第84話 宿営地

「誰もいないのだな」


 隊の宿営地となるニッカ村に降り立つと、キャロルはそう言った。


 確かに、村には人気がなかった。

 外から見る限りはそこらの農村と変わらないのに、どの家にも生活の気配がなく、ゴーストタウンのようだ。


 というか、実際にゴーストタウンだ。


「避難推奨地域だしな」


 避難推奨地域というのは、少し前から制度だけは設定されていた仕組みで、要するに戦争被害を受けると予想された(つまりは敗けた時に真っ先に侵略を受け失陥すると考えられる)地域から、予め住民を避難させておく。という制度だ。

 シヤルタにはそのような制度はまだなく、キルヒナだけにあるが、今年になって初めて宣言がなされ、避難推奨が行われた。

 推奨、というのは、当地を支配している将家に遠慮したもので、現実には住民に向けての勧告ということになる。


 ここは、その避難推奨地域の中であり、住民の避難が済んでいた。


 それでも、ここはまだマシなはずだった。

 ヴェルダン大要塞からも近いが、主要都市への進撃路からは外れている。


 だからここを選んだわけだが、それでも危険なことにはかわりはない。


「それに、リャオとミャロの隊も着いていないようだ」


 予定では、向こうの隊は一日前に到着しているはずであった。

 だが、それはあくまで予定の話だ。


 一週間前には到着しているはずが、まだ到着していない。ということなら問題だが、一日や二日程度は遅れても誤差の範囲内だ。


「向こうはこっちと違って、とんでもない長旅だからな。そうだな、あと三日遅れたら、今どのへんにいるか探ってみるか」

「わかった」

「それより、今晩の宿と飯だ。今度は、世話をしてくれる村民はいないんだからな」


 もちろん、住民はいないのだから、金で雇って飯を作ってもらう、なんてことはできない。

 炊事洗濯は、全部自分たちでしなければならない。


「うん。じゃあ……まずは食料か。確か、食料はある程度確保してあると言っていたな」

「早速、確かめてみるか」


 食料については、ここに寄った時にあらかじめ買い取っておき、たった今から避難する、という住民の家を一つ借りきって、それなりの量を運び込み、鍵をしておいた。


 といっても、鍵などは斧を使えば壊すのは簡単だし、今見たらもう奪われているという可能性もある。


 問題の家に行き、木製の玄関ドアにかかっていた南京錠に鍵をさして回すと、当たり前だがすんなりと開いた。 

 中を見ると、俺が出かけたときのままになっている。

 村の住民から買い入れた、干し肉や穀物など、冬の備えの余りもののようなものがどっさりと積まれていた。


 とりあえず食料はオッケーだ。

 一週間は余裕で持つだろう。


 村の住民は、皆避難しているが、それぞれに小金を持たせて家を借りる許可もとってある。

 寝具の程度はまちまちだろうが、取り敢えず宿に不足はない。

 村長の家で、交代で風呂にはいることもできる。


 条件としては、整いすぎているくらいだ。


「俺ら幹部は村長の家に泊まるからな」

「そうなのか?」

 と、キャロルが首を傾げた。


「村人の集会ができるちょっとした広間がある。会議なんかに便利だ」

「ああ、なるほど」

「さて、それじゃ、泊まる家の割り振りでもするか」



 ***



 その晩になって、ミャロとリャオの隊が到着した。


「よう」


 先頭でカケドリにまたがっていたリャオに挨拶をすると、リャオはひらりとトリから降りた。

 そして、


「いま着いた」

 と、若干疲れた様子で言った。


「ご苦労だったな」

「そっちの鷲が頭の上を飛び越えていったのが、たまたま見えたんでな。急いできた」

「ああ」


 なるほど。

 本当にたまたまだな。

 経路からすると、重なる所があるので、見えても不思議ではないが。


「疲れているだろうが、簡単に報告を聞かせてくれないか」

「ああ。ミャロがやる。すぐ来るだろう」


 言うが早いか、ミャロは後部のほうから列の脇を通って出てきた。

 こっちのほうは、あまり疲れた顔をしていなかったので、少し安心する。

 ホウ家のトリを貸したからだろう。

 これもルークの弟子にあたる調教師が丁寧に育てたトリなので、一般の駆鳥と比べれば数段乗り心地がよい。


「ミャロ、ご苦労だったな」

「はい」

 ミャロは俺の顔を見ると、顔を朗らかに緩ませた。

「報告を聞かせてやってくれ」


「えっと、特に問題という問題はありませんでした。荷の損失も、行軍中の自己消費分を除けば、ありません。旅程が遅れたのは、途中で三つほど通れない道があり、予定の経路より遠回りすることになったからです」


 なるほど。

 若干のトラブルはあって当たり前だから、向こうはほとんど順調な行軍だったと言ってよいだろう。


「そうか。良かった。こちらも、海峡渡りを含めて損失はなかった。ただ、鷲の故障で四人置いてきたが」

「そうですか。仕方ありませんね」


「よし……じゃあ、とりあえず、解散の命令を発して、総員休ませてやってくれ」

「ああ、解った」


 リャオはそう言うと、振り返って大声で命令を発した。


「全員、長旅ご苦労だった! これにて輸送任務を完了とする! 荷を広場の中央まで進め、馬当番を除き、一時解散せよ! 各々、村内にて休んでよし!」


 馬当番なんてものがあるのか、と驚いたが、必要に応じて作ったのだろう。

 考えてみれば、馬は馬車の数だけいるし、その馬をほっとくわけにはいかないもんな。


 給餌と、ヘラで汗を拭ってやるのは最低限の仕事だ。

 また、蹄鉄は出発する前に全頭変えてあるはずだが、足回りの病気を発症していないかは、常に注意を払っておく必要がある。


 リャオの号令を聞くと、段列の連中はめいめいに敬礼をして、整然、とは言わないものの、広間の真ん中へ行進していった。



 ***



 その後、俺たち幹部は村長の家に入り、部屋の一つで話し合いを始めた。


「じゃあ、家割りはこれでいいな。なにか不安はあるか?」

 紙には村内の簡単な地図が書いてある。

 家々には、今は団員の名前が書かれていた。


「やっぱり、炊事が不安といえば不安だな。多少はやってきたとはいえ、パンなんぞは途中で買いためたもんを食ってたからな。ここじゃ、自分で練って焼かなきゃならん」

 とリャオが言う。

「小麦粉を練ればいいんだっけか?」


 小麦粉はどっさりとある。

 小麦粉はあるが、粉のまま食うわけにもいかないので、これはパンか何かにする必要がある。

 だが、作り方を調べてくるのを忘れてしまった。


 どこかにドライイーストがあって、それを混ぜればいい、というのなら簡単だが、そういうわけにもいくまい。

 幼少のころはスズヤが自宅で焼いたパンを食っていたので、作っていたのを見た覚えもあるのだが、スズヤは長男に料理を覚えさせる気はなかったらしく、俺は料理の手伝いなんかはさせられなかった。


「寮母さんに聞いたところによると、ただ練って焼くと、あのお皿のパンになるらしいです」

 ミャロが言った。


「ああ……あれか」


 お皿のパンというのは、ナンみたいなやつだ。

 焼いたものを皿代わりに使う場合もあり、チーズや魚肉を乗っけてオーブンで焼く料理もある。

 ピザなのか、皿にパン生地を使った一種のグラタンなのか、図りかねるような料理だ。

 ミャロは事態を想定していたのか、予め聞いておいてくれたらしい。


「柔らかい、膨らむパンを作るには、お酒を作るときの残りかすに手を加えたものを混ぜ合わせるそうです。でも、簡単にやるには、そうやって作った生地を、焼く前に少しちぎっておいて、それを次のものに足しても良いらしいです」


 ああ、そういう仕組みなのか。

 発酵が済んだパンを一部とりおいていて、どっか冷暗所にでも置いておいて、それを次に混ぜて、菌をうつすわけだ。

 そっちのほうが簡単そうだな。


 といっても、一次発酵とか二次発酵とか聞いたことがあるし、料理についてずぶの素人である俺たちにできることなのだろうか。という疑念もある。

 まあ、その場合は、無発酵パンでもいいだろう。

 あれも、バターや塩をふんだんに使えば、不味いということはない。


「じゃあ、焼く前のパンをどこかから調達してくる必要があるな」

「それは、どうとでもなるだろう。やるなら早いうちがいいだろうが」

 とリャオが言う。


 ここは避難地域のまっただ中なので、子どものお使い感覚で買いに行くことはできないが、鷲を使えば難しいことではない。

 もちろん、枝肉を山程買ってくるというのは重量的に無理があるが、焼く前のパンをいくらか持ってくるくらいのことは、朝飯前だ。


「というか、明後日リフォルムに一度行くからな。その時でいいだろう」


 リャオの駆鳥隊の到着を待つつもりだったが、こうして到着したのだから早いに越したことはない。


「え、そうなのか?」


 と、キャロルがちょっと驚いた顔をしていた。


「挨拶は俺が前に一人できた時にやったからいいんだが、それよりいつ頃戦端が開かれるかを大体のところ知っておかないとな」


 そういう情報は水物なので、いつ始まるか一ヶ月前から決まっている。というような類のものではない。


「ここでパン焼いてる間に肝心の戦争は終わっていて、見逃した。っていうんじゃ洒落にならない」

「私もついていく」


 とキャロルが言う。


「いや、お前は留守番だ」

 と、俺はキャロルを制した。

「お前が行くと、ちょっとした歓迎式典、みたいな話になる恐れがある。相手に気を遣わせすぎる。だから駄目だ」


 そう言うと、キャロルはむっと拗ねたような表情をした。

 だが、他の二人は、まあそうだよな、さもありなん。という顔をしている。


「リャオ、問題がなければお前はついて来い」

 と、リャオに目を向けた。


 残念ながら、ミャロも出自からトラブルになる恐れがある。

 俺の秘書みたいに隣にくっついてるのは誰だ。ホウ領の名家の御曹司か。みたいな話になりかねず「実は魔女家の出です」などと本当のことを言えば、要らぬ誤解を招きかねない。

 嘘をついてもよいが、それも面倒だ。


「解った」

 と、リャオは短く返事をした。



 ***



「リフォルムへ往くのか」


 幹部会議が解散し、村長の家を出ると、どこからともなく声がした。

 聞き覚えがある。


「ああ。キャロルは連れて行かないから安心しろ」


 そちらに振り向くと、家の物陰に王剣の女が、壁に背を預けて立っていた。

 闇と同化している。


「聞いていた」


 さすが王剣、盗み聞きはお手の物といったところか。


「お前は留守番だな」

「そうなる」

 こいつはキャロルの護衛にきているわけだから、キャロルが留守番なら留守番ということになる。

「そういえば、お前鷲には乗れるのか?」


 俺はこいつがどうやってついてきたのか知らない。

 特に連絡もしなかったが、いつのまにか到着していた。


 こいつの存在が公になれば、観戦隊が混乱するから、隊の連中にはこいつの同行を伝えてはいない。

 住むところや食料については、自分でなんとかするのだろう。


「乗れるが、鷲では来ていない」

「なぜだ?」


 鷲で来たほうが便利だろうに。


「……我々は特別な鷲以外は使わない。その鷲は、女王陛下のためにある」


 王剣は心底ウザそうな顔をしつつ言った。

 あまり話したくはない情報なのだろう。

 というか、俺と必要最低限度以上の会話をしたくないのかもしれん。


 しかし、どういうことだ。

 キャロルの護衛というのはかなりの優先順位のはずだが。


 特別な鷲というのは、想像がつかないでもないが、それの羽数が足らない……または、一羽か二羽しかいない。ということだろうか。

 そんな感じにも思える。


 それ以前に、鷲は奇襲や偵察、移動には向いているが、隠密には向かないので、あまり使いたくはないのかも。

 乗れはするけど下手なので自信がないとか、使わないでもなんとかなる自信があるとか。

 色々考えられはするが、わからないな。


「そうか。まあ、お前は俺の指揮下にあるわけではないから、勝手に自分の仕事をしていてくれ」

「私の仕事には、お前の監視も含まれている」

「……は?」


 なに言ってんだこいつは。


 俺の監視も含まれていたら、幾らコイツでも体が足らんだろう。

 俺とキャロルは別々の生命体なのだから、一人をボディガードしつつ一人を監視するなんてことは、単純に手が回らない。


 そもそも、陛下が俺を監視しろなどという命令を下すわけがない。

 監視させるくらい俺を信じてないなら、そもそもキャロルを預けるわけはないので、これは矛盾している。


「殿下は聡明な方だから、ある程度は信頼できる。だが、お前が殿下を蔑ろにする命令を放つ可能性もある」


 ああ、そういうことね。

 こいつが個人的に俺を不穏分子と思っているわけだ。


 ま、こいつにとっちゃそうとも考えられるか。


 俺はキャロルが滅茶苦茶をしでかすとばかり警戒していたが、こいつにとっちゃ逆なわけだ。

 キャロルのほうを信頼していて、俺が滅茶苦茶やらかすことを警戒している。


 まあ、そのくらい王家の信奉者じゃなきゃ、王家のほうも仕事任せられんわな。

 そういう連中なわけだ。


「陛下は俺を信じてキャロルを預けたのに、お前は俺を信じないわけだ。つまりは陛下の判断能力を疑っていることになるな」


「……誰でも間違いは犯す。陛下とて例外ではない」


 まあ、本当に俺のことを疑っているのであれば「お前を疑っているぞ」なんて言ってきたりはしないだろう。

 釘をさしておくため、と考えておくのがいい。


「そうだろうな。だが、陛下を間違いだらけの阿呆と思っているのでないなら、その判断は信頼しておけ。少なくとも、自分の判断よりはな」


 俺が言わずとも、王剣のほうは解っていることだろう。

 そうでなきゃ、秘密部隊員として日々訓練しながら、王に仕えるなんてことはできない。


「……ふん」


 王剣は話に飽きたのか、俺に背を向けた。

 話は終わりか。


 そのまま見送ると、森のほうに消えていった。

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