第11話
聖武の落ち込みは、見るに耐えないものであった。 その状況を、光明子は冷静に見つめていた。夫の聖武は自分しか愛しておらず、自分との子供しか天皇にするつもりはないと常々言っていた。
その明かしとして、光明子は聖武の皇后となった。古代日本の皇后は、夫王が死去した場合後継者指名に発言権があったことが記紀に記されているだけでなく時には自ら皇位に即くことがあった。だからこそ皇后
は必ず皇族であり、律令に規定されなくても倫理的には内親王から選ばなければならなかった。
光明子に「皇」の字をつくことは、聖武の次の実力者であった長屋王は反対した。長屋王の父高市皇子は、五千戸の封戸が充てられ藤原不比等の二千戸を大きく上回る天皇家につぐ実力者であるのは誰もが認めていた。
しかも長屋王の妻は文武天皇や元明天皇の異母姉の吉備内親王であり、血統的には聖武に見劣りしなかった。聖武にとって長屋王は、次期天皇を狙う危険な人物になっていた。
聖武は、長屋王を無実の罪で貶めてまで光明子を皇后にした。光明子は、こうして皇后なれた。そして夫の聖武が政治への意欲をなくすと、彼女が変わって政治に関与し始めるようになっていった。
彼女は、聖武より決断力があり聖武も彼女を頼るようになった。光明子は、皇后の名前を持っておりもう誰も反対出来なかった。
光明皇后は、自分の権力を確固たるものにすべく自分の兄弟四人を公卿とした。
天平四年に阿部広庭が死去し、七年に一品知太政官事のまま死去した舎人親王、を除けば天平四年から天平九年まで藤原式麻呂、多治比県守、藤原房前、宇合、麻呂は不変である。
光明皇后は自分が男の子を産めば必ず皇太子とし、次期天皇を継ぐ磐石な体制を整えていた。彼女はすでに天皇の次に権力をもつ皇族出身でない、初めての女性となっていた。
阿部内親王は、そんな強い母を尊敬していた。唐の政治体制も学んでいた彼女は、今までの日本と違い天皇である夫を支える理想の女性に思えた。父は優しいが精神的に弱くよくストレスに悩み内親
王には不安定に思われた。それに比べて母は強かった。広虫や真備を失っていた内親王は、母に何でも相談しいつしか母依存性の女性となっていた。
母の光明皇后も、内親王は必要な存在だった。光明皇后は、皇族出身でないため反発する皇族が多かった。また当時の日本は、女性が政治に関わるのにも異論もあった。
そんな光明皇后にとって、一人でも味方が必要だった。
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