第19話 醜い嫉妬

 光明皇太后の権力の掌握は、中国の武則天を手本としていた。気の弱い彼女の夫に変わって政治の実権を握った経歴が、武則天に似ていたのだ。

武則天はしきりに改元して、その中には「天柵万歳」「万歳通天」といった四文字の元号がある。日本でも「天平勝宝」「神護景雲」などの四字元号は、女帝の時代にのみ用いられた。また武則天は改名好きで、王皇后と蕭淑妃を殺してその家族の王姓を「蠎(うわばみ)」蕭姓を「梟(ふくろう)」と変えさせた。光明皇太后も藤原仲麻呂を恵美押勝と改名させた。

東大寺の大仏は聖武天皇の時に造られたが、病弱な夫を助けたいという点で武則天の政策の模倣であり光明皇太后を筆頭に日本の奈良朝期の女性権力者が目指したのは武則天であった。

武則天の前半生は、可哀想な人生だった。

彼女は若い時に年老いた唐の二代皇帝大宗の気まぐれで側室になり、その後後宮で無為にすごさなければならなかった。しかも太宗の死去によって若いうちから出家させられ、俗世間との関係を絶たされてしまった。

彼女の幸運は、太宗の子李治によってもたらされた。李治は男子であるが皇帝の皇子のため、幼少の頃は自由に出入りすることができる。

彼はその時、父の側室である文才人に初恋をした。父の側室に対する少年の淡い恋、気の弱い皇子李治は当時皇太子でなくこのエピソードは微笑ましい話として後宮でちょっとした話題となっていた。

後に李治は、御し易いという理由で皇帝となった。唐の重鎮で唐の建国に大功のあった長孫無忌は、妹の産んだ皇子のなかでしっかりとした長男李泰を斥けて意志薄弱な次男李治を皇太子に推した。

彼は自分の甥を皇帝にし、皇帝を傀儡に自分が権勢をふるうことを目論んでいた。

李治は、こうして三代皇帝となった。彼は長孫無忌の期待どおりの人物だった。おとなしく自己主張することなく波風たてない政策を好み、当初の政治は安定した。

しかし、そこには大きな落とし穴が潜んでいた。

三代皇帝高宗は、父と同じく王皇后や蕭淑妃など多くの妃をもった。

しかし、彼の恋愛遍歴にひどい偏りがあった。高宗の愛情は蕭淑妃一人に注がれ、王皇后はそれに危機感を抱いていた。

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