第83話 新しい武器

「……夜が明けたか」


 なにをするでもなく夜通し起きていたというのは、実は初めての経験だった。


 もちろん徹夜などは何度も経験したことがあるが、その度なにかと向き合ってのことであったり、談笑しながらのものであったり、ゲームで遊んだりしながらのことだ。

 哨兵の真似事も楽ではない。


 真っ暗闇だった空が徐々に徐々にと白んでいく様子は、中々に感動的でもあり、同時に退屈と眠気、そして僅かながらの不毛感を感じさせた。


「リーダー格が二人同時にいなくなるのはまずい。先に寝ていいぞ」

「……」

 キャロルは聞こえているのか聞こえていないのか、解らないような顔をしていた。

 憔悴しきっているというか。


 少しのあいだ考えたあとに、

「わかった。そうさせてもらおう……」

 と言う。


 一瞬、張り合って何か言おうと考えたが、自分の体調に意識を向けると、即「あ、これ無理だ」と諦め、素直に従うことにしたらしい。

 手に取るように解った。


「うん、そうしろ」


 と、目も向けずに言ったとき、視界の片隅にいる隊員の一人が、不自然な動きをしたのが見えた。

 立ったまま一瞬意識が途切れたのが、ビクっと体を震わせて目を覚ます、というような、この夜に何度も見てきた動きではなく、まるでビックリ仰天して腰を抜かしたのを、どうにか尻餅をつくことだけは堪えた。というような動きだった。


「きっ、きたぞーーー!!!」

 という大声が響き渡った。



 ***



「やっとこさお出ましか」

 俺はよっこらせと立ち上がった。

「キャロル、連中の指揮をとれ。まあ、概ね予定通りやっているみたいだがな」


 キャロルは、眠気の吹き飛んだ緊張した面持ちで、こくりと頷いて走って行った。


 予定通りというのは、つまりは槍を構えて熊を半分囲い、鷲を守るということだ。

 これはそう難解な指示ではなく、鷲を守るという使命を念頭に置いて行動すれば、自然とそうなる形だろう。

 これが、無理やり農村から引っ張ってきた農民であれば、使命は「自分の身を守る」ということになり、トンズラこいて陣形も糞もなくなるだろうが、流石にこいつらにその心配はない。


 俺も荷物を持って小走りに走って、辿り着いてみると、ヒグマは体長三メートルもあろうかという、巨大な個体だった。

 それを、概ね小型の槍を持った隊員が遠巻きに囲んでおり、槍衾を作っている。


 その巨大さに、本能的に圧倒的戦闘力を感じ取り、俺は思わず総毛立つ思いがした。


 だが、ヒグマのほうは、さほど攻撃的な気分ではないように見える。

 槍を持ってこちらを見ている人間たちに、ほとんど興味を持っていない。


 馬世話の男の話によると、このヒグマは最初、とある家を襲ったという。


 その家は、漁業を営んでおり、軒下に紐で魚を吊るして、つまりは干し魚を作っていた。

 ヒグマはそれを美味しく頂き、その後味をしめて人里に降りてくるようになった。


 そのころ、この宿はまだ営業していた。

 営業していた頃の宿は、客が残した食べ物の余りなどを、建物の裏手に掘った穴に捨てていたらしい。

 ヒグマは、その匂いを感じ取り、穴を掘り返して生ごみを漁ったりするようになった。


 その他にも何件か、味をしめられた民家があり、ヒグマはそれらの家を日に一度巡回しては、森に帰るらしい。

 もちろん、この宿は今はもう営業はやめているが、諦め悪く巡回ルートの一部として回っていくようだ。


 そういうわけで、このヒグマは好んでヒトを襲いに来ているわけではない。

 といっても、ヒトを恐れているわけではないし、よほど空腹であればヒトを襲うのにもためらいはないだろう。


 ヒグマは、しきりに立ち上がったりしゃがんだりしているが、その目は、なんというか、人間を相手にしてはいなかった。

 やたらと攻撃的な野良猫が威嚇してくるのを、やんわりと見ている人間のような感じだろうか。


 このまま放っておけば、黙っていても森へ帰るだろう。

 今日はそんな気分であるらしい。


 だが、明日はそうとは限らない。

 今日なにも獲物がとれなければ、明日はヒトを食おうと考えるかもしれない。


 俺は、大事にかかえていた荷物の包みを取った。


 その包みには、鉄の筒に様々な加工が施され、木や金属の部品が装着された道具が入っている。

 その道具は、鉄の筒から金属の玉を発射するための道具だ。


 つまり、鉄砲だ。


 触ると、ベタつかない程度に粘度の低い油が全体に塗られ、濡れたような感触があった。

 これは、キルヒナ王国への資料、そしてこころばかりの贈り物として、アルビオ共和国から輸入した、向こう側で最新式の鉄砲である。

 滑腔銃で、ライフリングは切っておらず、点火方式は火縄式である。


 研ぎに出したばかりの刀剣などとは違い、鉄砲は一発や二発発砲しても、悪くなるわけではない。

 というか、贈ってみて暴発でもしたらコトなので、五発ほど試射してきた。


 俺は、革袋から火がついた火縄を取り出し、挟み口につけた。

 火縄というのは、燻った火が何時間も燃え続けていられるように工夫がなされているので、着火したまま革袋に入れておくことができる。

 既に銃弾と発砲薬、点火薬は装填してある。


 この銃は、引き金を引くことで火縄が火皿に勢い良く押し付けられ、火皿に盛られた点火薬に火がつき、その火がバレルに開けられた小さな穴を伝わって銃腔内部に入り、点火薬を撃発させる。というプロセスで、銃弾を発射することになっている。


 つまり、火皿は空気中に露出しているわけだが、これは火皿に雨などが入らないよう、火蓋という装置で蓋をすることができる。

 火皿に盛られた点火薬は、小指の先ほどの量で、火蓋はこれを覆うように蓋をするので、ちょっとやそっと動かしただけでは、点火薬が外に溢れるということはない。


 火蓋を開けて、発射体制を整えることを、火蓋を切るという。

 火蓋を切らないうちは、引き金を引いても、火縄は火蓋に押し付けられるだけで、火皿には刺さらず、点火はしない。


「ちょっとどいてくれ。前に行く」


 俺は隊員たちをかきわけ、最前列へ行く。


「えっ?」

「隊長?」


 などという声が聞こえた。

 最前列へ行くと、熊がよく見えた。

 距離は六メートルくらいだろうか。


 俺も、別の銃で二十発くらいは射った経験があるので、コツはなんとなく解っている。

 十メートル以上となると、なかなか難しいが、このくらいの距離で、あのドでかい的となれば、一応は当たるだろう。


 その場で膝立ちになり、銃床を肩に押し付け、狙いを定めると、火蓋を切った。

 ヒグマは、珍妙な行動をしている俺に興味をそそられたのか、俺をじっと見ている。


 息を止めて、狙いを定めた。


 引き金を引くと、パチンとバネが弾ける音がして、火縄が火皿に打ちおろされ、バジュウウという黒色火薬が大気中で燃える、花火のような音がした。


 ズドン!!


 途轍もない轟音とともに、肩に強い反動を感じる。


 銃腔から噴出される硝煙の向こうで、鉛球がヒグマの腹部に吸い込まれたのが見えた。

 当たった瞬間、ヒグマは明らかに強烈な攻撃を受けたことを感じたようで、ビクッと体を震わせた。


 そして、数秒間俺を憎らしげに見つめたあと、一目散に森めがけて逃げていった。


 周りの隊員たちは、見たことのない異国の武器と、聞いたことのない大音声の砲声を聞いて、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。


「狩人! 狩人はいるか!」

 大声で、狩人を呼ぶ。


「へい! へい!」


 なぜか二回返事をしながら、獣の毛皮をまとった男が現れる。

 夜の番をはじめる前に顔合わせした狩人だった。


「致命傷かどうかは判らんが、重い傷を負わせた。犬で追えるか?」


 俺は目線で熊の去った先を見た。

 点々と落ちた赤い雫が、森に続いている。


「なんとかできると」


 なんとかか。

 こんだけ濃い血の跡があるのに追えなければ、それは猟犬とはいえない気がするが。


 まあ、見えるところにいる長毛のわんわんは元気に尻尾振っているし、年寄りにもみえず、やる気満々のようだから、問題ないだろう。


 狩猟犬というのは、獲物となる鳥獣を見つけ、狩人がそれを傷つけた場合は、追跡する役目を持っている。

 熊のような大きな相手は、鉄砲をもってしても殺しきれない場合が多いが、犬はそれを追跡して、遠間から吠え立てることで休息をさせず、流血を増やすことができる。

 結果、安静にしていれば致命傷とはならない傷でも、命を奪うことができる。


「じゃあ、追ってくれ。毛皮はお前にやるからな」



 ***



 二時間ほどかかって、狩人が帰ってきたときには、森の中に無理やり入れた大八車のような荷車に、肉と毛皮が満載されていた。

 現場で解体してきたらしい。


 キャロルや隊の連中が、群がるようにそれを見ている。

 貴族の狩猟では普通、シカあたりは狩るが熊は狩らないので、初めて見るのだろう。


「ふむ……立派な毛皮だな」

 と俺が言うと、

「は、はい……」


 と、狩人は心なし何かを恐れているような顔で返事をした。

 大方、俺が「やっぱ欲しい」などと言い出さないか、恐れているのだろう。


「心配するな。約束通り、これはやる。だが、他の部位はこちらで貰うぞ」

「へえ、もちろんです」


「それで、胆はどこだ」


 俺が言うと、狩人はビクっとした顔をした。

 やっべ。みたいな表情が出てるぞ。


「へ、へえ、ここに」


 狩人は、自分の持ち物らしき袋から、細い紐でぶら下げた、ぼってりとした何かを取り出した。

 お前、俺が言わなかったら、絶対自分の懐に入れるつもりだったろ。


 生の熊の胆臓というものは、初めて見るが、非常にグロテスクだった。

 白くて薄い半透明の膜に、たぷたぷとした液体が包まれており、出入り口を縛ってある。

 胆臓の出入り口は一箇所に固まっているので、そこを縛れば中の液は出てこない。


 これを乾燥させると、ガチガチの固体状になり、熊胆ゆうたんという薬となる。

 胆臓というのは、胆汁を貯蔵しておく臓器なので、熊胆は乾燥熊胆汁薬と言い換えても良い。


 俺も幼いころ口に入れられたことがあるが、妙にクセのある強い苦味がする。

 良薬口に苦しを体現したような薬だ。

 これは、少なくともシャン人の間では古今珍重されているもので、非常に高く売れる。


 狩人は、結索に用いた糸をそのまま持ち手にしてプラプラさせていた。

 家に帰れば、このまま家の中にぶらさげて、乾燥させるつもりだったのだろう。


「貰うぞ」

 と、胆を受け取った。


「どのように乾燥させればよいのか、聞いてもいいか」

「……オオカタ乾いたら穴の空いた板で挟んで、平らにするだけですけんども……破けて台無しになるかもしれませんで、そのまま乾かしても十分かもしれんですな。売り物にはせんのでしょうから……」


 なるほど。

 今は水筒のようになっているが、これが半乾きになって中身が液体状を失ったら、徐々にプレスしつつ乾かすわけか。


「解った。礼を言うぞ。いい土産ができた」

「へい……」


 まだ未練があるのか「何が土産だ、こっちは生活がかかってんだ」とでも言いたげな目をしながら、狩人は毛皮のほうへ行ってしまった。

 まあいいだろう。


 かわいそうな気もするが、致命傷となった傷を負わせたのは俺だし、毛皮も相当な高値で売れるはずだから、それで満足してほしい。


「おい」

 振り向くと、キャロルがこっちを睨んでいた。

「そんなもの貰ってどうする気だ」


 キャロルは俺がぶら下げた熊の胆を指さした。

 見るからに毒々しい。


「戦利品だ。これくらいいいだろ?」

「……? それが戦利品になるのか? どうせなら、爪とか手とかを貰ったほうがよいのではないか?」

「ああ、そりゃ見たことないよな。これが熊の胆だよ」


「内臓なのは解るが……なんの役に立つんだ?」


 なんだ、こいつ、もしかして飲んだことないのか?


 俺はルークから「これは凄い高いんだぞ、有難がって飲め」みたいに言われた覚えがあるんだが、実は民間療法で王族はこんなもん飲まないのか。

 いや、前に薬屋でぺしゃんこの熊胆一枚が金貨何枚で売っていたのを見たことがあるから、そんなことはないはずだが。


熊胆ゆうたんだろ? 食ったことないのか?」

「聞いたこともない。そのまま茹でるのか」


 茹でるとか。

 そんなもったいない話こそ聞いたことがない。


「乾かしたら凄く甘いお菓子みたいな味になるんだ。熊の胆は特別でな。癖もなくあっさりとした甘みがある。有名な高級甘味なんだが、まさかお前が知らないとはな。あとで食べさせてやるよ」


 面白いから騙してやろう。


「甘い……? そんな肉があるのか?」

「体の中にはそういう内臓があるんだ。面白いだろ」

「ふーん……」


 純粋に興味深げな顔をしている。


「じゃあ、俺はこれを干してくるから、お前は熊の肉や内臓を鷲に与えさせろ。胃の腑や腸は別にしてな」


 消化器系は酸アルカリ、それと細菌と糞便が詰まっているから、取り除いたほうがいい。

 食わせるとしたら、せめて洗ってからが良いだろう。


「えっ、私がか?」


 キャロルは恐る恐る、かなりスプラッタな光景となっている、荷車の上の肉塊を見た。


 命令すればやるだろうが、あの血の滴る肉塊を両手ですくって鷲にやってまわれというのは、お嬢様育ちのキャロルには厳しい注文だろう。

 徹夜明けのキャロルには、さすがにやらせたくはない。


「いや、馬世話に言えばやってくれるだろう。胃腸なんかは言わずとも与えないだろうが、一応言っておいてくれ」

「ああ……わかった」


「それが終わったら、休んでいいぞ」


 キャロルと交代で俺も寝よう。



 ***



「お前ら、なにしてるんだ」


 俺の行く手を通せんぼするように、隊員の連中がいた。

 なんだか、興奮した様子でくっちゃべってる。


 中には、さっき槍衾のいち員として実際に熊と対峙した奴らと、さきほど起きてきた奴らとが混ざっている。

 まあ、面白い見世物だったろうから、空振りに終わった連中は残念だったな。

 といっても、立哨の役目の兵というのはそういうもんだけど。


「隊長の勇姿を語って聞かせていたんです」


 などと、意味不明なことを言ってきたのは、俺より年下の一人だった。

 隊の中で俺より年下というのは、実はけっこう居て、多数派ではないものの極小数というわけではない。


「ただ鉄砲うっただけだぞ」


 それを当てたのは鼻高々ではあるものの、火縄銃ということもあって、俺にはなんとなく足軽仕事というイメージがある。


 勇姿というのは、勇敢に戦ったということだろう。

 鉄砲を使ったからといって、臆病の謗りを受ける筋合いはないと思うが、勇敢とも思えないような。


 しかし、一般からいえば、熊に立ち向かったというのは、十分に勇敢の範疇に入るか。

 鉄砲が無事発射されさえすれば、熊は当たらなくても攻撃されたことは解るから、まず逃げるであろう。とは思っていたけど。


「それです。その武器は話に聞くクラ人の武器ですか? よろしければご教授を……」


 なんだ、勉強熱心なやつだな。


「ご教授は、向こうで合流してから合わせてするつもりだ。今はしない」

「ああ」少年は、見るからにがっかりしたような、残念そうな顔になって言った。「わかりました」


「そうだな……しかし、お前ら、暇なら頭の中で状況を思い描いておけ。これは」

 と、俺は手に持っていた鉄砲を少し持ち上げて、皆々に見せた。


「誰にでも簡単に扱える武器だ。言っておくが、俺は一週間くらい前に、たった一日練習しただけだからな。俺が特別に天才だったとかではなく、誰でも一日であのくらいは扱えるようになるんだ。そういう武器を装備した輩が、例えば千人並んで、さっき熊を一撃で仕留めた弾丸を、お前らが指揮する部隊に、一斉に発射する。それをされたらどうなるか、良く考えておくといい。ちなみに、こいつの弱点は連射が効かないことだ。改めて発砲の準備を整えるには、けっこう時間がかかる。暇な奴は、どうやったら対抗できるか頭のなかで練ってみろ」


 そう言っておいて、俺は台所に直行し、熊の胆をじゃぶじゃぶと水洗いした。

 ぶよぶよとした熊の胆は、洗うと血液とはまた違う青色の液体を中にたたえていた。

 丈夫な内臓膜は、ちょっとやそっとでは破けそうにない。


 旅の最初でかさばる土産物を買ってしまったような気分だが、完成が密かに楽しみだな。

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