第171話 旅の終わり

 毒を飲んだ四人の身柄は、担架に乗せられて別の場所に移された。


 階段を三度登ると、六階にたどり着く。

 四人は、六階で一番大きな寝室に寝かされていた。


「女王膝下の第一軍は来ないのか。こういう時のための軍だろう」


 ティレトに言った。


 部屋には、部屋から一歩出られる程度の小さなバルコニーがあり、手すりから首を出すと、下界を見下ろすことができた。

 残念ながら俺の予想は正しく、下を見ると、王城の入り口には多くの兵たちがつめかけている。


「もう指令は出した。動かないところを見ると……」

「裏切ったのか。王家の御威光ってのも、大したことはないんだな」


 つい嫌味を言ってしまった。


 とはいえ、言いたくもなる。


 カーリャの毒物だって、こいつらがちゃんとしていれば防げたのだ。

 魔女の動向だって、きちんと内偵をしていれば知れていただろう。


「第一軍が裏切るなんてことはないっ! きっと、魔女たちが偽の命令書を用意していたんだ」


 偽の命令書か。

 魔女なら玉璽が押してある紙の一枚や二枚、簡単に用意できそうだし、有り得そうだけどな。


 だとしたって、この状況を見たら助けに来るのが当然だと思うが。

 王城が攻められているのだから。


 真偽がどうこう、命令書が云々と混乱していても、とりあえず王城に来て、この蛮行を止めさせるのが役目だろう。

 王城内に賊が侵入していて、それを討伐しているのだ。などと言われるのだろうが、「じゃあ私たちが役目を変わる。お前たちは出て行け」と言うのが当たり前だ。


 それなのに、第一軍は王城に来てもいない。

 やはり、上層部が買収されているのだ。


 しかし、どんなにクソ無能共と思っていても、ここで王家側の非を責めて、悪口を垂れても、なんら意味がない。

 状況はなにも変わらない。


「それで、どのくらい持つんだ」

「わからない。王城内の通路は崩して通れないようにしたが……一時間か二時間か……」

「王家秘密の隠し通路とかはないのか?」

「ない。どのみち王城島の外側に出られるわけじゃないから、作らなかったんだ」


 王城島は中洲にある。川の底に道を作れるほどの防水施工技術はこの世にはない。

 王城島の外から攻められる有事を想定するのなら、島の外に出られない隠し通路など作っても意味はない。だから作らなかったという理屈だろう。


 だけど、それじゃ袋のネズミだ。

 袋に閉じ込められる前ならともかく、閉じ込められた後だ。


 キャロルを背負って歩いたときだって、袋までは閉じていなかった。

 身一つで来たために、袋をこじ開けるカードがまったくない。


「……解決策はないのか」

「分からない」


 激高しそうになる頭を押さえつけるのに努力を要した。

 分からないじゃないだろ。

 ここが自分の庭のお前らに分からないなら、誰に分かるっていうんだ。


 命がかかってんだぞ。

 俺の両親と、女王、キャロル、そして二人の胎児。

 一人は俺の子で、一人は俺の弟か妹だ。


 こんなところで終わるのか?

 ここにいる連中を守るために、新大陸すら発見したのに。


「……カーリャを人質に取るか」


 使えるカードとして思い当たるフシは、カーリャくらいだ。


 カーリャは、猿ぐつわを噛まされて部屋の隅に縛り付けてある。

 だが、あまりにも心もとない。


 向こうからしてみれば傀儡かいらいでしかないカーリャを盾に、喉に短刀でも突きつけて、数千の兵をかいくぐって城の外に逃げる?

 四つの担架を抱えてか。

 それが成功する様が全く想像できない。


 向こうからしたら、俺たちが逃げ出したら確実に身の破滅だ。

 カーリャが死んだら面倒なことは面倒だろうが、王城さえ制圧してしまえば、シモネイは健在ということにして偽勅を出すこともできる。

 かなり強引ではあるが、それでこの先やっていけないこともないだろう。


 自分の心臓と腕の一本を比べているようなもので、天秤が釣り合うはずがない。


「……無理だろう。それでお前を通すはずがない」


 ティレトも同意見のようだった。


「そうか……なら、包囲が薄いところにロープを降ろして、一か八か、全員で降下して血路を開くか」

「女王陛下が命じるならそうしよう。だが……」


 ティレトは深く悩んでいる様子で、手で目を拭った。


 マジかこいつ。

 泣いてんのか?


「泣いてる場合か、この状況で」

「お前が助かっても、し、シモネイ陛下とキャロル殿下は」

「一緒に連れていけばいいだろ」

「赤のカノッリアを飲んだら、い、生き残れない。ならせめて、最後は安らかに……」


 ……マジか。

 そんな劇毒なのか?


「飲んだ量にもよるだろう。カーリャはあの小瓶に半分くらいしか使っていなかった」

「飲んだ量は確かめた……でも、シモネイ陛下は……」


 キャロルは大丈夫なのか。


「連れ出すのは反対なのか」

「そ、そうだ……連れ出しても、意味が……」

「キャロルも、キャロルも危ないのかっ」


 俺はティレトの両肩を掴んで問いただした。


「わ、わからない……でも、シモネイ陛下はグラスのワインを殆ど飲んでしまっておられた……」


 キャロルは酒を飲まない俺に遠慮してか、余りグラスを空けていなかった。

 だとすると、ルークは……。


「……クッ」


 こんなところで……。

 なんてザマだ……。


「シモネイ陛下の命令があれば……私たちはお前を助けるために血路を開こう。だが、私たちは兵隊相手に正面から戦って強いわけじゃない」

「分かってる……」


 訓練された鎧武者と戦ったら、もちろん一対一で負けはしないだろうが、五人六人バッサバッサと切り捨てられるわけではないのだろう。


 敵の司令官も間抜けじゃない。

 下界を見れば、城を取り囲むように、松明を持った兵を配置している。


 ロープで降りるにしても、降りた瞬間は無防備になる。

 そこを槍を刺されたら終わりだし、囲まれもするだろう。


 やっぱり、皆を抱えて逃げるというのは……。


「どうしようもねえのか……」


 俺は諦めた気分で、近くにあった丸椅子に座った。


「夜は更けている。お前だけなら、逃げ延びられるんじゃないか」

「……腹に子がいる嫁と、肉親を置いてか? ハッ、悪い冗談だな」


 置いていけるわけがない。


「……私は、指揮に行ってくる。少しでも時間を稼ぐ」

「そうか。頼んだ」

「……すまんな」


 ティレトはそう言い残し、部屋を出ていった。



 *****



 それから一時間ほど経つと、階下から騒がしい音が聞こえはじめた。

 終わりが近づいている。


 俺に残された道は、槍を持って戦って死ぬか、投降するか、それくらいだった。


 どっちにしろ死ぬしかない。


 悔いしかなかった。

 まさか、こんなふうに終わるとはな。


「ユーリ様、シモネイ陛下がお呼びです」


 世話をしていたメイドの一人がそう言った。

 女王は喋れるのか。


 俺がシモネイ女王のベッドの横に立つと、震えて顔が真っ青な女王が、小さな声で呻いている。


「耳をお近くに」


 そう言われて、顔を近づけた。


「ごめんなさい……このようなことになってしまって」


 ぼそぼそと、震える声が耳を打つ。


「いいえ。大丈夫ですよ」

「逃げてください……あなた一人だけでも」


 そう言われても、逃げられるものではない。


「無理です……すみません」

「女王の……命令です。この国を、救って……」


 俺はシモネイ女王の枕元から立った。


 逃げる?


 事ここに至っても、悪い冗談のようにしか聞こえなかった。


 ここにいる全員を置いてか?


 おいおい。


 ルーク、スズヤ、キャロル。

 全員、命に替えても守りたいほど大切な人たちだ。


 全員を捨てて俺だけ生き残る?

 冗談だろ……。


「逃げましょう。綱は用意しました」


 先程声をかけてきたメイドが言った。


「王の剣、エンリケです。我々が先行しますので、ついてきてください」

「俺は逃げない」

「病床にいる全員が、あなたが逃げることを望んでおられます。私はどうでもいいですが」

「ゲホッ、ガホッ――」


 会話したショックからか、シモネイ女王が咳き込んでいる。

 口を覆ったハンカチを離すと、血痰が付着していた。


「……どうなされますか? もはや猶予はありませんよ」


 苛々する。


「逃げられるか!!」


 俺はついに感情の堰が切れて、叫んでしまった。


「ハァ、ハァ……」


 不思議なことに、一言叫んだだけで息が切れた。


「お言葉ですが、赤のカノッリアを飲んだのであれば、貴方が連れ出そうが連れ出すまいが変わりありません。唯一症状が軽いのは……」


 エンリケと自らを呼んだ女は、キャロルのほうを見た。


「……ですが、症状は出ているので、死亡する可能性のほうが高いです。命を惜しんで貴方まで死ぬのは、単なる無駄死にでは?」


 簡単に言ってくれる。


 正論なのだろうが、単純に耳障りだった。


「お前は黙っていろ」

「あなたは王の剣に対する命令権はありません」

「黙れと言っているッ! 今ここで殺されたいかッ!!!」


 本当に殺したいほど耳障りな正論だった。

 ここが別室だったら、本当に殺していたかもしれない。


「……分かりました。黙ります。でも、もし翻意されたのなら言ってください」


 エンリケが黙ると、部屋の中には濃密な沈黙が流れた。

 時折、咳き込む音と、床から剣戟や雄叫びの声が聞こえてくる。


 痛いほど醒めている脳が何かを考えている。

 悔いのない回答を得ようとしている。


 だがそれは、円周率を計算するコンピューターのように、答えのでない問いを延々と解いているような、不毛なだけの活動だった。

 答えなど出るわけがない。


「……あら?」


 その時、遠くからバサリバサリと音が聞こえた。

 王鷲か?


 しびれを切らして、王鷲で攻めてきたのか。

 しかし、夜だぞ。


 バルコニーに出ると、確かに一羽の鷲が飛んでいた。

 ゆっくりと近づいてくる。


 なんだ。

 おいおい。


 来る気か。

 どんどん迫ってくる。


 一歩退き、風圧が部屋に流れ込む。


 王鷲は、小さなバルコニーの欄干を掴んで、羽を畳んだ。

 これはかなり高度な動きだ。


 乗り手の腕がどうこうより、頭の良い鷲がよほど良く調教されていないと、以心伝心で夜中欄干を掴んで静止するなんてことはできない。


「ユーリくん! ユーリくんですか!?」


 鷲上から聞こえたのは、聞き覚えのある声だった。

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