第160話 別荘地にて

「こいつを一丁前にしてほしい。十五分くらいで」


 別邸にて年増のメイド長を呼びつけ、隣に立つドッラを手のひらで指しながらそう言うと、彼女は「マジで?」という顔をした。

 あまりに絶句して目尻がヒクついていたところを見ると、やはり俺の感覚は日々の慣れによって相当麻痺しているのだろう。


「いくらお坊ちゃまのご用命といえど、十五分では無理でございます。あいにく、理髪の技能を持ち合わせた者がおりません。呼び寄せるとなると……」

 やはり第一のネックは髪のようだ。

 ていうかお坊ちゃまは辞めろって。

「髪をなんとかしろと言った女友達曰く、油をつかって撫でつければ格好はつくのではないか、とのことだ」

「あぁ、なるほど」


 手をポンと叩くような納得の仕方をして、メイド長は頷いた。


「それでよろしいなら。ただ、剃る必要はあります」

「剃る?」


 ドッラは、さすがにアゴひげは剃っている。


「もみあげのあたりは油ではごまかしようがございません。それに顎は剃っておりますが頬のあたりが毛だらけでございます」

 横にいるドッラを見ると、確かに頬、顎のあたりに濃い毛が多かった。

「じゃあ、頼む。全部任せたから。あ、服はあるのか? 体格に合いそうなやつ」

「それは大丈夫でございます。歴代の服がありますので、ゴウク様の時に仕立て直した服がお似合いになるかと」

「それじゃ、それで頼む」


「では、こちらに」

「お、おう……」


 ドッラは戸惑った様子で、別邸の奥に通されて行った。


「あなたっ、どうも、お坊ちゃまは貴人にお会いになる気配があります。御髪おぐしを整えておいてください」

「はいっ」


 去り際に別のメイドに命令していった。

 唯々諾々と承知したメイドは、俺のところに歩いてきた。



 *****



「いかがでございましょうか」


 十五分後、ドアを開けたメイド長は、手でドッラを指し示した。


「…………いいんじゃ、ないか」

「笑いを堪えていやしねえか」

「……いや、いや、ふーっ、いやマジで良く出来てる」


 笑いの第一波を乗り切り、ドッラということを除いてフラットな目線で見ようと努力すれば、これは中々の出来であった。

 モミアゲから耳の後ろあたりまで、ボサボサだった髪を大胆に刈り上げて、そこから上の髪はベットリと髪油をつけて濡れたような質感に仕上げてある。


 こうなってしまえば、もう元の髪がどんな形だったのかなど分かりはしない。

 体格もいいし、メガネをかけたらインテリヤクザに見えなくもない風貌である。


 笑ったのはドッラの普段のイメージとあまりにかけはなれていたからで、おかしなところがあるわけではない。

 髪型は……まあ、ちょっと斬新なところはあるけど。うん、ファッションリーダーって感じ。


 こういうのは、キョドってたり恥ずかしがってたりするからおかしく見えるわけで、ドッラは堂々としているので特に問題はないだろう。


「よくやった。さすがメイド長だ」

「ありがたき幸せ」


 メイド長は両手でスカートの端を少し持ち上げつつ礼をした。


「ホントにこれでいいのか」

「いや、マジいけてるって。服もバッチリだし最高」

 俺は親指を立てた拳を突き出しながら言った。


「さっき笑ってたじゃねえか」


 疑い深いやつだな。


「ご安心ください。ホウ家の誇りにかけて、お客様はどこに出しても恥ずかしくないご格好をなさっておいでです」

 メイド長が言った。

「そうか。それなら安心だ」


 俺の発言は疑わしかったというのか。


「馬車を用意してありますので」

「え、トリに乗ったほうが早い」

「恐れながら、せっかく整えました御髪が台無しになるかと」

「あぁ……それじゃ馬車を使うか」


 別にドッラの髪なんてどうでもよかったのだが、ミャロを始め多人数の熱意にさらされた今では、それを台無しにするのは気が引けた。


「それじゃ、行くぞ」

「ああ、そうだな。お坊ちゃま」


 俺はドッラのスネをつま先で蹴った。


「いってぇ!」

「二度と言うな」


 かなりカチンときた。


 メイド長はドッラの側に寄り、ちょんとしゃがみ込むと、俺が蹴ったせいで埃がついた部分を手ではたいた。

 立ち上がると、


「それでは、お坊ちゃま、行ってらっしゃいませ」


 と、まったく悪びれる様子もなく言った。



 *****



 辿り着いた先は、シビャクから少し下流にいったところにある、海の見える海岸線だった。

 このあたりは網目のようになった川によって土地が寸断されており、陸地が孤島になっていて利用しづらい。


 つまりは水郷で、上空から見ると美しい景勝地なのだが、地面に降りれば起伏がないので、それほど景観は良く感じられない。

 ここらにいる人々は、主に漁業で暮らしており、大消費地が近くにあるお陰で、それなりに潤っているようだ。


 そういった土地の一部分に、王家の離宮の一つがあった。

 トーツネン離宮というのだが、実際着いてみると、離宮というほどの大きさではなかった。


 御用邸、あるいは別荘といったところか。

 建物は、庭師などが使う小さな小屋や、馬やトリを預ける厩舎を除けば、王都にあるウチの別邸と同じくらいの大きさのものが一つあるだけだった。

 護衛が使う兵舎のたぐいが一つもないのは不用心だが、ここは王族が休暇を楽しむためだけの場所なので、近くの森の中にでも遠ざけてあるのかもしれない。


「ようこそおいでくださいました」


 馬車を降りると、トコトコと小走りでやってきた少女が、ペコリと頭を下げて挨拶をした。


「女官長のヒナミ・ウェールツでございます」


 女官長という役職は、留守の別荘には普通居ないと思うので、これはテルル殿下が個人的に任じた役職なのだろう。

 どう見ても俺より年下の少女のように思えるので、女官長という役職はピンとこない。


「どうも、ユーリ・ホウです。女王の命で来ました」

「お待ちしておりました。どうぞこちらに」


 どうやら案内してくれるようだ。


 館に向かって歩きながら、そのへんを見る。

 さすがにガーデンは手入れが行き届いており、その向こうには川に突き出た桟橋があった。

 桟橋には五人乗りくらいの小型船がつけてある。


 周囲に茂る木々によって、適度に陽が遮られ、かなり良い雰囲気だった。

 休日は桟橋で釣りでもして過ごしてみたい。


 最初見た時は王族にしては狭い別荘だなと思ったのだが、これくらいのほうが楽しみやすいのかも。

 立派なお屋敷や壮大な庭園はよいのだが、あまり広いと何をするにも億劫になってしまう。

 ちょっと川面かわもを見ながらお茶をしたいわ、というときに、歩いて二十分もかかるのでは興ざめだ。


「どうぞ」

 ヒナミ女官長が館の玄関ドアを開けて、中に招き入れた。

「お邪魔します」

「……邪魔する」


 館の中は、言ってはなんだが、それほど金はかかっていなかった。

 ホウ家の本邸と似てるか。


 俺も色々な人間と接してきて学んだのだが、世の中の貴族には、金がかかった豪奢な建物でないと不快だ、という人間と、そういった装飾は社交のためのもので、プライベートにはいらない。プライベートでは金の皿など見たくもない、という人間と、二種類いる。

 これを作ったときの女王は後者の人種だったのだろう。


 玄関を過ぎると、そのまま階段を上がって、二階の部屋に通された。


「こちらでお待ち下さい」


 通された部屋には、割と大きな丸テーブルが一つと、椅子が四脚あった。

 その先はバルコニーになっているようだ。


 俺とドッラが部屋に入ると、


「では、失礼します」


 と言って、ドアが閉じられ、ヒナミ女官長がタッタッタと走る音が聞こえた。

 急いで呼びに行ったのだろう。


 この館は彼女一人で切り盛りしているのだろうか?


 こういう別荘には、普通は常勤のハウスキーパー兼メイドのような存在がいるはずだ。

 でなければ、ふいに利用しようとした時に大掃除が必要になってしまう。


 もちろん、もう利用しないので放っておく、という場合には、給金がもったいないので放置してしまうこともある。

 そういった屋敷をテルルに与えたのであれば納得できなくもないが、その場合はあの子が一人でボロ屋敷の掃除からガーデンの世話までしたことになり、やはり非現実的だ。


 まだ手足のように使える関係ができていないのかもしれない。

 ああいう性格だしな。


「座っていたほうがいいのか」


 ドッラが言った。


「どっちでもいい。外が見たければ外を見ていてもいいし」


 と答える。

 別にそれほど堅苦しい要件で来たわけではないのだから、座って待っている必要はないだろう。


 口に出したら、なんとなく外の眺めを見たくなったので、バルコニーに移動して、二階から庭を見下ろした。


 やはりそれなりの眺望を前提に制作されたようで、二階から見ると中々に風光明媚な風景が広がっている。

 高さが足りないので絶景というほどではないが、ちょっと向こうの島まで見えると、やっぱり気持ちがスッとするような開放感があった。


 というか、視界の邪魔にならないように木々の高さが調整されてるな。

 やっぱり、かなり丁寧に人の手が入っている。


 ドッラは大して興味がないようで、椅子に座っていた。


「ドッラ、そこは駄目だ」


 俺が言うと、ドッラはびっくりした様子で立ち上がった。


「なんでだ?」

「上座だろ。そこは、テルル殿下が入ってきたら座るとこだ」

「ああ、授業で習った気がする」

 すっとぼけている。

「習ったはずだぞ。もう忘れちまったのか」


 騎士院では礼儀作法についてはそんなにうるさく習わないが、必修で礼儀作法Ⅰみたいなものはある。

 こんなに早く忘却の彼方に消えるとは、熱心に指導したであろう教師が哀れであった。


「じゃあ、反対側に座ればいいのか」

「そうだな」


 まあ、立場でいえば一番下座に座っておくのが普通だろう。


 ドッラは席を移動して、ドアに一番近い席にぽつねんと座った。

 見ると、なにをするでもなく指を組んで机の上を見ている。


 なんだろう。

 何を思いにふけっているのか。


 俺は、バルコニーの手すりのところまで行って外を見たかったが、テルルが来た時に困るかなと思い、バルコニーと部屋とを仕切る扉のあたりに立っていた。

 太陽の傾きの加減で、胸から下にだけ陽があたり、暖かくて具合が良い。


 やることもないので、外を見る。


 やっぱり、これも悪くはないが、良く考えると湖畔のほうが良いかも知れない。

 川には流れがあってボートで漕ぎ出すと大事だが、湖畔なら凪ぎの日なら気軽にボートで沖に出られる。

 釣りをするにしても、ボートで移動できたほうが多種多様なスポットを狙えて楽しそうだ。


 といっても、俺は釣りというものをしたことがないので、釣りというのが性に合うのか良くわからない。

 やってみたらいいんだろうが、そういう趣味をはじめる暇はできそうにない。


 ガチャ、と音がした。


「テルル殿下がお着きになられました」


 俺は振り返って、テルルを見る。

 王族らしからぬ格好をしていた。


 長い金髪を両側で三つ編みにして、服はワンピースに一枚羽織ったようなものを着ている。

 おしゃれさんか。


 王族が接見するときの格好として、これはいいんだろうか。

 良くはないはずなんだが。


 俺は、立ったまま礼をした。


「お久しぶりでございます、殿下」


 顔を上げると、テルルとドッラが見つめ合っていた。


 ……んん?


 ドッラのほうは、なんだか戸惑ったような顔をしている。

 テルルのほうは……ドッラの頭と格好に若干の驚きを覚えているようだが、なんというか頬を赤らめている感じだ。

 なんにせよ、悪感情とは程遠いな。


 ………んんん??


「あの……殿下、お久しぶりです」


 ドッラが言った。


「ええ、ご機嫌麗しゅう、ドッラ殿」


 あのー、俺も居るんですけど。

 どうしたもんかな、これ。


 それにしても、あー、そういうことなんね。って感じ。

 色々と合点がいったわ。


 そうですか。

 わかったわかった。はい分かりました。


「ドッラ、ちょっと外出てろ」

「は?」

「いいから、廊下で待ってろ」


「えっ……」


 テルルが若干絶望感のある顔でつぶやく。

 あー。

 俺を蹴り殺すべく馬が走ってきているような音が聞こえてきそうだ。


「そのうち呼ぶから、外出てろ」

「わ、わかった」


 俺が三度みたび言うと、ドッラはおとなしくドアを開いて、部屋の外へと出ていった。

 バタン、とドアが閉じられると、部屋には三人きりとなった。


 俺は勝手に椅子に腰掛ける。


「ちょっと、あなた、失礼じゃ……」

 俺のあまりな振る舞いに、ヒナミ女官長がキレかけてる。

「あ、できれば、あなたは残って話を聞いてください。さ、どうぞ座って」


 と、俺はテルルに上座の椅子を勧めた。


「は、はい……」


 と言って、テルルはおとなしく椅子に座る。

 顔色は若干青ざめており、なんかビビられてるのを感じる。

 なんにせよ、好感情とは程遠いな。


「ふう……だいたいの事情は察しましたから、ご安心ください。ドッラと話す時間はあとでたっぷりありますから。ただ、僕のほうもお使いの用事を先に済ませたいのでね。先にやらせてください」

 ドッラがいる席で二人に気を使いつつ説明するというのは、まっぴらごめんだった。

 なんというか、情けなさすぎる。

「はい……」


「ヒナミ女官長、お怒りはごもっともですが、言ってみれば僕をダシにしたわけですよね? これくらいは許してください。それに、さっさと終わらせたほうがお二人のためでしょう。それだけ時間を多く取れるわけですから」

「う……そ、そういうことなら……」

「納得いただけたなら、あなたも座ってください。すぐ済みますし、あなたも聞いておいたほうがいいでしょう。実務を担当しているのはあなたなんでしょうから」

「わ、わかりました……」


 ヒナミ女官長はおとなしく、一番下座の椅子に座った。


「今日来た要件は二つです。一つ目は、キルヒナ王室の財産の整理が終わりましたので、テルル殿下の財産として残ったものが確定しました。その目録を持ってきました。これです」


 と、俺は書類の入った筒を机の上に置いた。


「流動性の高い資産から換金していきましたので、美術的価値のある調度類などはそのまま残りました。処分するなり、所持していたいなら引き取るなり、そのあたりはお好きにどうぞ。ただ、今のままテンパー家の警護付き貸し倉庫に入れておくと、月あたり十万ルガの保管料が取られます。そこはご承知ください」

「は、はい……」


 ちゃんと言ってる意味が分かってるのかな。


「二つ目の要件は、聖山のほうの回答があり、受け入れ許可が出たということです。ま、お巫女さんになりたいのであれば、そちらに行くのも一つの道かと」


 聖山というのは、王家の天領の中でも山脈に近い山奥にある祈祷所のことだ。

 テルルのように国を喪って亡命してきた王族は、身を立てるすべを持っていなかった場合は、庶民に混じって働くのも屈辱なので、山に入って宗教者になる道を選ぶことが多いらしい。

 ただ、テルルの場合は、幸運にも身一つで来たわけではなく、よほどの贅沢をしなければ一生遊んで暮らせるくらいの財産は残ったので、あまり入る必要があるとは思えない。


「ま、要件はそれだけです。この場で回答が必要なものはありません。えーっと……」


 俺はポケットから懐中時計を取り出して、時刻を確認した。


「あと一時間三十分。どうぞ親密な語らいをしてください。僕は勝手に庭など見ていますので、お気になさらず」


 俺は勝手に椅子を立つと、退室するべくドアを開けた。

 廊下では、ドッラが壁に背をもたれかけて待っている。


 後ろ手にドアを閉めた。


「ほら、入れ。ちょっと場を凍らせちまったが、あとは上手くやれ」

 中の二人に聞こえないよう、声を掛ける。

「言っておくが、俺は彼女に惚れてるわけじゃない。勘違いするな」


 そうなのか。

 まあ、あれだけ一途だったこいつが、あっさりとテルルに鞍替えしてベタ惚れというのは、ちょっと考えづらい。


「じゃあ、なんであんなに服に気を遣ってたんだ」


 結果的にまるで駄目ではあったが、こいつなりに身なりを整えようとはしていた。


「……ただ、彼女に無礼を働きたくなかっただけだ」


 ああ、これは本当だな。


 と心の中で思った。

 なぜ本当か分かるかといえば、キャロルに対しての反応という比較対象があるからだ。


 どうも惚れ込んでいるわけではないらしい。

 よくわからんが、複雑な事情があるようだ。


「まあ、俺には関係ないし……嫌なら帰るか?」

「んん……だが……」

 気は進まないようだが、帰るつもりはないらしい。

「そんなら、話してこい」


 俺はドッラの肩を叩くと、勝手に下り階段のほうに向かった。



 *****



 庭を一通り見ると、やることがなくなったので、俺は桟橋のところに座っていた。

 何もやることがないので、ぼけーっとしている。


 一時間半か。

 長いな。


「あのぅ……」


 背中から声がかかった。

 上体だけで振り向くと、ヒナミ女官長がいた。


「ちょっとお話してよろしいでしょうか」

「釣り竿あるか?」


 俺はさっきから気になっていたことを一方的に言った。


「釣り竿……ですか?」

「ああ。暇だからちょっと釣りをしてみたい」

「納屋の中にあった……かな」

「探していいか?」

「はい……」


 立ち上がって、近くにある納屋に向かった。

 ヒナミ女官長は、なんだかモジモジしている。


 納屋の中には、船を留めておくロープなどがたくさん突っ込んであった。

 その中に釣り竿を発見する。


 針を含めた仕掛けが既についていたので、そこらへんの石をひっくり返し、虫を捕まえて適当に刺した。

 よくわからんが、餌はこれでいいだろう。

 いいんじゃないかな。


 桟橋のところに戻り、座って、水の中に仕掛けを放り込む。


「あのぅ……」


 ヒナミ女官長はまだ後ろにいた。


「どうした?」

「ちょっとご相談があるのですが」

「いいぞ。長くなるなら座ったら? 服がちょっと汚れるかもしれないが」


 俺がそう言うと、「失礼します」と言って、俺の隣にハンカチのようなものを敷き、そこに座った。


「それで、ご相談なのですが」

「うん」

「テルル殿下は、ずっとここに住むことはできるのでしょうか?」


 ああ、そのことか。


 テルルは三週間前まで王宮にいたのだが、リフォルム陥落の報が来ると、王宮からここに移ってきた。

 移ってきたというよりは、追い出されたということなのだろう。


「そのうちには、他に移ったほうがいいかもしれない。まあ、邪魔になったら王家が出て行けとそれとなく言ってくるだろう。それまではここに居てもいいと思う。ただ維持費は払うべきだろうな」

 金はあるんだし。

「そうですか……あの、こちらの王家はテルル殿下を疎んじているのでしょうか?」


 またはっちゃけた質問が来たな。


「きみに理解できるかどうか分からないし、俺は王家の人間じゃないから分からないが……たぶん、王家は、テルル殿下に何もして欲しくないと思っている。まつりごとが劇場の演劇だったとしたら、その舞台からは退場してほしいってことだ。これは死んで欲しいって意味ではないぞ」

「……ちょっとはわかります」

「テルル殿下が壇上にいると、キルヒナの民はそればっかり見て、シヤルタに同化しようとしなくなるからな。国の中に国がもう一つできるのは気分のいいことじゃない。ま、それが王宮からここに移された理由だな。王宮にいると何かと面倒だから」

「うぅん……そうですか。じゃあ、要するには、ここで静かにしていればいいんですね」

「まあ、そういうことになるかな」


 なんというか、普通に年頃の娘だな。

 ミャロのように特別賢いわけではないし、馬鹿なわけでもない。

 テルルのためを考えてるって感じがする。

 この歳にしてテルルに忠誠を誓っているのだろうか。


「それで、あいつら、いつからああなんだ」

「……えっ」

「今度はこっちの質問だ」


 俺は勝手にルールを決めた。


「道中、そんなに仲がいいようには見えなかったけどな」


 俺は、あの娘とドッラが仲良くなるという展開をまったく想像していなかったので、完全に青天の霹靂だった。

 無意識のうちに、水と油のように馴染まない性質のように思っていたのかもしれない。


 まさか、あの人見知りの弱気な娘が、ドッラを好きになるなんてな。

 今でもちょっと理解できない。

 四六時中図書館で本を読んでる静かめの女子が、ウェイ系のチャラ男と付き合ってたみたいな衝撃がある。


「……うーん、きっかけは、あの橋のところで話した時のようですけど。私もよく知りませんが……あの時から急にドッラ様のことをお気にしはじめて、あのときの戦いが終わったあとは、夜衣? の人に言って一度戻ったんです」

「は? 戻ってたのか?」


 え、あのあと橋のところまで戻ってきてたの?


「はい。ドッラ様の安否が心配だったのでしょう。そこでドッラ様ともう一度お会いになって、お二人でお話をされていました」

「そうなのか……」


 全然知らなかった。


 というか、たぶん、ミャロはそのことを知ってたんだろうな。

 会話の内容まで聞いていたのかは知らんが、色々と察していたのだろう。


「この間の授与式の時も、お二人でお話されていて」

「あ、ふぅん……そうなの……」


 ふーん。

 そうなんだぁ……。


 まあいいんだけど……なんか俺を置いてみんな先に行ってるんだね。

 成長して、大人になってるんだ。

 みたいな不思議な寂寥感があった。


 あのドッラがねぇ……。


「そうなんだ……わかった」

「もう一つお聞きしたいことがあるんですけど」

「うん、いいよ」

「資産って、どうしたらいいんでしょう。よく分からなくて……」


 ああ、それか。


「どうしても取っておかなきゃならない品とか、金にならない家宝みたいの以外は、全部処分したらいいんじゃないか」

「お金にならない家宝……というのは?」

「羊皮紙に書いた家系図みたいなやつとか、他人にとっては価値の薄いやつだ」

「あぁ、なるほど」

「金は、魔女を信じられるなら貸し金庫に預けてもいい。テンパー家の警護付き貸し倉庫よりはよっぽど安くつく」


 テンパー家の貸し倉庫というのは、泥棒が入らない安心してモノを置いておける倉庫として有名だが、月額十万ルガというのは法外だ。

 秘密にしておく口止め料が入っているとはいえ、よっぽど足元を見られた契約といえる。


「誰も信用出来ないなら、金塊にして人が来そうにないところに埋めておいてもいい。そのへんは好みだな」

「分かりました」

「それくらいだ。参考になったならいいが」

「ありがとうございました。参考にします」


 次は俺の番か。

 もう質問なんてねえな。


「俺の質問はないけど」

「じゃあ、失礼させてもらっても構いませんか? お二人にお茶のおかわりを出さないと……」

「いいよ。俺は釣りやってる」


 それにしても、釣れないな。

 なんとなく釣りというものに憧れを持っていたけど、あんまりいいものではないのかもしれない。


 経験者の導きが必要な趣味なのかも。


「あとでお飲み物をお持ちしますので……」


 ヒナミ女官長は桟橋から立つと、ペコリとお辞儀した気配があって、そのまま去っていった。

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