第165話 貿易報告
「ユーリ、ちょっと話がある」
二月の末頃、ホウ社に赴くと、カフが真剣な面持ちで言った。
といっても、カフは常に真面目な顔をしているので、重大な要件かどうかは測りかねた。
「わかった」
「会議室でいいか」
「うん」
歩き出したカフの背中を追って会議室に行く。
木製の階段を登り、一室にたどり着いた。
換気のため開かれている窓から、身を乗り出して壁を調べ、なにもないのを確認する。
一度盗聴器が仕掛けてあったんだよな。
盗聴器といっても電子機器ではなく、外壁に聴診器のようなものがついていて、そこから糸電話のような形で糸が伸びていたのだ。
一体だれがと糸を追いかけようと思った途端、糸は向こう側で切られ、ピンと張った糸がプラリと垂れ下がった。
当然ライブ中継だから向こうにも人がいたわけだ。
俺は防音のためパタリと窓を閉めた。
ガラスが張ってあるので光は届くが、歪んでいるため外は見えない。
椅子に座ると、
「んで、話って?」
「昨夜、スオミのほうにアルビオ共和国との貿易船が入港した。鷲便で報告が来たよ」
カフは一封の封筒を机に置いた。
「お前が先に読んだほうがいいだろう。リーリカの報告書だ」
去年教養院を卒業したリーリカ・ククリリソンは、向こうに駐在員として居てもらうことになった。
貿易の規模拡大に伴って必要となったからだ。
そもそも、ハロルについては新大陸航路のほうに行ってもらわなければならないので、ハロルなしの船団をアルビオ共和国にやろうとすると、どうしてもテロル語話者が必要になるのだ。
船舶の注文などもしているので、建造中の船を定期的に見に行く必要がある。
また、常駐の駐在員がいると拿捕船のオークションにも参加することができる。
海賊船による私掠行為を受けた船は、激しい戦闘があった場合損傷したり放火されたりして、最終的には沈没するわけだが、早々に勝ち目がないと諦めて降伏した場合は、船が無傷で手に入る。
それはアルビオ本島に回航され、オークションにかけられるわけだ。
「今読んでいいか?」
「ああ、待ってる」
待ってるのか。
「別に仕事してきてもいいぞ。十分くらいはかかりそうだ」
「いや、待ってる」
待っているらしい。
暇なのか。
「じゃあ……」
俺は読み始めた。
*****
Ⅰ:一般事項
印刷聖典書について、前回と同量の注文有り。
当初の予定通り、教皇領より遠方の大陸諸国に対し優先的に卸している模様。
ただし議会に対しカルルギ派の大司教から抗議があり、聖典書の内容をカルルギ派に準じたものに替えるよう要請があった。
保留中につき判断を求ム。
議会に強硬的、高圧的態度はなく、どちらかといえばこちらに同情的な模様。
抗議の原因は、安価な聖典書の需要がアルビオ共和国内にも存在し、卸した聖典書の一部分が共和国内に流通していた事にあるようだ。
変更要求点についての一覧を要求し、返答として返ってきたものを同封した。
(注:聖典は読了済みなのですが、要求の内容を読んでも、何を問題にしているのか、さっぱりわけがわかりませんでした。裏設定的な話なのでしょうか?)
Ⅱ:情報
二度目の十字軍結成の号令が発せられた。
が、教皇領内は未だ混乱しており、求戦派と休戦派が争っている模様。
相手国についてもハッキリせず、呼集だけが発せられたため混乱している模様。
共和国では、こちらが狙われるのではないかと恐れる動きもある。
Ⅲ:商品
クルルアーン産の香料が大量に市場に流れていたので購入。
安定供給は難しいとのこと。
(注:女性相手に売れると思います。とてもいい香りです)
聖典書の売れ行きは上々だが、もう少し装丁を派手に、値段を高く設定したものにも需要帯があるのではという指摘があった。
どうも分からないので、デザイン案を作ってもらった。あまり良いものとは思えないが同封。
それとは違う商人からは、装丁なし裸の本を送ってくれとの注文あり。値段は同じでいいとのこと。
(注:イーサ先生の好みとのことですが、やっぱり地味すぎるのではないでしょうか?)
Ⅳ:船舶
メールテⅩⅣ号の引き渡し完了。
商品を積んで帰港。
*****
かいつまんで纏めると、こんな内容だった。
十字軍については、前に相手したエピタフ・パラッツォとかいう男が、どうもかなりのキ○ガイだったようで、普通は五年に一回とかの十字軍を毎年開催にしようと考えているらしい。
こいつが求戦派の首魁で、他の「おいおいちょっと休もうや……」という連中が休戦派ということだ。
おそらく対立というほどではなく、休戦派が一方的に困惑させられている感じなのだろう。
こいつは去年も開催しようと頑張っていたようだが、いくらなんでも無理で、今年こそはと頑張ったのだが無理そうで、自分で勝手に布告を出したのだった。
教皇の許可を得ないまま、勝手に各国に布告を出したのが四ヶ月前のこと。
結局、その布告は誤りだったということで、正式な布告取り消しの書状が各方面に送られた。
それをもう一度やったということか。
警戒はしなくちゃならないが、どうなんだろう。
もうひとつ、カルルギ派の抗議の件なのだが……こちらはイーサ先生に書簡を書かせたらいいだろう。
カルルギ派というのは、カルルギニョン・ペストパセリという従軍武僧が作った宗派なのだが、どうも詳しく学んでみると変なところが多い。
思想的に尖った人間にありがちな、思想と矛盾する部分を無意識的に軽視したり無視したりする傾向が如実に出ており、具体的に言うと新しい教義を作る過程でエギン書とかヌオーム書の記述を頭から無視している。
といっても、クスルクセス時代の教義というのは、それはそれで酷いものであったらしいので、その反動で生まれた宗教と考えると自然なものなのかもしれない。
ただ、カルルギ派の後に現れたカソリカ派からすると、初期カソリカ派はストラ学といって、聖典を正確に解するためには、まず歴史を調べ当時の文献を調べ、つまりはテキストの背景を細やかに調べた上で議論を尽くして理解するもので、決して恣意的に解釈するものではない。というスタイルで形成されていったものなので、
「いや冷静に考えてカルルギさんの解釈って間違いでしょ。自信満々にゴチャゴチャ言ってるけどさぁ、みんな恣意的解釈じゃん。ほらエギン書の第13節、ヌオーム書の第42節、この辺無視するわけ?」
となってしまう。
ちなみにワタシ派はこの初期カソリカ派の発展形といえる。
確かに、尖った思想というのは魅力的に映る面もあるのだが、やっぱり議論となると突っ込みどころがある。
大陸に布教するものとしては、そのような突っ込みどころがあるテキストを配布するわけにはいかないのだった。
「いつものことだけど、外には出すなよ」
と、俺はカフに紙を渡した。
「重要なのは三のところだけだ」
「ふうん」
カフが読み終わるまで待つ。
しばらくすると、紙を机の上に置いた。
読み終わったのだろう。
「デザインについては、こちらで一度やってみよう。まー、流行り廃りや向こうのセンスなんかはよく分からん。それでダメなら仕方ない。裸で向こうに渡そう」
俺は言った。
「そうだな。文字装飾は好評らしいが、これも向こうが自分でやったほうが好みのものになるかもしれん」
聖典は、写本のものだと、各章の頭文字だけ大きくして、文字にカラーで装飾をつけておしゃれにするのが一般的だ。
それは書道とかカリグラフィ的なものではなく、大きくした頭文字の端を伸ばして、枝葉のような模様を付けたり、金箔を貼り付けて派手にしてみたり、文字自体を格子模様にしてみたりとか、そういう美術的な装飾だ。
こちらの印刷聖典も同じで、こちらは印刷したあと手書きで装飾を付け加える。
羊皮紙の写本と違って、金箔を張ったりまではしないが、美しく仕上げはする。
白黒の印刷の中で、この部分だけはカラーにできるので、彩りが出て楽しい印象になる。
本来は要らない部分なのだろうが、読むのが楽しくなるだろうし、個人的にはこういう加工は好きだった。
ただ、やっぱりコストはかかるし、それはなくていいよ、ないほうが売れるよ、というのであれば、それに越したことはない。
「とりあえず、製本過程から抜いて……百部くらい裸の本を確保しとくか。もう百部は文字装飾を入れないで送ってみよう」
俺が言った。
「そうだな、あとはクルルアーンの香料か……こいつは面白いが、売れるかどうか」
「なんかまずいのか?」
普通に売れそうだけど。
「魔女連中の財布の紐が閉まってきているからな。ほら、最近王都の紙の売り上げが上がってるだろう」
「あー、そうらしいな」
「高級志向で羊皮紙を使ってた連中が、金を渋ってホー紙を使いだしたんだ。切羽詰まってるっちゃ言い過ぎだが、羽振りがよくなくなってきてるわけだ」
ふーん……。
なんでだろう。
いきなり金が入らなくなる出来事でもあったのか?
王城が利権の分配を急激に変えたとか、そういう原因があるならわかるが、そういう動きもないし。
「なんでそうなったんだ? 稼ぎが減るなにかがあったのか」
「先行き不安じゃないのか? それでミカジメ料を渋る奴らが多いとは聞いてる。それが魔女にも波及して、財布の紐が固くなってるんだろう」
「ふーん……あ、香料の件だけど」
「なんだ? 恒久的な商材にするわけじゃないし、持ってきた分はいつか捌けるだろう」
「高級娼館とかに需要があるんじゃないか?」
「ああ」
カフは珍しく驚嘆したような顔をした。
高級娼館のピンク色の部屋に、異国の香りが漂っているイメージがしっくり来たのだろう。
「それは良さそうだ」
「そんじゃま、これで終わりか」
リーリカの報告を切り取って王城に上げなきゃな。
意味あるのか知らんが、何か隠してると思われたくないし。
「いや、まだ話がある」
「なんだ? 紙のことか」
「その……あーーっと」
いや、なに?
カフが言いよどむというのは中々ないことだ。
ちょっとした失敗や損失なら、俺が無闇に怒ることがないと分かっているので、普通に報告してくる。
なにがあったのだろう。
ちょっとどころでない損失が起こったのだろうか。
怖い。
「その、な……」
「なんだ、はっきり言えよ。怖いぞ」
俺がそう言うと、カフはやおら椅子から立ち上がると、腰を直角に曲げて俺に頭を下げた。
「ビュレと結婚したい! 許しをくれ!」
カフは大声で叫んだ。
突然なんだ。
えっ?
ビュレって、いつもソロバンパチパチ弾いてるあのビュレ?
ビュレ・エマーノン?
俺の母方のイトコの?
「え、まじ?」
「本気だ。結婚したい」
カフは机に手を置いたまま顔だけ上げて言った。
「いや、いいけど……いいんじゃないの?」
うん。
っていうか親に言えよ。
なんだその熱意は。
スズヤの兄ちゃんの娘だったよな。
その熱意はスズヤの兄ちゃんに会うときまで取っときなよ。
「許してくれるのか?」
「俺は構わないぞ」
ビュレが望んでるならだけど。
ていうか俺の許可必要?
「あ、一応聞いとくけど、ビュレは同意の上なんだよな?」
パワハラとかじゃないよね?
「もちろんだ」
ふーん……。
とはいえ、ビュレって確かこの間誕生日だったから、十八になったばっかりだよな。
カフって何歳だ? もう三十を幾つか越えてるよな。
結構警鐘を鳴らしてる感じなんだけど。
スズヤあたり反対するかなぁ……。
「もうアレはしたのか? その……夫婦でするやつは」
俺が言えたことではないけど。
「してない」
「正直に言ってくれ。怒らないから」
「俺は、ホウ家の跡取り息子兼自分の雇い主の従姉妹と、婚前交渉するほど勇気に溢れちゃいない」
納得の説得力だった。
してないらしい。
立派だ。
俺は王族相手でもしちゃったのに。
だけど、してないとなると、親の印象って大分違ってくるからな。
特に年の差婚だと。
「それならいいか……他ならぬカフのことだからな。説得にも協力してやるよ」
「そ、そうか……!」
カフは希望に満ち溢れた顔をした。
こんな喜んだ顔するのは初めてだ。
「だけど、今ここにビュレを呼んで、馴れ初めを説明してくれよな」
「えっ……」
笑顔が曇った。
「当たり前だろ? じゃなきゃどうやって説得したらいいんだ」
「あ、ああ……そうだな。連れてくる」
カフは苦々しそうに言った。
一生分からかうネタができそうで楽しみだった。
カフが会議室から出ていく。
それにしても、めでたい話が矢継ぎ早にくるな。
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