第十二章 王都編

第164話 王都ホウ家別邸にて

 一年と半年ほどの時が過ぎ、皇暦2320年。

 一月も終わりを迎える頃のことだった。

 俺は十九歳になっていた。


「子どもが出来たかもしれない」


 そう言われた俺は、


「えっ……ホントですか!?」


 と聞き返していた。


「うん……たぶん間違いないと思う」


 スズヤが言った。

 経験者なので分かるのだろう。


 ここはホウ家の王都別邸、目の前にはルークとスズヤが座っていた。


「えっ……いつ?」

「いつって……いつかは分からないよ」


 ルークが照れたような様子で言った。

 今でもやることやってたんだな。


 思わずスズヤのお腹を見るが、それほど膨らんでいるようには思わなかった。

 生理が止まっているとか色々あるんだろうが。


「お母さんも二回目だから、だいたい分かるの。ユーリのときと一緒よ」

「へえ……そうなんですか」


 そういうものか。

 酸っぱいものを食べたくなる的なやつかな。


「ユーリもついに弟か妹ができるな」

「ええ、楽しみです」


 本当に楽しみだった。

 胸の内からフツフツと喜びが湧き上がってくる。

 きょうだいができるわけか。


 お兄ちゃーん、とか言われるわけか。

 やったわ。


 勝ち組じゃん。


「お母さん、くれぐれも身体をいたわってくださいね。馬車もあまりよくないですよ」

「大丈夫大丈夫。まだまだ元気なんだから」


 スズヤは力こぶを作ってみせた。

 確かに血色はいい。


 ただ、俺はもう十九歳になるわけで、そろそろ二十歳も近い。

 つまり、スズヤが俺を産んだ時点からそれだけ経っているということで、ちょっとした高齢出産に当たる。


「それにしても、なんで王都まで来たんですか? 呼んでくれれば僕からカラクモのほうに行ったのに」

「出産の道具や服を揃えたかったんだよ。なあ?」

「うふふ、そうなの。ユーリのときの服を着ようと思ったら叱られちゃって」


 なんか浮かれてる……。

 いや、いいんだけど……。


「あと、ユーリを驚かせようと思ったの。喜んでくれるか心配だったんだけどね」

「いやいや、喜ぶに決まってますよ。ホントに楽しみです」

「喜んでくれてよかった」


 ホントに嬉しいらしく、スズヤは目尻に浮かんだ涙を指先で拭った。

 いやいや、喜ぶに決まってるじゃん。


 弟だよ。妹だよ。

 最高じゃん。


 六十歳にもなろうってクソ親父が十七歳の外国女を孕ませて出来た、会ったこともない弟とは違うんだから。

 ルークとスズヤの子だよ。


「喜ぶに決まってますよ。なんだと思ってたんですか」

「お母さんは農家の子だからな。ほら、子沢山すぎるとさ」


 あー。


 どんな心配なんだ。

 それに例え農家でも二人目が歓迎されないことってあんまないよ。


「そんなの気にする必要ありませんよ。三人でも四人でも大歓迎ですから」

 ぶっちゃけ二十人くらいいたって養えるし。

「ありがと、ユーリ。お母さん本当に嬉しい」


「お礼をいいたいのは僕のほうですよ。お願いですから無事に産んでくださいね」

「うん。無事に産むわ。約束するからね」

「はい。約束ですよ」



 *****



「ソイムが来てるんだ。お前と手合わせしたいらしい」


 一通り親子の団らんが済むと、ルークが言った。


「え、そうなんですか」

「たっての願いらしい」


 たっての願いか……。

 おじいちゃんのたっての願いというのは、かなり優先順位が高いな。

 頻繁に言ってくるのならまだしも。


「じゃあ、行ってきます」

「それじゃあね、ユーリ。お勉強頑張って」


 スズヤはひらひらと手を振っていた。


 ルークのほうは騎士院の講義周りの事情については詳しいので、スズヤのほうを苦笑いしながら見ている。

 お勉強のほうはとっくの昔に終わっていることを、よく知っているのだ。


 騎士院の二十歳卒業規定を守る最後の門扉は、端的に訳すと”上級白兵戦技術Ⅳ”という講義なのだが、俺はもう認め状という紙を貰っているので、この講義にすら出る必要がなかった。

 これは「修得したとは言いませんけど……ここだけの話、あなたの技量の高さを教官は認めていますよ(コッソリ」というような内容の紙で、つまるところ二十歳を越えて最終学期が終わったら無条件に単位を差し上げますよ。という証明書だ。


「たまにはしごかれてこい。体がなまってるだろ」

「う……なまってはいませんよ。それじゃ、行ってきます」


 痛いところを突かれながら、俺は部屋を出た。


 玄関までいくと、ソイムが立っていた。

 狩猟に着ていくような、動きやすいが仕立てのいい服を着ている。


 総白髪で皺くちゃな容貌にしては若作りっぽい衣装だったが、妙に似合っていた。

 なぜかといえば、体幹がしっかりとしており、体を支える肉体のどこを取っても、老いたイメージとは裏腹な壮健さを感じさせるからだ。


 街に繰り出せばモテそうだ。

 一定の需要があるんだよな。

 コミミ・キュロットなどは、聞いた話によると、こういった爺が大好物らしい。


 ソイムは細身の槍を、床に石突きを立てて、肩に置くように持っている。

 ただ、たっての願いという話だったのに、やる気満々という様子ではない。

 立ちながら瞑想でもしているかのように、邪魔にならない柱の近くで、ただ立っていた。


「ソイム」


 横合いから声を掛けると、


「おや、若君わかぎみ。ご無沙汰しておりました」


 パチリと目を開け、答えた。

 寝てたわけじゃないよな……?


「うん。久しぶり」


 ソイムと会うのは、いろいろすれ違って、約九ヶ月ぶりだった。

 その九ヶ月前も、槍を交わして稽古したわけではない。


「今日はどうした?」

「稽古に付き合っていただきたく」

 ソイムは軽く頭を下げながら言った。


「ああ、いいよ」


 稽古か。久しぶりだ。


 ソイムと稽古するときは、大抵ソイムと会ったときに「久しぶりに槍を交えますかな」などと言われ、その流れで稽古をする。

 騎士院に入ってからは、俺を呼びつけてまで稽古をさせることはなかった。

 それを考えると、やはり今日は特別な事情があるのだろう。


「それでは、道場に参りましょう」



 *****



 道場にたどり着くと、ソイムに着替える様子がなかったので、俺もそのままでいた。

 走ったり飛んだり、汗みずくになる稽古というよりは、遊び程度にやるつもりなのかもしれない。


若君わかぎみ、不肖ソイム、今日は最後の稽古のつもりでやって参りました」

「最後?」


 最後とはなんぞや。


「私は、今年で齢百五歳になりました。どうやら、武人としての成長に限界が来ましたようで……」


 いやいやいや。

 年齢知らなかったけど、百五歳?


 限界もなにも、いや……成長してたの?


「成長していたのか?」

「はい、成長しておりました」

「三十代、四十代の頃より、今のほうが強いのか?」

「はい。強さにも色々なものがあると考えますが、このソイム、体が衰えれば心技を伸ばし、現在が最良の状態と確信しております」


 そうなのか……。

 よくわからないが、ソイムほどの男がそう言うのであれば、そうなのだろう。


「ということは、これからは駄目なのか」

「ありていにいえば、その通りでございます。肉体も心技も、これから衰えてゆく予感があります」


 まあ、そりゃそうだよな……。

 ずっと伸びていくんだったら、いつ衰えるんだって話だし。

 ていうか、そもそも百五歳で衰え始めっていうのが一番おかしいし。


 しかし、ソイムほどの男が衰えると断言したとなると、明日にでも急激なボケの進行が始まったりするのかな。

 怖い。


「なるほど。そうなる前に、この俺と試合したいわけだな」

「さすが察しが早い。そのとおりでございます」

「わかった。やろう」

「真槍にて願いたく」


 は?

 なんか変なこといい出した。


 本物の槍で?

 マジかよ。


「本気か? 殺し合いには付き合わないぞ」

「寸止めいたします。そのほうが伝わるものが多いかと」

「俺のほうが自信ない」

「若君は手加減する必要はありませぬ。突き殺されるならむしろ本望でございます」


 うぅむ……どういうこっちゃろ。


 もしかして老人が死に場所を求めている的なアレだろうか……。

 ソイムに限ってそういうのはないと思うが。


「ご安心くだされ。かすりもさせぬ覚悟ゆえ、ご心配は杞憂かと」

「まあ……そう言うならいいけど」

「それでは、お好きな槍を選びなされ」


 道場の壁には刃が潰れた槍が何種類もかけてある。

 練習で使うためのものだ。


 まあ、かすりもしないならこの槍でもいいか。

 むしろ大怪我させる心配がない分、気が楽だし。


 俺は適当な細身の槍を選んで、道場の真ん中に進んだ。


「いざ尋常に……ってところか」

「そうですな」


 ソイムは静かに槍を構えた。


 構えるというより、持ち上げるといったほうが正しいような、静かな動作だった。

 構えている姿も、どこにも力が入っておらず、槍を構えているという感じがしない。


 俺も槍を構え、向かい合う。


 しばらく待っても来ないので、自分から突きこんだ。


「フッ――」


 鋭いステップを踏んで、突きこもうとした刹那、ソイムの槍が腹を刺していた。

 鋭い槍の切っ先は、腹の皮一枚のところで止まっていた。


 ナイフの先で指の先を刺した時のような、チクリとした痛みがあった。


「……若君、今のは迂闊すぎますぞ。あまり失望させてくださいますな」


 ソイムは咎めるような目をして言った。


 俺は内心で冷や汗をかきながら、するすると後退して、仕切り直した。


 迂闊だったか。

 どう迂闊だったのだろう。


 ソイムは、俺が一歩を踏み出すまでの間に、槍を伸ばす動作を挟んできた。

 動き自体が俺より早かったわけではなく、動作の始まりが俺より早かったのだろう。


 ということは、気の起こりを察して突いてきたのだ。

 そうとしか思われない。


 気の起こりと言えば難しい印象になるが、これは一種の用語のようなもので、実際は予備動作ということになる。

 振りかぶって殴るというような、攻撃に助走をつけるような意味での筋肉の起こりは代表的なものだが、他にも目の動き、握りの指の動き、発する音、そういったものを総合して気の起こりとか言うわけだ。


 しかし、それほど激しい予備動作をしていただろうか?

 分からなかった。


 それが分からないこと自体、気が抜けていた証拠かもしれない。

 手を抜いていたわけではないが、気がなんとなく散漫で、思い出そうとしても思い出せない。

 気にも留めていなかったから。


 ソイムが最後という稽古に付き合っているという覚悟は、なかったのかも知れない。


「悪かった」

「当主たるもの、気軽に謝るべきではございませぬ」

「謝るさ。お前が此処に来た覚悟を軽んじていた」


 俺は再び槍を構えた。


 今度はソイムの槍を、重なった穂先で押したり引いたりしてみる。

 俺の力に応じてフラフラと押される。

 やっぱり力がまったく入っていない。


 脳筋の生徒の場合「ここで押されたら負けだ」とばかりにがっしり譲らないことが多いが、ソイムはそんなことなかった。

 水のようにユルユルで、押しても槍の重量くらいの重さしか感じない。


 二度三度繰り返したあと、すわっと槍を跳ね上げて、突入した。

 顔面と腹目掛けて連続で槍を繰り出す。


 ソイムは頭を狙った槍をスウェーで躱した。

 すると下半身が残るので躱せない……はずだった。


 それを見越したように、ソイムは引き寄せた槍の穂先で俺の槍を受けていた。


 ソイムに受けられた槍は、何か吸引力でも働いているかのように張り付き、ソイムが槍を受け流すとその上を滑っていった。

 途中にあるソイムの握り手のところは、拳をパーにされて通過し、スルスルと持ち上げられるまま、石突きのところまで滑っていった。


 ソイムは摺りあげながら槍を体の後ろに回し、身を翻し、片手で短く持った槍で俺の脇腹をチクリと刺した。


 なんだこれ。


 手品か?


 槍が槍に張り付いたところが謎だった。

 どうすればそんなことが起きる。


 俺の反射運動を利用したんだろうが、不思議な感覚だ。

 合気道みたいなもんか?


「……駄目だな。実力が違いすぎるみたいだ」


 俺は離れながら言った。


「先ほどのは良かったですぞ」

「いや、よく分からん」


 勝てるヴィジョンがまったく浮かばん。


「若君は槍を刺す時、上から刺し下ろす気持ちで動いているようですな。動く前に一旦体が浮く感じがあります。最初のはそれがハッキリ出ておりましたが、先のは見事に消されておりました」


 えっ……。


 そうなのか?

 誰にもそんなこと言われたことないんだけど……。


「気を引き締めれば消えたわけですから、実戦向きなのでしょうな」

「うーん……」

「もう一度やりますか?」

「ううん……やろうかな。最後っていうし」

「このソイム、老魂に染み入る心持ちでございます」


 大げさな。



 *****



 結局五回ほどこなして、ソイムには一度も勝てなかった。


「ここまでやっておいて何ですが、若君は私を目指しませぬよう」


 とソイムは言った。


「は?」


 いや、じゃあなんのためにこの稽古をやったんだ。


「この技量は、四六時中槍のことだけを想って高めたもの。若君にあっては別の道がありましょう」

 ホウ家の天爵様が槍馬鹿では困るということだろうか。

「まあ、そうかもしれないが」

「今日のことは私のわがままでございます。戦場に散るを目指しておりましたが、どうもそれは難しい様子」


 ハオ家は去年、ソイムの曾孫が当主を継いだので、率いるとしても曾孫なのだろう。

 まあ、普通、現役の当主であっても百歳超えてたら戦場には行かないけどな。


「ならば、せめてこの老骨が折れる前に、技を若君の記憶に留めようと……」

「いや、曾孫とかにやれよ」


 他にも教え子はいっぱいいるし。


「もちろん、そっちも滞りなく済ませましたとも」


 あっちこっちで似たようなことをやっているらしい。


「ただ、若君は特に若い頃の私に似ておりますのでな……」

「そうなのか?」

 初耳だった。

「槍がということですよ。私が基礎を教えたのですから、似るのは当たり前といえば当たり前ですな」

「ああ、そういうこと……そりゃそうか」


 そういえば、槍というのは自分の子には教えないものだとかルークが言っていた気がする。

 ソイムもその派の人間で、実子や曾孫は他人に任せたのかも知れない。


「技量において人生の極みに達したなどとうそぶいてみても、やはり若かりしころの自分と較べるとどうなのか、と不安でしてな」

「良かったじゃないか、勝てて」

「ふふっ、お陰でここ五十年の研鑽が無駄ではないと確認できました」


 そりゃ良かった。

 スケールがでかすぎるけど。


「俺のほうも、ためになった。色々と課題が見えてきたよ」

「それは重畳」

「せいぜい、遠い目標にして頑張るさ」

「そうしていただければ、このソイム、七生までの誉れでございます」


 大げさな。


「衰える予感がどうのこうのと言っていたが、今日明日頭が呆けた状態になるとか、そういうことなのか」


 これでもうソイムとはお別れ、次に出会うのは寝たきりのボケ老人、などということになったら寂しい。


「いえいえ、そんなことはございませぬよ。ただ、体の衰えは今更ですが、注意力や集中力まで衰える気配がしてまいりましたので……」

「そうか。なら安心した。戦場には出せないが、長生きしてくれよ」

「人生に飽いたわけではございませんからな。しばらくは王都暮らしで新しい発見をしてみるつもりです」


 ソイムが王都暮らしか。


 となると、この着ていた服も遊び人風ということで選んだのかもしれない。

 まあ、王都はサスペンス&バイオレンスで刺激に満ちているから、体が壮健なら出歩いたほうがボケ防止になっていいのかも。

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