第105話 痛打

 第三矢を左にフェイントをかけて右の男に射ると、今度は妨害が間に合わず、矢は男の太ももに刺さった。


 これを続けていけば、間違いなく勝てる。

 斗棋で詰み筋を見つけた時のような確信があった。


 靴底がないので四分の一素足みたいな感じだが、もう激しい戦いをする必要はない。

 かかってきたら逃げれば良い。

 素足でも森の中を走るくらいのことはできるだろう。


 第四矢を、今度は弾き返されると、カンカーはいよいよ険しい顔つきになった。

 状況を冷静に判断しはじめたのだろう。


 第五矢が部下に突き刺さると、いよいよカンカーは思いを決めたようだった。


「逃げろ!」


 大声で叫ぶと、こちらに背中を向けた。


「逃げろ、逃げろ!」


 味方を叱咤しながら森の奥に走る。

 逃げるか。


 正直、意外な思いがした。

 俺は一人なのに。

 追われて逃げるのは俺の役目だと思っていた。


 が、上策だろう。

 どのみち詰んでいるのだし、あそこでカンカーが倒れたら烏合の衆になる。

 俺に背を向けることで、たいへんな不利を得ているが、それでも現状維持よりもましだ。


 俺は、カンカーがいなくなったことで見えた的に矢を射た。

 背中にブスリと刺さる。


 十一本矢が入っている内、一本は鏑矢のままになっている。

 残りは五本しかない。


 焦りからか、この近距離においても一本外した。

 十メートルも離れていないのに。


 それから四本立て続けに当てていくが、その頃には敵は元気なものから一目散の逃走に移っていた。

 追うしかない。

 途中で矢を回収する必要がある。


 素早く追跡に入り、さきほど首を射て即死した男が背負っていた矢筒に手を伸ばし、ひったくるように矢を奪う。

 そこから一歩を踏み出した時、足裏に痛みが走った。


 その鋭利な痛みは、尖った岩を踏んだ時のような痛みではない。

 ざっくりと皮膚を貫く、ガラス片を踏んだような痛みだった。


 忘れていた。

 この場には俺が使った爆弾の破片が飛散していたのだ。


「……チッ」


 思わず舌打ちをし、その場に立ったまま矢をつがえる。

 一人の背に、吸い込まれるように矢が突き立ち、倒れこんだ。


 爆弾と矢を受けた連中も、次々に森のなかに入っていった。

 俺は文字通り矢継ぎ早に矢を放ってゆく。


 大抵が爆弾によって負傷していたこともあって、殆どの人間には矢を与えたが、最後の一人は、狙いを定める前に森のなかに消えてしまった。

 カンカーを含めて、少なくとも二人は、矢を与えず、致命傷も負わずに逃げた。


「クソッ」


 俺はすぐに足裏を確認した。

 渡り3センチほどの鉄片が突き刺さっている。

 剣を砕いたやつだろう。


 けっこう深い。


 これを治療しないうちは追えない。

 ああ、糞。

 全てが裏目に出てきやがった。



 ***



 左足をかかとで地面につけながら、ケンケンしつつ近くの岩場にたどり着き、頭にかぶっていた頭巾を切り裂いた。

 まずは鉄片を引きぬかねばならない。

 腕に矢でも刺さったなら別だが、まさか這って行くわけにもいかないので、抜かなければ何かの拍子に、更に深く刺さってしまうかもしれない。


「ッ……!」


 指で鉄片をつまみ、引き抜いた。

 鉄片を捨てると、すぐに爪先を強く縛る。


 行くか。

 立ち上がると、足先がぎゅっと疼き、血がどくっと流れる感じがした。

 やはり傷は深い。

 無理はできない。


 だが、矢だけは山程ある。

 ついでにいえば、鉄砲も二丁あった。


 俺は余っていた矢を、近場で呻いている連中に打ち込んでゆく。

 足が無事な者もおり、中には俺を倒そうと向かってくるものもいたが、矢を射放つと避けるでもなく刺さり、その場に倒れた。

 全員の胴体に矢を一本づついれると、追跡を開始した。


 百メートルほど歩いたところで、胴体に酷い傷を負った男が死亡しているのを見つけた。

 先ほどの場所で殺したのが、計五人なので、これで十二人のうち七人を殺したことになる。

 残りは五人か。


 そこからの四百メートルほどで、更に二人の男を見つけ、矢を射かけて致命傷を負わせた。

 この足では、近づいて短刀で間違いなく殺すというのは、危険を伴う。

 この森から脱することは不可能、という程度の傷を負わせておけばよい。


 そこから更に先に進むと、鎧が落ちていた。


 カンカーは、ここで鎧を脱いだらしい。

 脱ぐのに手間がかかりそうな下半身の装甲はなく、胴鎧とメット、そして腕の鎧だけ落ちていた。

 俺が足を負傷したことを知らないので、鎧を着ていたら追いつかれると思ったのだろう。


 全力で逃げる相手を追うには、今の俺の足では頼りない。

 逃がす他ない。


 参った。


 取り逃がした。

 三人も。



 ***



 プレートアーマーを破壊しておこうと、銅鎧を足でスタンプしてみたが、怪我のせいで力が入らず、形状が変わるほどにはならなかった。

 できるだけ壊しておこうと、面頬の取り付けを足で踏んで壊し、腕鎧は指のところを持って木にたたきつけてみた。

 五~六回やっても、少し歪んだくらいで、目に見える形での破壊はできなかった。


 しかたがないので、俺は引き返すことにした。

 出血が酷い。


 連中の荷物が纏めてあるところまで戻り、死んでいた五人を横目に、荷を漁った。

 傷を縫合する針と糸は、必携品というわけではないが、一部隊に一人くらい持っていてもおかしくないものだ。

 実際、かさばるものでもないので、俺の荷物には入っている。


 が、やはり縫合針はなかった。

 まっすぐな裁縫針はあるが、これでは皮膚下を深く縫うことができないだろう。

 やはり鎌状の針でないと。


 途中の罠で負傷した男を縫合しなかったということは、持っていないのだろう。とは思っていたが、やはりなかった。

 できれば、この場で傷を縫合してしまいたかったが、それはできなそうだ。

 俺の針はキャロルのところに置いてあるので、戻るまで我慢しなくてはならない。


 しかし、代わりに蒸留酒があった。

 これはありがたい。

 傷の消毒に使えるだろう。


 あとは銃か。

 敵方の鉄砲を拾い上げてみると、俺が購入したものより、大分重かった。

 ずっしりという重さが、持っていこうという気を失わせる。

 これでは相当な負担になるだろう。

 欲しかったが、ここは諦めたほうがいい。


 矢をいっぱいまで持ち、食料を漁ると、余った弓矢と剣類を荷物のところにかきあつめ、枯れ枝を拾ってきて軽く積んだ。

 そして、ライターで火をつけた。

 敵方の虎の子とも言える資源が、火を纏ってゆく。


 これで、彼らは生き残っても森を脱することは難しいだろう。

 たまたま街道に出て、たまたま友軍に発見されればよいが、その可能性はそう高くはない。


 敵の嫌がることをする。というのは、やはり良い気分にはならない。


 敵がどういう気分になるか、どういう感情を自分に向けるか、想像がつくからだ。

 俺がカンカーの立場だったら、食料を含めた荷物が全て燃やされたら、マジで殺したくなるだろう。

 いや、そうでなくても殺された部下の数を考えれば、殺したいほど憎いか。


 荷物がぼうぼうと燃え盛ったのを確認すると、俺はキャロルのところへ足を進めた。



 ***



 ヒョコヒョコと左足をかばいながら、どうにか迷わず戻ると、キャロルはどうやら元の場所で無事にいるようだった。


 茶色の油布が木々の間でもっこりと盛り上がっており、俺が木々の間から姿を表した時には、フードの隙間からじっと睨んでいた。


 俺を認識すると、緊張を解いた。


「ユーリ……!」

「ああ、戻った」


 キャロルは、心底嬉しそうな顔で出迎えてくれた。


「足はどうした? 傷を負ったのか?」


 まあ、爪先を使わないようにしているからな。

 そりゃ解るか。


「ああ。情けないことにな」


 本当に情けない。

 道中で思ったが、俺が少し気を使って爆弾の飛散したところを迂回していれば、今頃はなんの杞憂もなく、全てが終わっていたかもしれないのだ。


「見せてみろ」


 俺はその場に座り込んで、左足を出した。

 キャロルは合羽を脱ぎ、少し身をよじって、太ももの上に俺の足を載せた。


 自分で治療するつもりだったが、疲れきっている俺より、キャロルのほうが上手に縫えるだろう。


「ほどいていいか」

「針を用意してからのほうがいい。それと、酒を奪ってきた。消毒してくれ」

 俺は酒瓶を渡した。

「わかった」


 俺は地べたに身体を横たえ、太ももに乗った足が心臓より上にくるようにする。

 道具を用意し終わったのか、キャロルがキツく縛った布を解いた。


「深いじゃないか。こんな傷で無茶を……」

「早く傷を洗ってくれ」


 俺がそう言うと、キャロルは傷口を酒で洗った。


「……くッ」


 流石に傷に染みる。


「大丈夫か……?」

「いいから、傷の奥までよく洗ってくれ」


 そう言うと、キャロルは自分の指を洗い、さらに傷を揉むようにして軽く開き、中にまで酒を入れた。


「いっ……」

 刺すような痛みが足を襲う。


「あのな」

「なんだ。声が漏れるのは勘弁してくれよ。構わずやってくれ」

「いや、違うんだ」


 じゃあ、なんだ。


「傷の中に……鉄のトゲみたいなものが埋まっているようなんだが」


 ああ……。

 思い当たるフシがある。

 鉄片が中で欠けるなりしたのだろう。


 そりゃ刺すような痛みがあるはずだ。

 実際刺してんだから。


「取ってくれ」

「だけど……上手く取れるかわからない」


 まあ、縫うにしても異物を取るにしても、できればピンセットみたいなもんが欲しいわな。

 だけど、ないもんは仕方がない。


「指じゃどうしても無理そうか?」

「いや……試してみないとわからない」

「じゃあ、やってくれ。どの道、そんなものが入ってるうちは縫えんだろう」

「わかった」


 キャロルは、指をもう一度念入りに消毒すると、思い切り良く傷口に指を突っ込んだ。


「ンッ……! ぐぅ……っ!」


 激痛に歯を食いしばって耐える。

 傷の中から激痛の元が抜ける感じがして、キャロルの指が傷の中から離れた。


「……と、取れたか?」


 痛すぎて頭から血の気が引いてる感じがする。


「取れた。もうないはずだ」

「そうか。そりゃよかった。一応もう一度酒で洗って、早く縫っちまってくれ」


 出血は二リットルが致死量だとして、まだ一リットルも出血していないはずなので、かなり余裕はあるはずだが、なるべく血を失いたくはない。


「……糸が物凄く太いやつしかないんだが」

「あー、そうだったな」


 思いっきり斬られてザッパリいったような傷を縫い合わせることを考えていたから、そんなのを持ってきたんだった。


「仕方ない。それでいい」

「もしよければ、私の髪でやるけど」

「それでもいい。いや、それにしてくれ」


 ヒトの髪の毛を縫合糸に使うというのは、それなりに一般的に行われている。

 やってみたことはないが、キャロルの髪なら長さ的にも十分だろう。

 縮れてもいないし、俺の髪のように短くもない。


「髪なら、二重にして細かく縫ってくれ。切れると困る。あと、針も髪も、酒できちんと洗ってくれよ」

「わかってる」


 しばらくして、針に糸を通し終わると、

「行くぞ」

 と言ってきた。


「やってくれ」


 プスッと皮下に針が通るが、先ほどの抉るほどの痛みと比べればさほどのものでもなかった。


「ッく……」


 痛みに声が漏れるが、足が暴れるほどの痛みではない。

 サクサクと縫合が進んでいき、縫合自体はすぐに終わった。


「よし。終わったぞ」

「そうか」


 上体を起こして傷面を見ると、見事にかがり縫合されていた。

 真ん中あたりは広く深く針が入っているので、奥まで縫い合わされているらしい。


 袋になった傷に血が貯まることもなさそうだ。

 騎士院で習ったので、陰で練習していたのかもしれない。


「ありがとう。助かった」

「……礼を言わなければならないのは、私のほうだ」

「それは言いっこなしだろ」


 清潔なあて布が欲しいところだが、そんなものは持っていない。

 悲しいところだ。

 大なり小なり膿むのは避けられんだろうな。


「どの道、俺もこの足じゃな。これまでのようには」

「うん……」


 キャロルは沈んだ声を出した。

 この傷では、キャロルをおぶるにしても、今までのような働きはできないだろう。


「だが、村はもうすぐだ。着いたら、少し休んで療養するさ」


 リスクは高いが、そうするしかない。

 そのうちにはキャロルの怪我も良くなるかもしれないしな。


「その傷で、すぐに歩くのか?」

「村が無事だとすりゃ、清潔な布も家の設備も使える。多少無理してでも歩いたほうが、治りも早いだろう」

「わかった。じゃあ、私も歩くぞ」


 えっ。


「そろそろ少し治ってきた気がする。杖をついて歩けば、歩けないこともない」

「いや、無理すんなよ。悪化したらその方がキツい」

「杖を使えば、怪我したほうの足をつかずに歩くのは、さほど難しくない。それに、おぶってもらうにしても、速度が大分落ちるんじゃないか?」


 う……。

 それはそうかもしれない。

 庇いながらの歩行になるだろうし。


「荷物も、村で補給できそうなものは、捨ててしまおう」

「……ああ、そうだな」


 正直なところ、俺もこんなに時間がかかるとは思っていなかった。

 今は、数えて墜落から十一日にもなる。

 鷲で半日の道程を歩くのに十一日かかるとは。


 人間一人を背負って森の中を歩くというのは、予想以上に時間がかかる。


 だが、リフォルムまでたどり着くには、更に今までと同じくらいの距離を歩かなければならない。

 足の怪我のこともあるし、移動だけで十五日くらいは見ておく必要があるだろう。

 全体で二十六日。


 休養を五日もとれば、三十一日だ。

 まるまる一ヶ月にもなる。

 クラ人の連中は、一ヶ月もヴェルダン要塞にかかりきりになってくれるだろうか?


 その可能性は薄い、というわけではない。

 要塞攻略に一ヶ月以上かかるのは、普通だったら当たり前のことだ。


 だが、楽観視はできない。

 リフォルムに到着したとしても、その時には既に包囲は終わっている。という可能性は、現実味を帯びている。

 のんびり歩きの俺たちを前線が追い越せば、敵の補給線も追いつくことになり、追討も激しくなるだろう。


 しかし、急いでいるんだと言っても、傷は早く治ってくれるわけではない。

 追手の連中どもとて、完全に殲滅できたわけではない。


 常識的に考えれば、荷を失った時点で部隊壊滅・遭難ということになるから、もう追うだのなんだのという話ではなくなるが……。


 ああ、やってしまったなぁ。

 怪我さえなければ。


 時計を開いて、見る。

 あれだけのことがあったのに、まだ午後の二時だった。


「じゃあ、食事をして、荷を整理して、日が暮れるまで距離を稼ぐとするか」

「うん」


 キャロルは頷いた。

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