第82話 夜警

 キャロルが忙しそうに出て行ったあとも、俺は部屋で休んでいた。


 意外と、頭目というのはそういう役どころが多く、ホウ社のときもそうだったが、やることをやっとけば後は寝ていても部下が進めてくれる。

 社の場合はカフで、今度の場合はキャロルなんだろうが、つまりは部下に恵まれているということだろう。


 ベッドで寝ていると、ドアが開いた。


「おい」


 キャロルの声がしたので、俺は起き上がる。


「なんだ?」

「調達してもらった物の中に、酒があるんだが、飲ませてもいいのか?」


 ああ、酒か。

 考えてなかった。


 まあ、連中も一応は命がけの飛行を経験したあとなのだから、少しくらい羽目を外させても構わないだろう。

 緊張を解してやりたくもある。


「構わないぞ。だが……そうだな、醜態を晒すほど飲んだらどうなるか、とか脅しておくといいかも知れん。勝手に調節するだろう」

「わかった。それと……」


 と、俺はそこで、キャロルの後ろに例の馬世話の男がいるのに気がついた。


「話があるそうだ」


 そうだろうな。

 話がなけりゃ部屋までは来ないだろう。


 キャロルが一歩身を引くと、男が前に出てきた。


「実は、折り入ってご相談がありまして……」

「なんだ?」


 鷲の餌を買ったら、金が足りなかったとかか?


「厩舎には、ユーリ様とキャロル様の鷲が入っておりますが、残りは入りきらぬので外に繋いでおるのです」

「もちろん、知っている」


 少し前に軽く見回り、ああこの季節の冷たい雨で鷲が濡れたら困るな。今日は星がよく見えるほど晴れているから、降りそうになくてよかったな。

 と思っていたところだ。


「それで、実は、ここのところ町に熊が来るのです」


 熊?


 熊というのは、この地域ではおおよそヒグマのことで、連中はベルクマンの法則の忠実な信奉者なのか、やたらと体が大きい。

 だが、もちろん冬眠はするので、春先の熊だとすると、かなり体重が落ちているはずだ。


 そのぶん飢えてもいる。

 人間を襲いに来ているのか、それともたまたま人間が出した生ごみとか、ボロ屋に吊っておいた肉でも食ったのに味をしめて、人里に降りてくるようになったのか。

 どちらにしても、厄介だな。


「それで?」

「はい。常であれば、もちろん鷲の入っている馬房はお守りできるのですが、この度は外に繋いでおりますゆえ、つまり……」

 男は言いにくそうに言葉を濁した。


「つまり、鷲の無事は確約できかねると」


「そういうことでございます。もちろん、鷲も黙って喰われるわけはございませんから、爪を立てて熊を驚かすでしょうし、町には狩人もおります。彼には寝ずの番を頼んだので、矢で撃退できるとは思うのですが」

「なるほどな」


 まあ、確かに体力の落ちた熊相手なら、矢で撃退できそうではあるが。

 寝ずの番をするとはいっても、二十六羽の鷲が外繋ぎになっているわけで、それらを全て完璧に警護するというのは、難しそうだ。


 放し飼いにすれば勝手に空に飛んで逃げるだろうが、そういうわけにもいかない。

 二度と戻ってこなければ、殺されたのと同じだ。


「それで、実は折りいって提案がございます」

「なんだ?」

「皆様の槍を数本、お貸しいただければ、それをもたせた町の衆で鷲を守ります。お恥ずかしながら、武器といえば斧や鉈などしかないのです」


 ああ、なるほど、それが本題か。


 確かに、大柄の熊を相手にするとなれば、薪割り斧だの藪こぎ鉈では心もとなかろう。

 なんといっても、リーチのある槍がいちばん頼りになる。


 訓練などした事のない農民でも、遠間から槍を突き立てるのは簡単だ。

 だが、斧や鉈を持って熊の懐まで入り込むというのは、よほどの勇気が要る。


 しかし、槍というのは、騎士にとってはかなり大事なもので、武士の魂ならぬ騎士の魂といってよいような存在である。

 差別するわけではないが、農民に貸し与えるようなものではない。


「それは無理だ。それだったら、こちらで交代で番をする」


 というか、無知から来た発言だったのかもしれんが、さっきのはお堅い奴だったら無礼討ちにされていてもおかしくないくらいの発言だったぞ。

 鷲のためとはいえ、槍貸してくれとか。


「お願いしてもよろしゅうございましょうか」

「ああ、構わない。俺も出るしな」

「え?」

「俺も、熊狩りを試してみたくなった」


 男もキャロルもぽかんとしていた。



 ***



 夜。


 俺は、篝火で煌々と照らされた陣地の真ん中で、椅子に座っていた。

 目の前の焚き火は、薪が水を含んでいるせいで、パチパチと音を鳴らしている。

 そして、まわりじゅうにいる鷲には、目に覆いがかぶせてあった。


 これは鷲頭巾といって、主に鷲舎がない状態で、昼間鷲を留め置くときに使う。

 目隠しをされると、どのような習性なのか、鷲は鎮静剤をうたれたように大人しくなる。


 星屑ほど上手く調教された鷲には必要ないものだが、今は星屑と晴嵐もつけていた。

 例外的に、篝火の明かりが多い夜だからだ。

 明かりがついた状態では、鷲は深く眠ることができない。


 歩哨をしている団員たちの真ん中で、俺は座っていた。

 寒くない服を着て、半分寝て半分起きているような状態で、ずっと過ごしている。


 隣には、キャロルがいる。

 俺が寝ずの番をするというと、何故か張り合ってついてきたのだ。

 部屋で眠っていればよかろうに。


 こいつは、上手いこと眠ることができないのか、目を瞑りながらも軽く眉根を寄せていた。

 事情を知らないやつがみたら、目を瞑りながら不機嫌さに耐えているように見えるだろう。


「辛いなら部屋に戻れよ」


 もう何度言ったか知れない助言をする。


「いや……それでは示しがつかない」


 目を閉じたまま、すぐに言い返してくる。

 やはり起きていたらしい。


 それにしても、声にいよいよ元気がない。


 なんでこんな強情を張るのか。

 不眠症のように覚醒状態にあって眠れないのと、体は眠ろうと思っても、環境になれないために緊張を強いられて眠れないのとでは、雲泥の差がある。

 キャロルの場合は後者のはずで、おそらく体は疲れきっているのに、育ちが良いせいでこういった環境では眠れないのだ。

 ベッドに入れば直ぐに寝息を立てはじめることだろう。


 といっても、ベッドに入った時のように、ぐでーっと身体を弛緩させて熟睡されても、見栄えが悪いので困る。

 それならベッドで寝ろよという話になってしまうので、授業で居眠りする生徒のように上手いこと眠る必要がある。

 キャロルが講義で居眠りをしているのは、見たことがない。


「まあ、いいけどな」


 体調を崩さなければ、いくら強情を張ろうが構わない。

 キャロルの存在のおかげで、歩哨の連中も気が引き締まっているようだし。


 俺は、持ってきていた丸いパンを取り出すと、ナイフで深く切れ込みを入れて、バターとチーズを隙間に入れた。

 そのまま鉄串に刺して、くるくると全体を回しながら、焦げないように遠間から火にあてていく。


 大して腹が減っているわけでもなかったが、こういった余計な業務で体力を消耗するときは、少し余分に食っておいたほうがいい。

 栄養さえ足りていれば、体調はなかなか崩れないものだ。

 太るかもしんないけど。


 軽く焦げたのを見ると。パンを引き上げた。

 そのままナイフを入れて、今度は真っ二つにする。

 パンでナイフを拭うように引き抜いて、そのまま鞘に入れた。


「ほら、食え」

 と片半分を差し出す。


「えっ」

 自分の分だとは思ってなかったのか、キャロルは驚いた顔をした。


「腹が減ってなくても食え。なにも食わないと体調を崩すぞ」

「ああ……そうだな、いただこう」


 キャロルは素手でパンを掴み、口にくわえた。


 俺も同じように食べると、バターに塩が入っていたようで、バターの染みたパンがちょうどいい塩加減になっていた。

 溶けたチーズがその上にかかって、なかなか美味い。


「美味しい……」

 とキャロルが言った。

 口に合ったらしい。

「そうか」


 なんだかんだで腹が減っていたのか、キャロルはすぐに平らげてしまった。


 最後の一欠片を口に放り込むと、時間をしばらく確認していなかったことを思い出す。

 リリー先輩謹製の、銀製懐中時計をポケットから出して確認する。

 もうそろそろ交代の時間だった。


「そろそろ交代だな。次は六号室と七号室の担当だ。お前が起こしに行って来い。俺は今でてる奴らに声をかけて回って、部屋に戻るように言う」

「わかった」


 俺は椅子から立ち上がった。

 まるで授業中居眠りでもした後のように、意識が一時的な明朗さを取り戻しているのを感じる。

 キャロルのほうは、自律神経でも狂ってしまっているのか、若干フラついていた。


「そのまま部屋に戻って寝てもいいぞ」

 と言うと、

「バカ」

 とだけ言って、俺を軽く睨んできた。

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