1話ー⑥ 少女は運命と出会う
陽が、沈む。
「……その、別部屋とかないんですか……?」
嫌悪的な感情よりむしろ、羞恥と倫理観のそれでタスクは口にする。カノンは今までのやり取りから、一緒なのが嫌なんだな、と受け取るが、それでも容赦ない現実を突きつける。
「私たち二人だけでテント一つ使えるのって、結構高いんだよ?」
「……ゴメンナサイ」
陽が沈む僅か前にキャンプ地帯に辿り着いたカノンは、まずは宿泊の手続きをこなした。その中で、まあいつかは突き当たると思っていた問題が、こんな荒野のど真ん中で早々にしてタスクに立ち塞がった。すなわち、金銭問題。街の外とはいっても、人間のコミュニティが成立している以上は当然かもしれなかったが、ともあれ、タスクの持つ手段ではどうしようもない事態が立ち塞がった。
「荷物、ここに置いとくね」
ここでタスクに与えられた選択肢は一つ、すなわち、金銭を持つカノンに己を委ねること、それのみだった。適当にそこら辺で転がることが許されるはずはないだろうし、何より他人の目、こんな荒野で過ごすからには屈強、粗暴な面が少なからず見られそう(というタスクの偏見)な人間達に無防備な姿を晒すのは耐えられない。かといって、キャンプ地帯を外れて一人荒野に転がるのは、山を歩けば幾度となく出くわす程には魔物が生息するのだからいくら何でも危険極まりない。何より、いずれも目の前の少女が許すとは思えなかった。街に行くにしてもどれほどかかるかは分からないし、夜間に辿り着いたとして入れるのだろうか?街の中の方が絶対に安全であろうにも関わらず、カノンが翌日に帰還することを視野に入れていた辺り、おそらくは防犯上の都合辺りで入れまい。そもそも金銭の類を持ち合わせていないのでは、入れたとしてもここと大差ない。悪意や道楽で襲われかねない分むしろ怖い。
(……そもそも、入れるのかな?)
そういえば、タスクは自身を証明するパスポートの類を持ち合わせていないことに今更ながら気が付いた。学生証はポケットに入っているが、それが意味を持つことはあるまい。そこの住民だろうカノンが取り計らってくれるのかもしれないが、果たして──
「それじゃタスク、ご飯食べに行こっか」
カノンに呼ばれて、タスクも頷きながら立ち上がる。どのみち着いていかなければ今夜食べるものはない。誰かに頼らなければ生きることすらままならない現状に歯噛みしながら、テントを出る。振り返ると目に収まった、周りのそれと比べて小振りなテントに入れることもまた、カノンがいてこそである。彼女曰く、普通は他人同士で収まって雑魚寝が基本らしい。とはいえカノンも女性なので、数人分の金を払って個人で収まるよう融通してもらう、宿泊施設は有限故にそれが叶わないこともあるのならせめて女性同士で集まる、等といった対応を極力心掛けているが、それでも仕方ないことはある。しかしこうしてタスクと二人で収まれば、元々二人収まればいいサイズのテントに空きはないから自動的に占拠できる。人を収めるスペースが足りない都合をより大きなそれに投げたり、収まる余地がないから無理と両断できる。タスクとしても全く知らない他人よりはずっとマシ、カノンとしてはやはり多少なりと知った顔がいい、という都合に頷かざるを得なかった。幸い、目当て通りの小振りなテントを取れた、ならば面倒が起こる前に、と、タスクは承諾したのだった。心理的な抵抗こそ、依然として存在するが口には出さない。実際眺めてみれば、陽が沈んでなおどこからやってきているのか、続々と宿泊客らしき人々がやってきては揉めている様子がある。顔も人格も知らない人々と一つの屋根に収まるよりは、と割り切る。というか、割り切る以外の選択肢はない。
「タスク」
「……はい?──あっ、はい」
呼ばれて振り返ると、目の前にお盆が突き出された。いつの間に買い漁ったのか、それともタスクがぼーっとし過ぎたのか、そこには今夜の夕食だろう様々な食べ物が載せられている。こんな荒野のど真ん中で意外というべきか、それとも、遠くはないだろう街との繋がりなり山脈越えの拠点であることを踏まえれば当然と思うべきなのか、そのレパートリーはなかなか豊富に思える。受け取って持ってけ、の意であろうそれを受け取りながら、タスクは再び人の群れの中に潜るカノンを見送る。戻ったテントに程なくして追加の料理を持ち込んだカノンは、それを置いて、背負う剣もまた脇に置き、座り込む。
「それじゃ、食べよっか」
「はい。──いただきます」
カノンの言葉に合わせ手を付け始めたタスクは、すぐにカノンの視線に気が付いた。
「どうしました?」
「えっと……」
問われたカノンは言葉を探し、率直に聞く。
「食べる前に手を合わせていたけど、あれ、タスクの国の風習かな?」
「ああ……」
何と答えたものか、数秒、タスクは頭を巡らせる。無視して食事に逃げるのも、この状況では無礼が過ぎた。そんな僅かな思考の中で、言葉を見つける。
「……祈り、ですかね」
「祈り?」
「生きるために殺してしまった生き物たちに、命をありがとう、って感じの……まあ、そんな感謝の言葉と……姿勢、風習……」
「……そっか」
初めてお喋りのようなものが成立して嬉しく思うと共に、どこか胸に去来するものがあったカノンは、真似してみる。
「……いただきます……こうかな?」
「形だけでいいと思いますよ。さっき言ったみたいなこと、普段意識してませんし。形骸化した習慣です」
「そっか」
そう言って、後は無言。黙々と二人は食べ進める。
(デザートとかもあるのか)
盆に乗った食料の中には僅かながら果実や菓子の類と思しきものもあり、しかしタスクの胃では手を付ける余裕がない。色んなものが並んでいるのに、少し齧る程度で限界だった。まあどうせ味なんてほとんど分からないのだから、目を楽しませはしても食欲は沸かないのだが。
「食べないの?」
「無理です……」
結局、盆に乗ったそれらのほとんどはカノンの胃に収まった。
(よく食べるなぁ……)
(もっと食べていいのに……)
お互い真逆の感想を抱きながら、タスクは手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
「あっ、食べた後もやるんだ」
「はい」
二人で手を合わせて、カノンが盆を取り下げる。一人で運ぼうとするのを、タスクも手伝おうとする。
「運びます」
「ううん、いいよ。着替え……はないけど、私が片付ける間に身体拭いてて。タオルとお湯はそこ」
そういえば食料を取りに行く前に用意してたっけ、と、隅に置かれていたそれをカノンに示される。そうこうしている間にもカノンは盆を片付けて、剣もまた背負って(休息の場とはいえ、それでも危険なのは意識しなくてはならないのだろうか?)テントから出る。
「……まあ、いいか」
開き直って、タスクはテントの隙間から見られないよう天幕を軽く直して、服を捲ってタオルを滑り込ませる。程ほどにぬるくなったそれで、手の届く範囲で身体を拭く。
(そういや、この世界ってお風呂とかあるのかな……)
最後に入ったのはいつだろうと、記憶に沈みかけて引き戻す。どうせそこには苦い記憶、思い出したくもないそれしかないのだからと現実に引き戻された。それでも頭を揺らすものを振り払うように、乱暴に身体を擦る。タオルを隅に置くと、ちょうどテントの外から声が聞こえた。
「そろそろいいかな?」
「あっ、どうぞ」
そう言うが早いか、カノンはテントの中に滑り込む。テントの中に座り込み、背負っていた剣を下ろし、ジャケットを脱いで放り出す。
「……」
ワンピースというものだったか、多分着ている物がそれ一枚になったカノンのやや無防備感のある姿に、タスクはどこか緊張を覚える。覚えたためか思考が停止して、次の動きを把握し損ねた。
「ん、しょ……」
カノンが背に、首元に手を回した。
(……)
カノンが手を腰に回し、服を捲り上げ──
(……っ)
「──⁉」
ようやく何をしているのかを──まだ理解していないタスクは音になってない悲鳴をあげながらテントの外に転がる。頭から地に転がったままテントの中が見えた一瞬、遅れてやはり転がるように立ち上がると、落下してテントの中と外を隔てる天幕の更に外、背で内側を隠す反射行動。
「……た、タスク?」
(あわ──あわわわ──)
表面だけは静かで、内側は胸も頭も大騒ぎするタスクの様子に疑問を抱きながらカノンは声をかける。ひとしきり騒いで、口をパクパクさせながらどうにか思考が動き出したタスクは、それでも背で天幕を押さえつけるのを維持したまま、悲鳴なのかそうでないのか分からない声を上げる。
「脱ぐなら言ってください‼」
「えっ、あっ……うん」
呆気にとられるカノンの声を聞きながら、深く息を吸い周囲を見る。叫びで多少の注目は浴びているようだが、距離は遠い上に一瞬かそこらだったと信じるので中が見えたわけではないだろう、と信じ込む。
(ぅぅ──っ)
中で着替えているのかそれとも身体を拭いているのかしている少女の存在、そして思考停止と動揺の中でろくに覚えてないとはいえ、うっすらと浮かび上がる記憶にタスク自身の顔が赤くなるのを感じながら、自分を落ち着かせるよう、クール、無感情を気取って周囲を見渡してみる。
「……」
努めて無言を維持し、色んなものを頭から締め出すように思考しようとしてみる。一時は向けられていたはずの目線は既に感じない。ある者は書類か何かを抱えて別の誰かと会話しており、またある者は酒だろうか飲み物を抱え騒いでいる。暗い中でランプによる僅かな光の中手作業に励む者もいる。色んな人がいる中で、見える範疇ではその大半が誰かといた。みんながみんな、そんな感じで。
「……カノンさん」
「……ん、なに、タスク?」
声が返ってきて、初めて言葉が漏れていたことに気が付いた。誤魔化すかのようにポケットに手を突っ込み、そこにある物を手遊びながら誤魔化す。
「……なんでも」
「どうしたの?……あっ、タスク、もういいよ」
「うわっ──っと」
カノンが天幕を持ち上げ、タスクがバランスを崩す。崩れたまま倒れ込み、背中からテントに転がった。
(──ぁ)
見上げた中でつい、そのままカノンが視界に入ってしまうが、当然というか服を着ていた。持っていたのかそれとも買うなり借りるなりしたのか、服装が昼間のそれと違う。安堵を抱きながら姿勢を整え、疑問がよぎる。
(……だいぶ幼く見られてるのかな)
タスクは自身の身体を見つめてみる。実際、身長としても肉付きとしても身体の発育が悪すぎるので、そう思われること、扱われ舐められることは、慣れていた。
「ちょっと片付けてくるね」
カノンは身体を拭くのに使ったそれを片付けに行き、程なくして戻ってくる。テントの中に吊るされた、備え付けのランプに手を伸ばす。
「消していい?」
「どうぞ」
タスクが答えると共にカノンは手元を弄る。すぐに明かりが消え、テントの中が暗闇に満たされた。外にはまだ明かりを灯す者、その中で騒ぐ者もいるので何も見えないわけではないが、流石に二人のテントの中で何かするにはその明度は足りない。カノンは借りた毛布の中に潜り込む。敷いた寝袋越しの地面の堅さはあるとはいえ、寝袋一枚の野宿に比べれば天国だった。
「……タスク?寝ないの?」
「……」
無論、彼の寝床はカノンの隣、腕を伸ばし切らずとも触れられる程度に近い距離である。少女の傍で寝ることに二重の抵抗を覚えながら、しかし選択肢がないので観念して潜り込む。もぞもぞと動き、少女から出来るだけ身体を離すよう、毛布が地面へのクッションになりつつ自身を覆うように身体を転がした。
「……ねえ、タスク」
そんな様子に一抹の寂しさを覚えながら、カノンはそれを埋めるかのように言葉を投げる。タスクは口を開かないが、首がこちらを向くように動いた、気がして、言葉を続ける。
「……明日街に入るけど、その後、どうするの?」
「……」
聞かれて、どうするのかをタスクは自問する。答えが出ない。こんな事態なんて覚えがあるはずないから当然といえば当然だった。それでも、無配慮ではいられないのは分かっているので、どうにかやるべきこと、明日自分がやらなきゃならないことを絞り出そうとする。
「……とりあえず、どんな場所なのかの把握と……そうだ、生活基盤の確保……いや……そもそも……」
そこで聞くべきこと、前提条件として把握すべきことを問いただすと決めた。決めて、顔を向ける。暗闇の中でも、少女のピンク色の髪と、顔の輪郭は把握できた。
「……ええと、なんて街でしたっけ……これから行く街、入れるんですかね?身分証明……とか、できそうにないんですが」
カノンは言われて僅かに意味を咀嚼し、納得する。自分自身にも身に覚えがあるそれを思い返す。
「うん、大丈夫だよ。イニーツィオはそういうの、緩いから。移民とかも結構いるし、人の行き来も多いし──」
(それはそれで治安とか大丈夫なのか……?)
案外あっさり行きそうなのに別の不安を抱きながら、タスクはもう一度思考の内に沈む。イニーツィオというらしい街に入るのはいいとして、まだ見ていない話だけの印象では正直、治安に若干の不安を覚えた。それを純粋に危険な街と捉えるべきか、それとも余所者、身寄りのないタスクが潜り込める隙と捉えるべきかは判断しきれない。とりあえず、今は何をしようか、とだけを探す。
「……まずは情報収集、その後生活基盤の確保……と……その後どうするかは、後回し……かなぁ……」
「そっか」
タスクがやるべきことを整理しきれてないことを、カノンは理解しながら、しかしそれを追い詰めはしない。夜が深まって、外の明かりも少しずつ減っていくのを感じながら、目を閉じた。
「おやすみ、タスク」
そう呟いて、タスクの声は返ってこない。それでも、おやすみといえる相手がいることが嬉しくて、そのまま、眠りにつく。
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