第99話 火のない森

「戻ったぞ」


 そう声をかけた。

 キャロルは、前にいた木の影に、今も無事に座っていた。


「……うん」


 余程心配していたのか、キャロルはほっとしたような、気疲れしたような顔で俺を見上げた。


「話はあとにしよう。今日はもう少し歩く」


 そう言って、俺は置いていった荷物のところで、さくさくと荷物を整理した。

 先ほど奪った連中のバッグは、いわゆる背嚢型で、作りはともかく、歩くにはこちらを使ったほうが便利そうだ。


 余分な荷物を切り詰めるために、幾らか不必要なものを捨てた。

 幸いなことに、連中は剣先型の手スコップを持っていたので、要らないものは軽く掘った穴に埋めて、土をかぶせた。


 それにしても、矢を掴めるとはな。

 作りの悪い短弓から出た初速の遅い矢だったとはいえ、自分でもビビった。

 人間、追い詰められるととんでもない事ができるもんだ。


 でも手にササクレが刺さって痛いから、次からは普通に避けたほうがいいな。

 掴まんでも頬切られるくらいで済んでた矢だったし。


「さて、行くか」


 背嚢を前かけに下げて、腰帯をギュっと絞ると、キャロルのほうに背中を向けてしゃがんだ。



 ***



 日が暮れ始めると、俺は適当なところでキャロルを降ろした。


「晩飯は多めに食おう」


 二人は長期行軍を予定していたのか、背嚢はけっこう重かった。

 中には当然、保存食がたくさん入っており、今朝までは軽く飢えに苦しむありさまだったのに、今は食料の重さが辛いほどだ。


「あれ、火はおこさないのか?」

「もう追いつかれたからな。火を焚くのは怖い」


 焚き火の光は遠くからでも見える。

 俺と敵が逆の立場だったら、焚き火をしているのを発見したら、仲間を呼んで囲み、夜を待って包み込むように奇襲するだろう。


 その時俺は、焚き火をしていたその場で眠りこくっている。

 キャロルは起きているかも知れないが、どのみちその状態からキャロルを連れて囲いを突破するのは不可能だ。


「そうか。仕方がないな」


 キャロルは抗弁することもなく納得した。


 火の温かみが味わえないというのは辛いことだ。

 パン一つとっても、火で軽く焼いて温めなおすだけで、香ばしく美味しく食べられる。


「すまんな」

「謝らないでくれ。謝る必要がない」

「……ああ。そうだな」


 そうだった。

 すまない、というのも変な話だ。


「まあ、飯を食べたら、さっさと寝よう」

「それより、今日の話がまだだ。なんの話も聞いてないぞ」


 そうだった。

 とにかく距離を稼ぐのが先決と思っていたので、まだ喋っていなかった。

 気になっていただろうに、途中で聞いたりしてこなかったのは、キャロルなりに状況を理解していたからだろう。


「食いながら話すか……」


 と、俺は濡れてない地面に腰を下ろした。

 キャロルのすぐ隣で、一応は声を潜め気味に話す。


「そうだな、時間はあるし最初から話そう。まず、俺は不意打ちで一人殺して、もう一人いたから、そっちは取り押さえた。居たのは二人だ」


 使ったのは、今はキャロルが持っている松葉杖だ。

 いくら細い槍とはいっても、その柄は人を殴ったくらいで折れるほど弱くなく、普通に武器になる。


「そう、か……」

「そんで、そっちのほうはまだ生きていたようだから、話を聞いたんだ」

「うん、それで、そいつは話したのか?」


「ああ。連中は千人体制で俺たちを追ってるらしい」

「えっ」


 と、キャロルは一瞬持っていたパンを落としそうになった。

 ショックな情報だったのだろう。

 俺も、これ聞いた時は絶句しかけたからな。


「だけど、六百人は別のところを探している。リフォルムに直行したと思ったんだな。海岸線沿いを探索しているらしい」

「あっ、そうか……」


「そうだ。俺たちはとりあえずニッカ村を目指しているが、連中はそんな村に向かう理由があることを知らない。海沿いを選ばなくて正解だったな」


 この国の海沿いは入り組んでいるが、シヤルタ山の背側のフィヨルド地帯のように切りたっているわけではない。

 海岸沿いは木が低く、普通に歩けるし、道路も良く整備されていて、木々の重なった森のなかを踏破するより、歩くのは何倍も楽だ。

 実際、海岸沿いを歩いてリフォルムまで行くことも考えたが、危険なのでやめた。


 俺一人であったら、急げば敵よりも早く歩ける自信があるので、確実にそちらを選んだだろう。

 だが、キャロルを背負っていくのであれば、追いつかれることを前提に行動を考えなければならない。


 結果的にではあるが、判断は正解だったわけだ。

 あちらを選んでいたら、今頃は六百人のローラー作戦で轢き殺されていただろう。


「それで……その、こちらのことはバレているのか?」

「俺が作った死体には引っかからなかったらしいな。足あとは追ってきたようだ。一応、都合のいい嘘は吹き込んでおいたが」


 あいつが生き残るかどうかも判らんしな。

 司令官クラスに拾われて嘘を信じこませてくれるのが一番いいが。


 それで、二人がかりの介助を受けて、後方に引っ込んでくれれば最高だ。

 それでも二百人から三人減るだけだが。


「先入観からか、連中は二人で一緒に行動していると思っている」

「? 実際に二人だろう」


 そりゃそうなんだが。


「お前が怪我をしてるってのは、夢にも思ってないってことさ。俺たちは特殊な事情を抱えて行動してる。その事情が解らないってことは、俺たちの行動を予想できないってことだ。向こうが合理的に推測しても、俺たちの実際の行動とは咬み合わない。こいつはでかい」


 こちらは何も努力せず、向こうの洞察は的外れになるわけだ。

 まさか人間一人背負いながら歩いている、なんて想像はできないだろうしな。


「そうなのか?」

 キャロルはなんだか腑に落ちないらしい。

「ま、いいさ。今日は良いことばかり起きた。少なくとも、明日食う飯の心配はしなくてよくなったわけだからな」


 悪い情報は入ってきたが、悪い事が起きたわけではない。

 元々の周辺状況が知れただけだ。


 無理にでも気分を明るくしていかないとな。


「早く食って寝よう。焚き火がないなら、どちらか起きている必要もない」


 夜の森で自由自在に行動できるような、王剣のような連中が追っているなら、どうせ駄目だろうしな。

 それに、キャロルには昼間も気を張っていてほしい。



 ***



 食事を終えると、俺とキャロルは同じ木のねもとで別々に油紙を羽織った。


 今夜は、やけに闇が深い。

 一昨日が新月だったから、今日は三日月か……。

 そりゃ暗いか……。


 焚き火がないと、本当に夜に包まれている気がする。

 特に、森の中では……。

 それに、寒い。

 あんな焚き火でも、有ると無いとでは全然違うんだな……。


 寒さが骨身に染みる。

 今年の冬は特に寒かったとはいえ……今日は特に冷える……。

 痛みを覚えた足が、疲労をそのまま凍りつかせたように、温かみを失っている。


 今日は眠れないかもしれないな。

 しかし、今日くらいは眠らなくてもいけそうだが、明日以降も続けていけるのだろうか……。

 村に着くまでに限ってさえも、まだ三日か四日はかかるのに……。


 ウオォォォオォォン――――……。


 ああ、狼の遠吠えだ。


 ゴソッ、と隣で紙の擦れる音がした。

 まだ起きていたようだ。


 いや、起きてるよな。

 疲れきっている俺でさえ、眠れないのだから……。


「……狼を心配しているなら、大丈夫だぞ」

「……ん」

「一人殺したときに血を流したから、狼は向こうに行くよ」


 首の骨を折ったほうは、首のうしろに刃を入れてから頸動脈を切った。

 心臓が動いていたから、どくどくと血が流れていた。

 匂いをたどる狼は、あちらに向かうだろう。


「いや……寒くて」

「あぁ、そうか……そうだよな」


 やっぱり明日からは火を焚いたほうがいいか……。

 いくら危険でも……。


「あの……くっついて寝ない、か? そうすれば暖かい……かもしれない」


 ………は?

 ボーっとした頭で、何を馬鹿なことを言ってるんだこいつは。と考える。


 だが、否定する要素が浮かばなかった。

 冬山でも遭難した時はくっつき合うものだ。


 むしろ、なんで今までその発想がなかったんだろう。

 無意識が堰き止めていたのだろうか。


「いいぞ……その、お前さえよければ、だが」

「私は構わない」

「そうか……」

「じゃ、じゃあ……そっちにいくぞ……」


 キャロルはそう言うと、隣でゴソゴソと動き始めた。

 何をするつもりだろう。

 暗闇でなにも見えない。


 俺は自分が羽織っていたポンチョ型の油紙を脱いだ。

 荷物を背負ったままでも被って歩けるように、だいぶ大きく作ってはあるが、二人は入れるだろうか……。


 キャロルは手探りで俺の肩に触れた。

 横に並んでくっつくのかと思ったら、膝に手を置き、俺の正面に回った。


「膝を開いてくれ」

「あ、ああ」


 ボーっとした頭で、体育座りをしていた膝を開くと、両膝に手を置いて、キャロルの身体が入ってきた。

 背中がとすんと俺の胸板にぶつかる。


 俺は油紙をかぶった。

 大きめの油紙は、どうにか二人分の身体を覆う。

 キャロルは、自分の油紙は脱いできたらしい。


 キャロルの身体は、まるで体温を感じられないほど冷たかった。

 体の芯まで冷えきっているのか、胸に抱いても温かみが感じられない。


 手探りでキャロルの手を握ると、冷えた鉄でも握っているかのように冷たかった。

 冷えきっていると思っていた俺の手のほうが、まだあたたかい。


 空気が乾燥しているせいか、キャロルの手には水気もなく、カサついていた。

 しかし、こうして手を繋いでいれば、そのうち温かくなるだろう。


「ふう……」

 キャロルは人心地ついたように息を漏らした。

「温かい。最初からこうしていればよかったかもな」

 ぎゅっと手を握り返してくる。


「こういうのは良くない」

 よくない。

「なんでだ? 嫌か?」

「お前の将来の夫に悪い」


「プッ……クククッ、フフフフフッ」

 キャロルは笑いを噛み殺すように笑った。

「こ、こんな状況で、将来の夫か。フフフッ……」


「おかしいか」

「ああ、そんなの気にするな。生き残っての物種だろう」


 それはそうなんだけどな。


 しかし、俺も煩悩を断ったブッダのような人間ではないわけで、この状況には何かしら感じるものがあるわけで。

 キャロルが豚みたいな女だったりとか、臭いがひどかったりするなら別だが、自分の体臭も酷い今では芳しい臭いのように感じるし。


 まあ、今日は疲れきってるから、性欲以前に休みたい、眠りたい、のほうが大きいから良いが。


「そうだが、こんなことは男にしないほうがいい。こんな状況だから仕方がないが」

「お前じゃなかったらしないよ。気持ち悪い」


 ………えーーっと。


「……寝るか」


 俺は苦し紛れにそう言った。


「そうだな……」

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