第26話 簾中

このことは、宮廷人なら誰でも知っていた。

太宗は自分が亡き後、豬遂良に罪があっても処刑してはならぬと言っておいたのである。太宗は、皇帝の怒りを承知で正論を吐く人物を残しておきたかったのである。

直諫は、死を覚悟しなければならない。どんなことをしても処刑されない保証があれば、豬遂良なら皇帝の怒りを恐れず自分の信ずるところを述べるであろうと期待したのである。


「左様であったな」


高宗は、これを簾中の武昭儀に聞かせるために言った。

太子太師という要職にあった于子寧は、一言も口を開かなかった。于子寧は、反対すれば祟りが恐ろしい。そのような利害を、彼は頭のなかで考えていたのである。

于士寧は、北周八柱国の一人于謹の曾孫という名門であった。沈黙は金、名門出身の于士寧は堂上人特有の保身に走った。彼の曾祖父も八柱国の身でありなが

ら、隋末の動乱の時は田舎に引きこもって巻き込まれないようにした。天下が鎮まってから唐の天子に請われて、要職についたという家系である。武力をもたぬ

白面の公卿としては、保身に汲々とするのは当然であろう。

だが、群盗出身の武将李勣は経歴はそうではない。彼は元群盗の頭領李密の部下であった。李密は、ある一点を除けば普通の群盗だった。その一点とは、彼には人の才能を見抜く乱世の頭ではもっとも必要な能力だった。李密はこの能力で、その分野では天才的な能力をもつ有能な人物を二人幹部にし、乱世初頭最も勢力を持った組織をつくりあげた。

その二人とは、徐世勣と魏徴である。徐世勣は、天才的な戦術で唐の高祖李淵はたびたび窮地にたたされた。李密は、その後同盟する相手を間違えて勢力を失い李淵に降伏した。

しかし、徐世勣は総帥であった李密の無事が確認

できるまで唐に降伏しなかった。李密が唐の幹部になって優遇されているのを確認した徐世勣は、唐に降りることを承諾した。しかも降伏するにあたって彼は、

自分の支配する土地の郡県、戸数、人口、兵数、軍馬の数などを表にして李密に届けることにした。降伏を承諾した徐世勣の使者が、長安に来た。高祖(李淵)は、その知らせを聞いて使者が参内するのを待った。

だが、使者は来なかったのである。そこで調べてみると、徐世勣は自分の支配する土地を唐に献上する

にあたって、この民衆や土地は皆李密のものであった。

もしこれを私が唐に献上するとなれば、主人の失敗を自分の利とすることになる。

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