第15話

父聖武が天皇を譲位すると、政治の実権は母の光明皇太后がますます持つようになっていった。光明子は、皇太后になっても藤三娘と署名した。この光明皇太后が、最も発言力をもっていた。本来ならば孝謙天皇でなく、光明皇太后が即位すべきであった。

それでも光明皇太后は政治を補佐したが、彼女には少し不安があった。光明皇太后が、皇族出身でないことだった。彼女は元藤原家であり、しかも女性である。有力な皇族が多数いる朝廷で、彼女が政治を補佐するのには氏族や皇族の反発があった。

また日本には未熟な天皇には他の皇族が摂政を置く制度もあり、光明皇太后が朝廷を自由に動かすのには無理があった。

そんな彼女には、手本となる女性がいた。彼女の二・三世代前の中国の唐で活躍した女性で“則天武后”、日本では“武則天”と呼ばれている人物である。

彼女こそ何の権限もないのに唐を支配し、簒奪、周という国を建国した強者だった。日本は遣唐使を通じて世界や主に中国の情報に気を配っていた。光明皇太后は「女帝としての先輩」である武則天に親しみを感じこの女性に学ぼうとした。

武則天は、唐の第三代皇帝高宗の妻だった。彼女も皇族ではなく下級貴族の娘だった。

しかし彼女は優柔不断な皇帝に変わって、実質的に政治を取り仕切った。そして独裁者となって多くの人々を殺し恐怖政治をおこなった。特に驚くべきことに実の息子二人や娘一人、孫二人とその武氏の妻なども容赦なく殺したことだった。

彼女の実家は唐帝国建国に大功を立てた家柄でもなく、由緒ある名家や身分の出でもない。しかも徳姫儒教の伝統的なモラルは女性が出しゃばることにはきわめて批判的であった。

そんな中国で、彼女は高宗の愛情だけで強引に宮廷政界を押しわたっていった。


ーこの女は恐ろしいぞ。いざとなればなにをするかわからないぞ。ー 


彼女はそう廷臣に思わせ時に、恐ろしい決断を下して廷臣たちを震えあがらせた。そして、決して手綱をゆるめることをしなかった。

そんな彼女が天寿を全うできたのは、彼女が意外とまともな政治をしたからだ。

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