第100話 現地会議*

 現ドレイン伯である、ピーノック・ドレインは、森の中で部下と会っていた。


 ドレイン伯家は、伯爵家としては比較的豊かで大きな領地を持っており、兵力として常に約四百名の兵を抱えている。

 その兵は、稀には隣接貴族との戦争で使われることもあるが、大抵の場合はより大きな公爵などの大貴族の要望で出陣し、普段は領内の治安維持に勤めている。


 より大きな兵力を必要とする際は、領内の自作農や農奴に兵役を課すことで、さらに兵力を増強して一千名ほどの軍になることもあるが、今回はそのようなことは行わず、四百名の兵から更に半分の二百名の兵を募って率いていた。


 彼らは、封建的な契約関係にある騎士が少しと、常に一定数雇っている、ゴロツキを寄せ集めたような兵隊で構成されている。


 領内のゴロツキを雇っておくことで常設兵力の誇示にもなるし、放っておけば犯罪者になりそうな貧困層の男どもを集めることで、いざ山賊などの組織が現れたときには、彼らをぶつけて消耗させることができる。

 そういうやり方は、鉄砲の出現による戦争背景の変化に伴い、貴族らしい統治法ということで、多くの貴族の間で採用されていた。


 その中でも、ドレイン伯の軍はに成功した方であろう。

 ゴロツキのまま山賊の軍と変わらぬような有様にある貴族も多いなかで、ドレイン伯の軍は、先代の頃からの努力によって、ゴロツキを訓練によって鍛え上げる仕組みを少しづつ作った。


 毎朝定時に起床させ、訓練させ、夜は適度な気晴らしをさせつつも、夜中までには就寝させる。

 そういった規則的な生活に加えて、時には褒め、適度な誇りを持たせれば、多少なりと節度を守った行動もするようになる。

 そうやって、地道に練度を上げてきた。


 北方十字軍への遠征隊に、ザイード王子自らの要望で抜擢されたのも、そのお陰だった。


 根が山賊と変わらない連中であれば、そんな者達に荷の警備は任せてはおけない。

 荷をまとめて奪えば金貨の一袋にもなるとわかれば、平気で騎士を殺して荷を奪い、行方をくらましてしまう。

 兵たちの出自が出自だけに、そういった例は完全に無くなりこそしないものの、ドレイン伯の軍にあっては、許せる範囲に収まっていた。


 ドレイン伯の軍勢は、二つの隊に分かれている。

 サンジャ・マカトニーとカンカー・ウィレンスという騎士が、百人づつ兵を率いていた。

 更にその下に五十人長、二十人長、十人長と続く。


「ふむ、それで?」


 ピーノックは先を促した。


「ここの他に二つの集落を見つけましたが、どれも焼かれていました」

 とサンジャは言った。

「ふむ」

 ピーノックが頷いて返す。


 三人がいる場所は、既に焼かれた集落であった。

 といっても、クラ人が焼いたわけではない。

 どうやら、シャン人が自ら焼いていったものであるらしい。


 こういったことをされると、侵略する側は非常に困る。

 兵馬の食は、侵略する当地で得るのが最も効率的だからだ。


「それ以外は? 悪魔は見つけたのか?」

「いえ、一人も」

 サンジャが応える。


「ふーむ……そちらはどうだ?」

 ピーノックはカンカーに促す。


 カンカーとサンジャは、ともに百人隊を率い、半分づつの捜索範囲を担当していた。


「はい。こちらには、少なくとも一人逃げておるようです」

「ほう」


 ピーノックは独特な仕草をした。

 今年三十五歳になるにしては似つかわしくない仕草で、興味のそそられる報告を聞くと、唇を尖らせる。

 癖であった。


「ですが、その一人が、どうも手練れのようでして」

「その男が例の悪魔なのだろう?」

「いえ、話によると違うようです」


「話、とは?」

「攻撃された者が生かされました」

「ほう?」


 ピーノックの感覚としては、それは少し変だった。

 追われている人間が、追ってくる人間を生かしておくというのは、一体どういうことであろうか?


 実際には、足を折っておき、自分で歩けないようにすれば、その介護のために数人の人数を必要とする。

 そのため、カンカーの隊では既に二名がその任に当たり、通常の戦務からは離れていた。

 が、ピーノックにはそのような理解はない。


「拷問にかけるぞと脅されて、挨拶代わりに足を折られ、喋れば生かしてやると言われたら、ペラペラと喋ってしまったようです」

「ふむ。悪魔ながらに信義に篤いわけか」


 拷問に際しては、喋れば殺さぬという約束をするのは自然であろう。

 だが、本当に殺すか否かというのは別の話だ。


 そういう口約束なのであって、必ずしも守る必要はない。

 それを守るということは、破ったところで誰から謗りも受けるわけでもない約束でも、律儀に守る性格なのであろう。

 そうピーノックは考えた。


「さあ、それは分かりませぬが。その時の話によると、その悪魔は竜のことも、火災のことも知らなかったようで」

「ふむ?」

「どうやら、前の決戦で負け、散々に逃げた連中の一人らしいのです」

「なるほど? そういう者もおるだろうな」


 森の中に入る者もいるだろう。

 考えてみれば、いないほうが不自然だ。


「ですが、その者は、どうやらとんでもない手練でして」

「ほう?」

「すでに十人長が一人、兵が三名殺されています」

「なんだと?」


「足あとを追うと、罠が仕掛けてあるようなのです。十人長が殺された時は、こう」


 カンカーは前腕で腹を叩いた。


「地面に張ってあった縄かなにかを踏んだら、しなった枝が斜め下から飛んできたと……」

「枝に当たっただけか」

「矢が括りつけてありました。殺した兵から奪ったものです」


 ピーノックは、情景を想像して顔を歪めた。


「ぬぅ……。死んだか」

「死にました。腹に返し付きの矢が刺さっては」

「死んだのはいい」


 十人長の位は、騎士に与えられるものではなく、ゴロツキの叩き上げが任ぜられることになっていた。

 騎士でないなら惜しくもないし、北の地まで来る道中でも、資材を狙った賊との戦いで一人失っている。


「だが、その悪魔はなぜそのようなことをするのだ?」

「分かりません。それほどの手練れであれば、とっくに逃げ去っているはず。ノコノコと歩いている理由は……なんとも」


 そこが疑問な点であった。

 彼らドレイン伯の軍は、指令が下されてすぐに馬を飛ばし、あるいは駆け足で、先回りして調査に乗り出し、森を捜索することになった。

 だが、指令が下されるまでの三日のロスのおかげで、致命的な初動の遅れを招いていた。


 三日あれば、日頃鍛えた人間であれば、かなりの距離が稼げる。


 決戦から五日も経とうとしているのに、今頃こんなところをほっつき歩いている者は、余程のノロマか、けが人か、間抜けだろう。

 こと軍においては、手練であれば例外なく健脚であるのが普通だから、有能な手練がまだこんな所にいるのは変であった。


「足を怪我しているのではないか?」

「それはないと思います。話では、十歩の距離をまたたく間に詰めたとか」

「ふむ……。だが、足が遅いのは確かなのだろう」

「病気なのかもしれません。腹をこわすとか、そういったたぐいの」

「はっ! 悪魔が下痢か」


 ピーノックは大して面白くもなさそうに吐き捨てた。


「ですが、その悪魔が手練れというのは確かです。どう致しますか?」

「どういう意味だ?」

「しつこくも追った方がよいでしょうか」


 カンカーにしてみれば、この悪魔は見逃したかった。

 実は、生き残った馬鹿な兵士がさんざんと法螺をふき、さらに十人長が一人死んだことで、兵の中に怯えが出てしまっている。


 さらに言えば、足あとを追跡トレースすることに慣れた猟師出の兵隊は限られており、殺された三名(うち二名は罠で死んだ)は全員がその手の者だった。

 足あとを探るには先頭に立たなければいけないのだから、真っ先に罠の餌食になるのは当然である。


 経験がなくとも、追跡仕事はできなくもなかったが、ただでさえ暗い森で、黒い腐葉土の土に刻まれた僅かばかりの窪みを探して歩くのは、どうしても遅々とした作業になる。

 つまり、隊が持つ捜索能力は、減退しはじめていた。


 それでも、ゴロツキどもの尻を叩いて仕事をさせる事は、もちろん可能だ。

 だが、それで更に何名かの犠牲を出したあと、得られるのは何の変哲もない男の悪魔一匹では、とてもではないが割にあわない。


 喉を潰して犯人に仕立てあげるにしても、それなら怪我をして置いて行かれた雑魚のような悪魔でも十分なわけで、そういった連中は海側ではたくさん捕まっていると聞く。

 わざわざ森の中を逃げ回る手練を選び、多大な手間と犠牲をかけて捕まえる必要はない。


「もちろん、追え」


 が、ピーノックの返答は無情だった。


「教皇領のパラッツォ卿から直々に申し付けられた仕事だ。ザイード王子の期待は大きい。兵の十人や二十人、構うものか」


「ですが、先ほど申し上げましたとおり、その悪魔はただの脱走兵である可能性が高く……」

「ただの兵の話など、どれだけ信じられるか分かったものではない。それに、本物でなくとも、一匹くらい捕らえなければ、こちらも面目が立たぬのだ。サンジャの隊は人っ子一人見つけておらんのだから……。そうだったな」

「……はい」


 普通の人間であれば、歩きにくいに決まっている森を、わざわざ歩いたりはしない。

 先の戦場では、シヤルタの援軍がしっかりと殿しんがりを担当したこともあり、退却はおおむね整然としており、蜘蛛の子を散らしたような騒ぎにはならなかった。


 捜索範囲の半分を担当してるサンジャの隊は、見事に一人も捕まえていなかったし、逃亡する者を発見してもいなかった。

 見つけたのは、家で自害している老人くらいのものだ。


「そういうことであれば、了解しました」


 だが、ピーノックの理屈にも、理がないわけではない。

 カンカーは頷いた。


「それでは、頑張ってくれたまえ。解散」



 ***



 カンカーは、その日のうちに馬を飛ばして部隊に戻った。


 ツギハギの天幕が一つ張ってあるだけの小さい野営地に、数人の痩せた伝令と、二人の五十人隊長がいた。

 痩せた、というのは、長距離を走るに適した、という意味で、やせ衰えているという意味ではない。


 通常、伝令というのは、無事に任務を果たすために、馬術の腕を求められるものだが、森のなかでは役に立たない。

 代わりに必要とされるのは、森の中を走り抜ける体力だった。

 なので、カンカーは長距離走が得意な人間を選抜し、伝令に仕立てあげていた。


 カンカーが到着すると、全員が椅子から立ち上がり立礼をした。


「休め」


 と短く言うと、全員が楽な体勢をとった。

 椅子に座る者もいる。


「ピーノック様は例の長耳を捕らえて欲しいそうだ」

「うへぇ……」


 聞こえないくらいの小声でそう言ったのは、五十人隊長の一人だった。

 ここ数日で何度か合議をしていたが、彼の意見からすると、目標の長耳二人はもう既に、海沿いに出て敵王都に隠れてしまっている。


 なので、こんな森を捜索する担当になったのは、つまりは最初から貧乏くじであり、労のみ多く益の少ない仕事なのであった。


 カンカーからしてみれば、そうとは限らないではないか。という考えがあったが、そういう結論に至ってしまうのは、浅慮とは思うが理解できないこともなかった。

 そして、そういう考えでいるのであれば、あくまで捕まえろという命令について、うんざりする気持ちになるのも当然であろう。


「安心しろ。私が直接指揮をとる」

「え?」

「意気消沈の軍では、どうせ捕まえきれない。お前たちの中から使える連中を集めて私が貰う。お前たちは……あとは適当にやってくれればいい」

「何人ほどですか?」


「それぞれ五人程度でいい。もちろん、足跡を追える者は優先的に差し出せ。お前たちは、引き続きで追っていけばよい。私は例の一人だけを追う」

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