第159話 ドッラのおめかし
シビャクに戻ってから一ヶ月後。
日常というものは恐ろしいもので、学校が再開すると、当初は戦場帰りの連中によって体臭のように発散されていたピリピリとした空気が次第に緩み、普段の生活が戻ってきていた。
午前の実技が終わった昼下がり、寮の前には学年を問わず、多くの生徒が集まっていた。
「どうだ? 動けるか?」
俺が言うと、
「ああ」
体中に鉄をまとったドッラが、ギィギィいわしながら椅子から立ち上がった。
ドッラはクラ人の板金鎧を着ている。
古物屋の倉庫の端で埃をかぶっていたのを、二百ルガで買い叩いたやつで、ドッラの体に合わせて鍛冶屋で加工してもらってある。
心臓の位置に穴が開いているのはご愛嬌というものだろう。
ギィギィいっているのは、関節のところが上手く噛み合っておらず、鉄が擦れているからだ。
ちょっとしたお遊びなので、金を節約するため見習い徒弟の練習台として打ってもらったのだが、いくらなんでもまずかったかもしれない。
ギィギィいいまくってる。
ところどころ錆が浮きまくった鎧には、炉で熱したあとハンマーで叩いた生々しい痕跡が所々に浮いていた。
ドッラは体中に鉄をまといながら、軽々と二歩三歩と歩いてみせる。
「くっそ重い」
重いらしい。
中古かつ呪いがかかってそうなことを除いても、安いやつだからな。
同じ板金鎧でも装甲が波形になっているやつなどは、防御力をそのままに重量を軽減する工夫がされているわけだが、これはそういうのが全くない。
ただただ、防御力は鉄の肉厚に頼っている。
下手すると50kg以上あるんじゃないのか。
「まあ、やってみよう」
俺は固い棒で出来た、野太い木槍を差し出した。
最近ドッラが練習で使っているやつで、先のほうには藁が巻きつけてある。
なぜ藁が巻き付けてあるのか。
言うまでもなく、そのままの木では怪我をさせてしまうからだ。
怪我というより、リアルに死の恐怖があるので、こうでもしないと誰もドッラの相手はしたがらない。
ドッラはその木槍を手に取り、身構える。
そうすると、なんとも威圧感があった。
この鉄の要塞をどう攻略したものか、かつて覚えた途方に暮れる思いが蘇ってくる。
俺も、こちらは細身の木槍を持って、構えた。
この催しに興味を持って集まっている生徒たちが、輪になって囲み、見物客となり、ガヤガヤと騒ぎ立てていた。
向かい合って、槍の矛先を向け合う。
ドッラは唐突に構えを解き、槍を下ろした。
「いや、見えねえよ」
ドッラが被っている重厚なヘルメットには、目のところに小指の先くらいの太さのスリットがあるだけだ。
ひょっとしたらちょっと不便なのかもしれない……と思っていたが、やっぱり見えなかったらしい。
そりゃ見えねえよな。
「そうか。どうしても無理か?」
俺も一旦槍を下ろして聞いた。
「普通に見えねえ。尋常じゃなく重いし、どう考えたって何かがおかしい」
「でも、やつらそれで戦ってるんだぞ。お前には無理なのか」
ちょっと煽ってみた。
「……やることにはやるけどな」
ドッラは再び槍を構える。
俺も再び槍を構えた。
ドンッ、と一歩踏み込んで突きこんでくる。
俺が後ろに一歩下がってスカすと、もう一歩踏み込み、今度は腰のあたりに突きこんできた。
それも軽く避けた。
ドッラがやったのは突きの基本的なコンビネーションで、上体を狙って刺したのをスウェーを使って避けると、下半身が残っているのでそこを突かれる。
もちろん目にも留まらぬ速さの二度突きなので、足で避ける暇は与えられない。
ドッラのは糞遅かった。
普段のドッラの動きと比べれば、ハエが止まるかと思うほどだった。
「続けろ」
いいながら、反撃で肘の関節の内側を狙って突きを放つ。
ドッラは少し肘を動かして、突きを鎧で弾いた。
むずかしい。
いや、でも結構練習になるぞ。
ドッラは無言で槍を振り、俺は避けながら懐に入り、今度は首を狙ってみた。
今度は厭らしくスリットの死角から槍を繰り出してみたのだが、ドッラは首を顎につけて首の露出をなくし、これも防いだ。
ドッラの動きは全体的にすごく鈍いのだが、こちらの動きに対してあまりに小さな動きで攻撃を防がれてしまう。
「面白い。続けよう」
*****
十五分ほど続けたところで、ドッラは突然槍を下ろした。
戦いを放棄して、勝手に俺に背を向けると、甲冑を付けるときに使った大きめの椅子のところに腰掛けた。
あご紐を乱暴に解いてヘルメットを脱ぐと、汗びっしょりの顔を赤くして、息をめっちゃ荒くしていた。
「ハーッ、ハーッ、ハーッ」
「そんなに疲れるのか」
近寄って声をかける。
俺は、ちょっと汗をかいただけで、大して息もあがっていなかった。
「ハァ、ハァ、つかれるに、きまって、んだろ。バカか、てめえ」
めっちゃ息あがってる。
ドッラは決してスタミナに難があるわけではなく、日夜訓練に精を出している分、むしろ俺より優れているくらいなのだが、十五分でこれということはよっぽど疲れるのだろう。
「こっちは勉強になった」
やっぱり板金鎧というのは厄介だ。
こんな半分ゴミのような鎧でも攻略に手こずる。
「ハァ、クソ、ぜったい、おかしい、ハァ、この、よろい。ふりょうひん、だ」
「だから売れなかったのかもな」
「バカ、はぁ、先に、はぁ、気づけ」
最初から実用性度外視の飾り物だったとか?
いや、胸に穴があるんだから、そんなわけねえか。
どんな豪傑が貫き通したのか知らないが、着用者は死んでるはずだ。
というか、あまりに重くて動けなくなって仕留められたのかも。
ドッラでさえこのザマなのだから、容易に想像できる。
大は小を兼ねるが、逆は無理だ。買ったときは小さくてドッラの体格に合わなかったので、鍛冶屋では広げてもらったのだ。
ということは、元の着用者はドッラより身が細かったことになる。
「練習にはいいじゃないか。これだったら並の奴でも練習相手になるぞ」
「こっちは、槍振るどころの話じゃ、ねえんだよ」
「大丈夫だ。立派に振れてたから」
動けてた動けてた。
ちょっと俺に膝をつかせるのは難しい速さだったけど。
「お前の鍛錬にもなる。皆の訓練にもなる。一石二鳥だ」
板金鎧を敵にしたときどう戦うか、というのはかなり有意義な鍛錬になる。
隙間を通して急所を狙い撃ちしなければならないから、精密さも必要だし、素早さも必要だ。
やってみて悪いことはない。
「はぁ、とにかく、今日は終わりだ」
あれだけゼーハー言っていた息がもう戻っている。
これがフィジカルモンスターか。
「予定があるんだろう」
「そうだった」
予定があるんだった。
とても珍しい。
「どうする? そのままの格好でいくか?」
「バカかてめぇは」
ドッラに三度もバカと言われた。
*****
服を着替えて寮のリビングで待っていると、部屋から戻ったドッラが現れた。
板金鎧の中でハンパなく汗みずくになったのが良かったのか、井戸で水浴びをしたあとはさっぱりとしており、汗臭い感じではなかった。
服は、なんと礼服を着ている。
俺が今着ている略礼装より一段階フォーマルなやつだ。
「……おまえ、それどうした」
「俺だって、こういう服の一着くらいは持っている」
絶対ウソだ。
「実家に戻って取ってきたんだろう。親父のじゃないのかそれ」
「………」
俺も礼服の仕立てに一家言あるわけではないが、ドッラのはちょっとおかしかった。
立派な礼服といえば礼服なのだが、肩や胸に布が余っている感じがするし、そもそもチョイスがおかしい。
まず親父のガッラの服に間違いない。
「……これだと、失礼にあたるか」
ドッラはちょっとしゅんとしていた。
「ううん……まー、別に……いいっちゃいいんだが」
「……制服よりはいいだろう」
ドッラが心細げに言った。
ドッラの制服は特に酷い扱いをされているので、ちょっとどころではなくまずい。
汚れがシミになっているくらいならいいが、色落ちしている上に所々に継ぎ接ぎまであるので、これはもう庶民服と殆ど変わらない。
「そうだな。いいと思う」
俺は考えるのをやめた。
というか、俺としては、俺だけでなくドッラも呼ばれた理由がさっぱりわからないのだが、いつもなら服など気にせず制服で押し通すであろうドッラが、このような気遣いをする理由も意味不明だった。
ゴリラが突然服を着だしたような違和感がある。
ゴリラが服を着ているのだから、まずは褒めてやるべきであって、その服がどうこうなどという指摘は無粋であろう。
「それで行こう」
さあ出発するか、と俺は椅子から立ち上がった。
「ドッラさん?」
そこで声をかけたのは、ふいにリビングに現れたミャロであった。
「そろそろご出発ですか?」
「あぁ、そうだ」
ドッラが振り向いて、ミャロのほうに向き直った。
ドッラの顔、というか前面の姿を見た時、ミャロの顔から朗らかな笑みが消えた。
「ドッラさん、その服はまずいですよ」
「……やっぱり、失礼にあたるのか」
「失礼ではないですが……えっと、確認ですが、テルル殿下にお会いするんですよね?」
「そうだ」
ドッラが答えた。
「いや……あの、その格好はちょっと」
ミャロもいいあぐねているようだ。
「はっきり言ってくれ」
「ジジ臭いです。おじさんが着る服です」
あ、言っちゃった。
そうなのだ。ドッラが着ているのはおじさん臭い。
スーツでいうと、青々とした新卒一年生が、野暮ったいダブルのスーツを着ているような違和感がある。
ガッラが着るならいいが、ドッラが着るのはまずい。
いや、まずくはないのだが、著しくイメージにそぐわない。
「……そうなのか。だが、もう時間が……」
ドッラはよっぽど堪えたのか、見る影もなくしょんぼりとしている。
「そうですよね……どうしましょうか。どうにかしないと」
ミャロは顎に手を当てて真剣に考え込んでしまった。
なんだろう。
色々と変だ。
ドッラが服に気を使う理由もわからなければ、ミャロが妙なこだわりを見せている理由も分からない。
ドッラの服なんてどうでもいいだろ。
そりゃ運動着のたぐいを着ていったり、パン一でいったり、鎧武者の格好でいったりしたらまずいが、これは十分にフォーマルな格好であって、咎められるいわれはない。
別にジジ臭いだけで失礼ではないのだ。
「ユーリくん、ホウ家の別邸には服があるんじゃないですか?」
「えっ」
えっ、俺?
「さあ……わかんない。どうだろうな。サイズが合うか」
「別邸に寄って服を貸してあげてください。お願いします」
「え、ドッラにか? 服を?」
「はい。無理ですか?」
え、マジ?
そこまですんの?
ていうか、なんでミャロはそんなに燃えてるの?
なんか謎の使命感に駆られているようなんだが。
ゴリラ保護の精神にでも目覚めたのか?
「べつにいいけど……」
別に服を貸すくらいはなんでもないし。
「髪も、油を塗って整えさせてくださいね」
「そこまですんのか……?」
「ユーリくんは添え物なのでどうでもいいですが、ドッラさんはあれではまずいですよ……」
添え物……?
女王から伝言を預かってるのは俺なんだが。
まあ、ドッラは自分で髪を切っているから、かなりまずい感じではある。
というか、見慣れすぎていて気づかなかったが、よく見たらやべーなこれ。
かなりやべーわ。
「というか、ドッラさんはなんで床屋さんに行ってないんですか。ふざけてるんですか?」
「す、すまない。忘れていて……」
「忘れていたじゃ済まされませんよ。いいかげんにしてください」
なんか怒り出した。
こんなミャロを見たのは初めてだ。
「お、おう」
尋常ではないミャロの様子に気圧されたのか、ドッラはたじろいだ。
「わかったわかった。さっさと行くぞ」
こういうときは逃げるに限る。
「行こう、行こう」
ドッラは小走りで寮をあとにした。
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