第17話

紫微中台の官号は唐玄宗朝の紫微省(=中書省)また高宗及び則天武后時代の中台(=尚書省)などに拠ったもので

あろうといわれているが紫微の本義が北斗星の北にあって天帝の座といわれる紫微垣に出ずるものであることをまず考慮すると、それはすなわち天子の常居を意味するのである。以上によって紫微中台が単なる皇后官職の改称でなく紫微中台の新設は光明皇太后になった光明子が新たに即位した孝謙天皇を補佐して大政を行うための機関である。譲位したとはいえ夫帝聖武が太上天皇として生存しており従来の先帝死後とは事情が異なる。てもかく皇太子阿部内親王が即位したが母の光明皇太后は半ば公然とその大政を補佐しふむしろ実権は光明子の掌中にあったというべきであろう。その大権を行使すべき機関と

して設けられたものが紫微中台であった。聖武太上天皇が死去すると藤原仲麻呂はますます増長した。まず聖武太上天皇が死去の際に皇太子に指命した

道祖王を皇太子から廃し代わりに大炊王を指命するように仕掛けた。聖武太上天皇は道祖王を天皇として自覚をしっかりもち何事にも動じず天皇制を守り

続けていける人物と考えていた。その点大炊王は物わかりがよく何事にも柔軟に対応できる能力をもっていた。仲麻呂はその大炊王に目をつけた。

仲麻呂には先立って死んだ長男真従がいた。仲麻呂はこの真従の未亡人栗田諸姉と大炊王を結婚させ、しかもこの夫婦を自分の邸に住まわせていたのである

早い話が仲麻呂は大炊王に目をつけ家に住まわせ自分のロボット天皇として擁立することを考えていた。仲麻呂は自己の野望達成のため大炊王は皇太子と

した。そしてこの廃太子事件の直後に仲麻呂は新たに新設されたポストの紫微内相になった。養老律令の施行が命じられた同じ日に紫微内相というポストが

新設された。このポストは紫微中台の長官として内廷に近侍する重臣でありながら律令国家の軍事権を掌握し待遇は大臣に準ずるというものである。すでに

仲麻呂は紫微令として実質的に握っていた。しかし議政官としてはまだ大納言にしぎず軍事権はなかった。すでに朝廷内には朝廷を無視した政治に多くの

大臣が不満をもっていた。仲麻呂は不穏な空気を察知して先手を打ったのだ。光明皇太后ー紫微中台、孝謙天皇ー朝廷という対立構造が成立していた。

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