第3話 君と僕とでホワイトチョコレート





「………私、親に孫の顔を見せてあげられないだろうから。あんたの方は、頼むよ」


姉の部屋に漫画を借りに行くと、思い付いたようにそう、声をかけられた。

俺は返す言葉を考えながら、じっとそんな姉の表情を伺う。

姉は、同性愛者だった。

いつも、好きになるのは女の人で、姉弟である俺の目から見ても美人の彼女が彼氏を連れているのを見たことは今まで一度もない。


「……おれも、無理」


誤魔化すのはやめようか、と観念した気持ちで口を開く。好きな人が出来ては、その叶わない恋にいつも一人で部屋で泣いている姉を知っていた。


「…なんでよ?あんた、モテるじゃん?」


彼女、いるんでしょう?、と姉は訝しげに眉を寄せる。うん。彼女、居たことも確かにある。今だって、付き合っている人がいる。でも、それは……。

「………正直に伝えると、」と意を決して告げる声音は、どこか無機質に鼓膜を震わせる。


「彼女じゃなくて、『彼氏』なんだよね」

「えっ」


いつものように、淡々と、言えたと思う。

姉が目を丸めて固まった。

俺はふい、と目を逸らし、


「………内緒ね」


そう言って、部屋を出た。

ああ、漫画を借りるの、結局忘れてしまったな。








『2.14 バレンタインデー』。

茶色のハートがでかでかと印刷されたポスターは、少し歩けばそこかしこで目についた。


「……」

「それでさ、俺さー……って、聞いてる?」

「あっ、聞いてる聞いてる」


ポスターをぼんやりと眺めていた目を、ぱっと隣を歩く友人に向ける。

塾帰りの空はすっかり夜で、日中は暖かくなったとは言え、彼は鼻の頭を少しだけ赤くしていた。


「…あー、もうすぐだな、バレンタイン。はぁー。いいなぁ、シュウヤは。くれる彼女がいるんだろ~…」

「…別に。いないよ」


またまたぁ!と軽めに背中を叩かれる。

嘘は言ってないんだけどな、と思いつつ、確かに、今まで彼女がいなかったことが無かったから、嘘にも聞こえるのかもしれない。彼は幼稚園の頃からの付き合いだから、バレンタインにはいつも紙袋を一杯抱えて帰る俺の手伝いをしてくれたことも、二、三回ではない。


「はぁ~。俺もチョコ貰いてぇなぁ~。バレンタインなんて滅びろ!と思っている側から笑う側に行きたい~」

「敦也、この前彼女いたじゃん」

「別れたよ!察しろよ!」


今度は軽く太ももに蹴りを入れられる。

そんなこんなしている内に、シャッターだらけの商店街を抜け、駅に着いた。

二人で改札を抜け、二駅先で降りる。

電車を降りたら、直ぐの道を右と左で別れる。


「じゃっ、気を付けて帰れよ。お前、顔可愛いから。女に間違われたら、ヤバイぞ」

「…なにそれ。どうせ、女顔ですよ」


敦也と別れて、一人になった帰り道で『彼』との出会いを思い返す。








綺麗な顔だね!

初対面のおれを見て、彼は驚きを隠しもせずにそう言った。


「………はぁ」


露骨に怪訝な顔をして見せると、相手はあたふたと慌て、「あ、突然ごめん」と謝罪する。


「えっと、今日からアルバイトさせて貰うことになった、神城です。…突然、ごめんね?あんまり、綺麗な顔だったもんだから」

「………」


塾に入って直ぐの受付用のカウンターを隔てて、彼は人の良い笑顔を作る。

おれはそれを一瞥して、ペコリと頭を下げてエレベーターに乗った。教室は六階。無駄に大きなビルだ。まるまる塾の所有だが、二階三階は使用されていない。


第一印象としては、「男の人の長髪初めて見たなぁ」だった。


外見についていの一番に触れられる事には、わりと慣れていた。

そんなことよりも、後ろで一本にまとめた髪が肩に触れるかくらいの長さまで垂れ下がって揺れていた事の方が印象に残っている。


その日の講義では、彼は教室に来なかった。

この時期にアルバイトとして新しく入ったということから考えるに、恐らくは受験生のサポートだろう。アルバイト、という事は、大学生だろうか。

気が付けばぼんやりと彼のことを考えていて、驚いた。


(………どうでもいいか)


おれはそう、思考を打ち切って目の前の黒板に集中することにする。


次の講義の日は、六階の教室に入ればもう、そこに彼がいた。


「あっ、秋夜くん!」


おれを見るなり、パッと顔を綻ばせる。随分と、人懐っこい印象を与える大人だった。

教室にはまだ、誰も来ていなかった。座席が特に決まっているわけではないが、何と無くいつも座っている、窓側の席に向かう。


「『秋』に『夜』で、『シュウヤ』なんて、凄く詩的な名前だね!」


君の雰囲気に随分と良く合っているね!なんて、こちらが相槌すら打たないことをまるで気にも留めずに、にこにこと一人でよく喋る。


「……斎藤先生は?」


普段受け持ってくれている先生の名前を出して聞くと、ああ、と直ぐにおれの話を打ち切った。


「風邪を引いたみたいで、今日はお休みだよ。代わりに僕が、今日の授業を担当させて貰うね」

「……」

「…シューヤくんはクールだねぇ」


教壇の上で片肘を付いて、彼はにこにこと笑った。


それからも、何故か斎藤先生ではなくこの人が授業をすることは多かった。受験が終われば、交互にシフトを組んでいるようだった。


「シューヤくんは、いつも一番乗りだねぇ」

「………部活もしてないので…」


へぇ、と。恐らく、返答があったことに驚いて、神城先生はいつもにこにこ顔ではなく、目を丸めて俺を見た。


「いつも一緒にいる、敦也くんは?同じ高校なんでしょ?待って一緒に来たりしないの?」

「…誰かを待つ時間て、無駄じゃないですか?」

「おー。相変わらず、クールだねぇ」


二人だけの時間を重ねた。

自然、会話も増えた。

プライベートなことを話すこともあった。大体が、次の瞬間には忘れているようなどうでも良い話をした。


「秋夜、そっくりな姉がいるんですよ!」


いつだったかの帰り際、敦也が言った。何と無く、この話題は嫌だな、と思った。へぇ、と。案の定、神城先生は興味を持つ。


「そしたら、お姉さんも美人なんだ?」

「はい!それはもう、かなりの!」

「へーっ!いいね、美人姉弟!」


写真ないの?と聞かれて、「ありません」と少し食い気味に答えてしまう。この手の話題にはいつも、辟易する。

「珍しいな。今日なんか、怒ってるの?」と敦也と二人でエレベータに乗った時に聞かれて、驚いた。


「何が?」

「何って…。お前、いつもお姉さんの話されるの、好きじゃんか」


今日は何か、嬉しくなさそうだったから。なんて言われて、ますます驚くしかなかった。

いつもおれは、辟易していなかったっけ…?鬱陶しいと、思っていなかったっけ…?

極めつけに、敦也はおれのことを「シスコン」と言って笑った。「お前、お姉さんとそっくりって言われたら、いつもちょっと誇らしそうな顔するんだよ。俺しか気が付かないかなってくらい、微妙な変化なんだけどさ。ほんと、シスコンだよな」と。


おれのこのモヤモヤの気持ちの正体は、程無くして気が付かされる事になる。


「……シューヤくんて、敦也と付き合ってるの?」

「………は?」


今日の月は綺麗だねぇ、くらいの他愛ない会話の調子で、徐に訊かれるので、俺はつい、自分の耳を疑った。


「…………それ、冗談ですか?男同士なんですけど…?」

「あらら。偏見、ある?」

「………いや、無いですけど…」


姉の顔が浮かぶ。

自分が同性愛者だと打ち明ける時、彼女は何でもない顔をしていた。「私、女の子しか好きになれないんだよね」と、テレビを真っ直ぐに見詰めながら、告白した。

或いは、色々な感情を押し殺して、それを悟られないようにいつものようにクールな澄まし顔をしていたのかもしれない。

おれは、なんて返事をしたかな。

返答に困って、「ふーん」と興味が無さそうに返したかもしれない。覚えてない。心の中では、確かに驚いていたけれど。だからと言って、変な感情は抱かなかった。それをちゃんと言葉で伝えるべきだったのかもしれない。


「無いんだ。偏見」

「偏見は無いですけど、敦也とはそんな関係じゃないです」

「…だよね。見てればわかる」


なんだそれ、と思ったら、どうやらその言葉は口から出ていたらしい。神城さんは苦笑いを浮かべて、「ごめんごめん」と言う。


「…ねぇ、じゃあ、彼女とかは?いる?」

「………今はいないですけど…」


ふーん、と神城さんは気の無い返事をした。でも、何と無くいつもと違うのが空気でわかる。なんか、落ち着いてない。そわそわしている。


「…………あのさ、僕、君の事が好きなんだ…」

「え」

「………良かったら、考えてくれない?」


期待と不安が入り交じった顔で、少し顔を赤らめて笑う。

彼のこんな顔を見たのは初めてで、おれは言葉を失った。








休日。

姉と一緒に電車を乗って商店街の中のデパートに出掛けた。

バレンタインを目前にする土曜日は、人でごった返している。いいな、と思うものには「SOUL'd OUT」と書かれた札が付いていて、もっと早く準備をしとくべきだったなぁと少し思ったが、選択肢が減るというのはそれだけ悩む候補が減ると言うことなので、まあいいかなとも思う。


「どんなのにする?」


一通り見て回ってから、少し人の落ち着いたところで姉が言う。


「……よくわかんない」


おれの返答に、姉は苦笑した。

あげる側は初めてだもんね、と言われると、胸の奥が少し痒く疼く。


「私はルビーチョコ狙いだから、買うものはもう決まってるんだよね。だから、付き合うよ。今日は、とことん!」

「……」


ルビーチョコってなんだろ?と思ったけど、特に興味が無かったので訊かなかった。チョコの種類で決めると言うのは案外良いかもしれないなと、そちらの方に頭を使う。


「……………ホワイトチョコレート」

「うん?」


カナエのことを想像しながら、浮かんだ色は『白』。

だとしたら、彼に贈るのはホワイトチョコレートが良いのかも知れないな、と思った。


「イメージカラー、白なんだ?」

「うん」

「そう言えば、“カミシロ”さんって言うんだっけ?」


そう言えば、そんな名前だったな、と今更思った。

シロ、違いだけど、名前にもその音が含まれているのならますます、ホワイトチョコレートは名案のように思った。


「ふーん。会ってみたいなぁ…。私の、可愛い弟を射止めた、カミシロさん」

「……」

「ズバリ、初恋でしょ?」

「え…」


したり顔で指摘されて、おれは目を丸めて姉を見た。

初恋?

だって、姉はおれに初カノが出来たのが小学六年生だったことも、ファーストキスが小学校の卒業式だったことも知っている。


「あんた、告白は何でもオーケーしてたよね。んで、いつも、『私の事、たいして好きじゃないでしょ』ってフラれるの。もう、テンプレート」


姉は可笑しそうに笑う。


「何事にも大して興味を持たないのにね?気になるわ、カミシロさん」

「……紹介、しないよ」

「ええ?」

「………同じ顔だから、困る」

「!……ふふっ」


姉はますます可笑しそうに笑った。

それからまた、ごった返す人混みの中に参戦する。

ホワイトチョコレート、と言うのは意外と数が少なく、ますます選びやすかった。候補はたった数種類しかない。


「……これにする」


決めたのは、板状のホワイトチョコレートにドライフルーツが混ざってあるものだ。ドライフルーツチョコレートと言うらしい。そのまんまだな、と思った。

普通の白一色よりも、イチゴの赤が目を惹いて、なんだか、カナエみたいだなと思った。


「うん!いいじゃん!」


「プレゼント用にお願いします」と姉が店員さんに伝え、会計を済ませて人混みを抜ける。


「明日は、良い一日を!」

「………うん。………姉ちゃんも」


デパートを出て、別れる。他にも雑貨とか本とか見たいものがあるらしい。おれが目的の無い時間を使うことが嫌いなことをよくわかっている。


(…………カナエのところに、行こうかな…)


おれの通う塾は直ぐそこだった。

土曜日は朝から塾を開けていて、自習室を解放している。先生も、朝から出勤している。

教材を持っていなくとも、塾生が塾に顔を出すくらい普通かな、と気紛れに足を進める。

ちょっと歩けば、無駄に背の高いビルが見える。その一番てっぺんに塾の名前がでかでかと書いてある。

まるで結婚式場のような長い階段を登ると、やっと正面玄関だ。


「あら、大桐くん。どうしたの?自習?」


珍しいわね、といつもいる受付の女の人が笑う。


「…………解けない問題が、気になって。………神城先生は居ますか?」


受付のカウンターを挟んで、教員の席は一望できるようになっている。パッと見た感じそこには居ないことを気付きながら訊いてみた。


「ああ。今、授業に入ってるわ。斎藤先生ならいるけど?」

「………じゃあ、いいです」


そのまま踵を返して、塾を出た。








「昨日、塾に来たんだって?」


翌日、叶のアパートを訪ねると「いらっしゃい」の後がその言葉だった。


「わかんない問題があったんだって?」

「………もう、いいんです。そんなの」


この人はきっとそれが口実の為の嘘なんだって知りながら、面白そうに問う。俺はじっとりと睨み、その話を終わらせようと試みる。


「めずらしーから。何かあったの?今日、会うのにさ」

「別に…」


気紛れに、会いたくなったから。

なんて言ったら、きっと彼は喜んだだろう。でもおれはそんなことは口にしない。


「それより、これ、バレンタイン」

「えっ?!嘘!?僕にくれるのっ…?」


紙袋を持っていた時点で気が付いていただろうに、彼は本当に驚いた顔をして、それから心底嬉しそうに笑った。


「うっれしいなーっ!秋夜が!僕の為に!」

「……」


開けていい?と首を傾げられ、「どうぞ」と返せば、叶はザ・バレンタイン!みたいな、ハートで一杯の包み紙をビリビリと乱雑に開ける。

彼と付き合い初めて知ったが、彼は結構、大雑把な性格をしている。


「わー!可愛い!ホワイトチョコじゃん!」

「………嫌いじゃない…?」

「好き!」


ならよかった、と心の底から安堵して溢れた声に、叶は驚いた顔をしてこちらを見た。


「……なに…」


問えば、また、心底幸せそうなにやけ顔が返ってくる。


「シューヤ!ほんと、可愛いな!好きっ!」

「……………知ってる…」


一緒に食べよう!と叶は一度キッチンに行き、コーヒーを淹れてマグカップを二つ持ってくる。

おれのには、言わなくとも砂糖とミルクが入っている。やっぱり少し、こそばゆい。


「ふふ、僕は幸せ者だなぁ…」


マグカップを両手で挟んで、コーヒーを飲みながら、叶はにこにこと笑う。

何が、と聞かなくても、彼はいつだって相槌を待たずに言葉を続けた。


「まさか、こんな可愛い恋人が出来るなんて」

「………」

「…違ったね。言い直すよ。秋夜が、僕と付き合ってくれるなんて」


言い直す前の言葉も後の言葉も、どちらもちょっと気に入らなくて、眉をひそめる。

おれが不快に思ったことを感じ取ったらしい叶は、しかしどこがいけなかったのだろうと、思案しているようだった。


「………別に、付き合って“あげてる”わけじゃない…」


仕方なしに、正解を告げる。

おれはどうやら、分かりにくいらしいから。少しずつ、ちゃんと、自分の気持ちを言い表していこうかなと思う。

…言わなくても、気が付いてくれる事も増えたけど。

おれの言葉に、やっぱり叶は目を丸めた。


「ねぇ、今日、めっちゃ“デレ”だね?なに?バレンタインの魔法?」

「…………ばっかじゃないの?」


言うと、不意に叶の顔が近付いて、「あ」と思った時には唇に柔らかい感触が触れた。


「…ご馳走様」

「……いや、チョコ。食べて」


そうだそうだ!と笑って、パッケージを破り、半分に割る。


「これ、チョコの白と苺の赤で、僕と秋夜みたいだね」

「は?」

「いや、だって、シューヤのイメージカラーって、赤だもん!」


赤?

そんなことを未だかつて誰からも言われたことがなかったけれど、「名前に“秋”って付いてるから」と言われて納得した。


「秋の夕焼け空なイメージ。ビビットなカラーじゃなくて」


割った片方を俺に差し出しながら言う。

受け取って、一口噛る。ホワイトチョコレートの甘さに、苺の酸っぱさがバランスがとれていて、丁度いい。


「あ、おいしっ」


同じタイミングで一口食べた叶も、同じ感想を抱いたらしい。


「僕たち、相性良いみたい」

「…………ばーか」


叶の冗談に、そんなこと、とうの昔に知ってるよ、と笑った。












ーおしまいー

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