第93話 遭難初日(前)


 竜騎士ドラゴンライダーの持ち物から必要なものを拝借すると、俺はキャロルのところへ戻った。

 竜騎士が自分で竜から降ろしたらしい荷物に、短弓と矢があるのが意外だった。


 あちらには上空で弓を射るなどという文化があるのだろうか。


 短弓と矢は特に代わり映えしないものだが、矢入れのほうは少し特殊だ。

 

 ほぼ筒状になっているが、乱高下や空中反転を考慮してか、矢が滑り落ちないように、入り口にバネ仕掛けの抑えがついていて、筒の中の矢を片側に押しつけるようになっている。


 矢入れには、矢が五本ほど入っていた。

 内二本の長さが突出して長く、引き抜いて調べてみると、先端に矢尻がついていなかった。


 矢尻の代わりに、木でできた紡錘ぼうすい型の物体がついている。

 鏑矢かぶらやだ。

 これを射放つと先端についた木のかぶらに空気が通り、甲高い音がする。


 用途は、俺たちが使っているホイッスルとあまり変わらないだろう。

 空中での連絡用だ。


 シヤルタで通常使われる鏑矢には、鏑の先端に更に簡易な矢尻がついていることが多いが、友軍の頭上で使う場合を想定しているのか、矢尻はついておらず丸いままだった。


 鏑矢の他にも、三本は普通の矢があるので、地上に矢を放って攻撃することもあるのかもしれない。


「だ、大丈夫か?」


 と、キャロルはなんだかオドオドしながら聞いてきた。


「なにがだ?」

「顔色が……真っ青まっさおだ」


 ……ああ、そうなのか。

 顔色が悪いのか。


「……大丈夫だ。人を殺したのは初めてだったから、多少気が滅入ってるんだろ。それより、お前の体調はどうなんだ」

「う、うん……具合が悪いのは足だけだ。他は……問題ない」


 それならよかった。

 いや良くはないが、「頭が酷く痛くてめまいがする……」などと言われたら、脳挫傷かなんかを疑わなきゃならんからな。

 できれば足ではなく腕の故障にしてほしかったが、贅沢もいえない。


「そうか。一応言っておくが、鎧のたぐいは脱がなくていい。暫くはそのまま背負っていく」

「そうなのか?」


 キャロルは不思議そうだった。


「追手にお前が王族だということは知られたくない。その鎧には、王族の紋がガッツリ描かれてるだろ。捨てるにしても、ここから大分離れたところに捨てる。今、晴嵐の鞍にある紋も削っておく」


 少しくらいなら鞍を持って歩いてもいいが、鞍がついていなかったら、さすがに不審だろう。

 それは避けたかった。


 追手側がシヤルタ王家の紋を知っているとは限らないが、なんといっても王家の紋章なので、知っていてもまったくおかしくない。

 俺の鞍のほうは、前の経験からホウ家の紋のついていないものにしたので、星屑が調査されたとしても問題はない。


 俺は、晴嵐の死体に近づき、てっとり早く鞍から紋章を削った。

 ついでに、風切羽を引き抜く。


 星屑のものも取ったが、愛鷲の風切羽を保存しておくのは、王鷲乗りの伝統的な風習だ。

 遺骨というか、写真のようなものだ。

 飾っておき、後々見て思い出にひたる。

 ルークもよくそうしていた。


 俺は安全帯を一部取り外し、積載バッグを肩から下げられるショルダーバッグにすると、キャロルのものと俺のものを、交差するように二つ両肩にかけた。

 もともとそういう変換ができるように金具が付けられているので、何の問題もない。

 携行品は量が少なく、それほど重くないが、少し重量を感じる。


「弓と矢を肩にかけておいてくれ。槍も持てるか?」


 竜騎士ドラゴンライダーから奪った弓と矢筒を、キャロルに渡した。

 ついでに槍も持たせる。


 キャロルは、何も言わずに弓を腕に通し、矢筒を背負った。

 槍を手に握る。


「行くぞ」


 俺はキャロルの目の前で、しゃがみこんだ。


「……本当にいいのか?」

 キャロルが遠慮がちに言う。


「さっさとしろ」


 俺がそう言うと、キャロルは俺の首に腕を回し、一本の槍を肩越しに両手で持って、背中に体を預けてきた。

 片足が使えるのだから、これくらいは難しくないのだろう。


 キャロルの膝の裏に腕を回し、引きつけるようにグッと立ち上がる。


 ズシッ……という重みを感じた。

 軽いといっても、大型のザックくらいの重さはある。

 腰と骨盤の痛みは、やはり一過性の神経痛だったのか、痛みは僅かなのが救いだった。


 重いことには重いが、すぐにも膝を屈しそうな感じはしない。

 行けそうだ。


「行けそうだ」


 口に出してみると、わりと大丈夫だった。

 当然のことを口にした、という感じがする。


 駄目なときに虚勢を張ってこういうことを言うと、心が折れる感じがするから、本当に大丈夫なのだろう。

 大丈夫のはずだ。


 俺はまだ生きている竜に一瞥をくれると、その場を立ち去った。



 ***



 歩き始めたのが午後の四時頃で、二時間ほど歩いただろうか。

 六時になった時、さすがに限界を感じて、俺は野営することにした。


「ここに泊まろう」


 適当に開けた場所を選ぶと、俺はキャロルを下ろし、野宿の用意を整えはじめる。


「ちょっと待ってろ。枝を拾ってくる」

「……わかった」


 若干不安そうなキャロルを残し、俺は枝拾いに向かった。

 身軽になった体で、枯れ枝を拾い集めてゆく。

 それから、木に登って、なるべく真っ直ぐなものを選び、生枝を幾つか採った。


 キャロルのところに戻ると、なんだか俺を見て安心したような顔をしていた。


「なんだ、帰ってこないとでも思ったのか?」

「いや……そうじゃない」


 違うらしい。

 猛獣に襲われるとでも思ったのだろうか。


 木を簡単に組んで、火を付けて焚き火をおこした。

 ライターが無事で助かった。

 火付けの手順が丸きり省略できてしまうのは、サバイバルでは本当に助かる。


「足を出せ。楽なようにしてやる」

「……うん」


 キャロルは素直に足を出した。

 俺はキャロルが履いていた靴を脱がせる。

 右足の足首が赤くなっており、かなり腫れていた。

 だが、足首の位置がわからないといったような派手な腫れ方ではない。


「ウッ」


 痛みを感じたのか、キャロルは悲鳴を漏らした。

 歩いている最中も、右足が木にぶつかるたびに痛そうにしていたからな。

 余程痛いのだろう。


 しかし、足首か……。

 乗馬靴のような靴と違って、乗る体勢の都合上、鷲乗りの靴は足首に自由が効くようになっている。

 足首が完全に固定された長靴であれば、こんな風にはならなかったのだろうが……。


 俺は、しなりのある生木の表皮を削り、何本か横に並べ、丈夫な糸で結んで板状にすると、それを靴のかかとに合わせた。

 キャロルの靴は、靴底からアキレス腱あたりまでが、直角に曲げた薄い木でできていて、しなるようになっている。

 そのまま当て木の一部にできるだろう。


 靴紐を解いて、再びキャロルの足を靴に入れると、靴ひもを固く結んだ。

 竜騎士ドラゴンライダーの荷物からいただいてきた服を破り、短い包帯を作って、足首のL字の部分をしっかりと結んだ。

 続けて、腿も固定する。


「こんなもんか……どうだ、痛いか」


 俺はキャロルのつま先を持って、ぐりぐりと円を書くように力を入れてみる。

 当て木が効いているらしく、足首は動かなかった。


「いや、痛くない……すごいな」


 キャロルは、なんだかきょとんとしていた。

 あまりに治療が簡単に終わったので、拍子抜けしたらしい。


「メシにしよう」

「うん、そうだな」

「あいつら、パンを持ってた。とりあえず今日はこれが晩メシだ」


 俺は、竜騎士の荷物から拝借したパンをキャロルに渡した。


 空をとぶのにパンを持っていくとは恐れ入る思いがしたが、助かることには助かった。

 一応、鷲乗りも干し肉やカロリーの高い炒った豆くらいは持っていく時はあるが、嵩張るパンを持っていく奴はいない。


 パンを渡したものの、キャロルは食べ始める様子がなかった。


「どうしたんだ、食わないのか」

「う、うん……えっと」


 キャロルは少し困ったような顔をしていた。

 ああ……なんとなく解った。

 俺に遠慮しているのか。


「俺のことは気にするな。食欲がちょっとないんだ」

「……どうしたんだ? これからのことが心配なのか?」


 ……??


 ああ、そうか。

 心配で食事も喉に通らないってこともあるか……。


「いや、情けない話だが、人を殺したせいで腹がどうにかなってるらしい」


 自分でも驚くことだが、どうも俺は人殺しにショックを受けているらしかった。


 歩いているあいだじゅう、これから先の計画を練るでもなく、団の行動に思いを馳せるでもなく、名も知らぬあの男を殺した時の岩の重さ、男の顔、叩き潰されたあとの顔、耳を切り取った時の感触を、繰り返し思い返していた。


 そのせいでハラワタが重く、沈黙しているように動きがない。


「そうか……すまないな、私のせいで」


 ……?

 私のせい?


「なんでだ?」

「えっ」

「いや、なんでお前のせいなんだ?」


 そう考えたくなる気持ちは、こいつの性格を鑑みれば、判らんでもないが。

 だが、それは全くの間違いだ。


「だって、私が落とされたから……それに、足を折って……」

「落とされたのは俺も同じだろ」

「でも、足を折って、足手まといになっている」

「足を折ったのは、事故みたいなもんだ。俺だって、落下の時に何かをやれたわけじゃない。ただ落ちるまま落ちて、そのあとはしばらく気を失ってたって体たらくだ。お前みたいな怪我をしなかったのは、運が良かっただけだよ」


 一瞬、星屑のことを思い出して、胸にズキ……と痛みが走った。

 俺を守ろうとして下敷きになるよう調整した、と考えるのは、感傷的すぎるだろうか。


 時間が経てば経つほど、想像を働かせてしまう。

 だが、今となっては確かめようがない。


「俺は、安全高度を保てば、敵に鷲を攻撃する手段などない。と高を括っていた。隊から分かれて陣地攻撃をしようなんて考えたのは、敵にこちらを攻撃する方法がないから、絶対に大丈夫と思っていたからだ。絶対に大丈夫なら、ついでに新商品の試用もやってみて、上手く戦果が出たら売って回るのも悪くない。などと思っていた」


 王鷲と駆鳥は、なぜだかクラ人には懐かないし調教もできない。


 そして、両種とも、シャン人奴隷に扱わせることはできない。

 馬より早いので、そのまま逃亡できてしまうからだ。


 人質などを使って逃亡を防止することはできるのかもしれないが、重要な伝令や軍の命運を握る偵察などには、奴隷は危なかしくて使えない。

 虚偽の報告をされる可能性があり、まともな仕事を期待できず、情報を信頼できないからだ。


 だから、これだけ有用な戦場兵器なのに、有史以来クラ人が王鷲や駆鳥を戦場に投入してきたという記録はない。

 記録に残らないほど極少数の前例はあったのかもしれないが、費用対効果の面であまりに馬鹿馬鹿しすぎるのだろう。


 つまり俺は、敵は王鷲を使ってこないのだから大丈夫なのだと、高を括っていた。


「この現状は、俺の無能が招いた結果だ。最近、色々と上手く行っていたから、調子に乗ってた。なんのことはない。俺が一番戦場を舐めてたんだ」


 火炎瓶爆撃については、俺としてはとてつもなく将来性のある戦術だと思っているので、実戦運用の試用を焦っていた部分もある。

 戦功があり、有用性が認められ、大々的に各将家に採用されることがあれば、次の戦争では戦況をだいぶ優位に進めることができると見ていた。


 だが、少なくともキャロルという重要人物を連れての作戦中に行うべき冒険ではなかった。


「それは違う。竜はお前の別動がなくても私達を襲っていただろう。それに、数分の間お前が離れた間に、あんなことが起こるとは誰も思わない」


 あっちからしてみりゃ、ちょうどよく半分に別れたから片方を襲ったんだろうけどな。


 別れなくても遅かれ早かれ襲われていただろうし、そうなっていたらキャロルは追われて俺が刺していただろう。

 そのことに違いはない。


「私はお前に指揮を委ねられたんだ……。だけど、私は襲われると、晴嵐の操作に精一杯で、冷静な指揮ができなかった」


 キャロルは、なにやら責任を感じているらしい。


「いや、あんな竜に狙われてたら、誰だって指揮なんかできないさ」


 俺だって無理だ。

 複雑な空中機動マニューバをこなしていたら、手一杯で指揮なんてできないし、僚騎のほうも何を指示してんのかわかんないだろう。


「まあ独断で一目散に逃げるべきだったとは思うが、そうしたら俺たちの方が襲われていてもおかしくなかったしな」

「だが……お前だったら襲われてもなんとかできていたんじゃないか」


 なんでだよ。


「俺が竜を仕留められたのは、竜に対して高所を取れたからだ。火炎瓶を投下してから上昇する最中、速度を失ってる時に襲われていたら、幾らなんでもひとたまりもなかった。お前の判断も悪くはない。お前がマトになったお陰で、結果的に現在のところ死者もないわけだしな」


 状況は最悪とはいえ、結果的に死者はでていないのだ。

 今のところは。


 責任があるとすれば、まず責任者であるところの俺で、次点で晴嵐が疲れきる前に俺の役目を代わりにやるべきであったであろうリャオで、その次は、この計画をやらせた女王陛下だろう。

 キャロルが悪かったとすれば、一目散に逃げなかったところと、特徴的な髪を露わにしていたところだ。

 おそらく竜騎士のほうは、それを見てキャロルを執拗に狙うことに決めたんだろうし。


 だが、髪については、そちらのほうが士気があがると思い、咎めなかった俺も悪い。


「私を庇っているなら、そんなのは……」


 庇うとか。


「お前は足を怪我したから、それを気に病んでるだけだろ。偶然起きたことの理由探しなんかしても、こじつけしか出てこないぞ」

「うん……」

「それより、さっさと食えよ。怪我が治らない」


 キャロルは、さっきからパンを口に運んでいなかった。


「……ユーリは食べないのか? 吐いてしまいそうなら、仕方がないが……」

「いや、食ったら吐くってほどではないんだが」

「だったら、少しでも食べたほうがいい……と思う」


 心配そうに言ってくる。

 まあ、確かにな。


「じゃあ、ちょっと口に入れておくか」

「うん」


 キャロルは、自分のパンを半分にちぎって、片方を差し出してきた。

 別にそれをくれなくても良かったのだが。

 俺は食欲がないからいいが、キャロルのほうはパン半分では腹がへるだろうに。


「それはお前の分なんだが」

「いいんだ。私も腹はあまり減っていないから」


 そんなわけはないだろう。

 俺のほうがたくさん動いたから、俺より多いメシを食うということに、気後れしているのか。


「じゃあ、貰うよ」


 俺はパンを受け取ると、端を少し囓った。

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