った。
別に、俺が殺したということが世間に知れたところで、大した問題があるわけではない。
俺は両親をカーリャに殺されたわけだし、同情が集まることはあっても、非難されることはないだろう。
バレたところで問題はないのだが、自害ということにしたほうが、どちらかといえば都合がいいのは確かだった。
「せめて礼儀は尽くしたい。
俺は廊下を少し歩くと、
重い。
重いし、柄が太すぎて握りづらい。
俺はドアのところまで戻ると、斧を振り上げて、ノブを破壊した。
「お前はここで見張りをしていてくれ。女性が来るまで」
第二軍が降伏すれば、王剣がここに来るだろう。
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