第75話 王配

 そのあと、鷲を預けついでに飼育員の人と話しながら情報を得ていると、王城の方から人が走ってきた。


「はぁはぁ……お話中失礼致します。ユーリ・ホウ様でございますか」

「そうですが」


 どうも、この人は文官のように見えるな。

 体を鍛えておらず、教養院を出て王城で務め仕事をしているという感じだ。


「王城に案内をさせていただきます」

 案内してくれるらしい。


「わざわざご苦労様です」


 俺は慇懃に頭を下げた。

 さっきの大騒ぎで、誰かが言いに行ったのだろう。


 悪いことをしてしまった。

 こんな血相を変えて走ってくる必要はなかったのに。


「それじゃ、失礼します」


 と、俺は先ほどまで話をしていた飼育員さんに言った。


「はい。鷲はきちんとお預かりします」


 軽く手を振って別れると、俺は案内人の後ろに付き、荷物を持ってとことこと歩き始めた。

 星屑に無理のないぶんだけの荷物なので、さほど多くはない。


 そのまま王城の中に入る。


 リフォルムの王城は、誰も彼も忙しそうにしていた城の外と比べれば、随分と落ち着いていた。

 忙しげにしている人々も居るには居るが、殺気立っているわけではない。


 どうやら、籠城用の資材を外から運び込んでいるらしい。


「こちらのお部屋にどうぞ」


 と通されたのは、かなり上等の客室だった。

 うーん。


 俺がリフォルムに寄ったのは、王都の地理を、軽く下見をしておく必要を感じたからだ。

 久しぶりにちゃんとした食事をしておきたかったのもある。

 つまりは、星屑を安心して預けておき、休める場所が欲しかったのだ。


 こんな豪勢な部屋で贅沢をしたいと思ったわけではない。

 確かに鷲舎とベッドくらいは、とは思ったが、戦争前で忙しい国にあまり迷惑をかけるのもどうかと思うし。


 とはいえ、供されたものを「必要ない、絶対に歓待は断る。部屋もここには泊まらん」などと言って強情を張るのはおかしな話だし、それは失礼にあたるだろう。


「あの、夕食などは」

「はい、もちろんこちらでご用意させていただきます」


 うっ……。

 城下町で食ってくるからいいです。と言おうとしたのに。


 そりゃ、こんないい部屋に通されたんだから飯の用意くらいされるよな。

 酒場で情報収集でもするつもりだったのだが。


「お食事のまえに湯浴みとお着替えのお世話をさせて頂きます」


 まー、俺のナリを見たらそうくるよな。

 俺はもう五日も風呂に入っていないので、全体的に酷い有様だ。


 川で水浴びをしていたから、浮浪者のようではないだろうが、みっともなくはある。

 下着はともかく上着やズボンは洗濯をしていないし、給仕からしてみれば、風呂に入る前はベッドやソファに座らないでくれ、と言いたいくらいだろう。


「ありがたくお受けします。よろしくお願いします」


 俺は軽く頭を下げた。

 俺も、さすがにこの服でこの部屋を使うのは、気が咎める。


「それでは、浴室にご案内いたします」



 ***



 案内されたのは、恐らく将官用と思われる浴場だった。

 浴場と分けられた脱衣所だけ見ても、下級兵のような連中が使っている浴場とは思われないような清潔さを保っている。


 脱ぎ場で俺が脱いだ服を回収してゆくと、案内人のひとはするすると去っていった。

 俺は素っ裸になって浴場の中に入った。


 湯気の立ち込めた浴場の中に、寮にあるのと同じくらいの大きさの湯船があった。

 寮の大風呂もそうだが、構造的には五右衛門ゴエモン風呂と同じで、石造りの風呂の片隅に鋳物いもののブロックがあり、その下は火を焚く竈になっている。


 鋳物の素材は鉄であったり銅であったりするが、銅のほうが熱伝導性が高いので、上等とされている。


 寮の風呂にあるものは鉄であり、銅ほど熱くはならないので、湯中のブロックに背中合わせで二人が座り、尻を熱し、先に熱さに屈して尻をどかしたほうが負けという、これほど頭の悪いチキンレースは見たことがないという儀式が毎夜行われている。


 俺は近場のオケを使って頭から湯をかぶると、風呂に入った。


「……ふう」


 俺は温かくしめった空気を肺いっぱいに吸い込んで、一息ついた。

 あーあったけー。

 身にしみるよなー。


 風呂にも入れない貧乏臭い野宿旅も、実のところ性に合っていて、悪くはないのだが、やはりこういった贅沢な風呂につかるのは気持ちがいい。



 ***



 風呂に浸かって五分ほどたち、いよいよ骨身に熱が染みてきたころ、


「やあ」


 と、湯けむりの向こうから声をかけてくる者があった。

 先客がいたのには気づいていたが、話しかけてくるとは思わなかった。


「……どうも」


 ここは多少ぶっきらぼうに答えても構わなかろう。

 特段に仲良くなる必要もなさそうだし、失礼と思われても支障はない。


「きみがユーリ・ホウくんかね」


 なんで名前知ってるの……。

 こわい……。


「はあ、まあそうですが……」

「先ほどはうちの者が失礼したようだ」


 なんだ、情報はええな。

 まだ騒動から一時間経たないくらいかと思うが……。


「いえ、別に気にしてはおりませんので」

 星屑盗まれなきゃなんでもいい。

「たいそうご立腹と報告を受けたが、怒ってはおらんのかね」


 報告ってことは、こいつはあの馬鹿の上司ってとこか?


 予めメイドか誰かに事情を聞いて、風呂場に先回りして待っていたというのか。

 どういうこっちゃ。

 まあ俺を誘導してきたのは例の文官さんだから、あらかじめ話がついていてもおかしくはないが。


「怒ってみせねば諦めぬ、と見ただけのことです。穏やかにしていればつけあがる輩というのは、どこにでもいるので」

「フフフッ……手厳しいな」


 苦笑いはしているが、どうやら気に障った様子はない。

 やはり、もともと素行に問題のある男だったのか。


「不快であったのは確かですから。激怒まではいかぬまでも、怒りはあります。ただ、そんなものは、一晩寝れば収まるもの。わざわざ機嫌をとらずとも、明日には忘れていますよ」


 怒ってみせたのは半分以上演技なので、どうでもいいが、上官が最速で風呂場に出向いてきて機嫌取りをしなくちゃならないほど、俺は大物ではない。

 国主でも王族でもないんだから。


「そうは行かぬな。国というものにも体面というものがある。詫びなど要らぬといわれても、詫びの品を持って頭を下げにゆく。それが外交というものだ」


 うーん、めんどくさい。

 社交辞令を重要視しているのは解るが、そんなのはいらないんだが。


「あの男が言っていたことも一理あります」

「ほう?」

 謎のおっさんは興味深げに反応した。


「この忙しい時に戦場見物に参ったような若造など、邪魔者扱いされて当たり前の立場です。その上に気遣いまでされては、本当にただ邪魔しにきたようなもの。それこそ、騎士の恥でしょう」


 こう言っておけば正解か。


「ふむ……なるほどな」

「戦勝の祝いの席でなら、幾らでもお受けいたしますよ」


 というか、なんか貰っても星屑に積んでいかなきゃならないんだから、荷物になってしまう。

 送るにしても、陸路は難民で梗塞こうそくを起こしている最中なので、金を払えば送れはするのだろうが、俺の荷物なんぞが塞栓そくせんの一部になるかと思うと、さすがに気後れする。


「では、せめて夕食に招待させてもらおう」


 へ?

 なぜそうなる……。


 部下がやらかした詫びに、上官が夕食に誘う。

 まあ、ありえなくはないか。


「お気遣い頂かなくても本当に結構ですが」

 食事は城が出してくれるって言ってたし。


「これは君が得をして我々が損をするという話ではないのだよ。ユーリくん」


 はて?

 どういうこっちゃ。


「君は、少しでもいい状態で我々に戦争をして欲しい。余計な邪魔はしたくない。と思っているのだろうが、それは間違いだ。このまま君を飛んでいかせては、我々は大恩あるゴウク殿の甥御にとんだ無礼をしたまま行かせてしまったことになる。これから続々と来るシヤルタの援軍がその話を聞けば、そんな無礼者たちを守るために命をかけるのは馬鹿らしい。と思うだろう。個人が思う思わないではなく、大勢の中には、必ずそう思う人間が現れるのだ」


 あー、まあそりゃそうか。


「それは、我々にとって、とても大きな損失なのだ。しかし、我々が礼を尽くして君をもてなした。ということになれば、そういうことにはならない。つまりは、我々にとっても得をすることになるのだよ」


 どうも、俺の思慮のほうが足りてなかったらしい。


「わかりました。そういうことであれば」

 と、俺は了承した。


 気乗りはしないが仕方がない。

 言われてみれば、こいつの言うことは一々正しい。


 歓待とかは苦手だが、問題を起こしてしまった者としては、責任のとり方があるということだろう。

 一応は俺が隊長ということになっているのだから、ここはそつなくこなしておくのが正解だ。


「王城で用意されるという食事には断りをいれなければいけませんね。リフォルムの地理には不案内なのですが、どちらに伺えばよろしいのでしょうか?」


「なに……? ハハハッ!」

 なんだ、突然笑い出したぞ。


「なにかおかしなことを言いましたか?」

「ふふ……いや、おかしなことはない。そういえば、名乗りもしていなかった」

「はあ」


 誰だよ。

 いや、高位の貴族だってことは察するけれども。


「俺はこの国の女王の夫だ」

「へ?」


 女王の夫ってことは、つまり王配ってことか?


「だから、きみは部屋でまっていれば良い。あとで使いの者を呼びにやる。なにせ、ここは俺の家だからな」


 ああ……。


 そりゃそうだろうよ。

 なんだ、このおっさん、王配だったのか。


 そういえばキルヒナの王配は存命だったんだよな。

 キャロルのとーちゃんは若くして病死したから、王配というのは初めて会う。


 それにしても、王配に食事に招かれるとは。

 俺もよくよく、王族と飯を食うことにかけては縁のある男らしい。

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