第94話 遭難初日(後)

「しかし、あの竜はなんだったんだろうな……」


 パンを少しづつ噛みながら、キャロルが言う。


「わからん。おまえ、竜がシャン人との戦争に使われた、なんて聞いたことあるか?」


 俺が知らないだけなのかもしれないので、一応聞いてみた。

 国内史については、古代シャン語が達者なキャロルのほうが詳しい。


「いや、聞いたことはない」


 やっぱり、前例はないらしい。


「そうか……」

「あれは一体どういう生き物なんだ? 聞いたことはあるが、実際にこの目で見ることがあるとは思わなかった」


 キャロルが知らないのも無理はない。


 竜というのは、この世界でいうと、北アフリカから中東にかけて生息する爬虫類だ。

 温暖な乾燥地帯を好み、卵から人の手で育てることで、調教することができる。


 クルルアーン竜帝国という国と、エンターク竜王国という国で主に飼育され、王鷲と同じように、動物兵器として用いられる。


 歴史言語学に詳しいイーサ先生によると、シャン語における「竜」という単語は、古代ニグロスで使われていたトット語からの借用語であるらしい。


 そのことからも解るとおり、竜はシャン人にとって常に遠い存在だった。

 生息域が全く重ならず、クルルアーン竜帝国とエンターク竜王国という国は、ココルル教という宗教を信仰しているので、十字軍に参加することもなく、というかむしろ十字軍と喧嘩をする側だったので、お互いまみえる機会がなかった。


 わりと有名な本として「龍王記」という本があり、これは千年ほど前に書かれた、クルルアーン竜帝国の初代竜王アナンタ一世の伝記だが、創作混じりの英雄冒険譚の色彩があって、エンターテイメント染みていて面白い。

 これにはシャン語の翻訳もあるので、それを読んでいる人は、竜の存在をお伽話的に知っている。

 逆に言えば、その程度の存在だ。


 俺は物知りのイーサ先生から色々聞いたから、竜の生態については詳しいが、キャロルは知るまい。


「動物には自分から熱を出して、体温がほとんど一定のものと、外気温に体温が左右されるものがいる」


 パンを噛みながら、俺は焚き火に小枝を投げいれた。

 どうせ眠れそうにないから、雑談に興じるのもいいだろう。


「自ら熱を出さないぶん、メシが少なくて済むわけだ。だが、代わりに体の活性が外気温に大きく左右されるという弱みがある。夏は元気でも、冬には元気がない。昼間は動けるが、夜にはまともに動けない。そういった弱みがあるんだが、メシが少なくて済むのは、それを補って余りある強みになる。夜動けなくても、十分の一しか狩りをしなくても生きられるのであれば、十分したたかな生き物だろう」


「そうだな、確かに……」とつぶやいた後「あっ、それが竜なんだな」

 とキャロルは言った。


「そうだ。例えば馬なんかは、温かい南から寒い北に移動したところで、たいした問題はない。だが竜は違う。こんな北に連れてきて、大丈夫なはずがない」


 変温動物といっても、全く体温を出さないわけではない。

 筋肉を動かせば、どうやったって発熱はする。

 人間が運動をして体温が上がる、それと同じ意味での発熱は変わらずある。


 なので、北まで飛んで移動する。ということは、不可能ではないだろう。

 飛んでいる間に筋肉が躍動していれば、体はポカポカと温かいはずだ。


 だが、北の環境に適応できるわけではない。

 本来生息する環境と極端に気候が違うのだから、こんな北の地で長期間元気で居られるようには、できていないはずだ。


 例えば朝、日も差さぬ曇天の日に、体が冷めてしまった状態から、どうやって活性を取り戻すのだろうか。

 南の地であれば、ここより余程温かいし、しばらく朝日を浴びて日光浴をすれば、体温を取り戻すことは容易だろう。

 だが、この地ではそうはいかない。


 俺も、爬虫類の生態について詳しいわけではないが、かなりの無茶であったことは間違いないはずだ。


「だから前例がなかったわけか。だけど……今回は連れてきた」

「まあ、かなり無理をしたんだろうな。例えば、夜は竜を陣幕の中にいれて、その中で常に火を焚いて温度を上げておくとか……」


 超VIP待遇で、物凄いコストがかかるだろうが、それくらいしか考えられん。

 そうでなければ、一つ二つどころではない前例が既に存在していなければおかしい。


「来たのは一匹だけだったのかな?」

「そうだろうな。二匹竜がいるのなら、二匹同時に使うはずだろうし……。それに、俺が墜ちたあとの観戦隊は、のんびりと空を飛んでいた。予備がいれば、連中を襲うだろう」


 他は途中で死んだとか、病気で動けなかったとか、いろいろ考えられるが……そのへんは、考えてもしょうがない。


 俺は枯れ枝をまた一本、焚き火に投げいれた。


 よくよく考えれば、あんとき戦った竜も、本調子ではなかったのかもな……。

 それでも、こちらは為す術もなく蹴散らされていたわけだが……。


 居ると知っていたら幾らでも対策は練れたが、あんなものがいるとは想像だにしていなかった。


「そうか……」

「……前回、連中は王鷲にしてやられたからな。鷲を打ち落とすために持ってきたのか、あちらには鷲がいるが、こちらには竜がいるってことで兵を鼓舞する狙いがあったのか……。どちらにせよ、俺たちは貧乏クジを引いちまったな」


 竜がいる、なんていう報告があったのであれば、リャオ経由で届いているはずだから、隠し球ということで、向こうも決戦まで厳重に秘匿しておいたんだろう。

 それでもあんな大きいもん、偵察で見つけろよとは思うが。


「だけど、おまえが仕留めたのだから、無駄ではなかった……軍本体が混乱させられることは避けられた」


 ポジティブシンキングだな。

 ……まあ、そういう考え方もあるか。


「決戦では負けたらしいから、なんとも言えないがな。それでも、俺たちが引きつけていなかったら、軍本体を援護して、どうせ敗けたにしろ出血をより強いたということにはなるかもしれない」


 俺は気休めを言った。

 こうやって、キャロルが命の危険に晒されているわけなのだから、成果があった所でリスクに見合わないとは思うが……。


 気休めとはいえ、こんな状況ではあればあるほどいい。

 心が折れてしまえば、そこで終わりなのだから。


「でも、墜とされたあと、おまえが来てくれてよかった」


 キャロルは、俺が来たときのことを思い出しでもしたのか、なんだかホッとした表情をしていた。

 あんときは絶体絶命のピンチって感じだったから、そりゃホッとしただろう。


「あんまり遅くなったら、寂しがると思ったからな」


 もうちょっと遅かったら、キャロルは首を突いて死んでいたかもしれなかった。

 実際、割りとマジで危ないところだったんだよな。


「うん……私も、おまえが助けに来てくれないかな、と思っていた。私が生きているのに、おまえが同じような状況で死ぬとは思えなかったし……」


「俺は、どうか無事でいてくれよと祈っていた」

「そうか……私を心配してくれていたのか?」


「いや、自分のことだよ。俺は、お前が殺してやったほうが楽な状態になっていたらどうしようかと思った。頭が半分潰れて、虫の息だったりとか、そういう状態だ。それが俺の考える最悪の事態だった。それに比べりゃ、今の状況は天国だ」


 本当にな。


 そんなことになっていたら、俺は精神的に参ってしまって逃げるどころではなくなったかもしれない。

 それを考えれば、今こうして話をしているのも、奇跡的な幸運の賜物のように思えてくる。


「そうだな……そんなことにならなくてよかった。お前は気に病むだろうから」

「気に病むどころじゃねえよ。立ちつくして一日くらい泣いてたかもしれん」


「えっ」

 キャロルはビックリした様子でポカンと口を開いた。


「なんだ?」

「い、いや……お前がそんな風になる姿を想像できなくて……」

 こいつ、俺をなんだと思ってやがる。


「死のうが怪我しようがどうでもいいような奴だったら、そもそも助けにこないだろ」

「そうか……そうだよな」


 キャロルはなぜか幸せそうだ。


 これがドッラあたりだったらどうだったろうな。

 怪我しただぁ? それは災難だったな。

 まあ頑張れ、お前なら怪我くらい一日で治るだろ。じゃあ俺は行くから。


 そんな感じかな。

 いやそれは酷すぎるか。

 でも、あいつだったら一人で残しておいても、来年あたり帰ってきそうだ。


「もう寝ろ。明日は朝が早い」

「……うん」

「下に敷けるようなものはないが……これを羽織って寝れば、多少違うだろ」


 と、俺は自分のバッグから油紙を取り出した。

 厚めの丈夫な紙に、蜜蝋と揮発油を混ぜたものを滲ませたもので、開くとポンチョのようになっている。


 合羽として売り物にしているものだが、非常に軽量で邪魔にならず、何かと便利なので、隊費で全員分買って、全員に持たせた。

 リャオの荷物から失敬したものと、俺とキャロルの分で、今のところ三枚ある。


 背中に荷を背負った上から羽織ることを前提にしているので、かなり大きく作られている。

 首のところは、普通の服のようにスリットがついて、ボタンで止められるようになっていた。

 本来眠る時に着るものではないが、破れてしまっても予備があるのは心強い。


 俺もこれを被って寝たことがあるが、やはり空気を通しにくい素材なので、多少の断熱性がある。

 もちろん、綿いりの布団などとは違い、季節相応の着衣をしていることが前提ではあるが。


 キャロルは油紙の合羽を受け取った。


「……お前は寝ないのか?」

 と訊いてきた。

「俺はちょっとやることがある。それから寝るよ」


 やることがあるのは本当だが、実際の所、どうにも眠れそうになかった。


 星屑と竜乗りを殺した件で興奮でもしているのか、疲れているはずなのに、眠気がまったくやってこない。

 頭が冴えているわけでもなく、グルグルと益体もない考えが頭を巡ってしまうというわけでもない。

 頭のなかに重苦しさがとばりのようにかかり、まるで喪に服しているように魯鈍だった。


「そうか……じゃあ、先に眠らせてもらうよ」

「ああ」


 そうしてくれると助かる。

 キャロルは背負われているだけだが、眠っているのと起きているのとでは、俺が感じる重さが違う。

 昼は起きていて貰わないとならないし、そもそも良く眠ったほうが足の治りが早いだろう。

 捻挫だか肉離れだか骨折だかは判らんが……。


「ユーリ」

 合羽をさっと羽織って寝転んだかと思ったら、キャロルは声をかけてきた。


「ん?」

「今日はありがとうな。本当に助かった……」


 なんだ今更。


「礼なんていい。俺が勝手に助けただけだ」


「フフッ」

 キャロルはたまりかねたように笑った。


「なにを笑っていやがる」

「いや、お前のやさしさが心にしみるよ……ちょっと分かりにくいけど」


 ………。

 一日の間に二つの命を奪った人間が、優しいと言われるとは。

 わからんものだな。


「……さっさと寝ろ」


 俺がそう言うと、キャロルは素直に目を閉じた。

 わずかに、身をすぼめるようによじると、よほど疲れていたのか、十分後には寝息を立てていた。



 ***



 パチリと目を開けると、自分が寝ていたことに気づいた。

 地面に置いた荷物に座ったまま、授業中に居眠りするような恰好で寝ていたらしい。


 見ると、薪は消えてしまっていた。


「ユーリ……もしかして寝なかったのか?」


 と、身を起こしていたキャロルが言った。


 キャロルが起きて、ゴソゴソしていた音で目が覚めたのだ。と、そこで気がついた。

 なんだか順番がチグハグだ。


 もちろん俺は眠っていたが、キャロルは起きていると思っていたらしい。

 よほど石像のような眠り方だったのだろうか。


「いや……お前の音で起きた。いつのまにやら寝ていたらしい」


 何時間くらい寝ていたのだろうか。

 自分でも良く覚えていない。


 ふところから懐中時計を取り出して、蓋を開けて時刻を見る。

 朝の七時頃だった。


 昨夜巻いたので必要はなかったが、一応念の為に竜頭を回し、ぜんまいをいっぱいまで巻き上げた。

 一度止まってしまえば、時刻を合わせる手段がない。


「……大丈夫か?」

 と、キャロルが心配そうに俺の顔をうかがう。


 座ったまま寝ていた俺が、自分が起きたと同時に目を開けたものだから、やはり本当に寝ていたのか気がかりなのだろう。


 俺は懐中時計を懐にしまった。


「大丈夫だ。それより、これを試してみろ」


 と、俺はキャロルに一本の棒を渡した。

 丈夫な木の棒の端に、短い横棒を二つゆい付けてある。

 脇の下の位置と、手のひらの位置だ。


「歩行杖か……こんなものまで作れるのか」

「一本しか作れなかったがな。あったほうがいいだろ。多少移動したい時にな」


 人間には他人に見られたくない……特に異性には見られたくない用事というものがある。

 松葉杖と呼ぶには余りに稚拙な工作だが、これがあれば多少歩けるし、ストレスも軽減されるだろう。


 というか、俺が同じ立場だったら絶対欲しい。


「ありがとう、助かるよ……でも、この棒は……」

「森の中じゃ、文字通り無用の長物だ。そうしたほうがまだいい」


 杖に使った棒は、丁度いい長さで、完全な丸棒の形をしていた。

 この場で急場凌ぎに作れる代物ではない。


 使ったのは、リャオが投げ落とした槍だった。

 それを切って使った。

 人の身長以上もある棒など、横にしても縦にしても、森の中では邪魔でしかない。

 有効利用だろう。


「うん……そうかもな」


 キャロルは、意外にもすんなりと頷いた。

 もうちょっと、騎士の魂をなんだかんだとか言うと思ったが。


「あと、おまえの鎧も、昨晩のうちに埋めさせてもらった」

「そうなのか。手伝えなくてすまなかったな」

「べつにいい」


 どうせ手慰みにやっただけだしな。


「それより、さっさと朝飯を食おう。それとも先に用をたすか?」

「用――って!」


 まるで卑語を言われたように、キャロルは顔を赤くした。

 そういう反応をされると俺のほうも恥ずかしくなるんだが……。


「用をたすって表現があれなら、もっと直接的に言ってもいいが」

「ちょっ――やめろっ」


 やめろと言われても。

 恥ずかしがる気持ちは解るんだが。


「そんな恥ずかしがってたら、俺に背負われてる最中にしたくなった時どうするんだ。いくらなんでも、背中でされたら怒るぞ」

「うっ……」

 キャロルは顔を真っ赤にしたまま下を向いた。


「まあ、杖もあるんだし、してきたいならしてこいよ。あ、そこらへんにはくれぐれも近寄らないようにな」

 俺は昨晩仕掛けを作った場所を指差した。

「うぅ……わかっ、た……」キャロルは消え入りそうな声で言った。「してくる」


 キャロルは杖を頼りにヒョイと立ち上がると、松葉杖を使ってケンケンしながら歩いて行った。

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